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第183話 風岩刃太(その6)

「お前が、思い立ったらすぐ行動に移す性格なのは知っているが……」


 十二月一日の、関東の山奥。

 “寒々とした”というよりは、“凍りつくような”と表現する方が相応しい、心地良さとは無縁の朝。

 自室で、慌てて身支度を整えていた瞬の背後から、苦笑を伴った声がかかる。

 開け放たれた障子戸の向こうに立つのは、兄の刃太だ。

 紺色の半纏を着込んで、背を丸めているその姿には、一門の顔たる筆頭剣士としての威厳など欠片もない。

 普段とのギャップに、振り向いた瞬は、たまらず喉を鳴らす。


「まさかもう、向こうに戻るとはな」

「用は済んだし、のんびり休んでられる状況でもねえし」


 残念そうに眉の角度を下げる刃太へ、瞬はぶっきらぼうに返した。

 本来の予定を切り上げた理由については、いま述べたとおりである。

 しかし刃太の反応も、わからなくもない。

 瞬が刃太と相まみえたのは、昨晩の話だ。

 唐突な帰省を果たしたのが昨日で、ラニアケアに戻る旨を家族に伝えたのが、今から小一時間ほど前の、朝食の席。

 あまりにも急すぎる決定に呆れ果てたのか、皆が皆、ただ嘆息するだけだったのを覚えている。

 腰を据えて話す時間がないことを残念がっている者もいたが、瞬の方は、これといった口惜しさはない。

 瞬が身を投じているは、両親や祖父母の真に迫った激励が必要なほど、上等なものではないのだから。


「まあ、呑気に待っててくれよ。昨日も言ったけど、オレは死なねえ。なんたって、命懸けでやるつもりがねえんだからな」


 実戦に臨む者が、そんな物言いをすれば、軟弱者と詰られることもあるだろう。

 ただし瞬に限っては、その主張は、半端な意志力の許容を意味しない。

 こんなところで命を懸けていられないと強く思うからこそ、必死になる――――それこそが、瞬の戦いに対する姿勢であり、一種の信念。

 他のもっともらしい理由に置き換えることは、できなかった。



 時間になれば勝手に出ていくと言っておいたはずなのに、結局、瞬の見送りは家族総出で行われることになった。

 加えて、誰かが一報を入れたのか、連奈の両親も箱根の方から大急ぎで駆けつけていた。

 玄関の前に皆がずらりと立って、自分の出立に立ち会おうとしているこの状況は、恥ずかしいにも程がある。

 軍からの迎えの車は、裏手の車道を下りきった先で待機しているため、こっそり抜け出してしまう選択肢も瞬の脳裏をよぎる。

 が、なにかと口うるさい自分の家族はともかく、人柄がいい連奈の両親を放置していくのは気が引ける。

 そのため、玄関で靴紐を結び直した瞬は、仕方なく皆の前に姿を現すことにした。


「なんじゃ、そのだらけた態度は。もっと気を引き締めんか!」

「みんなが見てるから、引き締まらねえんだよ……。ここまですることねえんだってば、本当に」


 戸を開けた先で仁王立ちしていたのは、祖父の雷蔵だった。

 外に出るなり叱責を受け、瞬はげんなりとする。

 おかげで背筋はますます曲がり、雷蔵の不興を追加で買う羽目になった。


「大体、なんだよ。オレがパイロットになるって言ったときは猛反対して、破門扱いまでしたくせに、随分な手のひら返しじゃねえか」

「お主と一緒にするでないわ。儂は風岩家七百年の歴史を背負った、責任ある立場でな。己の発した言葉を、そう簡単に取り下げたりはせん」

「あぁ?」

「儂は未だに、お主の、身勝手極まる出奔を許してはおらん。風岩家の一員に戻ることを認めてもおらん。……この壮行はあくまで、オーゼスという凶賊の討滅に多かれ少なかれ貢献してきた、一人の戦士に向けてものじゃ」


 言い捨てると、雷蔵は鼻を鳴らし、瞬から顔を背ける。

 雷蔵の後ろに立つ祖母が、着物の袖を口に当てて苦笑しているのを見る限り、雷蔵もどこか意地になっているようだった。

 思えば雷蔵も――――いや、雷蔵こそ、 愚直に規律を遵守する“システム”として振る舞う必要のある人物である。

 自分の発言を容易に撤回できないという前置きには、ひょっとしたら、瞬に対する処分が本意ではないという弁解の意図が含まれていたのかもしれない。

 もしそうだとしたら、雷蔵に対する見方も、少しだけだが変わってくる。


(いや、さすがに好意的に考えすぎか……。どうせ普通に口うるさいジジイだってのがオチだろ)


 大体、瞬としては、言われた通りの名目でも、なんら文句はなかった。

 瞬にとって、オーゼスとの戦いは極めて個人的なものだ。

 良くも悪くも、風岩の家名を背負って剣を振るうには値しない。

 頭を下げて雷蔵の許しを得るのも癪なので、刃太を倒すのは、なんなら道場破りという形の方が面白いかもしれない――――自らの邪な発想に、瞬はくぐもった笑い声を漏らす。

 ともあれ、それも、全てに片がついてからだ。

 連奈の両親に軽く挨拶をするという、ここで唯一やるべきことを終えると、瞬は改めて、並び立った全員を一瞥する。


「……じゃあ、行ってくるわ。それなりに、しんどい戦いになりそうだけど、絶対勝つから心配はいらねえよ」

「待て、瞬。お主に渡しておくものがあったのを忘れておったわい」


 雷蔵は祖母から風呂敷に包まれたなにかを受け取ると、ほれ、と瞬に渡してくる。

 布越しに触った感覚から漆箱とわかるそれは、予想以上の重量があって、瞬は少しだけよろめく。


「おっとっと……。なんだよ、お守り代わりに、霊験あらたかな伝説のアイテムでもくれるってか?」

「馬鹿者。実戦派を標榜する風岩流剣術に、矢避けだの弾除けだのという気休めは存在せぬわい。

 中身は山菜の瓶詰めじゃ。連奈や北沢の坊主にも分けてやれ」

「わかってるよ」

「強いて言うなら、最も効力のある加護とは、己の技量と機転を信じ抜く意志力。それ以外のものに、けして縋ろうとするな」

「それも、わかってるってば」


 生返事の語調になってしまったが、瞬は雷蔵の言葉を胸に刻みこむ。

 風岩流剣術の剣技は、殺傷能力という一点で評価すると、他の流派に劣るところがある。

 にも関わらず、風岩流が界隈に名を轟かせる理由は、恐ろしいまでの打開能力にあった。

 二つの型を使い分けることで、絶対的不利な状況に“揺らぎ”を生み出し、活路を拓く――――それこそが、風岩流の本質。

 ゆえに、自己の判断力を鍛えることの重要性は、他の武術以上。

 自分の窮地を救うのは自分でしかないという、ありふれた訓戒も、風岩流においてはそれ以上の意味を持つのである。


「うちの家からも、差し入れだ。ああ、こっちは連ちゃん用だから、開けないようにね」

「了解です……」

「ここまで大丈夫だったんだから、次も大丈夫だろう」


 瞬と雷蔵の会話が途切れたのを見計らって、連奈の父親の正吉も、いくつかの紙袋を渡してくる。

 こちらは普通に菓子類のようで、重さ自体は大したことがない。

 しかし、持ち手の紐を腕に通してみると、包みを抱えづらくなって、重心のバランスが更に不安定となってしまう。

 期待の押しつけで心が軋むのではなく、荷物の押しつけで体が揺らぐことになるのは、想定外の事態だった。

 迎えの車には、上まで登ってきてもらった方がよかったかもしれないと、瞬は嘆息する。


「……もう渡すもんはねえよな。今度こそ、行くぜ」


 自分に集まるいたたまれなさと、放っておけば雷蔵の長話が始まりそうな気配と、重量物を抱えた両腕への負荷。

 あらゆる要因から、もはやこの場から逃亡することが主目的となって、瞬はのそりと身を翻す。


(どのみちしんどいじゃねえかよ……。クソジジイに一杯食わされたな)


 この時期に大怪我はできないということで、今回は特別に、風岩本邸名物の三千段階段ではなく、車道を使って下りることが認められている。

 そのことで、つい先程まで無邪気に喜んでいた自分が悲しくなって、瞬は嘆息した。

 そちらはまさしく車のための道で、緩やかではあるが、長い。

 誰かに聞いたわけでも自分で調べたわけでもないが、おおよそ二キロメートルはあるだろう。

 若い瞬にとっては、どうということはない距離だが、今の体勢で歩くとなると話は違ってくる。

 足腰を酷使する鍛錬が、更に腕まで酷使する鍛錬に変わったと考えると、得どころか大損である。

 雷蔵の性格を考えれば、これはおそらく意図したものだろう。

 悪い意味でのサービス精神に内心で呪詛を吐きつつ、瞬はとぼとぼと歩き出した。

 と、そのときだった。

 背後から、皆がめいめいに声援を送る中。

 それらをかき消すようにして、一際大きな激励が、辺りに響き渡る。

 声の主は,これまで沈黙を貫いていた刃太だった。


「瞬! ……!」

「兄貴……!?」


 思いもよらぬ人物からの、思いもよらぬ一言に、瞬は目を見開く。

 瞬と刃太の確執にあまり詳しくない者が聞けば、テレビやネットで流れる中継映像をしっかり視聴するという、ありきたりな応援のように受け取ることだろう。

 しかし瞬にとっては、それ以上の意味と、何物にも代えがたい価値を持つ。

 刃太の意識の変化を証明するかのような言葉に、瞬は嬉しさがこみ上げる。

 振り返ってその表情を見せずに済んだのは、物理的な制約があったおかげだ。

 荷物を抱えるのも、悪いことばかりではないのかもしれない。


「……オレも、見といてやるよ」


 瞬は一度だけ立ち止まり、わずかに顔を上げて、そう返答する。

 普段の声量で発したため、おそらく刃太には聞こえていないだろう。

 だが、それで構わなかった。

 わざわざ互いの意思を伝え合う必要があるほど、自分たちはヤワな関係ではないという自信はあったし、示す方法は他にいくらでもある。

 早足で駆け出したい気持ちを抑えて、瞬は一歩一歩を着実に踏みしめながら、ひたすら目の前の道を進んでいく。

 今にも前のめりに転びそうなほど、抱えた包みは重いというのに。

 今にも浮いてしまいそうなほどに、瞬の気分は軽やかだった。



「ただいまー」


 隊員用宿舎の一階にあるラウンジには、都合よく、年少隊員が全員揃っていた。

 コの字に並んだ三つのソファそれぞれで、轟は昼寝を満喫し、連奈はファッション雑誌をぱらぱらとめくり、メアラは前のめりになるほどテレビのドラマに見入っている。

 その光景に、瞬は微笑ましさを覚える。

 全員と込み入った話のできる自分が、この集団における潤滑油の役回りを務めていたのは、もう過去の話だ。

 もはや三人とも、瞬が不在のときであろうと、ここを居心地のいい場所としている。

 それくらい、気安い関係が出来上がっていた。


「おかえりなさい。おみやげは?」


 やけに機敏な動きで連奈が振り返ったかと思えば、案の定、目当てはそちらのようだった。

 連奈が自分のことで気を揉んでいるとは微塵も思っていなかったし、そんな気持ちの悪い態度はこちらが願い下げだったが、こうまであからさまだと苦笑いも出るというものだ。

 近寄りながら、瞬は両手に提げた紙袋を示す。


「あるよ……。こっちがお前ら全員用。こっちがお前用」

「あら、私専用だなんて、どういう風の吹き回しかしら」

「オレがわざわざ買うかよ。叔父さんと叔母さんからに決まってんだろ」

「だと思ったわ」


 紙袋を受け取った連奈は、連奈にしては上機嫌といえる顔つきで、さっそく中身の確認に移った。

 しかし、五秒と経たず、その整った容貌は渋面へと変わる。

 どうやら紙袋の奥底に、菓子折り以外のなにかを見つけたらしい。

 それがなんなのかは、今更、推察するまでもない。

 連奈は、自分たち兄弟のことを一方的に面白がれる立場ではないのだ。

 瞬は、鏡で見たら自分でも腹が立つだろうというほどのにやけ顔で、視線を紙袋の方へやった。


「早く読めよ。後がつかえてるんだからな」

「馬鹿じゃないの」

「何日か前、同じセリフをお前の口から聞いた気がするんだけどな」

「私の個人情報はみだりに出していいものじゃないの」

「オレのもだよ……」


 連奈の言葉のニュアンス的に、自分たち兄弟に関するあれやこれやは、おそらく轟とメアラに対して赤裸々に語られているだろう。

 あまりいい気はしないが、かといって自分の口から説明したくもないので、ある意味で手間は省けているといえる。


「それで……なんか収穫はあったのか?」


 連奈とのどうでもいい会話が耳に入って目を覚ましてしまったのか、それとも最初から深く寝入っていなかったのか。

 メアラの側のソファに腰掛けた矢先、轟が天を仰いだまま、そう尋ねてくる。

 無論メアラも、もうすっかりテレビからは目を離し、興味津々にこちらを見つめていた。

 菓子折りをしまいなおす連奈も、もったいぶらずに早く話せと言いたげだ。

 瞬は、そんな三人に、軽薄な笑みを携えたままこう告げた。


「全然、なんにも」

「そうか」

「最初から、なくしてなんかなかったよ。全部、持ってたんだ」


 それこそが、今回の帰郷で瞬が得た答えにして、自分と兄との関係についての総括。

 ズボンの内ポケットの奥深くに入り込んでいたものを、やっと取り出せただけの話。

 滑稽な要素を含みすぎていて感動的な物語と呼ぶのは無理があったし、精神面の成長を果たしたと表現するのも大仰すぎる。

 だが、なにも変わらなかったわけではないし、その些細な変化こそが、瞬にとって最も必要なものだった。

 それをわかってくれているからこそ、轟は満足気に鼻を鳴らし、連奈はそっけない態度のまま読書に戻り、メアラは素直にこの一件の落着を祝う。

 今の瞬は、他の誰と比べても遜色のない“ただの風岩瞬”。

 そう在ることができる、確固たる強さを手に入れた。


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