第197話 現実(後編)
「こうなったら!」
瞬は、セイファートの背部にマウントされた大型兵装“天の河”の使用を解禁する。
たった三度しか使えない奥の手ではあるが、もはや温存していられる状況ではなかった。
正攻法で全く敵わないというのなら、多少強引な手を使ってでも流れを変えるべきであり、その決断を下すタイミングは早ければ早いほど良い。
そんなセイファートの動きに気づいたのか、遠く彼方を飛行していたセイファートOは、旋回しながら再び人型形態へと戻る。
その後、手持ち無沙汰のままセイファートへの突撃を開始した。
有効射程距離に入っているはずなのに、先程見せた胸部のレーザー砲を使おうともしない。
「わかってるよ、またなにか見せつけようってんだろ! ……だけどな!」
臆せず、瞬もまたセイファートOへと向かって突き進む。
追い抜かれる際に視認した限りでは、セイファートOの背部には武装らしい武装は取り付けられていなかった。
外観において、本家セイファートと唯一大きく異なる部分である。
勿論、だからといって油断はしない。
というよりは、できるわけがない。
セイファートの上位互換であることを執拗に主張してくる機体ならば、“天の河”に対抗しうる必殺の武器も必ず有しているからだ。
しかし、その“未知のなにか”を以てしても、“天の河”の根本的な対策にはなり得ない。
“天の河”は形状こそ大剣そのものだが、その一振りによって繰り出される奥義“流星塵”は斬撃に非ず。
刀身を構成する、特殊なコーティング剤で固着させた数千万の金属粒子を、通電時の磁性反発作用で一気に解き放つ範囲攻撃である。
面で襲いかかるという性質上、至近距離で放たれる“流星塵”の完全な回避・防御は不可能。
先手さえ取れれば、有効打が入ることは確実だった。
(こっちも無傷じゃ済まねえだろうが……まずは一発ぶち当てる!)
セイファートと、セイファートOの距離が再度縮まっていく。
互いに、その軌道は揺らがない。
清々しいまでの、直進。
それから数秒の後、衝突まであと二呼吸半といった間合いの中。
ようやく、セイファートOが愛刀に手をかける。
飛び道具を警戒していた瞬にとっては、全く予想外の展開だった。
何度も打ち合って、セイファートOのジェミニソードもセイファートのものと同質――――メテオメイルサイズに巨大化させた、ただの日本刀であることを確認済みだ。
刀身の厚みから考えて、内側にギミックを仕込む余裕は絶対にない。
にも関わらず、“流星塵”を恐れずに突き進んでくる。
ここまで常に完璧な対応をしてきたセイファートOのものとは思えない、素人レベルの悪手。
この局面で、敢えてジェミニソードで立ち向かう理由など、どこにも――――
「あ……?」
刹那の時間に、嫌な予感が瞬の背中を冷たく流れる。
しかし、その予感を予想に昇華させるための時間的猶予は、もはやない。
眼前で起こる事実を、ただ受け入れるしかなかった。
結論から言うと、セイファートOが手にしたのは、剣であると同時に剣ではなく、しかし定義の上では剣と分類するしかない代物だった。
より詳細に説明するのなら、セイファートOはジェミニソードの本差を、鞘を嵌めたまま正面に構えているのだ。
続いて、一目で危険とわかる虹色の光が鞘の外縁部から放出され、巨大な刀身を形成する。
おかしいとは思っていた。
セイファートOの鞘が、西洋の大剣を収めるかのような幅広で錐状の拵えになっていることを。
瞬は今の今まで、セイファートOを設計した人物の日本刀文化に対する理解不足とばかり考えていたが、そうではなかったのだ。
鞘を剣の強化装備にするという、まさかの発想。
風岩流剣術の中にも、鞘を緊急時の武器として用いる技法は存在しているものの――――むしろ、だからこそ、なおのこと、このような使い方は盲点だった。
「“あの方”の技術の粋ともいえる、積層レイ・ヴェールによって構成された激しき光の刃。これこそが、セイファートOの決戦兵装――――」
井原崎が、なんかを告げようとしている。
衝突まで、あと一呼吸半の距離。
“流星塵”を解き放つには、やや早いタイミング。
それでも瞬は、出し損ねてしまっては元も子もないと、威力の低下を承知で“天の河”を振り抜く。
しかし――――
刀身への通電が完了する前に、全てが終わっていた。
「“ゲミンガの烈光”となります」
視覚も聴覚も、一切意味を為さなかった。
まさに一閃。
まさに一瞬。
気付いたときには既に、セイファートOの繰り出す神速の袈裟斬りが“天の河”を両断していた。
一気に倍近くまで延長された虹色の刃が、両者の間合いを埋めていたのだ。
直後、瞬の視界は、痛々しい銀色の煌めきに塗り潰される。
残った半分の刀身に、今更のように通電が完了し、“流星塵”が発動したのである。
極力セイファートに被害が及ばないよう、金属粒子は前方――――刃先側へ炸裂するように設計されてはいるものの、あくまで極力である。
性質上どうしても幾らかは跳ね返ってくる上、振り終える前の炸裂であれば尚更、その割合も増える。
鋼の飛沫を浴びて削り取られていく、セイファートの装甲。
他でもない自機の身体を削って出た塵が、粉雪のように舞う、おぞましい光景だった。
そんな辺り一面の白銀世界を切り裂くように、虹色の刃が再び天から下り来る。
その斬撃が視界に映るや否や、瞬は無意識的に、セイファートの上半身を右へと傾けた。
敵の強力な一撃を前に、本気で守ることもせず避けることもせず、姿勢を変えて凌ごうとする――――その横着さはかえって事態を悪化させるだけだというのに。
体に染み付いた、悪い癖だった。
「そうだ、これだよ……!」
呟く瞬の表情は、呆然としているようでもあり、一方で悟りを開いたかのようでもあった。
実際に、二つの反応が瞬の中で両立していた。
いま、まさにこのとき。
瞬の脳裏には、あの夜の出来事が鮮明に蘇っていたのだ。
自分と刃太が疎遠になってしまったきっかけである、度を過ぎて加熱化した打ち合いの結末が。
刃太との対話で真相が明らかになったときは、あくまで刃太側の経験をベースにした回想――――つまるところ想像による補完に留まったが、今回は違う。
当時の自分の感覚と感情が全て呼び起こされた、完全版だ。
刃太は、自分の精神と技量の未熟さ故に瞬を傷つけてしまったことを深く後悔していたが、実のところは瞬にも大きな非があった。
あの時点で既に、祖父からも父からも、それは危険だと何度も説教されていたというのに、瞬は上半身の動きだけで刃太の袈裟斬りを躱そうとしてしまった。
その過ちが、最悪の結果を産んでしまったのだ。
瞬の右肩側を狙った袈裟斬りに対して、瞬が右に体をずらせばどうなるか――――極めて簡単な推理問題。
皮肉にも、現在とまったく同じ状況で、あの悲劇は起こっていたのである。
あのときの記憶だけが綺麗に飛んでしまっていたことを、ただ恨むしかなかった。
まさか、近接戦闘を主体とする剣術家として最も反省し正すべき行いを、この最重要局面になってようやく思い出すとは。
あの事件から長い年月が経過し、相応の訓練も積んできただけあって、この悪癖は自然消滅に近い形で矯正されており、再発したことは一度もない。
しかしそのことで、意識して抑制する機会も失われてしまった。
模擬戦を共にした仲間たちも、指導にあたったスラッシュや霧島も、まったく気が付いていなかったはずだ。
(ああクソ……! いつもいつも、どうしてオレはオレのことを、こうも知らない……!)
瞬の悲嘆をきっかけに、永遠のように引き伸ばされていた時間が、本来の速度を取り戻す。
もはやできることは、何一つない。
そこにはただ、非情な現実が待ち受けるのみ。
不気味な輝きを放つ虹色の刃が、軌道の先にあるモノを――――セイファートの頭部を粉砕するという現実が。
命中の間際、瞬の脳裏に浮かんだのは、らしくもなく動揺をあらわにする在りし日の兄の姿。
その意味を理解すると同時に、けたたましい炸裂音が戦場に轟き、虹の光が飛散した。
まばゆい光に目を潰され、入り交じる爆音に耳を潰され、凄まじい衝撃に全身を揺さぶられる。
無抵抗のまま、ただ玩弄されるその様は、もはや人形も同然。
実際、負荷の総量が肉体の耐久力の最大値を超過したことで、瞬の意識は今まさに途切れる寸前の状態にあった。
セイファートが一体どれほどの損傷を受けたのか、把握する余力などない。
自身の肉体についても、同じことがいえた。
確かなことは、たった一つ。
限りなく空白に近い思考の中で、自身の現況について、たった一つだけ断言できることがあった。
頭が、割れるように痛い。




