第206話 命運(その3)
大小無数の氷山を加工して生み出されたオーゼスの本拠地、“ロッシュ・ローブ”。
その最も外周部に存在する小型氷山の一つに、敵対勢力であるはずの連合の機体が堂々と上がり込んでいた。
轟の操るゲルトルートである。
漆黒の兜の内側で灯る紅の瞳が、時折獣のようにギュルリと動く。
視線の向けられる先は、ロッシュ・ローブの本島とも呼べる中央の巨大氷山。
そこで行われているオルトクラウドとグランシャリオの激闘を、注意深く観察しているのだ。
ロッシュ・ローブの防衛を担う七機の無人メテオメイルは、そんなゲルトルートに対し、各自の武器を構えて威嚇行動を取っていた。
各機とも、自らの配置された足場の端までゲルトルートに寄っている。
その異様な距離の詰め方は、ゲルトルートが戦いに介入しようとする素振りをわずかでも見せようものなら即座に集中砲火を浴びせるという、命令者の敵意と警戒心を反映していた。
約定を無視してオルトクラウドの援護に入り、互いの全戦力を投入した潰し合いを始めるのか。
あるいはオルトクラウドを見捨てでも、メテオメイル同士の決闘方式を維持するのか。
極限までの緊張は、本島の外側にも走っていた。
だが――――両陣営の焦慮をよそに、最も葛藤すべき立場にあるはずの轟は、戦場にいる誰よりも呑気に事態を見守っていた。
コックピットの中で両足を投げ出し、あまつさえ持ち込んだ糧食をむさぼる始末である。
「やりゃあできるじゃねーか、大砲女……。そうだ、それがテメーの戦い方だ」
氷の決闘場の上を駆け回り、絶え間なく斬撃と射撃を繰り出すオルトクラウドとグランシャリオ。
一瞬のミスが敗北に直結する極限状況下だというのに、轟は満悦の笑みを浮かべ続ける。
オルトクラウドが背後を取られ、あの弩弓――――ディープ・ディザスター・ボウを突きつけられたときは心底肝が冷えた。
後で連奈に責められようが、何人の犠牲が出るかわかったものではない大乱戦が始まろうが、あの瞬間までは戦いに割って入るつもりでいた。
が、奇跡的に死を免れた連奈の、その後の鮮やかな反撃を見て、ここから先の手助けは必要ないと確信した。
機体の武装や損傷はそのままに、戦況だけがまるで別物となっているのだ。
一瞬の間に急成長を果たした連奈を目の当たりにしても、轟にそれほどの驚きはない。
自分たちの戦いは、いつもこうだったからだ。
オーゼスのパイロットは、ただの排除対象に非ず。
あるときは自分の心の弱さを鏡のように映し出し、あるときは未来の自分の可能性を想起させる、強く生きていく上で必ず乗り越えなければならない試練。
霧島やサミュエルが轟に変革を促したように、B4もまた連奈の精神に多大な影響をもたらしたのだろう。
あまりにも未熟が過ぎる自分たちは、オーゼスという心の闇に抗い乗り越えながら、ここまで辿り着いたのだ。
逆に考えれば、傍目にはただの不発にしか映らなかったあの一射は、連奈の価値観を揺さぶるだけの随分と大きな意味を持っていたらしい。
「散々期待させておいて肝心なところで外すってのは、あの女の機嫌を一番損ねそうだからな」
もっともらしいことを呟きながら、轟は連奈の見事な銃捌きに感嘆する。
具体的に、連奈の戦い方がどう変わったのか。
轟なりに一言でまとめるなら、それは“牽制の会得”。
飛び道具は、遠距離攻撃の手段であると同時に、相手に対応を強制する役割も持つ。
攻撃は最大の防御とはよく言ったもので、行動を縛り、制約を化していくという小さな積み重ねは、徐々に自分の方へ流れを引き寄せていく。
しかしただの乱射では、攻勢に回ることはできても、真に相手を警戒させることはできない。
牽制が有効に作用するためには、照準と攻撃目標が正確であることが必須。
なにを最優先に破壊したがっているのか、その意図を相手にも理解させ、当該部位の守りに意識を向けさせる――――この思考の誘導ができてようやく、牽制は牽制として成り立つのである。
連奈にその技能が備わったことで、B4はもう虎の子であるディープ・ディザスター・ボウを不用意には使えなくなってしまった。
轟の安心とは、予感などという不確かなものではなく、この極めて理論的な分析に起因するものである。
物量と火力に任せて戦うただの大砲から脱却を果たし、自らが撃つべきと定めた獲物を撃つことを覚えた今の連奈とオルトクラウドは、文句なしに強い。
変われば変わるものだと、轟は苦笑する。
もちろん連奈のこともそうだが――――ただの他人事で、得意げな表情を浮かべられるようになった自分に対してもだ。
「たまらねーな……いかにもラストって感じの戦いだ。やっぱラストはこうでなくちゃいけねー」
轟が眼前の戦いに目を奪われている理由の八割ほどは、そこにあった。
誰しもが命がけで戦っている中、幾ばくかの申し訳なさは感じるが、特等席で実力の伯仲した決闘を観戦できるというのは轟の気分をたまらなく高揚させる。
オルトクラウドもグランシャリオも、奇抜なギミックを持たず、操縦者の技量がダイレクトに反映されてしまう正統派の機体。
しかも、全身に火器を内蔵するオルトクラウドと、射撃と斬撃を切り替えられるレーザー発振器を全身備えるグランシャリオとでは武装の構成もよく似ていた。
加えて、ともに片腕を喪失しており、条件はどこまでも平等。
互いに撃っては躱し、撃っては躱しを続ける堅実な立ち回りがもう何分も続いていたが、それでも轟の目を飽きさせることはない。
極めて高度な読み合いと精緻な挙動のもとに行われる、ハイレベルな攻撃の応酬は、連奈の勝利を信じていてなお息を呑んでしまう。
華麗な足さばきで距離を取り、敵の操縦者を仕留めるべく胴体に狙いを定め、円運動とともに、交互に同じ動きを繰り返す。
断片的な知識による勝手なイメージなのだが、轟はそんな二機の戦う様子を見て、まるで金持ちのするダンスのようだという感想を抱く。
背景を豪奢な大広間に変えて、クラシック音楽でも流せば、いかにもそれらしくなる。
達人同士の戦いが様になるというのは、理屈としては理解できていたものの、実際に目の当たりにするのは初めてのことだった。
ここまでの戦いができる実力と相手。
その両方に恵まれた連奈には、正直なところ嫉妬の感情しかない。
ともあれ――――最強と最強の衝突。
約二年続いた、世界中を巻き込んだ大戦乱の、最後の最後を締めくくるに相応しい勝負ではあった。
壮絶極まる二年に対し各人が様々な思いを抱いているにせよ、この対戦カードにだけは、誰も異論はないことだろう。
「きっちり決めて見せろよ、大砲女。テメーがヤツとは違うってことを、思い知らせてやれ……!」
なんの恥ずかしげもなく、轟は応援の言葉を送った。




