第184話 O
世界各地を巡る物資調達の旅を終え、命からがらオーゼスの拠点まで帰還した井原崎義郎は、二つの点で喫驚させられた。
まず第一に、オーゼスの中核たる“あの男”が、施設上層に存在する工場エリアへ直に足を運んでいる。
どうやら、完成間近の新型メテオメイルの調整作業に参加しているらしい。
「これは、どういう……」
目を疑うような光景を前にして、井原崎は、おそるおそる作業の場へ近づいていく。
“あの男”は、既に脱落したサミュエル・ダウランドとは別の理由で――――具体的に言うなら、やりたいことが多すぎて移動する時間も惜しいという理由で、自室の外に出ようとしない。
生活物資は室内に十分蓄えられているし、仲間への連絡事項は各種機器を通して伝えられる。
メテオメイルの製造に関しても、“あの男”が作成する設計データは最初から完璧に近いため、そのまま出力するだけで一切不具合の出ない代物が出来上がるのが常だった。
つまり――――この機体の開発は、他のあらゆる趣味よりも優先されている上に、“あの男”自身の目と耳に頼った細かな調整を要するほど不確定要素を孕んでいるということになる。
「ご苦労さまです、井原崎理事。物は集まりましたか?」
井原崎の存在に気づいて声をかけてきたのは、灰色のツナギを着た、恰幅のいい中年のメカニックだ。
“あの男”は、頭上のキャットウォークの上で座り込み、機体とケーブルで繋がれた端末を凝視している。
作業に没頭しているときの“あの男”の集中力は凄まじく、誰の声も耳に入らないどころか体を揺さぶっても気付かない。
その一点だけは普段通りで、井原崎は逆に安心感を抱く。
“あの男”がわざわざ手でも振ってくるなど、井原崎には想像さえもできない。
「あの、はい、指定された数量は、どうにか……。ただ、ええと、そのために少し無茶をしたので、幾つかのルートが使用不能になってしまいました。あの、本当に、申し訳ありません」
「それでも構わないという指示だったんでしょう。だったら、気にすることはありませんよ」
「そういうものでしょうか……。それで、あの……この機体は、どういうわけなのです?」
井原崎は、眼前で横たわる鋼鉄の巨人に視線を向けながら尋ねる。
このメテオメイルは、井原崎が留守にしている半月ほどの間に製造が始まったようで、井原崎にとってはたったいま存在を知ることになった機体である。
いや、それ自体はどうでもよかった。
“あの男”の気分で、唐突に新しいメテオメイルの製造が始まることは日常茶飯事であったし、常人には理解し難い奇抜な運用コンセプトの機体も、井原崎はごまんと見てきた。
問題なのは、そう――――これこそが、井原崎を驚かせる理由の二つ目。
そのメテオメイルは、“あの男”が一から設計したオリジナル機ではなかった。
加えて言うなら、それらをベースにした発展機、後継機の類でもない。
他者が作り出した機体を模倣した上で“あの男”なりのアレンジを加えた、改造機だった。
「我々メカニックも、面食らってはいますよ」
そうだろうと、井原崎は小さく頷く。
際立った独創性と百年先の技術力を持ち、常人と隔絶した世界で生きる“あの男”が。
自身のアイデアの断片から生まれたものとはいえ、他者の造物を参考にしている。
連合やエウドクソスがこちらの技術を模倣することはあっても、その逆はあり得ないと、オーゼスに所属する誰もが思っていたはずだ。
なにせ、全陣営の中で最も高い技術力を持つのがオーゼスであり“あの男”なのだから、そうする必要性が一切ない。
加えて、自分の世界に他者が介入することを極端に嫌う、“あの男”の気難しい性分とも合致しない。
突然の心境の変化に戸惑う井原崎は、ただ、“あの男”を仰ぎ見る。
「あの人にも、まるでわからないそうです。わからないからこそ、自分で作って、本質を見極めると」
「なるほど……」
メカニックの一言で、“あの男”の、おおよその行動原理は理解できた。
子供が玩具を分解して内部構造を把握するのと同じで、好奇心に駆られているというわけだ。
実際、ベースとなっている機体は、ある意味において不可解な存在だった。
他の機体と比較してみると、それは明らかに弱く、常に劣勢を強いられながら――――
結果的には、こちらの主戦力である有人型メテオメイルの、ほぼ半数を撃破している。
機体性能、パイロットの操縦技術、判断力、そして精神面の強度。
どの観点から見ても、“あの男”に気に入られるほど末期的で破滅的な才能を持つ彼らが負ける道理など、ないなずなのだ。
だとすると、敗北の原因は、自分たちには到底理解の及ばない“何か”ということになる。
件の機体を操る少年は、“それ”を持っているということになる。
これまでは理解できずとも問題ないと静観を決め込んでいた“あの男”も、組織が窮地に追い込まれているという事情から、いよいよ興味を抱かざるを得なくなってしまったらしい。
「そうか……いよいよ、あの方も……」
導き出した結論の意味を噛み締めた井原崎は、寂寞の念に襲われる。
自分の胃袋が、いつも以上に締めつけられている、本当のところの理由。
それは、“あの男”の急変ではなく、変化の方向性にあった。
(我々が始めたこの“ゲーム”は、あの少年の存在によって、根本から異なるものへと変わってしまった。一方的な破壊と侵略が、対等の条件で戦う勝負へと転じてしまった)
“あの男”が立案した、世界全土の完全占領という大いなるゲーム。
そのプレイヤーとして定義されているのは、オーゼスの構成員だけだ。
占領エリアを増やすこと自体が目的で、オーゼスの侵攻を阻むものは物言わぬ標的。
連合が初めてメテオメイルを実戦投入してきたときも、オーゼス側としては、倒しがいのある頑丈な的が現れたという認識だった。
ルールを変更して、連合製メテオメイルの破壊が優先されるようになったのも、効率重視の侵略を進めるだけでは盛り上がりに欠けるという理由でしかなかったはずなのだ。
だというのに――――
アダインも、グレゴールも、エラルドも、十輪寺も、スラッシュも、霧島も、ジェルミも。
いつしか、連合のメテオメイル部隊“ヴァルクス”との勝負にのめり込んでいった。
そこに属する少年少女たちと鎬を削ることに、楽しみを見出すようになってしまったのだ。
そしてとうとう、“あの男”さえもが、外の世界に引きずり出されようとしている。
あるいは、もう手遅れなのか。
(最果てでは、なくなりつつあるというのか……)
ある者は際立った異常性によって社会からはじき出され、またある者は自ら別れを告げ、またある者は他者との関わりを恐れ――――そうして流れ着いた世界の隅が、オーゼスという組織であり空間だった。
井原崎はそんな彼らに同族意識を抱き、オーゼスの一員として生きることに安堵を覚えていたのだが、戦いを経る内に、彼らの心は蘇ってしまった。
人間という生き物の根源的な性質である、真の理解者を欲する心を、取り戻してしまったのだ。
だから彼らは、戦いに赴く。
完結した世界である自らの部屋を抜け出し、テーブルについて、自らのパーソナリティが砕け散るリスクを背負ってでも戦おうとする。
サミュエルだけは最後の最後まで自分を保てたようだが、それでも北沢轟を仇敵と認めている節があったし、他人の意見に流されるだけだったB4も、三風連奈との接触を経て主体性を取り戻しつつある。
井原崎にとっては、彼らの死そのものよりも、彼らが自分の同族ではなくなってしまったという事実の方がはるかに寂しく、そして堪えた。
「だからこそ、“オーゼス様”には、彼のことを理解してほしくない……」
井原崎は、実に数十年ぶりに、自らの意見というものを口にする。
半ば無意識に発した言葉であったため、オーゼスに対する自身の愛着の程を、井原崎は自覚していない。
それに、井原崎が危惧しているのは、組織の崩壊ではなく、組織を崩壊させた原因の方だった。
(ああ、やはり彼だ。おそらく北沢轟や三風連奈も、彼の存在があったからこそ、彼と同じ力を手にしてしまったんだ……)
やや飛躍した考えではないかという心の声もあったが、井原崎には確信に近い思いがあった。
根拠となるのは、かつて仲間だった者達の、彼を語るときの口数の多さだ。
彼と相対したオーゼスの構成員は元々口数の多い者ばかりだが、その熱量を自らの誇示以外の用途で使うことは異例の事態なのだ。
「……セイファート【O】」
メカニックたちの声や作業用アームの駆動音が響き渡る中、端末のキーボードを叩き続ける“あの男”が、ふと呟く。
そう、セイファート。
“あの男”が創り上げたのは、セイファートを構想上の原型機として、オーゼスの技術力で徹底強化したメテオメイルだ。
装甲の形状にも大きく手直しが入っているため、外観は随分異なっているが、両肩と両腰の鋭く尖った大型パーツや鎧武者のような頭部は健在。
整備面での利便性を追求しただけとは思えない、各部装甲の分割線の多さを見るに、おそらく変形機構も残されていることだろう。
ただ完成させるだけでは終わらない――――“あの男”はおそらく、この機体をオリジナルのセイファートにぶつけようとしている。
その果てになにが起こるのかを、知りたがっている。
“あの男”の思考回路はともかく、性格と性質は、井原崎も熟知していた。
「【O】、か……」
井原崎は、顎に手を当てて熟考する。
区切るような、はっきりとした発音であったため、機体名称の末尾に付けられた語句がアルファベットのOを意味していることはほぼ間違いなかった。
この機体に、“あの男”のいかなる意図が込められているのか、井原崎には気になって仕方がなかった。
なぜなら“あの男”は、一切の妥協なく、コンセプトどおりの機体を生み出せてしまうから。
もはや託宣めいた未来予測さえ可能とする“あの男”が、明確な意味を名称に込めたということは、そこから機体の在り方のみならず、迎える結末すら読み取れてしまうと井原崎は確信している。
“あの男”自身は、そんなことに考えが及んでもいなければ、言ったところで信じもしないだろう。
だが、彼の才覚を知る井原崎からすれば、既に確定した結末が箱の中に封じられているも同然だった。




