第176話 修了(後編)
轟は、重い体を引きずりながら病棟の廊下を進む。
実際の体の具合以上に衰弱して見えるのは、わざわざ遠く離れたケルケイムの執務室までセリアの居場所を尋ねに行ったためだ。
しかも、その居場所というのが同じ病棟の別フロアであったのだから、徒労感も強い。
それもこれも、見舞いに来た瞬達がはぐらかしたせいだと轟は心中で毒づく。
「まあ、よく考えてみりゃ当然か……」
セリアの扱いは、確かに、理に適ったものではあった。
彼女は自らの意思で連合に投降したことになっており、既に敵対勢力の一員ではない。
そうでなくとも、エウドクソスで長期的にマインドコントロールを受けていたという点において、被害者の一人である。
加えて、そういった事情から、早急かつ入念なメンタルケアも必要とされている。
あらゆる観点において、セリアは保護対象となっているのだ。
「あそこだな」
ケルケイムから聞いた部屋番号は失念してしまったが、それでも、セリアのいる病室は簡単に見つけ出すことができた。
なにしろ部屋の周囲には、護衛と監視を兼ねた兵員が待機している。
扉の両脇に二人、最寄りの階段付近に二人、通路の曲がり角にも二人。
セリアはエウドクソス関係者の中で、連合に恭順の意を示す数少ない存在――――貴重な情報源だ。
それだけの人数を割く価値は、十分にあるといえた。
“優等生”の人間離れした戦闘スキルを目の当たりにしてきた轟からすれば、むしろ、まだ不足のようにさえ感じる。
おそらくは、ロベルトの側に数を持っていかれた影響だろう。
彼らは轟の存在に気付くが、ケルケイムの側から連絡が回っていたのか、特に用件を確認されることもなく、通行および入室を許可される。
無論、中の人間を刺激するような言動や行動は控えるようにと注意はあったが。
言われて、轟は気を引き締め直す。
セリアの内面について誰よりも理解があると自負している轟だが、だからこそ、現在の安定状態が仮初めのものであることも知っている。
精神の改造は、怪我とは違い、時間が経てば快方に向かうという保証はない。
「入るぜ……」
セリアが絡んだ事柄となると、不安も期待も過剰になってしまうのは相変わらずだ。
頭の中を駆け巡る雑多な情報によって、ノックという行為が意識の外に追いやられた轟は、迂闊にドアを開いてしまう。
「おや、不審人物が入ってきたようだね」
そんな轟を笑声で迎えたのは、思いのほか、普段どおりのセリアだった。
見るに、ベッドの上で半身を起こし、ペーパーバックの小説を読んでいたようだ。
シャウラとしての人格が表層に出ているときでも解かなかったツインテールが、ストレートに変わっているせいで、見かけの印象だけは大人びて見える。
おかげで、緊張とは別の理由で息を呑むことになってしまった。
「俺のどこが不審だってんだよ」
「少なくとも、挙動は盛大に不審だね。まるでゲームのキャラクターを小刻みに移動させてるときみたいな歩き方だ」
「怪我のせいだ」
「脚を怪我するような戦闘ではなかったと思うけどね」
「したんだよ。そりゃもう、複雑骨折だ」
つまらない言い訳をしながらも、轟はまさにセリアが表現するようなぎこちない動きで、ベッドの傍まで歩み寄る。
そうなってしまうくらいに、眼前の光景は、未だ轟にとって非現実的なものだった。
他ならぬ自分の手で掴み取った未来ではあるのだが、凄まじい豪運と実力の二倍三倍の力が作用した結果であるため、どうにも実感が湧いてこないのである。
「どうなんだ、調子は」
「私に聞かれても困るよ。私の判断ほど信用ならないものはない。どういう調子であったとしても、私がそう思っているだけにすぎない」
「調子ってのは、そういうもんだろ。実際の具合なんて関係ねー。テメーがいいと思ってんならいいし、悪いと思ってんなら悪いんだ」
「じゃあ、普通かな……。ああでも、普通ってことは、分類としても傾向としてもいい内に入るのか。私の場合は」
「……まあ、悪くはねーようだな」
エウドクソスとの決戦から数日が経過した現在でも、あのとき見つけ出した”本当の自分”を維持できているようで、轟は安堵の息を吐いた。
自己評価は凄まじく低いが、頭脳明晰で喋りも流暢なため、深刻さがいまいち伝わってこないアンバランスな空気感――――特徴だけを列挙するなら、彼女は皆の知る“セリア・アーリアル”に近い。
だが、言葉の端々に感じられる重みがまるで異なる。
自分の頭で考え、自分の口で発する.
そのことを、彼女自身が明確に意識しているのが見て取れるのだ。
おかげでようやく、轟は自分が現実にいるのだという確証を持つことができた。
「そういえば風岩君達は、私の調子のことなんて聞きもしなかったあ」
「だろうな。あいつらは他人の内側のことすら、テメーの尺度で勝手に決めつけるタイプだ」
「でも、風岩君も連奈もメアラも人を見る目はあるし、指摘もそこまで的外れなものじゃない。自己の確立が不完全な私にとって、そういう接し方は参考材料になって、むしろ助かる。君もあの三人の無遠慮さに助けられたことはあるんじゃないかな」
「……あるっていうか、最初からずっとだな」
そう答えてから、轟は、似たような性格をしている自分ではセリアの支えになれないのではないかという懸念を抱く。
傷の舐め合いにも近い本音のぶつけ合いで、どうにか彼女の自我を表に引きずりだすことはできた。
だが、この先、同じ方法が通用しないことは感覚的に理解できる。
マイナスを埋めてゼロまで戻すのと、ゼロの上にプラスを積み上げるのとでは、作業の性質が根本的に異なるのだ。
彼女の自立を促す役目について、単純に適任かどうかで分類するなら、自分はそうではない。
恐れが現実のものとなる気がして、轟は自ら、話題を変えてしまう。
「それで、どうなるんだ。……これから、テメーは」
「私が昨日、司令や副司令と話した時点では、どういった処遇になるかはまだ保留らしい。私の精神構造は少し複雑だし、施された心理コントロールの詳細も不明だしで、責任能力の有無を決定するための前例がない状態だからね。ただ……」
「なんだよ」
「なにもかもが上手くいってお咎めなしになったとしても、三年なり五年なりの厳重な隔離観察は免れないってさ。経歴に傷がつくかどうかの違いはあるけれど、当分は、罪に問われた場合と同じレールを走ることになる」
彼女の内面の危うさや、エウドクソスという組織の異常性を目の当たりにした今では、その判断も妥当に思えてしまう。
どのような仕組みなのかは轟に知る由などないが、“生徒”に施される心理コントロールは非常に強固で、長期間効果を発揮し続ける。
一旦は効果がなくなったように見せかけて、セリアが自由の身になったタイミングで再び機能するという、時限式のプログラムが組まれている可能性も十分に考えられた。
となれば、絶対に“先生”の枷から解放されたと確信が持てるまで、ひたすら幽閉するしかない。
情けをかけて解放の時期を早めることは、誰のためにもならないのだ。
「テメーは、それでいいのかよ」
「仕方がないよ、こればかりは。私自身、こんな不安定な状態のまま外に出たいとは思わない。出たところで、多大な迷惑をかけるだけさ」
「だったら、あの約束、守れねーじゃねーか……」
轟はセリアから目をそらしたまま、ぼそりと呟く。
轟がセリアを取り戻すために過酷な研鑽を続け、決死の覚悟で地の底に飛び込んだのは、単に彼女の将来を思ってのことではない。
もっと目先の、スケールの小さい願望を満たすためでもある。
セリアと二人、街に繰り出し、一日中あてもなくうろつくという約束――――
その実現を望む意志こそが、一度は折れかけた轟の心を奮い立たせ、百パーセント以上の力をもたらした。
言葉にしてみれば、それはとても普遍的な夢だ。
しかし、他人との関わりを拒む轟と、“先生”の命令に支配されたセリアとの間に交わされたものであるという点において、この上ない価値と意味を持つ。
「どころか、まともに会うことすら困難になるだろうね。誰のどんな行動が、私を操る合図になっているのか不明な現状では。刷り込まれた命令の効力が弱まるのを待つのも、私を隔離する目的の一つなのさ」
「どうしようもねーのかよ……」
「そうだよ。色々と、どうしようもない。……だから、今日が最後なんだ。こうして君とのんびり話せるのはね」
そういう話であることはわかっていたはずなのに、いざセリア自身から告げられると、轟の胃は激しく締め付けられた。
明日になれば、ラニアケアはカナダの最高司令部に到着し、ロベルトと共に身柄を向こうに引き渡される。
重要参考人としての事情聴取があるため、すぐに隔離されるということはないだろうが、身柄の拘束という意味では同じことだ。
以降数年、セリアは完全に自由を奪われる。
手荒な扱いとは別種の、ともすればそれ以上の苦痛を味わうかもしれない。
苛立たしいのは、そのときの自分が全くの無力であるということだ。
そして、その悔しさは、先に抱いた諦めと矛盾する感情であることに轟は気付く。
結局のところ、セリアの傍にありたいという欲求は、もっと根源的なものであって、適性の有無程度では抑えることなどできないのだ。
「……俺にとっても最後のチャンスなわけか」
「そういうことになる。時間は有限だ。話したいことがあるのなら、今のうちに頼むよ。とはいっても、私が不在の間にラニアケアで起きた大方のことは、あの三人から聞いてるんだけどさ」
「んなこと言われると、話すことなんて特にねーぞ……」
「じゃあ、わざわざ私の顔を見に来ただけなのかな」
露骨に残念がる表情をしながら、セリアが答える。
無論、理解はできている。
話題に条件をつけたセリアの意図にしても、その制約の中で自分が言うべきことにしてもだ。
ただ、あと少しばかり勇気が足りない――――
そんな轟の逡巡をよそに、次の瞬間、室内に軽いノック音が鳴り響く。
反射的に舌打ちが出てしまったが、それは新たな訪問者ではなく、轟自身に対してのものだ。
「どうぞ」
「失礼する」
セリアの返事を受けて入室を果たしたのは、ケルケイムだ。
ケルケイムは特に何も語らず、いつもの無愛想な顔つきのまま、脇に抱えた何冊かのハードカバーをセリアに手渡す。
大方、轟が来るまで読んでいた小説も、ケルケイムが差し入れたのものだろう。
そこでようやく、轟は自分が何の手土産もなしに来たことに気付き、自分の気遣いのできなさにほとほと呆れた。
結局ほとんどを当人らが平らげたとはいえ、瞬達ですら、見舞いの品を持ってくるという発想はあったというのに。
今からでも何かを買いに行った方がいいのかもしれない。
いや、行った方がいい。
どころか、行かねばならない。
轟は焦燥感に駆られ、僅かだけ、体をドアの方に向けた。
「君の処遇については、まだ審議中だが、幾つか決まった話もある」
「聞かせてください」
ちょうどケルケイムも来たことで、一時退出を申し出るには都合のいいタイミングだった。
だが、その旨をセリアに伝える前に、ケルケイムが先に口を開く。
「まだいてくれてよかった。轟、お前にも関係のあることだ」
「俺に……?」
「ああ。お前の実績を見込んで、頼みたいことがある」
「おう……」
話の繋がりがよくわからず、轟は、間の抜けた相槌を打って続きを促す。
察しが付いていないのはセリアの方も同じようだった。
「組織の命令に対して極端に従順な人格を刷り込まれ、事実上の洗脳状態にあった彼女が、今こうしてある程度の自我を取り戻せているのは………他でもない、お前とのコミュニケーションによるところが非常に大きい。どう作用したのかは不明であるにしても、影響を及ぼしたという事実は明らかだ」
「一番デカい理由は、こいつ自身にその気があったことだ。二番目は、“優等生”どもより洗脳の効きが甘かったこと……。俺の努力は、三番目だ」
「一因に数えられるほどの効果はあったという、自覚はあるわけだな」
「なにが言いてーんだよ」
「彼女の精神状態は、現時点では一応の安定状態にあるが、先のことはわからない。それゆえに、打てる手は全て打っておく必要がある。お前という存在も、その一つというわけだ」
ケルケイムの言わんとすることに察しがついた轟は、ばっと顔を上げる。
その瞬間の自分は、溢れんばかりの期待で目を輝かせていたのだろう。
ケルケイムは先に一度頷いてから、再び言葉を紡ぐ。
「そうだ。オーゼスとの戦いに一段落が付いたら、彼女に対する定期的なカウンセリングをお前に依頼したい。正確には、私ではなく統合作戦室からの要望だが」
「俺の頭の出来は、アンタもよく知ってんだろ。あんまり難しいことはできねーぜ」
「基本的には、会って、適当に話す程度の対応でいい。勿論ある程度は、こちらの用意したマニュアル通りの質疑応答もやってもらうことにはなるだろうが……」
「いいのかよ、俺なんかが」
「精神医療において最も困難なのは、回復させることではなく、回復した後の状態を維持することだ。加えて、維持するための方法は個々人で大きく異なり、簡単に見つかるものではない。お前という存在は、その維持において、現状明らかに有効と判明している要素だ。貴重な人材といってもいい。それに、お前には信用があるからな」
「信用……?」
「誰がエウドクソスと通じているのか不明な現状において、明確に潔白だと言える数少ない人間だからな」
「そりゃあ、まあ、連中の基地もメテオメイルも、俺たちが散々ブッ壊してやったからな……」
そう言い終える頃には、もう決心はついていた。
途中、わざと卑下してみたのは、自分の活躍の裏にセリアの奮闘があったことを主張するためのものだ。
もう、無闇に自己否定をする段階からは卒業を果たしている。
だから轟は、もうそれ以上、話を引き伸ばすことはしなかった。
詰め寄るようにして、ケルケイムに言い放つ。
「正直に言えば……そんな依頼、受けたくねー」
「そうか」
「そういうことは……本当は、俺の方から頼み込むモンのはずなんだよ。持ちかけられて喜ぶのは、死ぬほどダセーことだ。そういうアイデアが出てこなかった自分に腹が立って仕方がねー」
「では、どうする」
「当然、受けてやる。それしかやることはねーしな」
セリアに会う機会が増えるという魅力的な条件の前では、プライドなど紙屑同然だ。
わざわざ重さを比べるまでもない。
轟の意志を確認したケルケイムは、「そういえば、まだ本人の同意を得ていなかったな」と呟きながらセリアに向き直る。
その一点に限らず、ここにやってきてからのケルケイムの言動は、全体的にわざとらしい。
二人の仲を取り持とうという、彼なりの気遣いがあるのかもしれない。
ともあれ、ケルケイムに対していま轟がすべきことは、感謝だけだ。
足を向けて寝られないという慣用句は、まさにこの状況のためにある言葉だった。
「断る理由などありません。医学的な見地からも、個人的な事情からも。数ヶ月に一度、彼と話せる機会があるのなら、間の何十日もきっと辛くはない」
「了解した、上にはそう伝えておく」
それからケルケイムは、他にも二、三の連絡事項をセリアに告げて、病室を退出する。
内容としては、明日以降の段取りのことらしかったが、難しい単語が並ぶばかりで、部屋の片隅で又聞きする分には全く理解が及ばなかった。
というよりは、先の話題のことで頭が一杯だったという方が正しい。
再び二人きりになる頃には、結構な時間が経っており、窓の外に広がる空は濃い茜色に染まっていた。
流石に自分も、帰る頃合いかもしれない。
そう思い、轟はしばらく体を預けていた壁際から背中を剥がす。
「……杞憂だったね、色々とさ」
「いいことも、悪いことも、続くときはやけに続くモンだ」
「それもそうだけど、他人の厚意というものを最初から切り捨てた考え方をしている自分が、なんだかなあって」
「俺はさっきも言ったが、ゴネるって発想が出てこなかった自分が嫌になったな」
「まだまだだね、私達は」
「ああ、まだまだだ。こういうのが、まともな人付き合いをしてこなかったツケってやつなんだろーな」
セリアとの別れは、名残惜しくはあった。
だが、少しずつとはいえ、積もる話を消化していくための時間を貰うことはできた。
これ以上の贅沢を言う権利はないだろう。
それに、ともすれば、明日も早い時間なら少しは話せるかもしれない。
未来は、希望に満ち溢れている。
いや、違う――――
「……そうじゃねーだろーが、北沢轟。胸を撫で下ろしてる場合かよ。なんで終わった気でいやがる」
こちらに視線をやるセリアのことなどおかまいなしに、轟は自分を叱咤する。
あれだけの吉報がありながら、轟のわだかまりは消えるどころか、むしろ強くなるばかりだった。
なにしろ、ここへ来る前に言うべきと決めたはずのことを、まだ言っていない。
この先何年も会えなくなるのならば、一方的に思いの丈をぶつけることを遠慮する大義名分もできる。
しかし、つい先程、予期せぬ時間の猶予が生まれてしまった。
猶予に甘えて言葉を伏せるのは、ただの臆病者だ。
「冷えてきたね……。そろそろ、窓を閉めようか」
「セリア、俺は……」
「なんだい、北沢君」
「俺は……」
轟は、真剣な面持ちでセリアに向き合い、必死に声を絞り出す。
ここが、轟にとっての真の最終決戦。
打ち勝つべきは、惰弱な自分。
これまで倒してきたどんな強敵よりも守りの固い難敵。
八ヶ月間の研鑽の末に得た鋼の精神力を持って、今こそ、かつての自分に別れを告げるとき。
窓の外から吹き込む、強く冷たい風の流れに抗うようにして、轟はとうとう決意の一歩を踏み出した。
翌日――――
ロベルトおよびセリアの、最高司令部への引き渡しは、特に大きなトラブルにも見舞われることなく終了した。
二人を見送る余裕のある人間は、ごく僅かだった。
ヴァルクスに所属する隊員のほとんどは、並行して行われている補給物資の搬入作業に駆り出されている。
轟たちにとっては友人との悲しい別れも、地球統一連合軍という大枠の中では、この日こなすべき膨大な業務の中の一つでしかない。
絶えることのない喧騒の中で、寂しさは鳴りを潜めてしまっていた。
そして轟達パイロットチームも、午後からは、最高司令部の側で行われる作戦会議に参加しなければいけない。
主要な議題は、無論、これからのこと――――南極大陸に存在すると言われているオーゼス本拠地の攻略である。
ヴァルクスに加え、連合の残存戦力の半数以上が投入される、実現すれば間違いなく史上最大規模の軍事作戦。
考えることも覚えることも山のようにある。
会議が始まるまで、あと一時間ほど。
呑気に心身を休められる最後のときを、轟は仲間達とともに、西ブロックの端にある芝生の上で過ごしていた。
「一人抜けるだけでも、結構、くるもんだ」
仰向けになった瞬が、快晴の青空に視線をやったまま、気の抜けた声を漏らす。
瞬だけではない―――轟も連奈もメアラも、頭部を突き合わせるようにして、めいめいの姿勢で寝転んでいた。
「なによ今更。別に私達、いつでもどこでも一緒の仲良し五人組ってわけでもなかったでしょ。ちょっと過去を美化しすぎじゃないかしら」
連奈の指摘も、ある意味において正しい。
轟達年少隊員がヴァルクスに配属されてから、最初の二ヶ月あたりは、複数人で行動をともにすることは極めて稀だった。
それぞれが個別に訓練メニューや業務をこなすだけで、昼の休憩時間が重なっても個別に食事を摂る始末。
本格的に打ち解け始めたのは六月以降で、七月の半ばにメアラが入隊したことでようやく、この軽妙なやり取りができる間柄が完成したといえる。
“いつもの光景”と認識している、あの懐かしき日常は、実際には一ヶ月程度の短い期間しか続いていない。
しかし、その一ヶ月の中で築いた思い出に、皆が八分の一以上の価値を見いだしていることも、また正しい。
感傷に浸ることについて疑問を呈した連奈自身、語調の強弱はどこか不自然だ。
思えば、轟や瞬に対しては極めてドライに接する連奈も、セリアとは一般的な女友達の関係を結んでいたように思える。
轟が連奈の知らないセリアを知っているように、連奈もまた、轟の知らないセリアの側面を幾つも知っているのだろう。
そしてそれは、瞬やメアラも同じことだ。
「本当に楽しかったですからね、今日は」
メアラが無理に元気を装って、そう呟く。
各人のいざこざや、ヴァルクスからの長期離脱もあって、あの日々と現在とでは、実に三ヶ月以上の開きがある。
それだけの間隔があるにも関わらず、今になって寂寥感にとらわれているのは、今日の午前中に五人が一堂に会する機会があったからだ。
セリアがラニアケアを出る時刻のギリギリになるまで、五人はセリアの病室で同じ時間を過ごした。
くだらない話題に花を咲かせながら、トランプに熱中し、衛兵の注意も無視して室内を駆け回る。
そうする内に、自分達が手放した時間の重みを、改めて実感することになったのだ。
何年か先、いずれまた五人で集まることもあるだろう。
だがそれは、一瞬の再会だ。
それぞれが同じ道を歩むことは、二度とない。
「まあ、そういうこともあるってだけだ。受け入れるっきゃねーよ」
右の踵でジーンズ越しに左脛のあたりを掻きながら、轟はあっけらかんとした表情で言ってのける。
すると、そんな割り切りの良さは北沢轟らしくもないとでも言いたげに、瞬が鼻を鳴らす。
確かに、こういう場面においては、ひとり鬱屈を抱えるのが自分という人間だったはずだ。
「余裕そうじゃねえか。上手い口実を手に入れた奴は」
「へっ……」
「北沢先輩だけずるいですよ。私だってセリア先輩ともっとお話したいのに」
「いっそみんなで駄々こねようぜ。案外なんとかなるかもしれねえ。連奈、お前も一枚噛むだろ」
「噛まないわよ。まあ、気が変わらない保証もないけど」
冗談めかした口調ではあったが、この三人の行動力ならば、ひょっとしたらいずれ実現させてしまうのではないかと思えて轟は苦笑する。
いや、轟自身もやっていることは全く同じ――――事実上解決不可能とされる問題を、奇抜な策略ではなく、執拗な挑戦で強引に攻略したクチだ。
そして、これからの人生においてもその猪突猛進な戦い方は変わることがないだろう。
「俺も、しつこく何度でも試させてもらうぜ。俺じゃあ、あいつをこの先に連れて行くことはできねーっていう、とんでもなくデカい試練に挑み続ける。やってる内に、変わってくることもあるだろーからな」
「気持ち悪っ……」
轟が言い終えた矢先、連奈が嫌悪感を露わにする。
あまりにも辛辣な反応だ。
「あのね北沢君……それ、要約するとストーカーの意見よ。セリアの気持ちも確かめないで、ずっと一緒にいる宣言はさすがにアレ」
「今だって、お前一人だけが会えるわけじゃねえんだ。担当のお医者様にときめくことだってあるかもよ」
「そうじゃなくても、女子の心は山の天気のように変わりやすいのです。今はいい雰囲気みたいですけど、急に冷めることだって……」
そして、三人は口々に、あることを前提としたアドバイスを寄越してくる。
反射的にそう言ってしまいたくなるほど、轟の度胸というものは、周りからの信用がないということなのだろう。
エウドクソスとの決戦の折、ある程度は男を見せているというのに、失礼な仲間達だった。
もっとも、今日の北沢轟はこの上なく気分がいい。
どんな無礼も、寛大な心で許してしまえる。
「そろそろ集合時間だな……。ちょっとでも遅れると副司令がうるさいし、もう行こうぜ」
瞬の一声で、連奈とメアラも気怠げに体を起こす。
当然、チームの一員である轟も行かねばならない。
にも関わらず、わざとらしく大の字に寝そべったまま、三人を見送る風な態度を取る。
「くけけ……」
内心でほくそ笑むのみに留めるつもりだったのだが、抑えきれない優越感から、それは音声として漏れ出る。
なるほど確かに、気持ち悪いという連奈の評価は的を射ていた。
だが、こうもなるというものだ。
三人の憂慮は、まったくもって、大きなお世話なのだ。
「くききき……」
「なにやってんだよ、早く起きろ」
「置いていきますよー」
「バカ言え。俺が置いて行ったんだよ、テメーらをな」
「なんの話よ」
淡白な三人の反応を見るに、あのやり取りは本当に見過ごされていたらしい。
二時間ほど前、まだ五人で雑談に興じていた頃――――たった一度だけ、セリアは意図して轟を名前で呼んだ。
それは昨日、新たに結んだ約束だった。
いや、その約束自体、もっと大事な誓いの副産物の一つ。
先入観からか、他のことの意識が向いていたのかはわからないが、観察力に優れた面々が揃いも揃って聞き流すとは。
轟は、盛大に笑い転げる。
三人の間抜けぶりにではない。
自らの手で掴み取った幸福の味を噛みしめながら。
そして、成すべきことを成した自分自身を誇るために。
ただただ生きるのが楽しくて、快活に笑う。
闘争に餓えた獣でもなければ、使命を背負った戦士でもなく。
どこにでもいるような十代半ばの少年として、轟は今、この世界に根を下ろしている。
決着は、昨日の時点で付いている。
この上なく明確な形で、付けてきた。
既に轟は一人、新たな戦いの渦中にあるのだ。
「北沢君……!?」
「お前、まさか……!?」
自分がずっと勝ち誇り続けていることをようやく察したのか、瞬と連奈が顔を見合わせたあとに、体がねじ切れそうなほどの勢いでこちらを振り返る。
細かいところは、いずれ訪れる別れのときまでに、勿体を付けながら少しずつ話してやることにしよう――――
ひどく意地の悪いことを考えながら、轟は緩慢な動きで立ち上がった。




