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第174話 修了(前編)

 ラニアケアの病室で目を覚ましてからの轟の記憶は、とにかく朧気だった。

 一度、精密検査のために階下の医療センターに降りたような気はするが、それが現実の出来事だったという確証はない。

 時間の経過についても曖昧で、一時間ほどしか経っていないようでもあり、丸一日が経過したかのようでもある。

 はっきり言えるのは、自身の体を襲う気怠さが、それほどまでに深刻なものだということだけだ。

 眠りに落ちる寸前の心地よい感覚と、ギリギリのところで意識が引き戻される不快感。

 それらが繰り返し訪れ、思考が限りなく停滞に近い鈍化を果たしている。


(一体どうしちまったんだ俺は。これじゃ、ただの抜け殻じゃねーか……)


 かすかに揺れ動く思考の波間の中で、ようやく絞り出せた言葉。

 それをきっかけにして、ようやく脳のエンジンが掛かりだす。

 もっとも、アイドリング状態にこぎ着けたというだけで、普段通りの回転数が出そうな気配はない。

 どのみち、普段の回転数自体も大したことはないが――――

 そう軽く自嘲したところで、病室のドアが無遠慮に勢いよくスライドする。

 間仕切り用のカーテンがかかっているせいで、轟の位置からでは訪問者の姿を窺うことはできなかったが、わざわざ上体を乗り出して確認するまでもない。

 聞き慣れた幾つもの声と足音が、騒がしさを抑えることもせずに近寄ってくる。


「おっ、死んでる死んでる」

「その言い方は流石にひどすぎますよ。せめて、燃え尽きて炭になったとかで」

「このミネラルの欠片もない顔のどこが炭よ。灰の方が適切だわ」

「……帰れ」


 言いたい放題の三人――――瞬、連奈、メアラに向かって、轟は力なく発する。

 三人の表情は、全く以て普段通りだった。

 瞬は小馬鹿にしたような半笑いを浮かべ、メアラは無駄に得意げで、連奈は自分の意見こそが絶対とでも言いたげなすまし顔だ。

 三人は、まるで友人の家に遊びに来たかのような気楽さで、ベッド脇の丸椅子にどっかりと腰掛ける。


「北沢先輩、お体の調子はどうですか?」

「起きてるんだから大丈夫でしょ」

「それもそうですね」


 轟の返事を待たずに進むのは、女子二人の会話だけではない。

 メアラが持ってきたロールケーキを瞬が適当に切り分けたかと思うと、続々と自分達の口の中に放り込み始める。

 おそらくそれは見舞いの品のはずなのだが、この調子では、轟に四分の一も回ってくるかどうか怪しい。

 そのことについても色々と言及したくはあったが、限られた気力の使い道は他にある。

 轟は、床頭台に置かれたテレビの電源をつけようとする瞬の手を制しながら、か細い声で尋ねた。


「俺はどうやって戻ってきたんだ。“先生”をブッ壊してからのことを、いまいち思い出せねーんだ」

「オレが助けてやったんだろ」

「ああ……?」


 瞬のふざけた返しに、一瞬、轟は顔をしかめる。

 だが、徐々に蘇ってくる記憶に意識を傾けてみると、確かにその通りだった。

 ヴォルフィアナCとヴェンデリーネ、二体のメテオメイルの最終決戦の場となった巨大リフトは、“先生”の破壊からしばらくの後に、ゆっくりと降下を始めた。

 指導者を失ったことで破れかぶれになったロベルトの操作によるもの――――ではない。

 轟達が縦横無尽に暴れまわったことで台座に激しい負荷がかかり、両端のレール部が破損してしまっていたのだ。

 ヴォルフィアナCのエンジン出力ならば、スラスターの噴射で強引に上昇することは理論上可能だったが、元手となるパイロットの精神エネルギーが枯渇しているのだからどうしようもない。

 結局、リフトは再び闇の底に沈むこととなった。

 そこに、地上での戦いを終えたセイファートが駆けつけ、どうにかヴォルフィアナCを拾い上げてくれたというわけである。

 轟の意識が途切れたのは、地上への帰還を果たし、久方ぶりに太陽の光を浴びた、まさにその瞬間だった。


「悪いけどよ、バウショックとヴェンデリーネは持ってこれなかった。セイファート一機じゃ、そこまで抱えきれなくてよ」

「北沢先輩が赴かれた地下の空間は、だいぶ土砂が海水が流れ込んでいるみたいで、掘り起こすには何年もかかりそうだとのことです。メテオエンジンが二基も使えなくなるなんて、戦略的には大損失ですよね……」

「ほっといてやってくれ。……終わった奴は、眠っとくべきなんだ」


 轟がその言葉を向けるのは、死闘の果てにパイロットを失ったヴェンデリーネだけではない。

 轟の無茶に最後まで付き合ってくれた愛機、バウショックに対してもだ。

 バウショックは、轟にとって単なる相棒以上の存在。

 絶対的信念を持った数々の強敵と渡り合える可能性を提示し、轟の精神を一段上の領域に引き上げてくれた恩師なのだ。

 誰よりも頑丈な肉体を持ち、何度でも立ち上がってみせるその在り方は、轟の理想の姿と言ってもいい。

 そして轟は、先の戦いの中でやっと、自分とバウショックとを完全に重ね合わせることができた。

 たった一度の経験ではあるが、それでも確かに、轟は自らのメテオメイルに導かれるだけの関係から脱却を果たしたのだ。

 それは、轟の人生における、バウショックの役目が終わったことを意味する。

 もう、自分の強さを誇る上で、あの赤き巨人の名と力を借りる必要はない。


「だから、いいんだ」


 その結論に至るまでの過程は、実際に口にしたわけではない。

 あくまで、轟が勝手に心の整理をつけただけだ。

 だが、その呟きだけで、轟の言わんとすることは仲間達にしっかりと伝わったようだった。

 目の前の誰も、無駄に茶化すことも、これ以上の説明を求めることもしない。

 唯一連奈だけが、「センチメンタルなことを」と率直な感想を漏らしたくらいだ。


「テメーらにも、そのうちわかるときが来るかもしれねーな……」


 意識が鮮明になったことで、やっと喉の乾燥を自覚して、轟は自分で吸い飲みの水を喉元に流し込む。

 水は部屋の暖気ですっかり温くなってしまっていて美味しさとは無縁だったが、それでも胃の中は確実に潤い、肉体が徐々に活性化していくのがわかった。

 その緩やかに流れる時間の中で、轟は今更のように、自分の抱く空虚さについて納得する。

 サミュエル、霧島、ギルタブ、そして“先生”とロベルト。

 轟は自らの手で倒すべきと定めたものを全て倒し、心に、ひとまずの区切りをつけてしまったのだ。

 目的の達成とはすなわち、課題の消化だ。

 その先を見据えていない轟にとっては、道が途切れるに等しい。

 メアラや連奈が口にした、燃え尽きたという表現は、あながち間違っていない。

 どころか、この上なく的を射ていた。

 まだオーゼスという最大の、そして本来の驚異が残っている状況で、何を寝ぼけたことを言っているのだろうと轟は我ながらに思う。

 しかし、それでも、轟の戦いは既に終わったのだ。

 例え体調が万全になったとして、先の連戦で見せたような精神力の放出や、研ぎ澄まされた集中力を再現できる自信はない。

 自分の持てる全てを、あの場所に置いてきてしまったという確信がある。

 いかに精神の骨格が強靭になろうとも、燃料たる意志が欠けてしまっては、動き出すことはできない。

 轟が再び、以前と同等の力を手にするとしたら、同じだけの理由を手にしたときだけだろう。

 そう、理由――――


「そうだよ、なんで俺はこんな呑気にくっちゃべってるんだ……! バカかよ……!」


 轟は目を見開き、吸い飲みをやや乱暴に置きながら言う。

 いくらやり遂げたからといって、やり遂げて手に入れたものを忘れてしまうなど、間抜けにも程がある。

 どんな理由があろうと、それは決して手放してはならない、自分にとってたった一つの気がかりだというのに。

 元気さえあれば、自分への罰として、壁に頭を叩きつけていたところだ。


「セリアは、どうなった?」


 とりあえず、自分達を救出してくれた張本人である瞬に視線を合わせて、轟は尋ねる。

 もう、仲間達の前でも、彼女をそう呼ぶことへの躊躇いはない。

 むしろ、それまで使っていた渾名に戻すことの方が、よほど恥ずべき行為だ。


「聞きたいか?」


 腹立たしいほどのにやけ面で、瞬が返答する。

 無論、仔細を知りたくはあった。

 だが、瞬がそうした反応を見せた時点で、事態が悪い方へ転がっていないことは確実のようであったし、轟にとってはそれだけで十分だった。

 首肯しようと試みはしたのだが、心の底からの安堵が、肉体に改めての休息を要求してくる。

 確かに、こんな衰弱しきった無様極まる姿をセリアに見せるわけにはいかない。


「自分で聞くから、いいや……」

「そうしろ。あいつは最高司令部まで、ラニアケアで直に運んでる最中だ。あっちに着くまで、あと二日ぐらいは余裕がある。それまでに、死ぬ気で回復しとけよ」

「……死ぬ気はもう懲りごりだ。のんびりやるさ」


 どうにかその一言だけを言い残すと、轟は仕方なくセリアとの再開を先延ばしにし、良質の睡眠欲求に身を委ねることにした。

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