第192話 三本の矢(その4)
もう、かれこれ三年以上前。
エウドクソスが擁する“生徒”の一人、コードθ“サルガス”は、総合新興技術研究機関“O-Zeuthへの潜入調査を命じられた。
まだ、世界全体を巻き込んだ“ゲーム”など始まっておらず、オーゼスという組織の真の危険性を誰も理解していなかった頃の話である。
目的はあくまで、過去にオーゼスが回収した十個のHPCメテオと、それらに関連する研究データの奪取に留まった。
十代の半ばから特殊工作員として活動してきたサルガスは、同種の任務など過去に何度も経験しており、命令内容について今更特別の感想を持つことはない。
いつものように、ただ機械的に、目的の達成に向けて行動を開始した。
その結果、サルガスは、出会うことになる。
無事潜入を果たしたオーゼスにおいて、どうしようもないほどに弱く、危うく――――だからこそ強い、筋金入りの破綻者たちと。
「なんだこいつら、急に……!」
轟の吐いた悪態は具体性を欠いていたが、同じ場所で同じ光景を目にしている瞬に、その続きを問いただす必要はない。
そんな余裕も、今はない。
「きょう何度目だよ、『口は災いの元』……!」
瞬は、四方八方から迫る円盤型の機体“メトカルフィア”を必死に躱しながら、どうにか包囲の外へ脱出しようとする。
しかし、セイファートを飛び込ませた、その隙間を狙って海竜型の機体“フォーマルハウト”が口部のレーザー砲を撃ち放った。
その一射は、セイファートの右足を正確に捉える。
セイファートにレーザーが命中したというよりは、セイファートがレーザーに命中した――――
そう例えたくなるほどの、神がかり的な偏差射撃。
セイファートの進路を絞り込むだけでなく、加速時の慣性すらも計算に組み込んでいないとできない芸当だ。
そして、それほどの高精度未来予測を可能とする腕利きの攻撃が、ここで途切れるわけもない。
仰け反るセイファートに向けて、三機のメトカルフィアが異なる方向から一斉に襲いかかる。
「くそっ、まとわりつきやがって!」
少しずつ、だが確実に悪化の一途を辿る状況に、瞬もまた毒づく。
準メテオメイル級の中では最大級の火力を誇るフォーマルハウトの砲撃を受け、セイファートの右脚は脛から先が消失していた。
足裏のスラスターが一基失われたのは、空中での自由自在な姿勢制御を強みとするセイファートにとっては、地味ながら大きな痛手だ。
力押しで三機のメトカルフィア全てを斬り捨てることができたとしても、今のセイファートでは、その一手先で隙を晒してしまう。
こちらの反撃の芽を徹底的に摘む、厄介な指し手である。
しかも、敵の恐ろしさは執拗なセイファート対策に留まらない。
ゲルトルートとオルトクラウドもまた、完成された理詰めの戦術を前に苦戦を強いられていた。
「……どういう展開だよ、こりゃあ」
海面を飛び跳ねながら襲ってくる水黽型の機体をゲルトルートの脚で除けながら、轟が苦々しい笑いを浮かべる。
轟の疑問に、瞬も連奈も返す言葉を持たなかった。
現在、三人が置かれた状況は、それほどまでに直前の状況とかけ離れたものであった。
瞬たちヴァルクス所属のメテオメイル部隊は、たった三機という少数編成で、百機以上も存在するオーゼスの大部隊を相手に対し圧倒的優勢を誇っていたはずだ。
だというのに、敵の数が残り二十機前後となったこの終盤において、今更のように形勢が逆転している――――
瞬たちが息切れしたわけではない。
あちらの勢いが、どういうわけか、こちらのそれを上回り始めたのだ。
物量に頼った攻撃をする側が、戦術の肝となる物量が激減してから手強さを増すという矛盾。
数分前の圧倒的優勢は、空想上の出来事だったのかもしれない。
冗談抜きにそう思える、なんの脈絡もない大逆転劇。
このあまりにも異様な事態を前に、瞬たち三人の気力は――――
「まったく、やり辛えったらねーな。俺がやろうとしてることを全部封じてきやがる」
「あなたの場合は、どちらかというとあなた自身の選択肢の少なさの方が問題じゃないかしら、北沢君」
「やれることが多い癖になんもさせてもらえねー奴の方がよっぽど問題だろ。なあ、大砲女」
「私一人で撃墜数を稼ぎすぎるとあなたたちの面目が立たないだろうからって、あからさまに手を抜いてあげてたんじゃない。まさかここまで察しが悪いとは思わなかったわ」
「お前にそんな慎ましさがあるかよ。つくならもっとましな嘘をつけってんだ」
「じゃあこういう嘘はどうかしら。いよいよ本気を出した三風連奈は勢い余って本来の上限プラス二機分のスコアを稼いでしまうというのは」
「おいおいおい、まじでこっちに照準合わせんな!」
すっかりこちらのペースを乱されてしまい、瞬は軽い苛立ちを覚える。
だが同時に、この状況に対して、胸がすくような気分になっているのもまた確かだった。
「やっといつもの調子が出てきたじゃねえか、オーゼス。やっぱりあんたらとの戦いは、こうでなくっちゃよ……!」
敵部隊が取る戦術の明確な変化を、瞬は“血が通っている”と表現する。
先程まで、眼前に展開する無人機の群れは“敵”という漠然とした概念を排除するためだけに動いていた。
しかし今は、セイファートとゲルトルート、そしてオルトクラウドという名前を持った“個”を殲滅するために動いている。
この二つの姿勢は、似ているようで全く異なる。
瞬も轟も連奈も、実体験を経て、両者の決定的な違いを知っている。
だからこそ安堵するし、だからこそ歯がゆい。
無人機を指揮する人間が交代したのか、それとも指揮者自体の心境に変化があったのか。
ともあれ、いま瞬たちが間接的に相対している人物は、立ち回りの性質がオーゼス的だ。
復数の武装や機体を並行運用できる才覚の持ち主といえば、真っ先に連想するのはジェルミだが、
あの男ほどの陰湿さは感じないし、そもそもこの部隊はジェルミが操るガンマヒュドラーと入れ違いに出現している。
見知らぬ十人目が、そこにいるのか、いないのか。
考えても答えは出ない。
判明している事実は一つだけ。
相手がオーゼス的であるというのなら、この戦闘は、組織ではなく個人の威信をかけた真剣勝負。
普段どおり、連合の損害とは無関係のところで、敗北は許されない。
「悔しいが、やっぱり連奈をどうにかしないと始まらないか……」
メトカルフィアの追撃を凌ぎながら、瞬はその結論に達する。
敵の猛攻に晒されて本来の役割を全うできていないのは全機に言えることだが、特に顕著なのがオルトクラウドだ。
潜水と浮上を繰り返す首長竜型の機体“フォーマルハウト”の群れに囲まれ、翻弄されている。
どれほど強力な火器を有していようと、機体の体勢が不安定ならば発射は困難。
無理に発射すれば、仲間以前に、自らを危険に晒すことになる。
追加武装を装着し最終決戦仕様とでもいうべき形態になったオルトクラウドは、四肢の可動範囲が大きく制限されている。
海上で転覆した場合、自力で起き上がることはまず不可能だろう。
そうした理由もあって、オルトクラウドは実質的に、反撃に踏み切ること自体を封じられていた。
敵部隊の戦術が変わった時点で、瞬と轟は、真っ先に連奈を守るべきだったのだ。
とはいえ、部隊の主戦力であるフォーマルハウトの大半をオルトクラウドに差し向けるなどという大胆な一手を、それまでの堅実な打ち筋から予測するのは無理がある。
未だ顔を見せぬ敵は、咄嗟の機転によって、見事活路を開いてみせたというわけだ。
「轟!」
「わかってらあ」
向こうが大博打を成功させたというのならば、こちらも同じ大博打で対抗するしかない。
それが、オーゼスの側までもを含めた自分たちの戦いだ。
「強引にブチ抜けってんだろ……!」
吠えるなり、轟はゲルトルートの両腕を強制排除。
すぐさま、機体を突撃形態へと変形させた。
両腕をギガントアームに換装したゲルトルートは、パーツが干渉するため突撃形態への変形は不可能とされていたが、逆に言えばギガントアームさえ取り外せば問題は解決する理屈である。
もっとも、この不完全な状態では、正規仕様のゲルトルートが可能としていた必殺の刺突攻撃“スクリームダイブ”を使用することはできない。
刺突に用いるべきジェミニブレードが存在しないのだから、当然と言えば当然だ。
ただし、機体の質量それ自体を攻撃手段とする用途ならば何の支障はない。
轟の狙いは、無論そちらにある。
「止められるもんなら止めてみやがれ!」
直後、爆発的な加速力を得たゲルトルートが、まとわりつく無数の水黽型の機体を跳ね飛ばしながら、包囲網の強行突破を試みる。
その際に、集中砲火を浴びることになるが、ゲルトルートの堅牢な装甲を貫くには程遠い。
漆黒の砲弾と化したゲルトルートは、海面すれすれの高度を突っ走り、オルトクラウドを取り囲むフォーマルハウトの一機に体当たりを敢行した。
一見すると無思慮な荒業に見えるが、轟の軌道調整は完璧で、フォーマルハウトの首を根元付近からへし折り、一撃で再起不能に追いやる。
この場合、確実に命中するであろう胴体を狙うのがセオリーだが、フォーマルハウトの巨体に当てたところで致命傷には程遠い。
流れを変えるための奇襲であれば、轟がそうしたように、もう一段階の無茶を上乗せする必要があった。
外せば大損に終わるということは、轟自身も、瞬も重々に承知している。
だが、オーゼスと張り合うためには、このレベルの胆力が要求されるのだ。
「大砲女!」
「言われなくても!」
その返事どおり、連奈は敵の連携が乱れた一瞬の隙を突いて、胴体側面の複合ガトリング砲を発射。
今しがたゲルトルートに仕留められたフォーマルハウトの全身を蜂の巣にし、派手な爆発を起こした。
直後オルトクラウドは、自らが生み出した爆炎の中に飛び込むようにしながら、自らを苦しめてきた包囲を抜ける。
そして――――主力武装を使用するための十分な時間と距離を稼ぐことさえできれば、再び、この機体の独壇場。
潜航と浮上を繰り返しながら迫り寄る残り四機のフォーマルハウトと、ゲルトルートを追撃してきた水黽型の機体の群れを、追加武装のレールガンと拡散レーザーの乱射によって一掃していく。
そんなオルトクラウドを背後から仕留めるべく、別行動を取っていた最後のフォーマルハウトが方向転換を行うものの、それは長らく瞬が待ち望んでいた一手。
フォーマルハウトの標的から外れさえすれば、自分を取り囲むたかだが数機のメトカルフィアを恐れる必要などない。
セイファートの各部スラスターを巧みに操りながら宙返りを決めてメトカルフィア部隊の視界から外れた後、一気に急降下。
逆に自分から編隊の中へと飛び込み、長短二振りのジェミニソードによる乱舞で全機を撃墜する。
無論、とうとう敵部隊の最後の一機となったフォーマルハウトも、他の二人にくれてやるつもりはない。
リベンジを果たすべく、更に降下してフォーマルハウトに接近する。
「私が落とそうと思ってたのに」
「早いもん勝ちだ!」
瞬は残念がる連奈に威勢よく言い放ちながら、フォーマルハウトの背面から次々と撃ち放たれる大型ミサイルを回避し、肉薄。
フォーマルハウトが回頭するよりも先に、横薙ぎの一閃を放って、その長首を寸断する。
最後に、二振りのジェミニソードをミサイル発射口の中に突き立て、離脱。
すぐさま機能停止に至るほどの、確実性のあるとどめではないが、攻撃手段と行動の術を奪いきったという意味において撃墜も同然である。
その一撃を以て、紛れもなく史上最大の敵メテオメイル部隊は全滅。
地球統一連合軍の艦隊は、オーゼスが用意した第一、そして第二の試練を突破したことになる。
ただし、だからといって、瞬たちに安息はない。
なにしろ、ジェルミが北半球へ向けて送り出した、ガンマヒュドラーの端末機を無数に搭載したロケットは未だ健在で、それらの対処について具体的な策を打ち出せていない。
瞬たちはすぐさまラニアケアに帰投し、再出撃の準備を行う必要があった。
「随分手こずらされたが、やっぱり、色々と今更だったな。最初から後半の調子で来てれば、わかんなかったろうによ……」
物思いにふける余裕はないにも関わらず、瞬は、わずかだけ立ち止まって、おびただしい量の残骸が浮かぶ大海原を見つめる。
オーゼスの一員としての性質を備えているにも関わらず、あと一押し、決定的な何かを欠いた人物。
それが瞬の、今回の対戦相手であるメテオメイル部隊の指揮者に向けた人物評であった。
一度は劣勢に追い込まれたものの、存在の“格”を競うにはどこか物足りない、好敵手未満の存在。
きっと、戦闘スタイルが確立していなかった頃の自分も、その人物と同様、相手に不完全燃焼を強いていたのだろう。
複雑な思いに駆られながら、瞬はその場を後にした。
「ああ……」
座席を緩やかに滑り落ちていくか、それとも操作卓に突っ伏すか。
脱力した自分の体の行く末に関する二択問題で、ゼドラは特に理由はないが前者を選んだ。
もっとも、選んだところで、この問題に正解などない。
どのみち行儀は悪く、どのみち“優等生”には相応しくない体勢だ。
「これが敗北……。これが……!」
ゼドラは、ただ、結果を噛みしめる。
戦闘中に己の過失を認めたときですら、胸中で様々な負の感情が渦巻いていたのだから、敗北が確定した際にはより激しい情動に狂うことになるものとゼドラはと考えていた。
だが、そう単純な話ではないようだった。
いや、より単純だったというべきか。
互いに全身全霊をかけて臨む真剣勝負においての敗北は、魂の屈服と同義。
より強靭な意思を前に、自分のそれが折れ曲がり、道を譲ったとも表現することができる。
精神の格付けがによって示された、この上なく明確な優劣を、深層心理の部分が認めてしまっているのだ。
あれほど恐れていた失敗が現実のものとなってしまったわけだが、今は不安を練り上げるだけの気力さえ湧いてこない。
己の全てを出し尽くしても届かなかったという事実が、脳内を反芻するだけだ。
「あの方々は、こんな場所で戦っていたのか……」
この“ゲーム”を酔狂な面々の酔狂な遊びと断じ、白い目で見ていたことすらあったかつての自分の、なんと愚かしいことか。
勝てば更なる高みへ、負ければ尊厳すら失う。
彼らと同じ視点、同じ感覚で戦うことができた今になって、ゼドラは彼らが背負っていたものの大きさに脱帽する。
自信を徹底的に叩き折られても、それでもなお己の拘りを声高々に叫び再起を果たす、真なる不屈――――
自分も彼らと同質の強さを持ち得ているのだろうか、いつか彼らと本当の意味で肩を並べる存在になれるのだろうかと、ゼドラはふと考える。
此度の敗因は、はっきりしていた。
それは、メテオメイルパイロットの本質を理解するには至ったものの、最後の最後まで己の戦闘スタイルを確固たるものにできなかったこと。
命令を忠実に実行するだけの兵士として生き続けてきたゼドラにとっては、自分なりの戦いをするという行為は、まだ荷が重い。
しかし、経験を重ねればいずれ――――それこそ、ヴァルクスのパイロットが戦いの中で己を練磨させていったように。
だが、その甘美な想像の途中、ゼドラは現実に引き戻されることになった。
ようやく心中に宿った夢の灯火は、まさしく夢幻であったかのように、一瞬でかき消えてしまう。
「ゼドラさん、お疲れ様でした。これより、防衛計画を第三フェーズに移行させます」
「井原崎理事……」
立ち上がる井原崎の表情と言動に、敗者に失望する冷酷さなどあるはずもない。
冷えてしまったは、他ならぬゼドラ自身だ。
ゼドラが一筋の希望を見出したオーゼスは、この有様。
ゼドラが再び戦いに身を投じることのできる機会は、おそらく、二度とない。
己の可能性を試すことすら、ゼドラには許されていないのだ。
舞台そのものの崩壊、挑戦権そのものの喪失。
そこに待ち受ける虚無の未来は、過ちを犯すことよりも、大敗を喫することよりも、なお深い絶望であると知る。
あまりにも遅すぎた目覚め。
鍵の壊れた、シュレディンガーの猫箱。
全てが不確かなまま、ゼドラの戦いは、ここに始まり、ここで終りを迎えた。




