第186話 不立文字
『統合新興技術研究機関“O-Zeuth”……。彼らの暴走により、世界は一度、滅亡の危機に瀕することとなった。しかし、我々地球統一連合軍は彼らの侵略行為に対し敢然と立ち向かい、今日においては彼らの主戦力の大半を奪うことに成功している。この逆転劇は、断じて奇跡などではない。諸君らの血の滲むような努力が生んだ、必然の結果だ。圧倒的劣勢の状況から始まった戦いの中で、今日まで希望を捨てることなく職務を全うしてきた諸君らを、私は誇りに思う。諸君らのみならず、我々の活動を支援してくれた全ての人々についても、それは同様である……!』
ケルケイムの執務室に呼び集められた瞬たちパイロットチームは、横並びに整列し、執務机の上に置かれたホログラムディスプレイに視線を向けていた。
画面上で行われているのは、地球統一連合軍の事実上のトップ、ジェフラー・トリルランド元帥による作戦開始前の演説だ。
熊の如き屈強な体格と鋭い眼光のおかげで元より凄まじい威圧感を放つジェフラーだが、場が場だけに、今日のそれはまた別格だった。
拝聴しながら、瞬はわずかに苦笑する。
本来、強敵というのは、ジェフラーのような真っ当な迫力を備えた人物であるはずなのだ。
だが、瞬が戦場で相対してきた者の中に、そのような人物は一人もいない。
皆が皆、自らの悪癖奇癖を基にした異様な存在感で、瞬たちを潰しにかかってきた。
『オーゼス側の残存戦力は未知数であるものの、この二年間における最小数であることは確実。故に今、我々は危険を冒してでも前進しなければならない。進み、彼らの本拠を叩かねばならない。その悲願を成就するための力こそが、私の熱弁に耳を傾ける諸君らと、諸君らの精励によって集められた兵器の数々である。合計百二十隻の艦艇に、人工浮島型機動要塞ラニアケアを加えた人類史上最大規模の艦隊……これらを以て、我々はオーゼスの本拠を強襲し、武力制圧を行なう。我々はなんとしても取り戻さねばならない。オーゼスに奪われた世界の半分を! そして平和を! 共に迎えよう、輝かしい来世紀を! 勝利は、目前に迫っている!』
ジェフラーが力強く拳を掲げるのと同時に、演説が行われていた最高司令部内のホールは大歓声に包まれる。
ホールの中が凄まじい熱気に満たされていることは画面越しにも伝わってきたが、所詮は、画面の向こうの出来事。
ここに集った面々に、出席している将校たちと同等の高揚感を得ることなど不可能だった。
しかし瞬は、この温度差を、さして残念には思わなかった。
実際に表情を見て確認したわけではないが、轟や連奈、メアラも、同じ気分のはずだ。
なにせ自分たちメテオメイルパイロットは、各々が、正規の軍人とは全く異なる背景からオーゼスとの戦いに参加している。
戦いの中に求めるものも、戦いの先に見据えるものも、各人固有のものとなるのがむしろ自然だった。
いや、結果的にそうならざるを得なかったという方が正しい。
メテオメイルを用いた戦いは、いわば自己表現と自己表現の激突。
信念と執念で創り上げた自身のスタイルを押し通す、一種のコンテスト。
ゆえに、自身の望むところを正しく理解し、その実現に全身全霊を捧げられる者でなければ――――早い話が、自分のためだけに戦える者でなければ、メテオメイルパイロットは務まらないのである。
「オレの望みはただ一つ。兄貴をぶっ倒して、呑気に罪悪感に浸ってる場合じゃねえぞって、得意げに言い放ってやることだ。今やってるのは、そのための武者修行みたいなもんだ」
瞬は皆の前で堂々と、戦いに対する自らの姿勢を宣言する。
なんの脈絡もない発言であることは承知の上だったし、周りの反応にも特別な期待はしていない。
瞬と刃太のすれ違いについては、事情をよく知る連奈が轟とメアラに言いふらしている上、ケルケイムも随分と前から察していた節がある。
にも関わらず、言わずにいられなかった理由は一つ。
自分の口で、打倒刃太の意志を表明したことがただの一度もなかったからだ。
本来なら初顔合わせのときにでも言うべき内容を、いよいよ最終決戦が始まるというタイミングになって――――
世間一般の認識では手遅れなのかもしれないが、これは、瞬なりの心の区切りだった。
「俺は、オーゼスをブッ潰さねーとセリアに会う時間が作れねーから戦う。それ以外になんかあるとしたら、この前の戦いの借りをテメーらに返すためだな」
「私は、私の邪魔をするものと私の邪魔になるものを全部片付けたいだけ。最初から、なに一つ変わってないわ」
てっきり呆れられるか小馬鹿にされるだけだと思いきや、轟と連奈も口々に、まるで張り合うかのように自身の戦う理由を口にする。
どちらの主張も、瞬と同じく、あくまで個人の事情と感情に根ざした動機だ。
とても人類の存亡を担う立場とは思えない無責任な発言と、ふてぶてしい態度。
見聞きする者の顰蹙を買うのは、もはや当然の結果とさえいえた。
だが、面向かうケルケイムは、かすかに嘆息を漏らすだけで、瞬たちを叱責することもしない。
瞳には強い光を、口元にはかすかな笑みを携えて、三人の思いを受け止める。
「私も、きっとお前たちと同じ顔をしているのだろうな」
そう発するケルケイムの表情に、もはや無機物的な冷ややかさは見受けられない。
血の通った、一人の人間としての温かみに溢れていた。
瞬も、轟も、連奈も、メアラも、そんなケルケイムを敬服の眼差しを向ける。
ヴァルクスが活動を開始してから最も多くの戦いを経験したのは、最多の出撃回数を誇る瞬ではない。
精神面に最も大きな変革が起こったのは、セリアの心を救うことに成功した轟ではない。
最も堅固な精神力を獲得したのは、長い自問自答の果てに答えを見いだした連奈ではない。
そのいずれも、冠を戴くに相応しいのはケルケイム・クシナダという男だった。
部隊内の人事統括、外部との折衝、連合内部に潜む数多の内通者との情報戦――――対人関係を優位に進める要素全てを“戦い”に含めるのなら、ケルケイムの戦歴こそが最も濃密。
実戦のほとんど全てに指揮官として参加していることを考えれば、理不尽の権化たるオーゼスの男たちや、歪な思考回路を持つエウドクソスの構成員たちとも、間接的に関わっていることになる。
加えて、恩師であるロベルトとの決別や、心を通い合わせたノルンとの死別。
パイロットとして個々の敵を倒してきただけの瞬たちが、複数の戦場で並行して戦い続けるケルケイムに、歩みの速さで敵う道理などないのだ。
結果、ケルケイムが得たのは、なにが正しいのかを自らの意志と判断で定義できる力――――そうであると、瞬は思う。
そしてだからこそ、現在のケルケイムは一部隊を預かる司令官として、この上なく信頼が置ける存在だった。
ケルケイムは、自身に降り掛かった全ての苦難を乗り越えたわけではないし、全ての苦難を乗り越えられるほど器用な人間というわけでもない。
苦難を背負ったままでも正しく在り続けられる、その強靭な精神を、人は崇敬するのだ。
「部隊の司令官としては、この機会に訓示の一つでも垂れておくべきなのだろうが……ここは敢えて省略させてもらおう。学ぶべきことは、戦いの中で学んできたはずだ」
「違いねえな」
瞬のみならず、その場にいた全員が首肯する。
極限まで堕落した精神を持つオーゼスのメテオメイルパイロットは、けして相容れることのない敵対者であると同時に、数多くの教訓をその身で示す超一流の反面教師でもあった。
瞬たちの成長とは、つまるところが、彼らのようにはなるまいという軌道修正。
自身の心の弱さに打ち勝てなかった彼らの存在が物語る、迫真の説得力には、いかなる説法も遠く及ばない。
「では、解散だ。ヴァルクスはスケジュールに遅延がなければ、本日正午に出港する。激励の言葉は、その際に、全隊員へ向けて送らせてもらおう」
「あんまり長いのは勘弁してもらいてーな」
「期待が重ければ重いほど、やる気がなくなっていくタイプだものね、私たち」
「善処しよう」
ケルケイムの色よい返事を聞くと、瞬たちは、めいめいに執務室から退出していく。
なんとも締まらない、いつもの、ヴァルクス特有の調子ではあったが――――この状況下でも普段どおりでいられることは、心構えが万全であることの証左でもあった。




