第201話 孤独の相似形(後編)
「……保安部隊は、何名向かわせている?」
「EからGまでの三チーム、計十二名です」
「各チームに至急連絡を。奴を下手に刺激するなとな。建物内への侵入の意思が確認されない限りは、常に一定の距離を保って警告を続けるだけでいい」
「ですがそれでは、事態の解決には……」
「わかっている。これから私が出向いて、片を付けてくる」
ケルケイムが平然と放った一言に、司令室は再び騒然となる。
大部隊の司令官であるケルケイムが、実戦の最中、現場を放棄して仇敵の武力制圧に向かうなど言語道断。
それは全隊員を――――どころか、世界の命運自体を投げ捨てる行為に等しい。
他部隊と連絡を取り合っていた副司令官、オースティン・ピアス中将も、許されざる暴挙に出ようとするケルケイムに侮蔑の眼差しを向けてきた。
そのまま、瞬や轟よりも背丈の低い小柄な体躯でケルケイムに詰め寄ってくる。
「この状況下で私的な感情を優先だと? なるほど……パイロットたちが軍人としての責任感と帰属意識を著しく欠いているのは上官である君の影響だったというわけか、ケルケイム准将」
嫌味たらしい物言いではあったが、その声色の中には、わずかな動揺が含まれていた。
”便乗組”の元締めとも言えるオースティンに、ヴァルクスを背負う覚悟はない。
あくまで副司令として、その役職の範疇で手柄と名声を集めようとしている狡猾な男なのである。
それは、これまでの態度や言動から明らかだった。
そのため、指揮権剥奪にまで発展するほどの問題行動をケルケイムに起こされては困るというわけである。
もっとも、オースティンでなくとも、ほとんど全ての人間が同様の反応を見せるのだろうが。
「最後の最後に乱心とは……。躍進続きの輝かしいキャリアを、こんな形で台無しにする気かね」
「乱心はしておりません。そして、自らの責任と職務を放棄する気もありません」
オースティンの饒舌を遮るようにして、ケルケイムは声を張る。
オースティンは最大限に眉をひそめて、不快さを露わにした。
ケルケイムは、そんなオースティンの返答を待たずに発する。
「私自らがジェルミ・アバーテの鎮圧に向かうのは、全隊員の生命を守るための極めて合理的な判断です。あの男が無策で乗り込んでくるとは考えにくい。あの男は必ずなにかを盾に取り、私に苦渋の決断を迫ってくる。第三者の介入は、言ってしまえば、あの男が便利に使える人質を増やすようなものです。私個人であの男を相手取ることが、事態の最も安全な解決手段なのです」
「高い白兵戦能力を有しているとはいっても、所詮は個人だ。少なくない被害は出るだろうが、ここの戦力ならば最終的には無力化できる。作戦の成否、ひいては人類の存亡に直結するセイファートやオルトクラウドの戦闘指揮に注力する方が、遥かに重要だと私は考えるがね」
ロベルトほどの厄介さはないにしても、ケルケイムの倍ほどの年齢と軍務経験を持つだけあって、やり辛い相手だった。
いや、オースティンの言い分は、単純に一般論であり正論。
オーゼスの奇怪な行動に順応してしまった結果、いよいよケルケイム自身まで世迷い言を口走るようになってしまった、というのも一つの事実ではあった。
だが――――今のケルケイムには、覚悟がある。
自らの内から湧き出た『正しいと思える答え』を実行し、完遂する覚悟が。
正しさを自らの外に求め、運命の分岐路で常に間違い続けた過去とは違う。
自分自身の可能性に賭けて、動くことができる。
答えのために、理屈を生み出すことができる。
だから、引き下がることはしない。
むしろ、一歩前に踏み出し、オースティンとの距離を詰める。
同時に、その気迫に圧されるようにして、オースティンが息を呑みながら半歩だけ退く。
「自らの責任と職務を放棄する気はないと言ったはずです。ジェルミとの戦闘は、作戦行動中の正規の迎撃プランとして扱い……その間も、指揮権はこの私、ケルケイム・クシナダが持ちます」
「なんだと……?」
「副司令には一時的に戦闘指揮を執ってもらうことにはなりますが、そちらの手に余る判断は全て、こちらに回してくださって結構です。副司令にはどうか、この無茶を呑んでもらいたい。立場は変わらず、十分な成果を得られる……あなたにとっても悪くない話のはずだ」
「それは……」
意図して他人を威圧したのは、人生で初めての経験かもしれないとケルケイムは内心で自嘲する。
一部隊を背負って立つ身分ならば、ときには強引なやり方も必要になると、かつてロベルトが言っていたが、まさにそのとおりだった。
「司令! ジェルミ・アバーテが発砲を……!」
オペレーターからの報告を受けるなり、ケルケイムはオースティンとの対面をやめ、すぐさま卓上のモニターを覗き込む。
反射的に、オースティンも後に続く。
保安部隊とジェルミは、既に交戦状態にあった。
戦場となっているのは、芝生地帯とエアポートの境界付近。
まともな遮蔽物が存在しない平地における、十二対一の火戦。
しかも、片や最新鋭の歩兵装備に身を固め、片や軽装という有り様。
兵員数と火力ともに圧倒的優位。
通常、保安隊側の敗北はまずあり得ない。
しかし、相手はあの悪辣なる大蛇、ジェルミ・アバーテ。
既存の戦術論の外側に立つ男である。
「ジェルミめ……!」
早速、ケルケイムは呪詛を吐いた。
短機関銃の射撃を三方から浴びているにも関わらず、悠然とした足取りで前進を続けるジェルミの姿がそこにあったからだ。
豪雨のごとく放たれる銃弾のほとんどが、着込んだ黒衣によって弾かれているのだ。
異常な光景である。
防弾装備の主な役割は、銃弾が肉体に到達してしまうことの阻止であり、伝わる衝撃を完全に軽減してくれるわけではない。
たった一発の被弾でさえ、声さえ上げられないような激痛が走ることをケルケイムは実体験として知っている。
にも関わらず、ジェルミの黒衣は通常の衣服レベルの厚みで、銃撃のほぼ完全な無力化に成功していた。
一体どのような素材と構造を用いれば、それほどの防御性能を得られるのか――――ともあれ恐るべき技術力である。
そして、交戦と報告されているように、ジェルミにも攻撃手段が存在していた。
ジェルミが腕を前方に突き出すと同時に、袖口でなにかが鈍い輝きを放つ。
直後、射線上に立っている隊員が、身動き一つ取れずに倒れ伏してしまった。
監視カメラの映像では、装備の詳細を把握することはできない。
判明しているのは、発射時に銃声はなく、目立った出血もないという二点だけ。
どうやら衣服の中に、武器を仕込んでいるらしい。
被弾した隊員は今しがたの攻撃の分を含めて、三人。
テーザー銃のような非致死性兵器であることを願うばかりだが、オーゼスに、とりわけジェルミには人道というものをまるで期待できない。
毒物、爆発物、生物兵器――――射出体の正体に関して、吐き気を催す想定ばかりがケルケイムの脳裏に浮かんでくる。
現場でジェルミと相対する隊員たちの緊張は、ケルケイムの比ではないだろう。
なにを打ち込まれたのかも特定できないために、従来の方法で味方を救助することも、どころか接近することさえ躊躇われる。
そんな保安部隊の陣形の乱れに付け入るようにして、ジェルミは更に前進。
一人ずつ、着実に獲物を仕留めていく。
いま交戦している保安部隊の隊員のほとんどは、ヴァルクス設立の際にロベルトが他の基地から引き抜いてきた手練れの兵士であり、対人戦闘のスキルは間違いなく高い部類にある。
しかしそれでも――――あるいは、そうであるがゆえに、彼らの力はジェルミに通用しないのだ。
もはや、一刻の猶予もなかった。
「なんという奴だ……!」
オースティンも、ジェルミの危険性を痛感したようだった。
ケルケイムに見せた余裕など、すっかり吹き飛んでしまっている。
「ゲルトルートを使えば……いや、それも計算に入れた上での、このタイミングか」
「おそらくは。上陸自体はしばらく前から果たしていて、戦況の把握に努めていたのでしょう。ジェルミ・アバーテの知略の冴えは、まったく失われていない」
言いながら、ケルケイムは引き出しの中にあった小型のハードケースを取り出し、中に収められていた個人所有の拳銃と弾薬一式を確認する。
無論、これだけでジェルミの単独撃破を成せるとは思っていない。
道中で、追加の装備を調達していくつもりである。
「残りの保安部隊は中央タワー入口と格納庫の昇降リフトに集結させてくれ。周辺区画の非戦闘員の退避指示も頼む」
ケルケイムは当該のオペレーターに告げると、視線をやや上げて、司令室の全体を見渡す。
その後に、深く頭を下げた。
視界に映る、全隊員に対してだ。
「諸君らの期待と信頼を裏切るような、身勝手かつ非常識な司令官ですまない。しかし今は、理不尽に耐え、一時的な現場からの離脱を許して欲しい。こうすることが、ヴァルクスが万全の指揮体制を取り戻すための最短の道なのだ。本作戦が成功した暁には、あらゆる非難と処罰を受け入れるつもりでいる。今は、このような開き直り方をすることしかできない……」
大半の隊員たちが作業を中断し、ケルケイムの方を振り返っていたが、具体的な反応はなかった。
どういった態度を取るべきか、なにを言うべきか、迷っているという風だった。
わかっていた結果ではあった。
自分の内でどれだけの合理性を構築していようと、第三者の心情として、ケルケイムの行動はやはり暴走でしかない。
もたらす結果がどうあれ、危うい手順を踏むのであれば、それはただの博打打ちでしかない。
思えばずっと、仲間との信頼関係を築き上げることには無頓着を貫き通してきた。
ヴァルクスの隊員に限ったことではなく、これまでの人生の中で属してきたあらゆるコミュニティにおいてだ。
ケルケイムを頼りにする人間は多かったが、彼らはケルケイムの優秀な成績や成果に着目しているだけで、ケルケイム・クシナダという個人との絆を育んてきたわけではない。
かつてノルン・エーレルトは、ケルケイムの人間性に惹かれたことを明言していたが、言い換えるなら、それ以外の人間には魅力を見出してもらえなかったとのだとケルケイムは考える。
信頼の意味も、価値も、自覚するようになったのは本当に最近のことだった。
全ては己の視野狭窄が招いた結果。
未熟さ故の苦い結末。
一年近くも共に戦ってきた仲間たちに対し、最後の最後で失望を抱かせてしまったことについて、ケルケイムはひたすらに恥じ、悔い、憤る。
ジェルミが語る“真に正しき人間”など、ケルケイムにとってはまだまだ遠い存在なのだ。
「副司令、あとを頼みます。インカムは常にオンにしておきますので、いつでも連絡を」
「いいだろう……。君の決断がどの程度に正しいのか、見せてもらおうではないか」
それでも征こうとするケルケイムの背中に向けて、オースティンは深い溜め息を吐きながらも、しかしもう静止することはしなかった。




