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第195話 ロッシュ・ローブ(後編)

 戦いに身を投じてから現在に至るまでの、約八ヶ月。

 瞬は、与えられた時間の大部分を自己の研鑽に費やしてきた。

 メテオメイルの操縦技術を身につけるのはもちろんのこと、セイファートの機体特性を最大限に発揮するため、剣術も基礎から学び直した。

 他人から教わるだけでなく、自ら教えを請うこともした。

 生真面目、従順、計画性――――いずれの言葉とも、縁遠い人間であるにも関わらずだ。

 そんな瞬を、果てしなき鍛錬にのめり込ませた原因は、はっきりしている。

 一泡を吹かせてやりたくなる“いけ好かない敵”が目先に何人も転がっているという、瞬の闘志を的確に刺激するような環境があったおかげだ。

 肩書きや戦功に興味を見いだせず、目標と定めた相手を下すことでのみ充実感を覚える、究極の自己満足タイプ

 どうやらそれが、風岩瞬じぶんの本質であるらしいことは、幾多の戦いを通じてはっきりとわかった。

 だからこそ瞬は、この先に待ち受ける“最後のなにか”もまた、自分の敵であることを強く願う。

 世界にとっての敵でもなく。

 地球統一連合にとっての敵でもなく。

 自分にとっての敵であることを。


「本当に馬鹿げたことをやってるな……あんたたちも、オレたちも」


 コックピットの中で、瞬は深い溜め息を吐いた。

 結論から言うと――――地球統一連合軍の遠征艦隊は、井原崎が提示した条件を飲み、セイファートに“予定外の一戦”を行わせることを決定した。

 世界規模での被害が予想される危機的状況であるため、話は上へ上へと流れ、最終的には連合政府首相にまで判断を仰ぐ事態となったらしい。

 億を超える市民の命が天秤にかかっている関係上、ほとんど選択の余地はなかった。

 しかし、それなりに存在したという反対派の意見もわからないでもない。

 瞬は現在、井原崎の案内に従い、巡航形態スターフォームに変形させたセイファートでひたすら南下を続けていた。

 オーゼスの本拠地であるロッシュ・ローブの現在位置など、とうに過ぎ去ってしまっている。

 飛行を開始してから、かれこれ五分。

 オーゼスの首魁が用意したという“自信作”の姿は未だに見えてこない。

 戦力を分断するための姑息な作戦に、まんまと引っかかっている間抜けと詰られても、強く反論はできない構図である。


「もうじきです」


 まだ着かないのかと、ちょうど瞬が尋ねようとしたタイミングで、井原崎が告げる。

 音声のみの通話であるため、井原崎の表情を窺い知ることはできない。

 だが、噛みしめるような口調だけでも十分に、悲痛な思いを感じ取ることができた。

 先程の会話の時点で思っていたことだが、やはり井原崎の心中にはなんらかの変化が起こっているようだった。

 いや――――もう既に、推察の材料は十分に揃っている。


「この一戦……乗り気じゃねえってことだな、あんたは」


 ぽつりと、瞬がつぶやくと、スピーカーを介して息を呑む音だけが聞こえてくる。

 図星だったということだ。


「だとすると、この道案内も疑ってかかった方が良さそうだな。そこんところどうなんだ、井原崎のおっさん」


 瞬は少しだけ語気を強める。

 もうとっくに、連奈とB4の戦闘は始まっていることだろう。

 自分や轟と同じように、戦いの中で一皮も二皮もむけた連奈が、こんなところで命を落とすわけがないと信じてはいる。

 本人も、別れ際に瞬の助力など必要ないと断言した。

 だが、それはそれとして、ここは現実であり、相手はオーゼス最強のパイロットとされているB4だ。

 加えて言うなら、連奈は既に一度B4に敗北している。

 なにもかも願望どおりというわけにはいかないだろう。

 余計な時間を食わされることで募る苛立ちは、普段の倍だった。


「……目標地点の座標をお伝えします。もう、小細工はございません」


 井原崎は己の行いを一切謝罪することなく、ただ淡々と、具体的な座標値を口にした。

 その座標をモニター上の地図にマーキングすると、案の定、セイファートの現在の進行方向とはわずかにズレた場所が示される。

 全く別方向というような露骨さはないが、単なるミスとするにも無理がある、当人の葛藤がにじみ出た虚偽。

 程度としては軽い部類だが、明確な意思を伴った、組織に対する背信行為であることは確かだ。

 予想が当たっていたとはいえ、それでも瞬は面食らわずにはいられなかった。


「驚いたぜ。あんたは上に命令されるがままの……例え不満があったとしても、そういうのを絶対表に出さないような奴だと思ってたからさ」

「……私も、人間ですので」

「……そうだな。エウドクソスの“生徒”どもじゃねえんだ。そりゃあ、全部鵜呑みってわけにはいかねえか」

「必要だったのです。これから始まることについての、私自身の、心の準備が」

「それを隠しもしねえってことは、もう準備は万端って認識でいいのかよ」

「……はい」


 考えてみれば、当たり前のことだった。

 オーゼスの男たちは、みな人間だ。

 人の世とはけして相容れない“強すぎる弱さ”を持っていた彼らは、自ら破綻者となって人間であることの苦しみから解放されようとしていた。

 しかし、救済を求めるがゆえに、彼らはやはり人間だった。

 どれだけ歪に屈折しても、オーゼスという楽園に固執し続ける、人間でしかなかった。

 そして、組織に身を置く経緯こそ“ゲーム”の参加者とは異なるものの、井原崎もまごうこと無きオーゼスの一員。

 彼の中にも、人間らしく、拘るべきものがあるらしい。


「それで結局、あんたはなにが気に入らなかったんだ? あんたらのボスが、最後の最後でルールをねじ曲げやがったことか?」

「……もう覚悟は済ませました。ですので、その質問にお答えすることはありません。それに私は、形だけの役職とはいえ、オーゼスの代表理事を任された身です。相応しい振る舞いというものもあります」

「部外者に会社の愚痴はこぼさねえってか? ちっ……そういうところだけ大人をやりやがって」


 吐き捨てるように瞬が言うと、それきり静寂が訪れる。

 真の目標地点まで、あと二、三分というところか。

 瞬は、最後の戦いに万全の状態で臨むべく、最後の疑問を氷解させることにした。


「なあ、井原崎のおっさん……この勝負の意味はなんだ? なんであんたらのボスは、わざわざオレを呼び出したんだ?」


 井原崎は答えない。

 代わりに、ただ弁明する。


「戦闘を始めるに際して、ご容赦願いたいことがあります」

「なんだよ」

「これからあなたと戦うことになる機体は、正規のメテオメイルではございません。メテオエンジンの代わりに、内外の電力に依存して稼働する……あなた方でいうところの準メテオメイル級とでも呼ぶべき代物なのです」

「そりゃあ、本物のメテオエンジンは全部、連合の手の内だからな。つうか、他の方法でエネルギーをやりくりしてるって話なら、B4のグランシャリオや、ジェルミのガンマヒュドラーとかいう機体だって同じなんだろ? 気にはしねえよ」

「いえ……彼らの機体には、模造メテオエンジンとでも呼ぶべき、オリジナルとほとんど同性能の動力源が搭載されています。技術的問題により稼働時間の制約こそありますが、スタンドアローンでの運用が可能という点において、あの二機は紛れもなく純正のメテオメイルなのです。しかし……“あれ”は違う」


 オーゼスの技術である高性能バッテリーと、ジェルミからもたらされたエウドクソスの技術である遠隔送電システムのハイブリッド型であると、井原崎が補足する。

 “乱用すれば容易く底をつく精神力”対“無尽蔵に近い電力”。

 確かにそれは、対等な条件での戦いとは言えない。

 ケチをつけようと思えば、幾らでもつけられる。

 だから井原崎は、事前に仕様を明かし、それでも構わないかという了承を瞬に取ったのだ。


「納得のいかない部分もあるでしょう。ですが、そうせざるを得ない事情があるのです。あの機体は、自らの手でメテオメイルを操りたいと渇望しながら、しかし肝心のパイロット適性を持たない、“あの方”の代理なのですから……」

「なんだ、あんたらのボスが直接出向いてくるわけじゃないのか」

「申し訳ございません。機体の操縦は、“あの方”自らが制作された人工知能が代理を務めております」

「しかし皮肉なもんだな。なんでもできる頭脳があるくせに、この世で一番面白いことができねえなんてよ」


 いつもの癖で、瞬は意味なく挑発する。

 いや、意味はあった。

 挑発は褒められた行いではないが、相手の人物像を探る上では極めて効果的な手段だ。

 急所を的確に穿つことができれば、という条件はつくが、手っ取り早く、相手の心の奥底に眠っているものを引き出すことができる。

 誤った使い方をすれば最悪の結果を呼ぶ言葉の刃だが、オーゼスの男たちを本当の意味で倒すためには、どうしても必要となる能力。

 そのような成長を遂げたことの是非はさておき、数々の戦いをくぐり抜けた瞬の挑発は、八ヶ月前とは比べ物にならないほど磨きがかかっていた。

 相手の返答よりも早く――――漂う空気の張り詰め方から、手応えを感じてしまうほどに。


「言葉を謹んではもらえませんか。その残酷な現実に、“あの方”が、どれほど……!」


 苦しんできたか。

 井原崎の絞り出すような怨嗟の声を聞けば、発せられることのなかった言葉の続きは自然と脳内で紡ぎ出された。

 やはり、井原崎の語った渇望というのは掛け値なしの渇望――――オーゼスの首魁たる人物は、完全に割り切った上で、“ゲームの主催者”兼“駒の提供者”を務めていたわけではないらしい。

 道理には、適っていた。

 どこまでも子供じみた精神の持ち主であるというのなら、自ら作り上げた巨大な玩具メテオメイルを、自分の手足で操りたいに決まっている。

 操って、戦いたいに決まっている。

 なのに、できない。

 単純に素質の有無の問題なのか、あるいは、容易に口に出してはならない繊細な事情があるのか。

 井原崎の反応を見るに、おそらくは両方ともだろう。

 メテオメイルのパイロットに選ばれたことを、瞬は人生最大の幸福と考えている。

 メテオエンジンがもたらす絶大なパワーの解放、ひいては、己自身の魂の解放。

 そして、文字どおりに心身をすり減らす極限状況下での対話たたかい

 メテオメイルを操る者のみ見ることの許される景色、立ち入ることのできる領域というものが、確かにあるのだ。

 それらの体験は、他の何にも代えがたい至高の充実感をもたらす。

 連合とオーゼスとの戦いを、そして自ら集めた九人の男たちを見続けてきた首魁は、身悶えするほど歯がゆく悔しい思いをしてきたはずだ。

 数々の所業を許すかどうかは別にして、同情はできた。

 だから瞬は不敵な笑みを浮かべて、こう返す。


「わかってるよ、井原崎のおっさん。この一戦で、オレがそいつを存分に楽しませてやる。これまで溜め込んできた思いを、全部吐き出させてやる。もっとも、結果で満足させてやる気は更々ねえがな」

「あなたが、そのような方だからこそ……」

「あん?」


 か細い声による返事だったのでいまいち聞き取れず、瞬は顔をしかめる。

 だが、それも数瞬のことだった。

 井原崎の次なる言葉を耳にするよりも先に、”それ”が視界に飛び込んできてしまう。

 あまりにも予想外の物体であったがために、瞬の瞳は限界まで見開かれる。

 いや、予想外という表現すら適切ではないのかもしれない――――思考が吹き飛び、神経が完全停止する、究極の驚愕。

 墜落せずに済んだのは、戦闘前ということもあって、マニュアル操縦モードでアクセルペダルを踏みっぱなしにしていたおかげだった。


「到着しました」


 今の瞬に、井原崎の言葉など届いてはいなかった。

 相対距離は一キロメートル前後といったところだろうか。

 舞い散る雪のヴェールの向こうで、一体のメテオメイルが、セイファートと同じ高度を維持しながら静かに滞空していた。

 胸元で腕を組む悠然とした佇まいのまま、紅く鋭い双眸をこちらに向けていた。


「……なんだよ、は」


 そう発するしかなかった。

 相対するその機体が、酷似していたからだ。

 武者兜を想起させる、黄金の装飾が角のように生え出た頭部。

 両肩と両大腿部を覆う、巨大な二等辺三角形状の装甲。

 そして、腰の左右に装着された二本の鞘と、そこから伸び出た刀剣の柄。

 ディティールは異なっているし、一部のパーツが明らかに肥大化していたりと、構造的に共通している部位は少ない。

 しかしその機体は間違いなく、姿


「セイファートOオー。“あの方”は、本機をそのように命名されました。なお、このアルファベットのOが意味するところは、私も存じ上げません」

「単純に、オーゼスのOだったりしてな。会ったこともないオレが言うのも変だが、回りくどい名付け方をする奴だとは思えねえ」


 困惑を押し隠して、瞬は嘲るように発する。


「いや……そんなことより、こりゃあどういう悪ふざけだよ。最後の最後で偽セイファート? がっかりっていうか、拍子抜けっていうか……。ここまで散々独創性オリジナリティで勝負してきた癖に、とうとうネタ切れかよ。オーゼスの技術の粋をぶち込んだ超巨大スーパートンデモロボットが出てくるのを期待してたんだぜ、こっちは」


 失望したと、ただ一言で済ませられる話なのに。

 気づけば、息が続く限りまくし立ててしまっていた。

 これではまるで、愚痴を垂れ流すどころか、虚勢を張っているようではないか――――

 瞬は、いささか前方に乗り出しすぎた上半身をシートに押し付けて、平常心の回復に務める。

 こちらは本物、あちらは偽物。

 誕生の順序は絶対不変。

 光が影を恐れる必要などない。

 堂々としていればいい。

 言い聞かせる瞬の前で、ついにセイファートOが動き出す。

 その様子を凝視する瞬は、またも言葉を失った。


「……っ」


 セイファートOが、組んでいた腕を解き、腰の得物にゆっくりと手をかける。

 呼吸との連動を感じる勿体をつけた動作は、達人のそれだ。

 ぬるりと引き抜かれる、本差。

 鈍い光を放つ切っ先が、しばし空を泳ぐ。

 その軌跡を目で追っていくと、最後には見事な下段の構えが完成していた。

 自分たちのいる場所が空中であることを失念してしまうほどに、安定した姿勢だった。

 堂に入るとは、このような振る舞いを指して使う言葉なのだろう。

 機械のものとは思えない滑らかな挙動に見惚れると同時に、瞬は肝を冷やした。

 ここまで完成度の高い抜刀動作を実現しているということは、繰り出される剣技の方も同等の冴えを持つと考えられるからだ。


(これまで戦ってきたロボット連中が、いささかお粗末な出来だったもんで舐めきってたが……。そうだよな、オーゼスのボス謹製ってことなら、まじに人間並みってことか)


 己の体で修練を経てきた自分が、データを後入れされた人工知能の技量を見て気圧されるという冗談のような構図。

 だが、ややあって瞬がくぐもった笑い声を上げたのは、それが原因ではない。

 理解に至ったからだ。

 セイファートOから放たれる、凄まじい威圧感の正体を。

 いや――――どうして自分が、こうまでの威圧感を覚えてしまっているのかを、だ。

 セイファートOがオーゼス側の虎の子であるという背景と、たった今見せつけられた高精度の動作を見せつけられれば、威圧自体はされて当然。

 重要なのは、瞬の主観によって割増しされた部分にある。


「このセイファートOは、あなたが乗るオリジナルを“あの方”独自の解釈で再構成した機体です。設計データを盗用したわけではなく、現在に至るまでのオリジナルの戦いぶりを見て、ゼロからの開発をお試みになられたのです」

「横着をしてねえってのは、見たらわかるさ」

「ありがとうございます。……そうして完成した本機の性能ですが、おそらくあらゆる面においてオリジナルを凌駕していることでしょう。本機は単なるオリジナルの再現に留まらず、オーゼス製セイファートならばここまでのことが可能になるという、ある種プロモーションの要素を孕んだ代物なのです」

「……あんたらのボスは、オレがよっぽど憎いとみた」

「え……?」

「相手の心を折るためには同じ戦い方でねじ伏せるのが一番効果的だもんなぁ? わかる、わかるぜ。わかるわかるわかる……!」


 怯えは依然として、心身に染み込んだままだ。

 それでも瞬の表情がひどく愉快なものに切り替わったのは、自分の最も弱い部分を曝かれてしまったから、ただその一点に尽きる。

 押し隠してきたものを、第三者の目につく場所で晒されたときの、もんどり打ちたくなるほどの羞恥心。

 その針が振り切れたときに至る、自暴自棄と開き直りの中間地点のような気分。

 認めるしかなかった。

 認めざるを得なかった。

 このセイファートOは、つまるところ、あの男と同質の存在なのだ。

 自身にとってあまりにも身近な存在である、憧れ、畏怖した、あの男と。


が来るのを誰よりも恐れてたのが、オレなんだからな……!」


 瞬は吠えるや否や、セイファートを人型形態バトルフォームに変形させ、ジェミニソードの本差を抜刀。

 間髪入れず、急加速を行い、勢い任せにセイファートOに斬りかかる。

 真正面からの突撃ではあったが、それでも疾風のごとき、超高速の肉薄。

 反応できるパイロットと機体はごく一部に限られる。

 数瞬の後、鋭利な鉄と鉄とがぶつかり合う、甲高い音が鳴り響く。

 いや、鳴りはしても響きはしない。

 他のメテオメイルとやり合っているときのような、重い抵抗てごたえを感じない。

 セイファートが繰り出した横薙ぎの一線は、セイファートOの刃に掬われるようにして、完璧に、完全に、いなされていた。

 跳ね上げられ、空を切ったジェミニソードの刀身を見てようやく、瞬は自体を飲み込めた。

 それほどの反応速度と超絶技巧。

 やはり、本物だった。

 真に優れた腕前という意味での、本物。


「こういうのをなんて言うんだろうな……。粋なこと? 味な真似? それとも天の巡り合わせか? まあなんにしたって、ここまで直球なものを出してこられると、もう笑うしかねえよな」


 態勢を立て直すことはせず、瞬はそのまま二度、三度と闇雲に斬りかかる。

 しかし、セイファートのOは微塵も動じない。

 どの方向からの斬撃であろうと、セイファートの動作を見切り、的確に払い除けてみせた。

 斬り結ぶ度に、瞬の中に感触が蘇ってくる。

 在りし日、幾度となく味わったあの感触が。


「なあ、兄貴……!」


 瞬は、セイファートOに重なるシルエットに向かって語りかけた。

 セイファート(じぶん)と同じく二刀を振るって戦う、自分よりも優れた能力、優れた体格を持つ存在。

 強さの背景に特別な種も仕掛けも存在しない、ただの上位互換。

 瞬にとってセイファートOは、もはや風岩刃太そのものなのだ。

 こちらの事情など知る由もないオーゼス側に、兄弟二人の疑似対決を演出しているという自覚はないだろう。

 だが、奇しくも実現してしまった。

 少なくとも瞬にとっては、そうとしか言いようのない戦いになってしまっていた。

 ほんの僅かな剣戟をこなしただけだというのに、瞬の額から一筋の汗が流れ出る。

 瞬は刃太本人を前に、いつの日か必ず超えてみせると誓いを立ててこの最終決戦に臨んだ。

 それは確かなのだが、セイファートOという刃太の化身を突きつけられて、誓いはあくまで誓いでしかないと知る。

 実際のところ瞬は、打倒刃太を遠い未来の出来事に据えて、目的を達成するまでの具体的な算段などまるで立てていなかった。

 長い修練の末に果たされる悲願であると定義していたからだ。

 しかし、時間経過が両者の実力差を埋めてくれるという考えは、後を追う者の願望が生み出した幻想に近い。

 現実には相手もまた修練を積み、ともすれば自分以上の速度で成長を続けるからだ。

 弱いまま、不利なまま、それでも挑み、勝たなければならないときがある。

 条理を捻じ曲げ、理不尽な力量差を覆す奇跡を、どこかで起こしてみせる必要がある。

 その場面こそが、まさに今。

 セイファートOは、下位互換が上位互換を倒しうるのかという哲学的命題の体現者。

 存在価値の消失に怯え続けた風岩瞬に対する、究極の試練。

 結局のところ、瞬の旅路はここに行き着く。

 どれだけ濃密な経験を重ねても、どれだけわかったような口を利いても、刃太の幻影に打ち勝つという具体的結果を伴わなければ、最後の扉は開かない。

 瞬の家出は、終わらない。


「感謝するぜ、あんたらのボスに。この勝負は、オレにとっての最高の予行演習だ。そいつは、兄貴を倒す前にどうしても倒しておかなきゃならねえものだ……! オレの敵だ!」

「心変わりの理由は存じ上げませんが、興が乗ってくれたというのなら、なによりです。“あの方”も大層お喜びになられていることでしょう」


 瞬は一度距離を取り、今度はしっかりを構えを取る。

 変わらず下段に構えるセイファートOに対し、セイファートはジェミニソードを振り上げる上段の構え。

 どこを狙うのも自由な実戦剣術かつ、空中での対峙という特異な状況ゆえに、常識に当てはめた構えの相性を語ることは誰にも不可能。

 全ては、これから瞬と、セイファートOの人工知能が紡ぎ出していく。

 ここまでの動きによってもう十分に証明されていたが、セイファートOの人工知能は、空気を読めるタイプの機械だ。

 瞬の器を、そしてセイファートの機体性能を推し量り、その上で叩き潰すという静かなる意思がにじみ出ていた。

 張り詰めた空気の中、わずかの隙も逃すまいとする二つの視線が静かに交錯する。

 それからしばしして、二機を隔てる降雪が薄らぎ、雲の切れ間からかすかに光が差し込んだ。

 灰色の世界を急激に照らし出す煌めき。

 その眩さに乗じて、セイファートとセイファートO、二機が同時にスラスターを噴射。

 気流の尾を引く二つの軌跡が、中間地点でぶつかり合う。

 かくして、瞬にとっての最終決戦は幕を開けた。


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