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第180話 風岩刃太(その3)

「風岩先輩……大丈夫なんでしょうか」


 食堂の端――――実質的に年少隊員の専用スペースと化した、いつものボックス席にて。

 デザートのチーズケーキをフォークでつつきながら、メアラが隣の連奈に問いかける。

 同じものを口にしていた連奈は、十分な咀嚼を終えたあと、ゆっくりと飲み込み、烏龍茶を二度三度飲んで、それからようやく返答に移った。

 連奈にとっては、その程度の問題でしかないということだ。


「別に、どっちでもいいわ。大丈夫だろうと、そうじゃなかろうと」

「まあ、三風先輩ならそう言うと思ってましたけど……」


 すまし顔で言ってのける連奈に、メアラは口を尖らせる。

 連奈が他人の人生に対してまったく興味や関心を持たないことは周知の事実であったが、それは、仲間である以前にいとこの間柄である瞬に対しても同様らしかった。

 他の人間と比べて、若干は気を許しているようにも見えたが、本当に若干と言ってしまえるくらいのレベルだ。


「メアラは気になるの?」

「そりゃそうですよ。なんかこう、天敵って感じじゃないですか。先輩にとってのお兄さんって」


 メアラの知る限り、風岩瞬という少年は、臆病とは無縁の人間だった。

 強烈な個性を持った人間に囲まれ、自分の在り方に思い悩むことはあっても、戦うことそれ自体に及び腰になったことはなかった。

 むしろ、年齢、経験、立場、力量――――あらゆる格差を意に介さず、どんな相手に対しても強気で食って掛かるのが瞬のスタイルである。

 皆の心が屈する場面でも、あの男なら、きっと減らず口を叩いてみせるだろうと――――その身の程知らずで負けず嫌いな性分に救われてきたのは、メアラだけではない。

 そんな瞬にとっての、唯一の例外にあたる相手が、風岩刃太という男なのだ。

 刃太を語るときだけ、瞬の表情には躊躇いが生まれ、口調がおぼつかなくなる。

 刃太と相対するときだけ、瞬は視線を反らし、後退する。

 瞬の精神を形成する主柱を、いとも簡単に揺らがせてしまう、致命的弱点。

 瞬がいかに、過去の出来事にあまり拘らない大雑把な性格の持ち主であろうと。

 それで済ませられない何かが、今回の対面で起こる可能性は、十分に考えられた。

 刃太側の藪蛇で終わるならまだしも、彼の持つ木の枝は、蛇を刺し貫けてしまうほどに鋭い。

 メアラが不安に感じているのは、まさにその部分だった。


「俺には兄弟なんていねーが……身内にとんでもなくデキの良いやつがいたら、比べちまって、性格が捻じくれるっていう理屈は、わからなくもねー。その悩みを楽に解決できる方法がねーってこともな」


 テーブルの向かいで黙々と大盛りの牛丼を食べていた轟が、自然と会話に混ざってくる。

 本来は成長を喜ぶべきなのだろうが、他人の内面に理解を示し、それを臆面もなく言葉にする轟というのは、不気味さの方が先に立つ絵面だった。

 未だ慣れないメアラと連奈は、気力を削がれて僅かにずり落ちる。

 口を開くたび同じ反応を頻発される轟は、憤慨した様子を見せるが、そうなってしまうくらい以前のキャラクターとのギャップがありすぎるのだ。


「孤高の天才みたいな人って、普通の人というものをまったく理解してない感じありますよね……。まあそれは、逆もまた然りなわけですが。そこのところのすれ違いって、どうすればいいんでしょうか」


 話せばわかるというのは、話と呼べるほどの、ある程度の建設的な意見交換が成立した場合に限る。

 風岩瞬と、風岩刃太という、まさに天と地ほどに性質の異なる二人の人間に、それができるとは思えない。

 というのが、メアラと轟の共通見解だ。

 それでも、言葉を交わすことで少しでも事態が進展すればという期待を込めて、瞬を送り出したのだ。

 だが連奈だけは、まったく別の視点から事態を見ているようだった。


「一体なんの話をしているのよ。メアラも、北沢君も」

「なにって……瞬と、あいつの兄貴の話だろ」

「そういうタイプのすれ違いじゃないわよ。少なくとも、あの二人は」

「いや、だって……」

「……まあ、そういう風に感じるのは無理もないわね。だって瞬が、にしか言ってないんだから」


 連奈は、あっけらかんと、話の前提を否定する。

 そして、困惑する二人に、ある一つの確認を取った。


「メアラは、あの人と話したことがあったわよね」

「はい。先輩のご実家に遊びに行ったときに一度」

「北沢君は、どうだったかしら」

「瞬の奴が喋ってんのを脇で見てただけだな。ちょっとの時間だ。……だけどそれが、なんだってんだよ」

「十分よ。そのとき、、覚えてさえいるのなら」


 窓の外に目を向ける連奈をしばし呆然と眺めたあと、メアラと轟は、ほとんど同じタイミングで感づく。

 連奈の言わんとすることが、あの兄弟が抱える問題の、核心を突いているのだと。

 核心の正体までもは、まだ推察できないにしても、まさに連奈の指摘するこそが最大の原因なのだという確信を得ることはできた。

 沈黙を理解と判断したのか、そこで連奈はようやく、二人に向き合う。

 会話が円滑に進む相手でなければ、説明を面倒がるのが連奈なのだ。


「きっと、その答え合わせをしたいんでしょうね。あの人は、瞬と」


 言いながら、連奈は再びチーズケーキの一切れをフォークですくい取る。

 再び口を開いたのは、またもや、二、三分の時間が経過してからだった。


「だから、どっちでもいいって言ったのよ。大丈夫だろうと、そうじゃなかろうと。現状の盛大な勘違いをどうにかしないことには、二人とも、前に進めやしないんだから」


 投げやり気味な口調ではあったが、連奈は、不確かだと思っていることは口にしない。

 それゆえに、メアラも轟も、連奈の言葉が事態の全容を正確に言い当てているという信頼を持つことができた。



「瞬…………!?」


 刃太が、その場に立ち尽くしたまま、肩にかけていた木刀袋をごとりと落とす。

 だが、それも無理からぬことだった。

 家族全員が寝静まっていてもおかしくない、夜半と呼べる時間。

 長く続いた会合からようやく帰宅を果たし、自室へと向かう最中、中庭に面した縁側に無言で腰掛けている弟の姿を見かけたのだから。

 しかも、その弟は現在、日本から遠く離れた場所で暮らしているはずなのだ。

 一報すらない、あまりにも唐突な帰郷。

 邂逅から十秒近くが経っても、刃太は未だ、眼前の光景が現実のものかどうか疑っている様子だった。


「どうして、お前が……」


 柔和というよりは、気弱と例える方が相応しい、張りのないその声を聞くのは四ヶ月ぶりになる。

 昔、親戚の誰かに、瞬と刃太の会話は兄と弟の立ち位置が逆転しているようだと皮肉混じりに言われたことがあったが、まさにその通りだと思う。


「あんたが呼んだから、来てやったんだろ」


 瞬は、投げ出した両脚をぷらぷらと揺らす行儀の悪い態度のまま、仏頂面で答えた。

 随分と自分勝手だと我ながらに思うものの、不意の手紙に精神を乱された瞬にしてみればこれであいこだった。


「お前は昔から、思い立ったら行動が早かったな」


 会話ができたという事実で、やっと我を取り戻した刃太は、一度瞬の背後を通り過ぎ、すぐそばにある自室の雪見障子を開ける。

 そこに荷物を置いてくると、会合に出たときのスーツ姿のままで、瞬の元へと戻ってきた。

 ジャケットを脱いだことで、幾分か野暮ったさは薄らいでいたが、根本的な似合わなさはどうにもなっていなかった。

 着慣れていない以前に、そもそも風岩家の人間の顔立ちや体つき自体が、洋装に適していないのだ。


「……待たせて、悪かった」

「爺ちゃんがだべってたせいだろ、兄貴が謝るなよ。それに、オレは待ってなんかねえよ。とっとと片付けて、とっとと帰りたいだけだ。やることは、山のようにあるんだ」

「そうだな……まずは、それ自体を謝らないとな」


 刃太は、瞬とは少しの間を置いた場所に、ゆっくりと腰掛ける。

 その行為は、この時間、この場所で瞬との対話に応じることを意味していた。

 明日にしよう、という提案が刃太の口から出ることはなかった。

 単にそう言える性格ではないからか、無理に呼びつけた側の責任か、あるいはその両方か。

 それとも、瞬には到底想像し得ない理由なのか。

 ともあれ、場は整ってしまった。

 瞬は、この小一時間の中で、何を尋ねるべきか、どう切り出すべきか、パターンを幾つか用意してきたつもりだった。

 なのに、いざ刃太を隣にすると、積み木を崩すように、一度は形になった無数の台詞が散り散りになっていく。


「さすがにもう……結構、冷えるな」

「部屋ん中で顔つき合わせるよりは、こっちの方がいい。親父も兄貴も無駄にでかいから、圧迫感があって苦手なんだよ」

「うちの家系は、高いか低いか極端だよな。お前は、どっちなんだろうな」

「オレとしては、あと四、五センチあれば文句ねえんだけどな……」


 二人は辿々しく、言葉を交わす。

 ただし、中身はないに等しい。

 剣での戦いに例えるなら、相手の呼吸がわからず、間合いの取り方から模索している段階だ。

 このままでは、埒が明かない。

 会話の主導権を握るためにも、こんな話をしに来たわけではないと、瞬は切り出そうとする。

 しかし、瞬が直前に一呼吸した、まさにそのタイミングで刃太が先んじる。

 普段なら絶対に使うことのない、まさかの型を以て。


「俺の自己満足のために呼んだと言ったら……お前は、怒るか?」

「ああ……!?」


 刃太の一言を受けて、瞬は一生の不覚というレベルの間抜け顔を晒してしまう。

 自己満足。

 それは、滅私の極みにある刃太からもっとも縁遠い言葉だった。

 七百年以上の歴史を持つ風岩本家の長男、かつ風岩流剣術筆頭剣士。

 その名誉ある立場の価値を損なうまいと、人間としての模範に成り下がった男こそが、風岩刃太のはずだった。

 不用心に近づいた結果、神速の一太刀を浴びせられるという、時代劇の端役の如き情けない開幕。

 瞬はただ呆然とするのみで、悔しがる余裕さえも持つことができなかった。


「俺の話したいことが、お前の為になる保証はない。少なくとも、軍の仕事を抜けて足を運んだ分の、割に合うものではない。ただ、お前が次の戦いで、ひょっとしたらと考えると、どうしても話さずにはいられなかった」

「……オレに死ぬつもりなんてねえよ。味方全員盾にしてでも生き残ってやるぜ」

「それはわかっている。だけど、そう単純なものでもないだろう、実戦は」

「それでも死なねえよ。あんな奴らを相手に死んでられるか」


 そんな瞬の返答に対する刃太の反応は、沈黙だった。

 手を組み、視線を落としたまま、。時折つま先で沓脱石くつぬぎいしを打つだけだ。

 その様子を見て、瞬は、刃太の側も腹の底から覚悟が決まっているわけではないことを悟る。

 瞬の場合は、一度腹を括れば流れに乗ってしまえるが、刃太の性質はその逆だ。

 構え直し、呼吸を整えなければ二の太刀が放てない。

 意味のある言葉を紡ごうとするのなら、一言ごとに決意を要するというわけである。

 毎回、胆力が試されるというその理屈を――――

 ひいては、刃太が自己を主張せず、寡黙と受け取られる仕組みを、瞬は今このときになって理解した。

 刃太は今、使い果たした精神力を補充している最中なのだ。


「いいから、言えよ。オレが怒るとしたら、そうやって口ん中もごもごさせてることに対してだぜ」

「すまない……」

「それをやめたくて、オレを呼んだんだろ。今更びびって、なんになるってんだ」


 とは言ったものの、それで刃太の心が軽くなるという期待はなかった。

 大体、確実に瞬との対話にこぎ着けたいのならば、『話がある』という一文だけでは効力が弱すぎる。

 刃太の頭ならば、瞬の興味をそそる単語の一つや二つ、付け加えられるはずだ。

 それをしなかったのは―――――いや、できなかったのは、刃太の心の弱さだ。

 最後の最後で踏みとどまり、瞬が呼び出しに応じる確率を五、六割のところまで下げたのだ。

 現状の刃太の意志力は、あくまで、中途半端なものでしかない。

 それでも、行動一つ起こすことのなかったこれまでと比べると、大きな違いといえるが――――

 そして、こうやって相手のことを分析できるということは、自分にある程度の冷静さが戻ったということでもある。

 そのことに気付いた瞬は、すぐさま思考を巡らせて、ある一つの疑問を台詞として組み上げる。

 その事実に心を揺さぶられたからこそ、瞬は明日ではなく今日、兄との対話に臨んでいるのだ。


「昔は、そんなんじゃなかっただろ」

「瞬…………!?」


 瞬が呟いた矢先。

 刃太が、ばっと顔を上げて、瞬の方を見やった。

 それまでの暗鬱とした沈黙が嘘のような、生気のある瞳で。

 果たしてその驚愕が、何を意味しているのか、瞬にはわからない。

 わかるとすれば、複雑な感情が刃太の胸中に渦巻いているということだけだ

 わずかな安堵と、より一層の緊張、そのどちらもを声色や息遣いの中に感じる。


「それを今日、うちに帰ってきて思い出した。……そりゃあ何年も経てば、大なり小なり性格も変わるだろうよ。だけどあんたのは、そんな言葉じゃ済まされないくらい劇的だ。なんでだ?」

「ははっ……」

「なに笑ってんだよ」

「……俺に度胸さえあれば、こんな機会なんていつでも作れたんじゃないかと思ってな。それを一瞬、運のめぐり合わせが良かったなんて言葉で片付けようとした、自分の弱さに嫌気が差したんだ」

「わけわかんねえ」

「俺が話そうとしていたのは、まさに、お前の疑問に対する解答だということだ。俺が変わってしまった理由……いや、変われなかった理由か」


 苦々しい口調で、刃太がそう漏らす。

 理由――――前者の意味はともかく、後者はまるで見当もつかない。

 真実は、未だ忘却の彼方にある。


「その様子だと、お前はやっぱり忘れてしまっているようだな」

「ああ。全然さっぱり、なんのことだかだ。……だから聞かせてくれよ。過去になにがあったのか、なんでそれを今の今まで黙ってたのか。あんたが知ってること全部。脳みその隅っこをこそぎ取るくらい徹底的にな」

「……わかった」


 刃太は噛みしめるように発すると、もう一段階視線を上げて、星の輝きを凝視する。

 それはおそらく、自らの身と心を、過去の記憶の中に沈めてしまうための所作だった。

 そうする必要があるほどに、胸の奥深くに閉じ込められた記憶。

 刃太にとって――――いや、瞬にとっても重大なはずの出来事。

 仲の良い兄弟の関係を、極限まで冷え切らせるに至った何か。

 真相の解明を渇望する瞬の前で、刃太はいよいよ、大いなる謎の正体について触れ始めた。

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