第209話 終わりの続き(前編)
オルトクラウドとグランシャリオの壮絶な死闘が、ついに幕を閉じた。
他の誰にも割って入ることのできない、両陣営が誇る最強戦力同士の激突――――
勝負を制したのは、三風連奈が駆るオルトクラウドだった。
手も足も出ずに完敗を喫した、四ヶ月前の雪辱を果たした形になる。
一方のグランシャリオは、オルトクラウドの虎の子たるゾディアックキャノンの直撃を受けて、欠片一つ残さずに消滅。
そこに存在していたという事実さえ、不確かなものとなった。
ロッシュ・ローブの本島周辺を包みこんでいた濃密な白煙もようやく収まり、戦いの行方を見守っていた人々も、ようやく状況の把握に至る。
「…………」
誰も敵うことのない悪魔的な強さを誇り、数百万もの人命を奪ってきた厄災のメテオメイル、グランシャリオをついぞ撃墜したというのに。
連合の将兵の中で歓声を上げることができた者は、ほんの一握りだった。
大半の人間は、ポテンシャルを限界以上に引き出した二体のメテオメイルの超常的な破壊力に圧倒され、未だに言葉を失ったままだ。
連合は、これほどの危険物を内に抱えているのだ、と。
オルトクラウドの度を過ぎた力に驚愕すると同時に、並々ならぬ恐怖も覚えていた。
ともあれである。
この勝敗の結果を以て、世界全土を巻き込んで繰り広げられた、約二年に渡る戦乱――――オーゼスが呼称するところの“ゲーム”もまた、オーゼス側の条件未達成という形で終了となるはずだった。
しかし、戦闘終了からしばらくの時間が経過しても、オーゼス側からのアクションはなにもない。
潔く降伏するのか、協定を破って最後まで抗戦を続けるのか。
どちらの意思も、その片鱗さえ感じ取ることのできない完全な沈黙。
施設内部への突入を試みるのか、先に総攻撃を仕掛けて反抗の芽を潰すのか。
連合軍側もまた、判断がつきかねていた。
とはいえ、目先にこなすべき作業は山のようにある。
艦隊司令官たちの間でしばしの議論が交わされた後、とりあえずは次戦に備えるという、至極当たり前の結論に落ち着いた。
「大砲女の面目躍如ってところか」
「あなたしか使ってないでしょ、そのあだ名。でも、そうね……そういうことになるわね」
ロッシュ・ローブの本島で擱座したオルトクラウドの回収を命じられたのは、轟のゲルトルートだった。総重量が数百トンにも及ぶメテオメイルの自由な運搬を可能とするのは、同じくメテオメイルだけだ。
もっとも、標準的な五指付きの腕部を持たないゲルトルートでは抱えるという動作が不可能なため、運搬方法は外付けのワイヤーウインチを使った牽引である。
オルトクラウドは仰向けの体勢のまま海上を引きずられ、パイロットの連奈もまたシートに身を預けて寝そべっているようだった。
グランシャリオとの一戦で性も根も尽き果てたといった様子で、連奈の返事にはまるで気力が感じられない。
普段の冷ややかでふてぶてしい態度とのギャップに、轟はたまらず乾いた笑いを漏らす。
「やっぱりテメーが一番、精神がキマっていやがる。あのド派手な隠し玉を使うための状況を、ブッ飛んだ度胸で強引に整えやがったんだからな」
「北沢くんに素直に褒められるのは、相変わらず気持ちが悪いわ。『あんなもんで調子に乗るんじゃねーぞ大砲女、俺の強さには遠く及ばねーからな』とか、そういう減らず口を叩きなさいよ」
「バカかテメーは。俺のテメーとのタイマンなら絶対に俺が勝つ。その自信があるから寛容な精神で褒めてやってんだ」
「あらやだ、未だに舞い上がっているのね北沢くんは。気持ちはわからなくはないけど、そろそろ冷静になった方がいいわよ。自分が痛々しい勘違いをしていると気付いたときの反動は中々に大きいから」
「レベルの低い煽りだな。もはやそんなモンは俺には通じ……」
下らない言い合いを唐突に中断し、轟は思い出したように空を見上げる。
そのことに疑問を呈さず、無言を貫く連奈も、おそらくは同じ考えに至ったのだろう。
減らず口、煽り、舞い上がり、勘違い。
数々の単語を並べる内に、二人の脳裏には、よく知る一人の少年の姿が浮かび上がったからだ。
帰路につくゲルトルートの速度が少しだけ上昇し、ゲルトルートとを繋ぐワイヤーが強く軋んだ。
「……もはや呆れるほかないな」
ラニアケア中央タワー内の司令室にて。
オペレーターからの報告を受けたオースティン・ピアスは、額に手を当てて軽く頭を振った。
報告というのは、今しがたラニアケアに帰還を果たしたばかりの、三風連奈の容態についてである。
全く応答がないということで、大至急メディカルルームへと搬送された連奈だが、どうやら昏睡や失神といった意識障害の類ではなく、単に口も開けないほど疲れ切っているだけらしい。
脈拍も呼吸も正常の範疇、血色も良好で、担当医師からも特別な処置は不要と診断された。
あれだけの戦いをしておきながら、特別の処置を必要としない、とても十四歳の少女とは思えない生命力。
肉体が頑丈というよりは、精神が頑強なのだろう。
生きて当然という、ある種の不遜――――
生への渇望や死への恐怖を超越した先にある境地なのか、あるいはそれらのはるか手前に位置する無知ゆえの感覚なのか。
そして多分、ここまでの戦いを生き延びてきた他の二人も、そのどちらかの場所に立っているのだろう。
決戦の直前になってヴァルクスへ出向してきたオースティンは、口のきき方もろくに知らない、生意気で図々しい少年少女たちがメテオメイルを託されていることにひどく頭を抱えた。
しかし、今このときになってようやく、だからこそなのだと深い納得に至った。ああでもなければ、メテオメイルのパイロットという大役は務まらないらしい。
そして――――噂をすれば影だった。
机と一体化した無数のディスプレイの一つから呼び出し音がなる。
通信を求めているのは、ゲルトルートを操る北沢轟だ。
「副司令のオッサン。そっちは色々と、どうなってんだ」
応答するなり早速、轟が言葉足らずな質問を投げかけてくる。
オーゼスの突発的な攻撃に即応するため、オルトクラウドの回収完了後、轟には再度ラニアケアのメテオメイル用デッキで待機するよう命令を下していた。
なのだが、未だオーゼスにこれといった動きは見られず、今のうちに情報をかき集めておこうと考えたのだろう。
もっとも、そうした質問は、まずはオペレーターに尋ねるべきであって、直通で副司令官に通信を寄越すなど言語道断だ。
以前に、オペレーター側からの報告を待つのが基本だ。
そもそも、なにを知りたいのか、その要領も得ない。
もう何ヶ月もパイロットとして活動しているにも関わらず、軍隊に順応する気が微塵もない身勝手さに、オースティンはたまらずため息を吐いた。
「貴官の個人的な興味に説明を割くだけの時間的余裕はない。オペレーターからの続報を待て。以上だ」
「オペレーターが教えてくれんのは戦況だけだろ。俺が知りてーのは司令のこととか、ジェルミのこととか、瞬のこととかだ。そういうのはアンタに聞いた方が早えーだろ」
「余計な知恵だけは付けているようだな……」
「俺がそっちに意識持っていかれて、いざというときに本気を出せなかったら、色々と引っ被ることになるのはアンタだぜ。つーわけで、とっとと頼むわ」
痛いところを突かれて、オースティンはぐぬぬと唸る。
そう、本来の司令官であるケルケイムが持ち場を離れている今、オースティンは事実上のヴァルクスのトップ。
部隊の指揮権を預けられている状態である。
当然、隊員の不手際の責任は、オースティンが負うことになる。
経歴に箔をつけるため、最後の最後でヴァルクスに滑り込んだ身としては、パイロットには十全のコンディションを維持して十分な成果を出してもらわなければ困る。
オースティンは一度咳払いをすると、仕方なく直々に、轟が挙げた三人に関連する情報を提供することにした。
普段は口数の少ない轟が、こうまで口が回るとはまったくの予想外であったと、内心でこぼしつつ。
「朗報といえば、朗報ばかりだ」
オースティンは最初にそう前置きすると、要点を絞って説明を始めた。
まず第一に、ジェルミ・アバーテの死亡確認。
ジェルミはヴァルクスの注意がオルトクラウドとグランシャリオの戦いに向けられ、警戒網が緩んだ隙を狙って、単身ラニアケアに上陸。
その後、迎撃に向かった保安部隊の面々に重軽傷を負わせたようだが、現場を離れ対応に向かったケルケイムの手により撃破に成功。
その戦闘でケルケイムもまた相当に深手を負ったらしく、現在はメディカルルームで緊急手術が行われているが、医療班からの報告によると命に別状はないとのことである。
第二に、ジェルミの新たな乗機とされる、ガンマヒュドラーなるメテオメイルの発見。
元々はロッシュ・ローブの位置を特定するために放出されていた自律稼働ソナーが、ラニアケアから東に数キロメートル離れた地点の海底で、未知の機体を捕捉。
三頭を持つ蛇という外観や胴体部分の不自然な窪みの数々から、司令部はこれを、端末機を失ったガンマヒュドラーと仮定。
もっとも、その大質量ゆえに一般的な機材での引き上げは難しく、ロッシュ・ローブ制圧後、ヴァルクスが回収作業を請け負うことはほぼ確実だった。
そして第三に、つい今しがた入ってきたばかりの新情報。
連合艦隊にとって最大の不安の種であった、ガンマヒュドラーの端末機――――厳密にはそれらを載せたキャリアーの機能停止。
どのキャリアーも既に赤道を超え、攻撃開始は間近という段階にあったが、突如として全機が加速を停止し、いずれも大都市から離れた場所に墜落してしまったらしい。
これで市民に被害が及ぶ可能性はゼロとなり、後顧の憂いは完全になくなったといえた。
艦隊の力では今更どうしようもない最大の懸念点の解消――――それゆえに、轟もさぞや安心したことであろうと、オースティンは鼻を鳴らす。
しかし、意外なことに轟の反応は真逆だった。
フェイスウィンドウの向こうで、急速に表情を険しくする。
「停止? ジェルミが? 素直に? ……あり得ねーぜ、そりゃ。あのクソ野郎が、そんな大サービスをするもんかよ。自分の負けが見えてきたら、また別の勝負を差し挟んで、自分に有利な方向に持っていく……それがジェルミのやり口だ」
「既に現地の映像も送られてきている。これはれっきとした事実だ。無論、再起動の可能性はあるが、正規の手順を踏んだ着陸ではないため損傷も大きい。各地域に残してある戦力だけでも対処は……」
「それもあり得ねーんだよ。野郎は、汚い真似は使うが、几帳面な性分だ。後でどう使うにしろ、きちっと着陸はさせるんだ」
反論する轟の口調から、オースティンに対する苛立たしさは感じられなかった。
焦りだけが、如実に表れていた。
あり得ない事態の裏には、あり得ない原因がある。
轟が認められずにいるのは、キャリアーの墜落ではなく、そちらの方なのだろう。
「井原崎の野郎は、なんて言ってやがった……?」
「交渉を持ちかけてきたときの話かね? 一体それがどうしたというのだ」
「条件がどうのこうの、言ってたはずだ」
「条件……? それがなにか今の状況となにか関係があるのかね」
そうは言いながらも、オースティンは律儀にコンソールを操作して、通信音声の記録を呼び出す。
そしてすぐに、轟の知りたがっていた箇所を読み上げる。
「『……一つだけ、条件があります。それさえ呑んでいただければ、あの方の権限によって、ガンマヒュドラーの本体および遠隔操作型端末全基の機能停止を保証いたします』。以上だが……」
瞬間。
自分の口で発した言葉だというのに、オースティンは息を呑み、身を硬直させる。
轟が一体なぜ不安を掻き立てられているのか、その理由をようやく理解できたからだ。
「肝心要の質問がまだ残ってたな、副司令のオッサン。瞬の戦いはどうなってる……あいつはちゃんと、無事なんだろうな?」
オースティンは至急、戦闘オペレーターの一人に、セイファート側の状況を再チェックするように求めた。
隊員一同、目先の戦いに意識を奪われ、当該の作業を怠っていたわけではない。
むしろ、オーゼス側が投入してきた偽セイファートとでも呼ぶべき機体の圧倒的な性能を目の当たりにし、戦慄さえしていた。
加えて、戦闘の途中で電波状態が悪化し、通信障害も発生。
通話はもちろんのこと、機体のサブカメラが撮影する映像の確認や、瞬の精神波放出量の観測を行うことも不可能になってしまっていた。
そこまでの要因が重なっておきながら、セイファート側の戦闘に対する危機感が薄れてしまっていたのは、セイファートが未だ稼働を続けていることだけは確かだったからだ。
セイファートの現在の位置情報と、メテオエンジンを始めとする機体の中核機能が最低限稼働していることを示すシグナル。
この二項目は情報量が少ないため、電波状態が一瞬でも回復すれば、データを最新のものに更新することが可能だった。
前者が全く変動していないことは気になるが、後者の反応が検出されていることから、致命傷だけはどうやら免れているらしい。
これら二つの事実から、オースティンは、瞬がなんらかの意図を持ってオーゼス側と交信を試み、戦闘が一時的に中断されているものと判断した。
敵機の弱点を探り当てるためか、自身のコンディションを整えるためか。
瞬ならば、窮地を脱するためにそのような盤外戦術をとることもあると、事前にケルケイムから聞かされてはいた。
だが、今回の状況が、それに当てはまるとは限らない。
直後、オペレーターの一人から電波状態の回復を報告され、オースティンの心臓は跳ね上がった。




