第205話 命運(その2)
互いに得物を向けあったまま、オルトクラウドとグランシャリオが動きを止めている。
静寂。
虚無。
先程まで空を覆っていた灰雲は彼方に消え、足元でゆったりと漂う冷気の流れだけが、かろうじて時間の経過を示す。
二機のメテオメイルは、睨み合いを続けているわけではなかった。
現在の時間軸は、決定的瞬間を越えた先――――それぞれの得物から、既に一射を撃ち終えた後である。
とはいえ、両機とも、損傷の度合は直前までの状態となんら変わるところはない。
あの一瞬を見聞きすることを逃した者に対し、これから撃ち合いが始まるのだと嘘の説明をしても、きっと信じ込ませることができるだろう。
しかし、状況は確実に、そして大きく変転していた。
二機の間に閃光が迸ってから、既に数十秒という時間が経過している。
その間、連奈とB4はともに沈黙を続けているが、両者の沈黙に込められた意味はまるで異なっていた。
対照的と言ってもいい。
「これはこれは……これは……これは、驚いたね……」
B4は語彙を失い、一方の連奈は余裕に満ち満ちる。
一体なにが起こったのか。
仔細を正確に把握できる者がいたとしても、そんなことが現実に起こったという事実を冷静に受け止めることは不可能であろう。
B4の、彼らしからぬ反応が、どれだけあり得ざる事態なのをしかと物語っていた。
端的に言い表すのなら、それは相殺。
バリオンバスターから放たれた鮮紫の光が、ディープ・ディザスター・ボウの発射口に生成されたマイクロブラックホールに直撃し、その場で蒸発消滅させたのだ。
開幕直後の一斉射撃を全て飲み干すほどにマイクロブラックホールの質量は膨大であるため、本来ならばとても相殺には至らない。
だが、生成が始まった最初の一瞬ならば、話は違ってくる。
質量が増大する前の、ごくわずかな量子で構成されたマイクロブラックホールならば、吸収可能なエネルギー量も相応に少ないというわけである。
もっとも、適正サイズよりも相対的に小さいというだけで、その段階でも十分に質量は多い。
精神力放出量に優れる連奈の扱うバリオンバスターだからこそ、どうにか互角たりえたのだ。
「おじさま、一つ聞かせてちょうだい。今のは当たり? それともはずれ?」
皮肉めいた笑みを浮かべて、連奈が問う。
今のマイクロブラックホールが、発射時にどれだけの質量に至っていたのか。
答えようが、あるはずもなかった。
答えが明らかになる前に、連奈の一撃によって消し去られてしまったのだから。
「“おじさまの不運”では片付けられないわよね。私の思い切りが、吉事に繋がっただけの話だもの」
危うい綱渡りを生き残ったこと、B4をとうとう面食らわせたこと。
二つの歓喜で跳ねる心拍も、もうだいぶ落ち着きを取り戻してきた頃合だ。
連奈は未だ呆然とするB4に向かって、さらに言葉を続ける。
「私が何度も気に入らないって言ってるのは、そこよ。誰かの幸せが違う誰かの不幸せ? 運の総量のやり取り? 勝手に因果関係を持たせないで欲しいわ。私の運は、私の中から出てきた、私だけのものよ」
「……そういうことか。ようやく納得がいったよ。……ああ、きっと連奈ちゃんの言うとおりなんだろう。実際のところは」
途端。
静けさを打ち破って、グランシャリオが激しく地面を蹴る。
連奈から見て左方向へのステップ。
全身各部のスラスターを噴射して、氷上を滑りながらオルトクラウドの側面へと回り込む。
左腕を喪失しているオルトクラウドにとっては、対処が困難な防御の大穴。
にも関わらず、今の連奈に焦りはなかった。
むしろ痛快さを覚えて顔がほころぶ。
B4の側から、それも真っ当な立ち回りで仕掛けてきたという事実。
極端に面倒くさがりなB4が、基本戦術という合理的手段を取らざるを得ないほどに、あのなんのダメージにもなっていない一撃は随分と効いたらしい。
「さすがにわかってるみたいね、おじさま。いえ……わかっているからあんなに黙り込んだのよ」
連奈の指摘は二重の意味を持つ。
先に起こった、バリオンバスターと出がかりのマイクロブラックホールの相殺。
あれは連奈が意図的に起こした現象ではない。
発射タイミングのズレによって偶発的に発生した、ただのイレギュラーだった。
とはいえ、この結果は、連奈の不運やB4の不運という単純な言葉で片付けられるものではない。
もしタイミングがズレていなければ、果たしてどうなっていたか――――その仮定の答えこそが、連奈の真の目論見。
すなわち、ディープ・ディザスター・ボウ自体の先制破壊。
そこまで考えが及んだからこそ、B4は真っ向勝負を避け始めたというわけである。
マイクロブラックホールという防御不可の矢を用いるために、敵機の胴体に直撃すれば確殺となる最凶兵器、ディープ・ディザスター・ボウ。
その圧倒的威嚇効果があるからこそ、B4は任意のタイミングで先手に回ることができていた。
しかし、発射モーションの最中に攻撃を敢行する少女が現れたことで、得意戦術の根幹部分が瓦解。
優勢と劣勢を司る天秤は、その傾きを大きく変えることになった。
「やっぱり連奈ちゃんに、こいつを貸すんじゃあなかったよ。おじさんの最大のミスは、多分そこだ」
「大正解」
やはりB4は、聡い男だった。
実のところ、連奈がディープ・ディザスター・ボウ の射線上に堂々と立ったのは、暴挙と呼ぶほどのハイリスクハイリターンな行為ではない。
理由は、その発射モーションの異常なまでの正確性にあった。
連合製のメテオメイルには、パイロットの操縦の負担を緩和するため、一部の動作をオートで実行させることのできるシステムが実装されている。
“盾を構えて防御態勢を取る”などの、正確さよりも実行速度が重視される動作。
“所定の場所から装備を取り出す”などの、毎回手動でやる必要のない動作。
“倒れた機体を立ち上がらせる”などの、手動では危険が伴う繊細な動作。
この三種類が主な対象だ。
連奈は、かつてグランシャリオに搭乗した際、同機の中に類似のシステムの存在を確認していた。
システムにはディープ・ディザスター・ボウの発射モーションも登録されており、連奈はこれ幸いと使用を試みたのだが、機体や武装に対する負荷を抑えるための出力上限が設定されていたため断念。
結局、手動で操作する羽目になってしまった。
その時点では特に気に留めることもなかった、些事。
だが、これこそが、B4攻略における最も重要な手がかりだった。
後々になって当時の操縦体験を思い返してみたとき、連奈は、ある一つの疑惑を抱くことになる。
なにもかもを面倒くさがるB4ならば、オート動作をこちらの想像以上に多用しているのではないか――――と。
しかし結局、検証は不十分なまま打ち切られることになってしまう。
過去の戦闘の記録映像を参照したところ、基本動作や内蔵武装の使用においては動作に明確なばらつきがあり、これらは手動操作が主体であると判断された。
それ自体は確かな成果なのだが、連奈が最も知りたい部分――――肝心要のディープ・ディザスター・ボウについては、記録映像が一つも存在していないという問題があった。
当該武装の初披露となった戦いでは、オルトクラウドの大破によりレコーダーが破損。
セイファートとの戦闘記録は、連奈がグランシャリオを操縦したという事実を隠蔽するためにやむなく破棄。
残るは連奈と瞬の記憶だったが、なにかを断言できるほど仔細を覚えているわけもない。
だからこそ、改めての観察の機会が必要だった。
戦いの序盤から連奈が無謀な攻撃を繰り返したのは、気がかりな一点を見極めるためだったのである。
代償として、弾薬の大半と四肢の一本を失うことになってしまったが、得られたものは十分割に合った。
「射線や射角は毎回異なるけれど、構えてから発射するまでの時間はほとんど同じ。オート操作に頼っているその数秒間だけは、どんな技量も介在できない絶対的な“隙”。――――穴を突いているのは私の方よ、おじさまではなく」
一気に加速し背後を取るグランシャリオと、急旋回して向き直るオルトクラウド。
再び、バリオンバスターとディープ・ディザスター・ボウの射線が交錯する。
しかし、もはや、二機の間に息詰まる駆け引きは生まれない。
バリオンバスターの一射が、グランシャリオの左腕を正確に射抜く。
ディープ・ディザスター・ボウ自体ではなく、グリップで支えるだけの左腕を狙ったのは、妥協ではなく先々を見据えた結果の戦略的判断である。
「……ブラフじゃなく、本当にモノにしているとはね。まいったなあ。まったく、最高についていない」
濃密なラムダ粒子の奔流を受けたグランシャリオの左腕は一瞬にして溶けて爆ぜ、赤熱した無数の断片が花火のように宙を舞う。
かろうじて肩周辺の部位が残るものの、ただのデッドウェイトにしかならないと判断されたのか、すぐに手動で分離排除された。
グランシャリオが最強と称され、ときに実績以上の畏怖を人々に与えるのは、その絶対的不可侵性ゆえ。
オーゼスのメテオメイルの中で最多の出撃回数を誇りながら、ただの一度も目立った損傷を負ったことのない“触れ得ざる存在”。
だからこそ、今の一撃は極めて重大な意味を持つ。
連奈は、グランシャリオに史上初めて有効打を与えるという前人未到の快挙を成し遂げたのである。
とはいえ、連奈の胸の内で湧き上がる感情の中に、ようやくB4と比肩できたことについての歓喜は一割も混じってはいない。
意図どおりに狙った場所を穿つ――――自ら設定した、たった一つの目標をクリアできたことが、なにより嬉しくてたまらなかった。
数年ぶりに味わう充実感が、心地よく全身に染み渡っていく。
連奈が長らく追い求めていたのは、胸を高鳴らせる、この熱。
不意に肩の力が抜け、シートに預けた体が僅かにずれ落ちるが、それは油断や慢心による緊張の途切れではない。
言うなれば、冷え固まった魂の弛緩。
余分な力が抜けきった今この状態こそが、最も理想的なコンディションなのだ。
「私がここまで来れたのは、幸運のおかげだと思う?」
「……意地の悪い質問ばかりだなあ、連奈ちゃんは」
B4は大きく嘆息したあと、力なく笑ってみせる。
同時に、グランシャリオが少しだけよろめく。
身の丈ほどもある弩弓を抱えているせいで、ただでさえ重心バランスが偏っているというのに、それを支えるもう片方の腕を失ったことで、いよいよ自立すら困難になってきたらしい。
が、そこはオーゼス製のメテオメイル。
脊髄の役割を果たすオートバランサーは相当優秀にできているようで、腰を落としてすぐに安定を取り戻す。
熟練の戦士を想起させる体勢となったことで、失われた威厳は蘇るどころか、むしろ増しているようにすら思えた。
「認めるよ。その力量は連奈ちゃんの努力の賜物であり、目の付け所が良かったからこそ取れた戦術だ。遡って考えれば、幸運だったということになるんだろうけど……おかげじゃあない」
「そこまでわかってるなら、せいにするのもやめなさいよ」
「……申し訳ないけど、それだけはできないんだよ。どうしてもね。でも、一つだけやめようと思っていることはある」
B4の呟きとともに、グランシャリオの両肩と首元にあるロック機構が解除され、背中でたなびく真紅のマントが本体との繋がりを失う。
繊維製とはいえ、数トンの重さはあるだろうその大布は、風の流れに乗ることもなくずるりと地へ落ちた。
次いでグランシャリオは、露わになった背面に、主兵装であるディープ・ディザスター・ボウを懸架。
更に、全身七箇所にある高出力レーザー発振器“ヘリケーフォス”のうち、右腕と両膝の合計三基を起動。
それぞれから長尺のレーザーソードを生み出し、近接戦形態へと移行する。
レーザーソードとレーザーガンを同時並行使用し器用に立ち回るのが、グランシャリオ旧来の――――ディープ・ディザスター・ボウを得る前の戦闘スタイル。
全てのメテオメイルの祖に相応しい基本武装を駆使した基本戦術で、かつてのグランシャリオは破壊の限りを尽くしたのだ。
「不運以外の、他の全てにこだわることをやめにするよ。その気はなかったつもりなんだけど……どうやらいつの間にか、愛着が湧いてしまっていたらしい。グランシャリオ自体にも、おじさんの性格を熟知して作られたあの弓にも……ひょっとしたら、最強の称号にも」
長きを共にしたものが、自分を構成する要素の一つとなっていく――――
それはごく自然な心の動きだと連奈は思うし、自分の人生の一部を失ってはならないという危機感は、ときに強さにも転化する。
ただ、B4の持つ強さとは、極限まで高められた弱さが生み出す、周囲の人間を歪ませるほどの重力。
正のベクトルの強さでは、却って力を削いでしまうだけだ。
だからB4は今、しがらみから解放されようとしている。
いつの間にか手元に引き寄せていたものを手放すことで、完全なる合理のもとに戦う、殺戮機械になろうとしている。
ますますに暗く沈んでいくB4の声色は、この男が無限に続く奈落の、更に深奥へ堕ちてしまったことを如実に物語っていた。
「だけど今の連奈ちゃんが相手では、もうそんな半端は許されない。様々なものに心惹かれるこの思いにを振り切って……なりふり構わず、行くよ」
この局面で、B4は王者から挑戦者へと転ずる。
ただでさえ、己の命に頓着しないがゆえの常識外れの奇攻を仕掛けてきたというのに。
戦闘スタイルへのこだわりを捨て去った“ここからのB4”は、輪をかけて苛烈な攻撃を仕掛けてくるのだろう。
過去に取っていた戦法に回帰するだけとは、到底思えない。
そんな生ぬるいことを考えていては、間違いなく、一瞬で首が飛ぶことになる。
しかし――――意識を切り替えたB4を、それほどまでの脅威と認識していながら、連奈の気分は依然として高揚していた。
“戦わず”に“殺す”などと、そんな惰弱なことを考えていた自分が恥ずかしくなる。
B4の異常性を再度目の当たりにして、一度は屈しかけた自分が情けなくなってくる。
そもそも、思考の順序を大きく間違えていたのだ。
B4すらをも一蹴してみせる絶対の力を持った存在こそが三風連奈であり、逆に、たかだかB4程度に負けるような雑輩は三風連奈と呼ぶに値しない。
最初から、そういう姿勢で戦いに臨む必要があったことを、連奈は猛省する。
より色濃い闇で挑んでくるというのなら、より激しさを増した光で塗り潰すまで。
敵対する者全てに惑乱と破滅をもたらすB4との出会いは、最悪の不運。
それすらも『幸運だった』と言い切り、人生の糧にしてみせることこそが真の勝利。
つまりはB4の生き様の完全否定となるのだ。
「百パーセントでも二百パーセントでも、好きなだけ力を出すといいわ。世界一幸せなこの私を、それっぽっちでどうにかできるとは思えないけれど」
連奈の挑発を皮切りに、二機のメテオメイルが弾かれるように動き出す。
ともに青く、ともに隻腕、ともに両陣営の最高戦力。
ただしそれらを操るパイロットが見据える先は、まったくの真逆。




