第187話 最悪手(前編)
オーゼスの本拠地を攻略するために結成された、地球統一連合軍の大艦隊。
その行軍が始まってから、既に三週間が経過していた。
極東、アメリカ各方面の戦力が、パプアニューギニアの近海で無事合流を果たすまでに八日。
集結した膨大な数の艦艇や人員を、一つの艦隊として本来あるべき編成に整える作業で三日。
そして――――ビスマルク諸島とソロモン諸島の間を抜け、本格的に南半球へ踏み込んでから十日。
オーゼスの占領を免れた数少ない陸地である、ニュージーランド南西のマッコーリー島で最後の本格的な休息を取った艦隊は、昨日から行軍を再開している。
南緯60度線に到達するまで、残すところ約三十キロメートル。
その先は、南極海。
艦隊の、ひとまずの目的地である。
「もうじきか……」
薄霧が立ち込める午後の洋上を、哨戒のために低速飛行するセイファート。
そのコックピット内で、瞬はゆっくりと辺りを見回しながら呟く。
ここまでの旅路は、少なくともパイロットの瞬にとっては退屈極まりないものだった。
過去にアダインが開示した“ゲーム”のルールの一つに、『オーゼスの占領対象は陸地のみであり、設置された柱の範囲内であろうと、海上は領地に含めない』というものがある。
連合側がそのルールを遵守して進軍している以上、組織の存続が危ぶまれるこの段階になっても、オーゼスは自衛のために駒を動かすことはなかった。
ジェフラー元帥やヴィルヘルム中将など軍上層部の人間は、オーゼスがルールを破棄して奇襲を仕掛けてくる可能性を未だに疑っているようだが――――瞬は、オーゼスを組織した人物のことを全面的に信用していた。
それが、浅はかな考えだとは思わない。
活動方針を変えるのならば、パイロットなり伊原崎なりを通じてその旨を伝えるか、一度これ見よがしに実例を示すのがその人物のやり方だ。
稀代の与太者であることは確実にしても、可能な限り対等な条件で戦いたいという精神と、ルールの中で勝利を収めたいという信念が確かに感じられるのだ。
面識は一切なく、ゲームの参加者である九人の男を介して断片的に情報を得ているだけの人間だというのに、ヴァルクスの仲間に匹敵するほど絶対的な信頼を抱いてしまっている――――
なんとも奇妙な感覚に、瞬は喉を鳴らして笑った。
『風岩特別隊員。どうだね、様子は』
正面モニターの端に表示された通信ウィンドウの向こうで、副司令のオースティンが、オペレーターを介さずに尋ねてくる。
ケルケイムが別件で席を外しているために、数時間だけではあるが、オースティンが代理で指揮を執ることになっていた。
露骨に成果を催促してくるオースティンに対し、普段なら嫌味で返すところだが、なにぶん状況が状況である。
進路上のことが気になって仕方がないという気持ちはわからないでもない。
そのため瞬は、今回だけ寛大な対応をしてやることにする。
「まだなんの反応もねえ。今までと同じで、不気味なくらい静かだ」
『ならばもう少し前進したまえ。いい加減、出迎えがあってもいい頃合いなのは確かだ』
「言われなくてもそうするところだったよ」
そう返すと、危険は承知で、瞬はもう数キロメートルだけ本隊から離れる。
普段のセイファートなら、三十秒もあれば目標のラインまで到達できるが、そうできない理由がある。
現在のセイファートは、機体の全高とほぼ同径の円盤状レドームを背負った特殊偵察仕様に換装されているのだ。
これは、航空能力を持つセイファートに索敵を任せるため技術開発部が急ピッチで仕上げた、本来の計画にはないオプション装備である。
おかげで瞬は、行軍中、通常の部隊では往還が危険とされるエリアの哨戒を何度も任される羽目になった。
つまり――――セイファートの記録と瞬の報告は、今後の戦術的判断に関わる最重要情報。
艦隊がどれだけ手際よく交戦状態に移行できるかどうかは、瞬の注意力にかかっているといっても過言ではない。
わずかな異変の見落としも、許されなかった。
「オレのヘマが敗因になるってことは、オレの働きが勝因にもなるってことだ」
今はそういうことにして、緊張を誤魔化すしかなかった。
自分以外の人間の生死について責任を負うつもりなど更々ない瞬だったが、それは出発前の話だ。
セイファートが先行している間の安全は確保されているものと信じ、追従してくる百隻以上の艦艇を見続ければ、気分も変わってくる。
(明日になりゃあ、こんな面倒な仕事ともおさらばできるんだけどよ……)
瞬は、コンソールを操作して操縦の一部をオート化すると、フットペダルの踏みっぱなしで疲れてきた両脚をぶらぶらさせた。
艦隊の約八割が南極海に踏み込むことになる明日以降は、潜水部隊および、運搬してきた大量の自律稼働ソナーを用いた本格的な海中探査が始まる。
圧倒的物量を以て対象エリアを虱潰しにあたっていく、典型的なローラー作戦だ。
オーゼスの本拠地を発見できずに終わってしまうという最悪の事態を避けるため、連合の力の入れようは凄まじい。
艦隊の実に四割が、潜水艦と、それを係留する専用の大型輸送艇で構成されていた。
作業に多少の遅延が発生しても、南極の海底部分だけは確実に、期間内に調べ上げられる見通しである。
そもそも、オーゼスの拠点が海中に存在するのならば、仕掛けてくるのも海中からということになる。
セイファートのオプション装備は海上の索敵を行うのが主な用途であって、接近や攻撃を許す前の段階で敵機を発見するには、潜水部隊の探査活動が不可欠であった。
その意味においても、哨戒要員としての瞬の仕事はここまでなのだ。
だが――――
例えそうだとしても、一刻も早い交代を願ったのは余計だったと、数秒先の瞬は後悔することになる。
噂をすれば影がさすとはよく言ったもので、本来のスケジュールより半日ほど早く、自分の哨戒任務が終了することになってしまったからだ。
「おいおいおいおいおい……!」
セイファートの広域センサーは、複数の熱源反応を同時に捉えていた。
数は四つ。
否、瞬がモニターを凝視していると、後方から更に四つが現れる。
南方から高速接近してくる、なんの識別信号も発することのない物体となれば、連合の部隊である可能性は限りなくゼロに近い。
いよいよオーゼス側の迎撃が、始まったというわけである。
しかも連合の予想に反して、それらは上空に出現し、今もなお高度を落とすことなく直進していた。
完全に、当てが外れた形になる。
そもそもにおいて、オーゼスに合理的判断を期待すること自体が間違っているのだが。
「くそっ! こっから自分たちの陣地だって言うんなら、ちゃんと看板出しとけよな!」
瞬は焦りを露わにしながらも、オースティンにありのままを報告する。
本来はオペレーターを介して行う作業だが、向こうも本来の伝達ルートを無視して連絡を寄越してきているため、このことで文句を言わせるつもりはなかった。
『風岩特別隊員、もう一度確認する。敵の数は……』
「訂正。たった今、更に倍の十六になりやがった……! バッテリー式の雑魚だとしてもやべえ数だぞ。早く轟と連奈を寄越してくれ!」
『わかっている。艦隊司令の承認が取れればすぐに出撃させよう』
「んなこと言ってられねえ速さで迫ってきてんだよ! のろくさしてると艦隊はズタズタだ、早く出せったら出せ! オレは手近なやつからぶっ潰す!」
怒号を飛ばすと、瞬は指示を受けるよりも先に、セイファートを急速上昇させる。
まだ実際に姿を拝んだわけでないその機体は、相当の推力を誇っているようだが、時速はせいぜい五百キロメートル前後といったところ。
軽々と音速を超えるセイファートの機動力には遠く及ばない。
それに、航空型のメテオメイルは、どれだけ堅牢な装甲を纏っていようが推進機や翼を破壊すれば無力化できる。
重装型や水中戦対応型に比べれば、遥かに楽な相手だ。
敵部隊が艦隊と接触するまで、まだ二、三分の猶予がある。
それまでに、最低でも半分は片付けておきたかった。
急ぐ瞬は、セイファートの特殊偵察用装備を接続解除し、そのまま空中に投棄する。
レドームはセイファートの背面をほとんど塞いでいる上に空気抵抗を増大させるため、装着したままでは全く速度が出ないからだ。
外せば当然、センサーの捕捉可能範囲がセイファート本来のものに戻るが、背に腹は代えられない。
海面付近はともかく、雲上の視界は良好。
互いに前進しているのならば、いずれ視認できるはずだった。
身軽になったことで、セイファートは煌めきを放つ疾風となり、ひたすらに直進する。
「ほらな……!」
早速、最前列の四機が、モニター上の三次元レーダーウィンドウに再び表示される。
なのに、思ったほど相対距離が縮まらない。
違和感を覚えて、瞬がウィンドウを見返すと、敵部隊が緩やかに上昇を続けていることが判明する。
発見時の高度から水平に移動するセイファートと、仰角に移動している敵部隊の構図である。
しかし、いくら常識外れのオーゼスが行う部隊運用とはいっても、この距離から更に高度を上げるのは流石に妙だった。
垂直降下して一気に攻め込む戦術を取るにしても、距離を取りすぎなのだ。
元の高度の時点で、巡洋艦の砲撃の射程範囲からは外れているし、降下に時間をかければオルトクラウドのいい的になる。
「このままだと、オレたちを飛び越えていっちまうぞ……? そんなことをやって、一体なんの……」
その疑問に対し、しばし思考を巡らせた後、瞬は思わず息を呑む。
報告すべき内容を頭の中で整えるよりも先に、反射的にオペレーターを呼び出す。
「連奈だ、連奈を最優先で出してくれ! 轟は後でもいい!」
要点の中の要点だけが抽出され、逆に要点として機能していない瞬の要請に、オペレーターは困惑しているようであったが、話をまとめていられる余裕はなかった。
もし、敵部隊の行動が、なんら異常ではないのなら。
連合の艦隊との交戦を目的としているという、その大前提を取り払うのなら。
瞬がいま目の当たりにしているのは、戦術的に極めて有効な、悪辣極まりない一手だった。
そして、程なくして、瞬の推測は事実へと変わる。
ようやく視認できた、敵部隊の最前列――――それぞれ数百メートルの間隔を置き、雲上を横並びに飛行する、四つの飛行物体。
その正体は、長大な円錐型のロケットだった。
噴煙の尾を引く本体部分の外周には、十数枚の鱗のようなものが張り付いている。
従来のメテオメイルのように通常戦闘をこなせるのか、それとも見かけの通り、自身の質量や爆発によって破壊をもたらす使い捨ての兵器なのか。
現時点では、判別がつかない。
わかっていることは、二つ。
これらのロケット型兵器がオーゼスのものであるなら、向かう先は、おそらく北半球であろうということ。
もう一つは、これらのほとんどが、今から悠々と艦隊の真上を通過していくということだ。
「オレたちをガン無視して、陣取りゲームを終わらせる気だ!」
瞬はセイファートを反転させ、自分と最も近いロケット型兵器と同一方向に加速しながら、徐々に距離を詰めていく。
セイファートの実戦投入以降、連合とオーゼスとの戦いは、互いに駒を動かし合う盤上遊戯めいたものへの転じた。
そう、盤上遊戯――――
盤上遊戯の中には、先に勝利条件を達成すれば、自陣の損害に関係なく勝利となるものも少なくない。
無論それは、ゲーム上だからこそ許される戦法であり、現実においてはただの暴挙。
だがオーゼスという組織は、ゲームと現実を同列に語るどころかゲームを現実より優先する破綻者の集い。
例え一瞬でも世界全土を手中に収めたという事実が残れば、その後に組織が壊滅しようとなんら問題はないというわけである。
オーゼスの奇特さについては重々理解しているつもりだった瞬だが、まさかここまで思い切った一手を打ってくるとまでは考えが及ばなかった。
全戦力を割いて連合の艦隊を殲滅し、その後に侵略を再開するものと、無意識に決めつけてしまっていた。
北半球に存在する連合軍の各基地には、まだある程度の戦力が残されてはいるものの、準メテオメイル級が相手なら苦戦は必至。
鉄壁の守りを誇る最高司令部以外は、十中八九陥落するだろう。
『艦隊側でも敵影を捕捉しました。オルトクラウドは現在発進準備中、もうしばらく時間がかかりそうです』
「もうそんなに余裕はねえぞ!」
瞬は機体を襲う激しいGに耐えながら、どうにかセイファートの腰鞘からジェミニソードを抜き取る。
そして、いよいよ目前に迫ってきたロケット型兵器の一つと、進路上で重なるように自機の上昇角度を調整する。
(オレが一つ。連奈が間に合えばプラス一つか二つ。それでも最大三つ。四分の一にも足りてねえ……!)
とはいえ、ここで撃墜できるのとできないのとでは、残された希望の総量に雲泥の差が出る。
だからこそ瞬は、機体の推進剤を一度使い切る覚悟でロケット型兵器に迫ったのだが――――
せめて一機だけでもという切望すら、天には届かない。
セイファートがロケット型兵器斬りかかる間際、その周囲を覆う厚い鱗のうち、数枚が分離。
それぞれが内側に格納していた八本脚を展開し、甲虫のような形態へと変化してセイファートに張り付き、行動を封じる。
ロケット型兵器自体は、これらの甲虫型メテオメイルを現地に届けるキャリアーだったのだ。
つまり、実質的な戦力は、元々の想定の十数倍に膨れ上がったことになる。
最悪を超える最悪。
瞬は正面に張り付いた甲虫型メテオメイルを引き剥がそうと、その腹部を幾度もセイファートの膝蹴りで抉る。
しかし、一向に離れる気配はない。
虫とはいっても、その全長はセイファートの半分近くもある上に、絡みついた関節肢の力も中々に強いのである。
「てめえら、鬱陶しいんだよ!」
瞬は密接状態で使用可能な唯一の武装である、セイファートの頭部に仕込まれた射出型刺突刃、シャドースラッシャーを打ち込み、甲虫型メテオメイルの内部を破壊する。
当たりどころがよかったのか、その一撃で正面の一匹は剥がれ落ちてくれたが、この程度では不幸中の幸いにカウントすらできない。
甲虫型メテオメイルは、まだセイファートの左腕と右足に一匹ずつしがみついている上に、ロケット型兵器の編隊は既に空の彼方。
ラニアケアからの通信がないことをみるに、おそらくオルトクラウドの発進も間に合わなかったのだろう。
オーゼスに手玉に取られた苛立ちをどこにぶつけていいかわからず、瞬はセイファートを急加速させ、その全身を海面に叩きつけることで残りの甲虫型メテオメイルを粉砕した。




