第210話 終わりの続き(後編)
「どういうことだ……!?」
電波状態が回復し、司令室とセイファート間の本格的なデータ同期が十数分ぶりに再開。
司令室のモニターに表示されている無数のグラフに、次々と最新の数値が反映されていく。
本来、その中で真っ先に確かめるべきは、瞬の各種バイタルサインだった。
だが、轟の発言で妙な胸騒ぎに駆られた現状においては、理性よりも深層心理が優先された。
オースティンは――――いや、隊員一同は反射的に、セイファートの胴体に設置されている二基のサブカメラからの中継映像に目を向けてしまう。
ただ、目にした結果こそが、たったいまオースティンの発した台詞だった。
青が濃すぎるあまり、晴れているというのに晴れやかさをまるで感じない空模様。
モニターには、ただそれだけが映し出されていた。
カメラの視点も全く動かず、得られる視覚情報は皆無に近い。
「なにが起こっている……?」
事態を飲み込めず、しばし呆然としていたオースティンだったが、瞬との交信を試みるオペレーターの声で我に返る。
この異常事態において唯一の朗報は、これだけの隙を晒しているにも関わらず、敵機が仕掛けてくる様子がないことだ。
その事実から、オースティンは、やはり瞬がなんらかの理由で機体を降りているのではないかと期待した。
が、その可能性は、直後に完全否定されることになる。
瞬の精神波放出量を計測するグラフが、絶えず変化を続けていたからだ。
しかも、危険域とされる数値を示しながら。
中継映像の静けさと反比例して、事態は相当に深刻なものとなっているようだった。
「オッサン、つまんねー冗談は聞きたくねーからな……!」
オースティンの反応からなにかを察したのだろう、轟がついに声を荒げる。
だだ、十代前半の少年らしからぬ覇気のこもった威圧にも、今は臆している暇がなかった。
案の定というべきか、オペレーターが何度呼びかけようとも、瞬は一向に応答する気配を見せない。
「計測器が正常に動作しているとしたら……」
オースティンはオペレーターに問いながら、もう一度モニターを見やる。
心電図にも似た当該のグラフは、先程からずっと、ゼロを示すラインの上を跳ねるようにして微弱な波形を描き続けていた。
精神波は、精神が存在する限り絶えず生み出され続けるエネルギー。
本人の意志や抽出装置の干渉とは無関係に、常に微量が体外へと漏出している。
つまり、無意識下であっても、通常なら必ずプラスの数値を維持するはずなのだ。
だからこそ、ゼロというのはけして看過できない異常な数字。
パイロットの死亡以外でゼロを記録することがあるとしたら、それは過大な心的負荷がかかり、精神に強い防衛反応が起こった場合。
だとすると、やはり、ガンマヒュドラーが唐突に機能を停止した理由は――――
「おい、オッサンってばよ!」
「セイファートのメテオエンジンは現在も稼働中だ。風岩特尉の生存も、ある意味において確認が取れた。しかし……既に決着は付いたと、あちらが断定してしまえるくらい、二機の優劣は明白であるようだ」
「んだと……!?」
「風岩特尉のバイタルサインは不安定なまま、長らく変化がない。つまりは、放置されているということだ」
オースティンの立場で憶測を確定事項のように語ることは褒められたものではなかったが、轟のジェルミ評と合わせると、そうとしか結論付けられなかった。
一刻も早く詳細な情報が欲しいところだったが、軍の監視衛星が次にセイファートの現在地を通過するのは数十分後。
偵察機を今から向かわせるにしても、準備を含めて同じだけの時間を要するだろう。
すぐに送り出せてセイファートの安全確保も任せられるのはゲルトルートだが、この機体は有事に備えてラニアケアに残しておく必要があった。
行き詰まった状況にオースティンは歯噛みするが、ややあってから、気づく。
「いや、これは……?」
急速に落ち着きを取り戻したオースティンは、口元に手を当ててもう少しだけ勘考する。
そう、もはや焦慮は不要なのだ。
いま南方で行われている戦闘は、崩壊の瀬戸際に立たされたオーゼスが、今のうちに自信作を披露しておきたいという“たっての願い”に端を発している。
言うなれば最後の食事。
言うなれば特別試合。
言うなれば追加演奏。
所詮は、市民の安全確保のために仕方なく応じてやっただけの戦い。
勝敗の結果が戦局に影響することは、ない。
瞬やセイファートが今更どうなろうと、さしたる問題ではないのだ。
加えてオースティンは、一時的に指揮権を預かっているだけで、部隊本来の最高責任者ではない。
ここでの一勝を逃したとして、経歴につく傷も最小限で済む。
「偵察隊を出し、状況の詳しい確認を行う。戦闘が終了している可能性は極めて高い。風岩特尉の救助も必要になるだろう」
オペレーターの一人に、連合艦隊旗艦にこちらの動きを連絡するよう伝えた後、オースティンは航空偵察帯隊に発進を命じた。
それから、心身の疲弊をそのまま反映したかのような、重苦しい長息を吐く。
今日は、あまりにも多くのことが起こりすぎた。
百機を超える無人機部隊との長期戦闘に始まり、オルトクラウドとグランシャリオ、セイファートと未知の機体、そして現場を離れたケルケイムとジェルミ、それぞれの決戦。
副司令であるオースティンに求められるタスクの数も相応に膨大で、激戦の裏で隊員たちにどれだけの命令を下したかわからない。
そして、そこまでの激務をこなしてなお、この日の作業量全体の折り返し地点に入ったかどうか怪しい段階にある。
便乗組の元締めであるオースティンは、決戦前に滑り込んできた同志やその部下たちに優先して仕事を回し、彼らに実績を稼がせる役目を担っているのだが――――毎度そのための理屈を捏ねる気力も、すっかり失せてしまっていた。
ケルケイムが不在で、自由に振る舞えるはずのこの時間も、疲労困憊のオースティンにとっては拷問に等しい。
一刻も早い指揮権の返還を切望しているものの、ケルケイムの負傷の具合を考えるに、本日中どころか向こう数週間は司令官代行を続けることになるだろう。
考えるだけで、卒倒しそうになる。
兵員ならまだしも、部隊の司令官が負傷離脱してしまう事態など、予想する方が難しい。
(残るは敵拠点の制圧だが、メテオメイル戦を主とする我々の出番は既に終わった。あとは事の成り行きを見守るだけだな……)
まだ仕事は山のように残っているとはいえ、ヴァルクスにとっての最大の山場は超え、少なくともこれまでのような重責を負うことはない。
そう前向きに考えたオースティンが、気分を落ち着かせようと紅茶の入った保温タンブラーに口をつけようとした、まさにそのとき。
轟が、独り言のように、だが力強く呟く。
「まだ終わってねーよ。……いや、絶対に終わらせねー」
「北沢特尉、貴官は一体なにを……!」
能動性が含まれた不穏なニュアンスを耳にし、オースティンはすぐさま制止にかかるが、遺憾ながら既に手遅れのようだった。
戦闘用デッキで待機していたはずのゲルトルートがラニアケアを離れ、再びロッシュ・ローブの本島へ向かい始めたとの報告をオペレーターから受ける。
これは明らかな命令違反。
作戦行動中の任務放棄、しかも最重要戦力かつ最重要機密であるメテオメイルの私物化。
外部からの強制停止コマンドを即時発動するに値する、極めて悪質な行動である。
トラブルの程度としては、先のジェルミのスタンドプレーと大差がなく、その点もオースティンが頭を抱える要因であった。
ともあれ、強制停止コマンドを発動するにしても、こちらの対応の正当性を示すため、警告を行ったという大義名分は必要だ。
オースティンは辟易しながら、こうしたトラブルの際の定型文を記憶の片隅から引きずり出そうとする。
だが、その数秒の間に、轟が先んじた。
「アイツがなにと戦ってやがるのかはよく知らねーが……要するに、そいつにボロクソにやられて気ィ失ってるか、ヘコんでるかのどっちかってことだろ。連中が勝ち鬨吠えてやがるだけで、瞬もセイファートもやられちゃいねーってことだろ?」
「そのようだが、だからどうしたと……!」
「だったら時間の問題だ。時間さえありゃあ、あいつはまた戦えるようになる」
奇跡に縋る必死さもなく、自分に言い聞かせるような切迫感もなく。
あたかも周知の事実を語るような口ぶりで、轟が言い放つ。
当人の置かれている状況をなにも知らないままで。
風岩瞬が風岩瞬であること、ただそれだけを根拠にして。
現段階において、轟の発言は、個人の感想も同然の薄っぺらな主張にすぎない。
しかしその薄さの中には、上官の命令に背くことへの心理的抵抗を遥かに上回る重みが含まれているらしい。
信頼という名の重みが。
ただ、その信頼とこの暴走との間に、一体いかなる因果関係があるのかは未だ不明のままだった。
だからこそ、オースティンは反射的に問いを投げかけようとしたのだが――――
「だから時間を稼ぐんだよ。こうやってな……!」
「!?」
次の瞬間、轟の更なる暴挙が炸裂する。
ロッシュ・ローブの本島へ再上陸を果たしたゲルトルートが、右方のギガントアームをおもむろに掲げたと思いきや――――その掌に生み出した灼熱の火球、クリムゾンショットを無警告で投擲。
衛星島で警戒態勢を維持していた七機の無人メテオメイルの一機に命中させた。
不意打ちの標的となったケンタウロス型の機体は防御姿勢を取ることすらかなわず、大きく体勢を崩して海に転落。
盛大な波しぶきを立てる。
パイロットの独自判断による先制攻撃。
脳がその光景を受け入れきれず、オースティンの思考は完全に停止してしまう。
おそらくケンタウロス型の機体に積まれている人工知能も、ゲルトルートのあり得ざる挙動に対し、同じようにフリーズを起こしていたのだろう。
わざわざ敵の包囲の中に踏み入ってからの奇襲。
しかも、後方に控える艦隊と連携を取ることもない、ただの単騎特攻。
定石と常識の双方を無視した奇行としか言いようがない。
そうするに至った理由や、そうすることで得られるメリットを真面目に分析したところで、合理化は到底不可能。
無意味な予測データを大量に抱え込む羽目になるだけだ。
もしかすると轟は、これまでの戦闘経験から、こうすることで無人機の無防備状態を作ることができると確証を得ていたのかもしれない。
「まだ降伏宣言を出すには早いぜ、オーゼス。戦いはこうして続いてるんだ。だから、あっちの勝負も切り上げるんじゃねーぞ!」
轟が機体外部のスピーカーを用いて、自分本位の要望を勝手にオーゼスへと突きつける。
ゲルトルートとの通信回線は繋がったままだったため、司令室側にも、その音声は流れてきた。
距離の問題で、他の部隊の耳に入る可能性はおそらくないというのが、唯一の救いだった。
「それにオーゼスの下っ端ども……テメーらだって、実は納得いってねーんじゃねーのか? ルールの上では負けだとしても、それをおとなしく受け入れられんのか? 全部出し尽くした上での負けじゃねーと、心の底からスッキリできねーんじゃねーのか? だったらやるしかねーよな、とことんまでよ。エキシビション第二弾と行こーぜ……!」
轟の独断行動とはいえ、オーゼス側にとってこの一撃は、連合の戦闘継続の意思表明でしかない。
先陣を切ったゲルトルートを排除すべく、他の六機が一斉に迎撃を開始する。
細身の人型機体、百足のように蠢く異形の機体、ヤドカリを前後逆にしたような機体はロッシュ・ローブの本島へ飛び乗って近接戦闘へ移行。
類人猿じみた機体、全身に鏡面加工が施された機体、胴体と両腕が大型の機関砲と化した機体は、衛星島に居座ったまま各々の火器で援護に入る。
本来の最終戦を終えて寂寞としていたロッシュ・ローブの上で勃発する、一対六の大乱戦。
ゲルトルートは、先の一戦の影響で荒れ狂った地形を巧みに駆け回って敵部隊の猛攻を凌ぐ。
その最中、轟はオースティンに何食わぬ顔で提案する。
「大体、連中がヤケを起こさねー保証はねーんだ。あそこに突入かますにしても、こいつらは先に全部ブッ壊しといた方が安全ってもんだろ」
轟の言い分にも一理はあった。
このままオーゼス側が無反応を貫くのなら、最終的には同様の判断が下されることになるだろう。
欲を出して残存メテオメイルの鹵獲を目論んだばかりに、それを好機と見たオーゼス側が約定を反故にして襲いかかってくるというのが考えられる最悪のパターン。
轟の言うとおり、惜しくはあれど、今のうちに徹底的に叩いておくのが無難ではある。
が、それを決定するのは艦隊司令をはじめとする上級指揮官たちであり、同じ結果に行き着いたからといって轟の独断行動が許されるわけではない。
加えて今回は、数十隻の艦艇を――――もっと言うなら、数万人の兵員を巻き込んだ一大作戦の途中。
綿密に作られた作戦プランは、轟の気まぐれによって大きな乱れが生じ、今頃は艦隊全体が混乱に陥っていることだろう。
事後承諾が取れると思っているのなら大間違いだった。
当然のように、オースティンの席に備え付けられた通信用モニターからは、他の任務部隊からの呼び出し音が途切れることなく鳴り響く。
最悪の事態だった。
ケルケイムの現場離脱を許したのは、ケルケイムが不在の時に発生した問題についても、ケルケイムがその責任を負うという一言があったからだ。
が、そのケルケイムはジェルミとの戦闘で激しく負傷し、オースティンの現在の立場は副司令官ではなく司令官代行。
ケルケイムに責任を押し付けることは、不可能になってしまったのである。
ある意味において、絶体絶命の窮地に立たされているのはオーゼスではなく自分なのかもしれないと、オースティンは冷たい脂汗を流しながら思う。
なぜ自分がここまでの理不尽を背負わなければならないのか、その憤りを吐き出したくてたまらなかった。
だが――――
オースティンが次に轟に向けて放ったのは、自身ですら思いもかけぬ一言だった。
「……なぜそこまでする? なにが貴官をそうさせる? 流石の貴官でも、こうまで派手に動けば処罰を免れないことくらい、理解しているはずだ」
「そいつには、そいつらしくあって欲しいっていうだけだ。それ以上の深い考えなんてねーし、このやらかしに対する言い訳もねー。お偉方への報告書だって、好きに書いてくれていい。ただ、その代わり……今だけ目をつぶって、どうにか場を繋いでくれねーか。どうしても必要なんだ、この一勝負は……!」
轟の訴えに、オースティンは返す言葉を持たなかった。
轟が、戦功目当ての短絡的思考で飛び出したわけではないことは、強い信念を感じさせる口調からも明らかだ。
風岩瞬が再起するまでの時間を繋ぐのも、セリア・アーリアルの前で自分を誇ろうとするのも。
対象が自身か他者かの違いはあれど、どちらも当人の自分らしさを守るための行為。
そして轟は、たったそれだけのために――――自己満足以外のなにも得られないと弁えた上で、全てを擲ち規律に抗うことを決断した。
経歴や実績という、形あるものを求めて生きるオースティンにはまるで理解できない生き方である。
轟と同じ十代前半の少年の視点に立って考えたとしても、結果は同じだ。
にも関わらず。
殺到する問い合わせに、どう答えたものかと――――そこで幾つかの選択肢が浮かぶ程度には、オースティンの心には迷いが生じてしまっていた。




