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第173話 轟き、伝える(その11)

 数多の人間の精神を、ひいては人生そのものを歪めてきた“先生”を、機体から引きずり出す――――

 そう息巻く轟に対し、セリアが無言で指し示したのは、ヴェンデリーネのコックピットではなく背部。

 言われるがまま、付近の装甲を強引に剥ぎ取った轟は、奥に巨大な多面体型の装置が埋もれているのを確認する。

 自分の心情を汲んでくれているであろうセリアが、このタイミングで全く無関係の作業を要求するはずはない。

 ならば、いま自分の眼前にあるものこそが、“先生”ということになる。

 バウショックの両手を突き入れ、轟は迷わずそれを取り出す。

 接続されていたコード類を乱雑に引きちぎることになったが、それでも“先生”は、一定してパーツの隙間から淡い紫色の光を放ち続ける。

 その不変ぶりに、轟は、どこか超然とした雰囲気を覚えた。

 単なる機械とは一線を画する、個としての絶対的完成度が窺えるのだ。

 崇められるだけのことはある、と轟は心中で納得する。

 戦闘の最中に披露した超人的な情報処理能力を考慮しても、これが“先生”であることに疑いの余地はないだろう。


「なあセリア……テメーは知ってたのか? “先生”が、こんな機械のカタマリだってのは」

「確証を持っていたわけじゃない。“生徒”に施されたマインドコントロールの中には、“先生”の正体についての詮索の禁止も盛り込まれていたからね。本腰を入れて考察を始めたのは、私が私になってからだよ」

「その割には、すっと教えてくれたじゃねーか」

「自分の持っている情報を総合すると、他の全ての可能性が排除されていったからね……」


 セリアは苦笑を交えながら、そこで一度言葉を区切った。

 そして、徐々に笑みを消していく。

 最後に残ったのは、苦々しさだけだ。


「なんというか……いざこうして真実を目の当たりにすると、胃が重くなるね。私だけじゃない。アクラブも、ジュバも、ギルタブも、それ以外の“生徒”達も……。こんなものに……こんなもののために」


 セリアは瞳を潤ませ、語気を荒げる。

 両の拳は力強く握り込まれ、かすかに震えていた。

 悲しみではなくやるせなさを、怒りではなく憎しみを顕わにする、その様子を見て、轟は不謹慎ながらも安堵を覚える。

 心の底から湧いてくるものが正の感情だけでは、それはそれで人間的とはいえない。

 負の感情も併せ持ち、それでようやく精神を構成する一通りの要素が揃う。

 その意味で、セリアはもう完全にエウドクソスの支配を脱していた。


「代わってやる。溜まってんのは、俺よりテメーだもんな」


 言いつつ、轟は体をずらすようにして操縦席を離れる。

 無論、代わるというのは“先生”の完膚なきまでの破壊である。

 何人もの“生徒”と戦い、彼らが自身の意志とは無関係に散るところを見てきた轟にも、彼らの無念を晴らしてやりたいという思いはある。

 だが、自らそう発したように、権利を与えられるべきはセリアの方だ。

 人生の半分以上――――物心がついてからということなら、ほとんど全てに近い時間を、無機質の邪悪によって奪われているのだから。

 轟の配慮に、セリアは喉を鳴らしながらも、本気で困った顔をする。

 そんな表情を見るのも、今日が初めてのことかもしれない。


「いいのかな。連合のお偉いさん方は、きっと“先生”の中身に興味があると思うよ。エウドクソスが運用していたメテオメイルの設計データだって手に入るかもしれない」

「テメーがやりたいようにやればいい。こっちには、風岩瞬っていう言い訳のプロがついてるんだ。後のことはどうにでもなる」

「それは頼もしい限りだ」


 迷ったのなら、結果の善し悪しはともかく、やった方がいいに決まっている。

 やらなければ、激しい後悔が残る。

 轟が、その身を以て味わった教訓である。

 本来の位置に収まったセリアは、覚悟を決めた表情で、操縦桿を握る。

 ギルタブとの戦いからまだ数分しか経過しておらず、精神力の回復は微々たるものだが、その程度のエンジン出力でも、ただの機械を握り潰すくらいはわけない。

 セリアが深呼吸を挟んだ後、“先生”を握りしめるヴォルフィアナCの右手に、ゆっくりと力が込められていく。

 だが――――その途中、コックピット内に、セリアのものでもなければ轟のものでもない声が響く。


「軽率な行動はよしたまえ」

「テメーは……!」


 唾が散るほどの勢いで言い放ちながら、轟は通信ウィンドウに迫る。

 気を抜けば即座に安心感をもたらしてくる、その渋みのある声を聞くのは一ヶ月ぶりになる。

 かつてはヴァルクスの副司令官を務めていた男。

 同時に、その裏ではエウドクソスの上級管理官という役職にあった男。

 “先生”の、単なる手先以上の存在。

 エウドクソスが引き起こした数々の悲劇の、もう一つの元凶。

 ロベルト・ベイスン。

 小太りして丸みを帯びた顔にたっぷりと髭を蓄えた、相手の警戒心を緩めることに特化したようなその顔を、通信ウィンドウが映し出す。

 瞬間、反射的に、あるいは衝動的に、轟はモニターを殴りつけていた。

 だが、もう数瞬の後には、笑いを噛み殺す。

 ロベルトが、いまさら通信回線の向こうで何をしようと、自分達の行動を止めることは不可能だからだ。


「わざわざ通信を寄越してくれてありがとうよ、元副司令。できればテメーの見てるところでやりたいと思ってたところだ。そっちの方が一億倍気持ちいいからな」

「コードλ(ラムダ)、シャウラ……いや、その名が気に入らないというのなら、そちらの望むように呼ぼう」


 轟の対応など意に介さず、ロベルトがセリアに語りかける。

 おおよその状況は把握しているだろうに、相変わらず態度は冷静そのものだ。

 ロベルトが恐ろしいのは、相手に自然と不要の疑念を抱かせる、絶対的な自信それ自体。

 話術による翻弄は副兵装でしかない。


「今は暫定的にセリア・アーリアルとしています。それと……事後報告になりますが、エウドクソスは自己都合で脱退させていただきました。今までお世話になりました」


 セリアも、ロベルトの老獪さは十分に理解しており、雰囲気に飲まれまいと敵意に満ちた眼差しを向ける。

 もっとも、その抵抗の意志すらも、ロベルトは事態を自分優位に進めるための情報として利用する。


「君のような優秀な人材が組織を抜けてしまうことは残念でならないが、君がそう強く望むというのであれば、許可を出さざるを得まい」

「……どういう風の吹き回しです?」

「どうもこうも、素直に祝福しているのだよ。我々の支配を脱した、君の新たな門出を。しかしだ……それならば、なおのこと、“先生”を破壊してはならないと私は思うのだがね」

「破壊しては、ならない……?」

「聞くなセリア、こいつの口車に乗ると……」


 身を案じる素振りを見せる一方、目元に嘲笑を携えたロベルトに、セリアがたじろぐ。

 その動揺を見逃さず、轟の静止に割り込むようにして、ロベルトが発する。


「君は、知りたくはないかね。君が何者であるかを」

「まさか……?」


 ロベルトが言わんとするところを察したのか、セリアが目を見開く。

 その反応を見て、ロベルトはわざとらしく、深く頷いてみせた。


「そうとも。君の場合は、“自分探し”などという非効率的な作業に、わざわざ時間を割く必要などない。君という存在は、けして無から生えてきたわけではないのだからな」

「“先生”の中に……私のパーソナルデータが残っているということですか」

「その通りだ。連合政府の各種データベースからは抹消されているが、君本来の戸籍は、間違いなく“先生”の中に記録されている。君をアークトゥルスで保護する際の手続きで用いられた、正真正銘の本物だ」

「間違いねーってことは、テメーも確認したってことだよな。だったらテメーを締め上げて吐かせりゃいい……!」

「残念だが、それは不可能だ。過去に一度目を通したことは事実だが、深く読み込みはしなかった。当時はまだ、彼女の有用性が見いだされていなかったからな……」


 その発言は嘘のようにも感じられたが、例え拷問まがいの処置を施したとしても、どのみちロベルトが口を割ることはないだろう。

 その意味において、“先生”が唯一の情報源であるという事実は変わらない。

 “先生”を破壊すれば、セリアの過去を探るための手がかりは完全に失われることになる。

 このタイミングにおいてあまりにも効果的に機能する究極の盾を持ち出され、轟は歯噛みする。


「“先生”を連合の管理下に置くことは許そう。ある程度の分解や解析も許そう。しかしどうか、破壊だけは勘弁して欲しい。それが、私の……いや、エウドクソスわれわれ最後の要求だ」

「っ……!」

「連合がその条件を呑んでくれれば、私のアクセス権を行使し、当該のデータを引き出すことを約束する。実の家族、真の故郷、過去の経歴、本当の名前……君の欲する全てをだ」

「なにが最後だ! セリア……“先生”が生きてる限り、こいつらは、また何度でもエウドクソスを作っちまうぞ!」

「そうなったとしたら、また改めて倒しにくればいいだけの話だろう。我々の再起によって、様々な不利益を被ることにはなるだろうが、少なくとも彼女の失われた記憶は戻る。違うかね?」


 ロベルトの言い分は、もし彼が本当に約束を守るなら、その情報が真実であるならという二つの条件が付くものの、とりあえずは正論だ。

 戻った記憶が、必ずしもセリアを幸せにするとは限らない。

 むしろ、施設に預けられている時点で、家庭環境に何らかの問題があった可能性の方が高い。

 それでも、納得はできるだろう。

 過去の自分と現在の自分が地続きになったことで得る安心もあるだろう。

 それも一つの答えだ。

 選ぶだけの価値はある。

 少ないにしても、確実な取り分があるという点においては、もう一つの選択より堅実だといえる。

 轟は、エウドクソスに対して募らせてきた不信感から、ロベルトの提案を跳ね除けるように忠告した。

 しかし、強制まではできなかった。

 轟にあるのは覚悟。

 セリアの決定を尊重し、今後何が起ころうともと、この瞬間の自分達を否定しないという覚悟のみだ。

 だから轟は、黙して待つ。

 あらゆる個人的感情を押さえつけ、セリアが次に放つ言葉に備える。

 それまで途切れることなく続いていた会話に生まれる、数十秒もの空白。

 言葉に詰まれば、そうであることを正直に告げるタイプの人間であることを轟は知っている、

 だからこそ、彼女の心中でどれほどの激しいせめぎ合いが行われているのかを、物語っていた。


「エウドクソスの“生徒”になる以前と以後、人生の区切りがそれ一つしかない君にとって、幼少期は、ただの過去ではない。捨て置くにはあまりにも惜しい。それこそが君の答えであり願望。君という存在の不確かさを埋める、たった一つの方法――――」


 屈服が間近だと踏んだのか、最後のひと押しとでもいうように、ロベルトが言葉を紡ぐ。

 だが、そのとき既に、セリアの中では決心が固まっていたようだった。

 ロベルトのいざないを遮るようにして、セリアが答える。


「惜しくないと言えば、嘘になります。例えどれほど残酷な真実であっても、貰えるのなら、欲しい。それを知った瞬間、間違いなく、私は“私”になれるだろうから」

「ならば……!」

「だけど上級管理官、あなた一つ間違えている。私の区切りは一つじゃない」


 言い放つと同時に、セリアがゆっくりと右腕を掲げる。

 五指は力強く折り曲げられ、セリアのイメージ内において、そこに何かが握り込まれていることを見る者に想起させた。

 いや――――何かなどという漠然としたものではない。

 操縦者の思考と機体の操縦系統が密接にリンクしたS3搭載型メテオメイルにおいて、その動作は極めて高い精度でヴォルフィアナCへと反映される。

 つまりは、圧潰。

 数瞬の後、みしりという音を立てて、ヴォルフィアナCのマニピュレーターが“先生”へと食い込んでいった。


「あなた方が与えてくれた人格“セリア・アーリアル”として、ラニアケアで過ごした五ヶ月は、私の中でかけがえのないものになっている。無論、そこで出会った人達も、みんな……!」

「お前は、何を……!? 馬鹿な真似はよせ、シャウラ……セリア・アーリアル! 感情的な行動は、何の益も生みはしない! “先生”から教わってきたはずだろう!」


 あの冷静沈着なロベルトが、声を荒げてまでセリアを静止する。

 垣間見える、彼本来のものと思しき態度や言動からも、動揺は明らかだった。

 しかし、セリアの指は、更に奥深くへと潜り込んでいく。

 正面モニターの向こうで、煌めくガラス状物質の破片が流れ落ちていくのを見ながら、轟は盛大に破顔する。

 轟は、セリアがどちらを選んだとしても受け入れる覚悟はしていたが、かといって、どちらでも構わないと捨て鉢になったつもりもない。

 自分好みなのは、この未来に決まっている。

 セリアが世界のどこでもない、ちっぽけな人工島に執着する、この未来に。


「私の基点はじまりは、あの場所にこそある。過去の記録は、あくまで支柱の一つ。もう主柱なんかじゃない……!」

「だとしても、支柱だろう! あるに越したことはない! 考え直せ、それは浅慮というものだ!」

「ホザくな。それだけ価値のあるモンを奪ったのは、他でもねー、テメーらだろーが」

「だから、不要だという結論に至ったんですよ。“先生これ”は、あまりにも多くの人間の運命をねじ曲げてしまう」

「歪曲させているのではない、正しき方向へと導いているのだ! “先生”は、世界に恒久の安定をもたらしてくれる、唯一無二にして必要不可欠の至高存在。“先生”なくして人類の進化はない。“先生”の破壊は、よりよき未来への到達を断念する等しい。理解できないのならば、保留し、できる者に委ねろ。敢えてこの場でお前達が答えを出す必要などどこにもないのだ。そうだろう、なあ――――」


 ロベルトの訴えは、組織の都合を並べ立てるだけで、懇願にすらなっていなかった。

 組織の歯車として完成されているからこそ、“先生”を失っては困るという、本心からの一言さえ紡げない。

 切羽詰まった状況でも、建前で応じることしかできない機械――――確たる自我を持っているようで、その実、ロベルトも“生徒”達と同質の存在なのだ。

 その哀れさに、轟もセリアも目を細める。

 そして、だからこそ、こんなものが存在してはならないということを一層強く確信する。


「あなた達の言葉は、私には届かない。何一つ、心に響かない」

「ああああああーっ!」


 セリアが、これまでの全てを噛みしめるように言い放つと同時に。

 轟の目線の先で、とうとうセリアの右手が、完全な握り拳へと変わる。

 聞こえてくるはずだった小気味のいい破砕音は、これまで数々の神算鬼謀を巡らせてきた男の、ひどく間抜けな叫び声にかき消された。


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