第212話 Back to square one(中編)
「ザマあねえなあ、風岩さんちのお坊ちゃんよ」
異界で遭遇を果たしたオーゼスのパイロットたちに、どう話しかけたらよいものかを、わざわざ考える必要はなかった。
面を上げるなり、スラッシュが嘲るように言い放つ。
トレードマークともいえる、あまりにも悪人然としていて、逆に希少価値さえ感じる下卑た笑顔は健在だ。
ただ、その一方で、瞬に向けられる視線は驚くほどに冷ややかだった。
「いやあ、凄え。マジで凄えわ。褒めるところが一個もねえ。なんだあの素人みてえな動きは。最初っから最後までアワアワしてただけじゃねえか。あんなの――――」
「マイナス一億点とか二億点とか、そういうレベルのひどい立ち回りだってんだろ。今回ばっかりは否定も――――」
「バカ言え、0点だよ。ただの0点」
スラッシュが、ぴしゃりと言い捨てる。
異様な鋭さを持ったその一言を受け、瞬は真顔にならざるを得なかった。
「マイナスの評価ってのはな、クソほど使えなさすぎて、逆に使い道が生まれちまうほどの厄介な能力にだけ与えられる特別なモンだ。その意味で、テメエは0点。駄目のラインだって、そう簡単には越えられやしねえんだぜ?」
真理だった。
そう、マイナスの点数とはまさに、彼らのためにあるような表現であり、概念。
一般的な評価基準の逆を向いているだけで、こちらの領域に踏み入るのにも、人並み外れた才能や意志の力を必要とする。
良くも、そして悪くも。
今の瞬には、彼らの仲間入りをする資格などないのである。
「結局テメエは、これっぽっちも強くなってなかったってことだ。確かにテメエは勝ったさ。俺様にもグレゴールにも十輪寺にも霧島にもアダインの旦那にもな。だけどそれは、機体の相性が上手くブッ刺さったか、個々の攻略法を必死こいて考えるかして拾った勝ちだ。俺様たちは、“テメエの強さ”に負けたわけじゃねえ。断じてな」
正鵠を射た指摘に、瞬は返す言葉もなく、ただうなだれる。
確かに、どの戦いを振り返ってみても、自分の個性が勝利に寄与したという実感は薄い。
スラッシュの言うとおり、瞬は小手先の技術で、その場をその場をくぐり抜けてきただけ。
セイファートの特性を引き出すことはできたにしろ、パイロットである瞬の側には特性と呼べるものがまったく根付いていない。
打倒風岩刃太の目標を達成する上で、更なる技量の向上は必須事項ではある。
しかし自分だけの強みを欠いたままでは、技量で並んだところで、どのみち刃太に勝つことは不可能だろう。
その、根本的な部分を変える術を持たないからこそ、瞬はこの闇の中に迷い込んでいるのだ。
瞬の沈黙を反映して、自然と、その場の空気も重苦しいものに変わっていく。
補足の入れようもない完璧な説明であったため、他の面々も、口を挟むことはできないようだった。
そんな淀んだ雰囲気の中――――まったく物怖じしない柔和な声が、瞬の鼓膜を打つ。
確認するまでもない。
消去法で、霧島のものとわかる。
己の気配を希薄化させ、空間と一体になることができる霧島は、空気の性質に影響されることもないのだろう。
「まあまあスラッシュさん、その辺にしておきましょうよ。今のあなたの指摘……僕も概ね正しいとは思いますが、それを指導にあたっていた当時、伝えることができなかった僕たちにも責任はあるわけですから」
「うるせえぞ霧島ぁ! んなモンはテメエで勝手に気付けって話じゃねえか。大体、司法取引の一環で仕方なく引き受けてやった臨時コーチなんだ。末永く付き合ってくわけでもねえんだから、こいつの先々のことなんざ知ったこっちゃねえんだわ」
「その割には、だいぶ指導に熱が入っていたじゃないですか。自分の得意戦術を仕込んだ“後継者”を作ろうと躍起になるあまり、基礎力強化が疎かになっていたというのが真相のように思えるんですが」
「なーにが後継者だ、んなワケあるかよボケが! コイツを取り急ぎ使えるようにするためには、ああするのが一番手っ取り早かったってだけだ!」
自分を放って在りし日のように、スラッシュと霧島の二人は言い合いを続ける。
年長者的な素振りを見せることもあるが、目先の欲求が最優先で、実際には大した計画性のないスラッシュ。
他人との衝突など、性分的には最も避けるべきはずなのに、スラッシュ相手にだけは遠慮のない霧島。
全く代わり映えしないその様子に、瞬は呆れ笑いを漏らした。
だが、それも一瞬のこと。
二人は、過去を振り返って感想戦をしているにすぎない。
これからどうすべきという話は、一つも出てこない。
それでも一応の収穫はあったため、師たる二人に内心で感謝の念を送りつつも、瞬は体を回してまた別の方向を見た。
焚き火を挟んでスラッシュと霧島の向かい側に腰掛けているのは、グレゴールと十輪寺。
こちらもこちらで懐かしい顔ぶれであり、彼らとの戦いで得られた気付きも多い。
スラッシュと霧島は戦闘技術の伝授という形で瞬の自己形成に貢献したが、こちらの二人は、虚仮の一念とでもいうべき強烈な生き様にて瞬の思想に大きな影響を及ぼしていた。
いつまでもどこまでも、たった一つのことに拘り続ける不器用な彼らを、かつての瞬は奇人変人の類と小馬鹿にしていたものだ。
しかし、瞬は彼らとの戦いにおいて、まったくといっていいほど主導権を握ることができなかった。
彼らの強い信念を乗せた勢いある戦闘スタイルに、ひたすら飲まれ続けてきた。
己を貫き通すべく世界に立ち向かう彼らと、貫き通すべき己もなく戸惑い続ける自分とでは、勝負になるわけもなかったのである。
両者とも、最終的には瞬自身の手で討ち果たすことに成功したものの、だからといって精神的に乗り越えたとは微塵も思っていない。
彼らの背中はまだまだ遠く、未だに敬服の対象として、記憶に刻まれていた。
「失望したぞ少年! 長く続いた最終決戦の最後の最後に待ち受ける、ラスボスともいえるダークセイファートとの一騎打ち……全てのロボットアニメ大好きっ子が夢見る最高の激燃えシチュエーションだぞ!? こんな熱く滾る展開を台無しにしてしまうとは、許せん!!! 散るなら散るで、せめて必殺技同士のぶつかり合いで相打ちとなり、爆発の光に呑まれる機体の中、線画っぽいモノクロ演出で満足げな笑みを浮かべながら散っていけ!」
「悪かったよ……見どころのねえ試合でさ」
怒りを露わにしながら、握り拳を作って意味不明なことを力説する十輪寺に対し、瞬は素直に謝罪する。
同じ不完全燃焼でも、セイファートOの圧倒的な力を前に、手も足も出ず戦いが終わってしまったのなら、まだ言い訳のしようもあった。
だがあの戦いにおいて、瞬が抵抗する余地は随分とあったように思う。
確かにセイファートOの機体性能は優れていたが、たったの一撃で勝負を決めるような強力な武装は、最後に披露してきた、あの“虹色の剣”だけだ。
他の攻撃手段も十分に強力だったとはいえ、数分間は耐えきることができたのも事実。
つまるところ、戦いの最中に自分なりの動きを作ることは十分に可能だったのである。
自分に落ち着きさえあれば、一矢報いるくらいはできたかもしれないという後悔の念は、確かに瞬の中にあった。
「あんたを見習って“格好をつける”ことにもこだわってみたけど、最後まで上手くいかなかったよ。いいところを見せようとして色々試してみたけれど、どれもこれも、なにかが違うような気がするんだ。いまいちオレに馴染まねえ。付け焼き刃っていうのはこういうのを言うんだろうな……」
「なんだ、そんなことで悩んでいたのか少年は」
瞬の吐露を聞いた十輪寺は、急に素のテンションに戻ってそんな返事をした。
瞬が散々悩まされてきたこの難問も、やはり十輪寺にとっては、すぐに答えを出してしまえるほどの易問であるらしい。
「なぜ格好がつかないかだと? それは少年が、この特注の超熱血パイロットスーツを着ていないからだ! 格好いいスーツを着ていないのだから格好悪いのは当たり前だ!」
勢いよく立ち上がり、右腕を天高く突き上げて吠えたける十輪寺。
相変わらずの、突飛すぎる行動と言動。
ただ、瞬は以前のように呆れることだけはしなかった。
オーゼスのパイロットたちの確固とした主義主張は、自分にいつも何らかの気付きを与えてくれたからだ。
実際、今回の十輪寺の返答も、表現に癖がありすぎるだけで、内容自体はどこか核心を突いているような気がした。
その予感に従い、十輪寺の言葉を頭の中で噛み砕いてみると、やがて一つの意味が浮かび上がってくる。
やはり、期待したとおりの立派な箴言だったのである。
「……自分がどんなやつか、はっきりわかるような服を着ろってことか」
「そのとおり! 型が定まらなければ形から入ればいい! 形を保ち続ければ、いずれ型に変わる!」
「確かにあんたは、その典型例だもんな……。最初は、よくそんなださいスーツをと思ったけどよ。いや、今でもださいとは思ってるけど……」
瞬は、改めて十輪寺の首から下を見やった。
初見時に強烈な印象を残しすぎて、今ではその光景を当たり前のように受け入れてしまっているのだが、十輪寺はこの場においてもメテオメイルを操縦する際の専用パイロットスーツを着込んでいた。
スーツ本体部は、胸元にV字のペイントが施されているものの、形状や素材自体は連合でもオーゼスでも採用されているウェットスーツタイプだ。
そこに、白い肩パッドやグローブ、ブーツを追加装着することで、その出で立ちは往年の特撮ヒーローのように見える。
この独特のデザインが、通常のパイロットスーツより機能面で優れているとは思えない。
むしろ操縦に随分と支障をきたしそうな気がする。
しかし十輪寺は、このパイロットスーツを恥ずかしげもなく着込むことによって、嫌でも記憶に残る堅固なキャラクター性を獲得していた。
いや、十輪寺に限った話ではない。
オーゼスのパイロットたちはみな、他者の評価などおかまいなしに堂々と世にはばかり続けることで、一個の存在として完成に至っていた。
誰に対しても見せつけることのできる、自慢のスーツを持っていたのだ。
「それで、少年はどうするのだ? 一体なにを、その身に纏う? 世界に対して、自分をどう示す?」
十輪寺が、直球の問いを瞬に投げかける。
どう在るべきかを尋ねられることは、初めての経験ではなかった。
オーゼスとの戦いそのものが、同種の質問を内包していたからだ。
自分の入るべき形、行き着くべき型――――
その答えは、もう間近まで迫っているような気がする。
瞬は無回答のまま十輪寺のもとを通り過ぎるが、今回は逃避のためではない。
回答を、より具体的なものとするために必要な、前進だった。
十輪寺の巨体を回り込んだ先に座するのは、グレゴール。
自分らしさを見定めるというのなら、この男との対話もまた不可欠だった。
「……よう」
グレゴールの、左右対称の形状と動作に対するこだわりは、いついかなるときでも絶対不変。
今も、真剣な面持ちのまま両の掌を正面に突き出して、暖を取っていた。
自分に視線を向けてしまうことで、グレゴールがその完璧な対称性を崩してしまわないよう、瞬は敢えて真後ろから話しかける。
幾ばくかの後ろめたさもあったが、それが理由で対面を戸惑うほど、瞬は臆病でもなかった。
「あんたにも……というか、あんたにこそ、オレは謝らないといけなかったな」
瞬は顔を険しくして、どうにかその一言を絞り出した。
グレゴールとの決着は、大きな後悔の残る苦い記憶として、瞬の胸に刻まれていた。
あれほどまでに得心のいかない戦いはなかった。
瞬はゲルトルートの性能に頼り、ろくな駆け引きもなしに、グレゴールの駆るシンクロトロンBを撃墜してしまったのだ。
圧倒。
有無を言わさぬ破壊。
それは、一般的には理想的な勝利の形とされている。
そして、理想的な勝利を容易にもたらすゲルトルートもまた、理想的な戦闘兵器といえるだろう。
だが、ゲルトルートを操縦する瞬の心に、熱が灯ることはなかった。
自分が望む、多彩な技による翻弄とは真逆の戦闘スタイルを要求される機体だったからだ。
ゲルトルートは機体構造も武装もシンプルにまとまっている分、パイロット自身の技量が反映される余地はごくわずか。
被弾を恐れることなく突撃し、敵の正面に陣取ってひたすら攻撃を続ける“ただの力押し”が、最も効果的な運用方法として推奨されるほどだ。
誰にでも扱えるという特性は、自らの手で勝利を掴んだという実感を極限まで希薄化させる。
ゲルトルートの操縦を経験したことで瞬が得た、最大の学びである。
「あんな勝ち方したって、嬉しくもなんともなかった。だからオレは、再びセイファートを求めた」
メテオメイル同士の戦いは、通常の戦闘とは大きく毛色が異なる。
本人の趣味嗜好を反映した機体を用いて行われる、人格と人格の直接衝突。
言うなれば、存在そのものの格付け。
そんな、互いのこだわりを見せつけ合うべき場で、特に思い入れのない優秀な機体を使い勝利をもぎ取っていくのは興ざめもいいところだった。
空気が読めていない。
趣旨も理解できていない。
あれほどセイファートの火力に乏しさに苦しみ、勝利を渇望していたというのに、打倒グレゴールを果たしたとき、瞬の口から漏れ出たのは申し訳なさを由来とする嗚咽だった。
敵どころか自分すらも尊重できない、最悪の白星。
物理的に頭を下げても心の内ではけして平伏しないという信条を持つ瞬だが、自分の迷走に巻き込んでしまったグレゴールだけは、たった一人の例外である。
「ボーイは、自らの愚行を反省していると?」
「ああ」
「反省という言葉は、使いどころが難しい。反省を始めた段階から使ってよいものなのか、反省を終えた段階でようやく使うことを許されるのか」
「……そうだな」
瞬は、弱々しい口調で答えた。
久々に聞くグレゴールの声に、しみじみとする余裕もなかった。
今のグレゴールの呟きは、瞬に対する遠回しな批判だ。
反省の道筋を明確に定めていない者が、安易に反省を語るなと言いたいのである。
「どんなに癖が強くても、やっぱりセイファートの方がオレには合ってたし、なによりこいつと一緒に戦うことは、兄貴を倒す力を手に入れるための修行になると思った。でも……そこから先が、ずっとふわっとしたまんまなんだ。なにかがすっきりしねえ」
「ボーイが、秤の全体を見ようとしないからですよ」
手厳しい指摘だった。
他の三人の言葉も、瞬の心の奥深くまで突き刺さるものばかりだったが、グレゴールの一言はとりわけ強烈に、瞬が内に抱える問題の核たる部分を捉えていた。
「傾いた側の重さにのみ着目し、もう片方の皿に乗った物には目もくれない。そんな偏った目線では、左右のバランスなど取れるわけがありません。ああ成る程。ボーイはそうやっていつも“足りないもの”から目を背け続けてきたのですね。足りないことはわかっていても、なにが足りないのかを究明することは避ける。なんともアンバランスな精神性だ」
ぐうの音も出ない、的確な分析。
自分の心の弱さを表に引きずり出され、瞬は恥辱に顔を歪めた。
どれだけ試行錯誤しようと自己の性質が固まりきらない瞬の苦悩は、全てはここに帰結するのだ。
「あんたは本当に、痛いところを突いてくるな……。ああ、そうだよ、わかってるよ全部。最初から、このオレが一番な」
ぞんざいに言い放つと、瞬は仰向けに倒れ込む。
それから、久々に声を上げて笑った。
嬉しいわけでも楽しいわけでもない。
馬鹿笑いだ。
どこまでも現実逃避を続ける自分があまりにも情けなさすぎて、一周回っておかしさが込み上げてきたのだ。
いよいよ、観念すべきときがやってきたらしい。
目を閉じ、闇の世界で闇を作ると、ある日の出来事が蘇ってくる。
もう四、五ヶ月は前のこと。
まだメアラが入隊して間もない頃の話である。




