第16話 会うは別れの始め
「舐めた真似、してくれるじゃねえかよ……」
瞬は中央タワー最上階の執務室に押し入るなり、雑務を片づけている最中のケルケイムに食ってかかる。
何の事だと聞き返す余裕も、与えるつもりはなかった。
ケルケイムに、意図的に伏せていた自覚がないわけはないからだ。
「連奈のSWS値、オレや轟に黙ってやがったな」
「連奈から、聞いたか……」
「そりゃあよ、あんたらはオレ達の能力が全く同格とも言ってねえから、こっちが勝手に勘違いしてたってのはあるさ。だけどあんたは、オレが何のために戦ってるのか知ってるだろ。なのに黙ってたって事は、バレるまでは気分良く戦わせようって魂胆だったって事だ。違うかよ」
瞬の言わんとするところは理解できるが、だからどうしたと答えることも、立場上、ケルケイムにはできた。
他者からの評価のため、そして自分で自分の価値を認めるために、瞬が他の二人を上回る戦果を欲していることは知っている。
同時に、連奈が瞬を圧倒的に上回るSWS値を記録しており、“勝ち易さ”という事であれば瞬の比ではないことも。
まず間違いなく、オルトクラウドの戦闘能力は、セイファートとバウショックを遙かに上回るものとなるであろう。
勿論、戦いの勝敗は、メテオエンジンの生成エネルギー量だけで決まるものではない。
機体間の相性もあれば、地形や天候、その他あらゆる要素が密接に関わってくる。
しかしそれは、例え事実であっても、ケルケイムにとっては言い訳でしかなかった。
明確な優劣を早期に突き付けることで、瞬や轟の精神力が低下するのを避けたいという意図があったのは本当のことだからだ。
可能な限り全機の戦闘能力を高いレベルで維持する――――メテオメイルを運用する部隊の司令としては当然の判断である。
だからこれまで、ケルケイムは黙秘を貫いてきた。
瞬の語る理想を何度も耳にしながら、その度に、上っ面だけの言葉で茶を濁してきた。
後でどれほど詰られようとも、“夢を見させたまま戦わせる”ことでオーゼスのメテオメイルが撃墜できるのならば、それは組織の人間としても、世界のためにも、最適解だからだ。
その場凌ぎとはいえ、間違いには程遠く、そうせざるを得ない確かな理もある。
だからこそ、瞬の発言の全てを感情論であると切り捨てる事も、できなくはないのだ。
できなくは――――
「……すまない」
瞬の期待を裏切った。
その一点を、如何なる理屈で塗り固めても己の中で正当化できなかったからこそ、ケルケイムは静かに立ち上がり、深々と頭を下げる。
あらゆる手段を用いてでも打倒オーゼスを成さねばならない部隊のトップとしては、余りにも実直すぎる、その姿。
仕方がない、という概念を許容できない弱さは、少なくとも軍属の人間には不必要な要素である。
だが、ケルケイムという男にとって、誠実さを曲げることは至難の業なのだ。
「その件については、私自身、どうするべきか最終的な判断が下せないでいた。そうしている間に、時間だけが過ぎていった。最良の選択ができなかったことを、いや……その選択肢自体を用意できなかったことを、深く恥じよう」
「謝って欲しいわけじゃねえよ。結局、オレも轟も、“乗せられた”状態で敵を倒せなかったんだからな。あんまりグチグチ言っても自分が惨めになるだけだから、これ以上この件で何か言うことはしねえ」
「…………」
「……だけど、こんな事されちゃあな、オレだってあんたの言うことは聞きたくなくなるぜ。少なくともあんたは、オレの事を信用してなかったんだ。そこいらのガキみたいに、本当のことを言えばテンションがガタ落ちするだろうって、その程度の評価だったわけだ」
実際に意思力が削がれていながら、そう減らず口を叩いてしまうくらいには、瞬は子供だった。
それでも、瞬は吐き出さざるを得なかった。
ケルケイムの意を汲んで全てに納得する度量はなかったし、そもそも連奈の力を認めてしまうことは、妥協という名の、自分の理想を貫く上で最大の禁忌だからだ。
瞬は、己の怒りを正当なものとして酔い続ける為にも、振り返ることなく執務室を出て行った。
どうせケルケイムが、内心で馬鹿正直に己の非を責めているくらいは、瞬にもわかる。
今は、その表情を見たくなかった。
ラニアケアの接舷位置から、二十数キロほど西部――――紅海とナイル川に挟まれた砂漠地帯の内奥。
その景観は、数時間前とは大きく変わり果てていた。
本来ならばうず高く堆積し、大地を覆っているはずの乾砂が、あらゆる方位に向かって直線上に抉り取られているのである。
数百メートルから数キロメートルという、超長距離にわたって岩盤が露出する様は、上空からは黒い傷痕が放射状に広がっているようにも見え、その 光景が如何に異常であるかを実感させた。
傷痕の中心に立つのは、不気味なまでの鮮やかな橙に染まる空を仰ぐ、ダークスレイトブルーを基調とする鋼鉄の巨人。
この光景を作りだした張本人、地球統一連合軍製メテオメイル三番機、オルトクラウドである。
“あらゆる敵機を短時間で葬り去る超重火力機体”というコンセプトの元に開発されたオルトクラウドは、まさにその通りの強力無比な火器を全身各所に搭載しており、人型である利点は、立体的な地形の移動とマニピュレーターを用いた精密作業のみに絞られていた。
基本武装は、両脚側面の4連自己鍛造弾発射機構、両膝の半自動迎撃レーザー、胴体側面のA/B弾複合ガトリング砲、胴体中央部の収束プラズマ砲、背面の40連装マイクロミサイル、そして両肩から伸びる圧縮光子放射砲塔“ゾディアックキャノン”。
更に両腕には砲口の可変によって収束/拡散のモードを切り替えられる重粒子バスターが装備されている。
これら過剰な火力の一斉射撃によって如何なる敵機をも抹消するのがオルトクラウドの役目である。
コアユニットを成す本体そのものは比較的細身であるにも関わらず、増設されたスラスターと無数の火器によって、そのサイズは結果的にセイファートやバウショックより一回り大きいものとなっていた。
オルトクラウドが、ここまでの禍々しき火力要塞に仕上がったのは、連合政府内に存在する、迅速なオーゼス壊滅を望む強硬派の思惑によるところが大きい。
無益な破壊を続ける重罪人の集団であるオーゼスに対し、“あくまで人の手による破壊”という正攻法で立ち向かうセイファートとバウショックの在り方は、彼らにとってはあまりにも温すぎた。
どのみち近接戦に特化した前二機の役割を補う意味でも、砲撃戦機体は必要。
であれば、どこまでも非情に、どこまでも悪辣に――――
オーゼスに如何なる機体が眠っているともわからない状況では、極限まで火力を追求するのもやむなし――――
結果、マシンデザイナーであるミディールに要請された設計方針は、HPCメテオからもたらされる膨大なエネルギーを利用し尽くすことだけを執拗なまでに追い求めた兵器中の兵器であった。
セイファートが人々の希望を背負う機体であれば、オルトクラウドは人々の憎悪を背負った機体といえる。
「テストを中断……?」
『申し訳ありません。機体のエネルギーコンデンサーに、想定以上の負荷がかかっておりまして。ミディールさんも、これ以上の続行は危険であると』
外部でデータを計測している若い男性技術スタッフが、萎縮したような声で、オルトクラウドに搭乗している連奈に報告する。
無理もないと、連奈はコックピットのメインモニターに投影された外の世界を見ながら、そう思う。
今回試すこととなった、これまでのシミュレーターマシンでは再現できないほどの高出力状態における、非実体弾系火器の使用。
その結果は、様々な意味で、実験に関わったスタッフ達の期待を遙かに超えていた。
この試射実験場は、遮蔽物もなく、掘り返されたとて惜しくもない砂漠地帯だが、市街地戦になった場合、果たしてどれほどの凄惨な破壊が撒き散らされることになるのか――――
『実体弾系火器の試射は明日、ゾディアックキャノンの試射は明後日に回し、本来の明日以降のスケジュールはそのまま二日ずらすとの事です』
「まどろっこしいわね……でも、オルトクラウドに乗れる時間が伸びたのは喜ぶべきことなのかしら」
連奈は上機嫌に、握った操縦桿を指全体で弄ぶようにしながら答える。
連奈は、オルトクラウドの火力を目の当たりにしてなお歓喜に打ち震える、数少ない一人であった。
前座のバリオンバスターでさえ、大地を長距離にわたって抉るほどの威力。
ならば、虎の子として開発されたゾディアックキャノンを最大の力で打ち放てば、もはや――――
想像するだけで、気を遣ってしまいかねない程の快感が連奈の全身を駆け巡る。
己が戦場に赴き、己でトリガーを引き、己で大規模な破壊をもたらす刺激というのは、現代においてはもはや、メテオメイルのパイロットでなければ味わえない刺激であり、特権。
手にした力が危険であればある程に、連奈の欲求は満たされるのだ。
「それで、今日の残りの時間は?」
『帰投後、司令にご確認ください』
「わかったわ……」
そうは答えるが、しかし、連奈の予定は既に決まっていた。
今日も今日でそれなりの刺激を得ることはできたが、ほんの二時間ほど幾つかの火器を一定間隔で発射した程度では、ここまで溜め込んだフラストレーションの解放としては半端もいいところで、連奈の心中では、それが新たなフラストレーションとなっている。
まだ体力に余裕を残した中で“お預け”を食らうという、一番質の悪い疼きは、とてもではないが部屋に閉じこもったままでは取り除けそうになかった。
それから約三時間後、連奈の姿は試射実験場から十数キロほど北上した場所に存在する都市、アイン・スクナにあった。
アイン・スクナは紅海沿岸のリゾート地として発展しており、市街地の開発が遅れている反面、ビーチエリアには国際的ホテルチェーンが数多く進出し、別荘地として国内の富裕層にも人気が高い。
オーゼスによって無数の国家が事実上機能を停止している現在、世界各地の治安はけしていいものではなかったが、ここに限らず高級リゾート地全般は、全域に渡ってセキュリティも充実しているために例外的な平穏が保たれていた。
ダークパープルのワンピースを纏った連奈は、久しぶりに外の空気を吸い、やや浮かれた足取りでビーチを散策する――――自らの外出が認められるまでに、ケルケイムが一体どれほどの便宜を計ったのかなど、まるで考える様子もなく。
打倒オーゼスに際して不可欠の要素であるメテオメイルのパイロットを、特別の必要性もなくわざわざラニアケアの外に出すということが如何に愚行であるかは語るまでもない。
しかしそれでも連奈が駄々をこねたため、本来ならばラニアケアの内部における護衛しか契約内容にない専属ボディーガードのチームが特例で動員され、離れた場所から警護に当たっている。
流石はプロフェッショナルということか、彼らは仕草から服装から、完全に行き交う市民の中に紛れ込んでおり、出発前に各々の外見を確認していなければ、連奈にも判別は不可能であっただろう。
「無理を言ってでも出してもらった価値はあったわね……ラニアケアの外にいるというだけで目眩がするほどの解放感だもの」
連奈は右手首に嵌めたブレスレットの表面に内部発光で浮かび上がる、現在の時刻を確認する。
今は、現地時刻で18時20分。
ケルケイムが定めた帰還のタイムリミットは20時30分。
二時間ほどの猶予があるが、しかし連奈にとってはあまりにも短い。
もっとも、轟よりは幾らか人としての義理も持っているため、さすがにこの門限は破るつもりはなかった。
「ディナーに一時間、ショッピングに一時間ってところかしらね」
そう呟いたとき、「何がディナーとショッピングだ、夕飯と買い物だろうが。田舎暮らしのくせにセレブぶってんじゃねえ」――――という、この場にはいない瞬の野次が、自動的に脳内で再生される。
そのくらいには、深層心理下で己の生まれを意識しているという事だ。
三風家は箱根の山奥にあって、剣術の修行に打ち込むには最適の場所であったが、同時に娯楽は極めて少なく、また、古来よりの質素な生活を重んじる家風のおかげで、裕福さと暮らしの質も比例の関係にはない。
連奈にとって、そこは牢獄にも等しい世界であった。
終わらぬ平穏の中で過ごすことは難しくない。
しかし、終わらぬ静寂に耐えうる人間は限りなく少ない。
生来の不感症に加え、そんな場所で長年暮らしてきた反動もまた、今の連奈を形成する大きな要因であった。
連奈の興味は、今も昔も“外”にある。
外の世界、そして条理の外を征くという意味でも――――
「道にでも迷ったのかな、そこのお嬢さん」
連奈がしばらくデジタル表示の案内板を眺めていると、不意に背後から声がかかる。
振り向くとそこには、全く知らない男が悠然と構えていた。
上下共に、左半身が白、右半身が黒という、フィクションでも中々見ないような、奇抜な配色のスーツを着こなす、三十代半ば程の男だ。
整えられたシャギーカットと薄髭は、連奈の中では青年実業家や俳優といったイメージである。
「迷ってはいないわ。この辺りのことを、よく知らないだけ」
連奈が返事をする気になったのは、見た目の不審さを払拭しきるだけの落ち着いた物腰と優雅な空気が男にあったからだ。
論外の瞬と轟、指導者の割にいまいち思い切りの足りないケルケイムなど、ラニアケアに致命的に不足している大人の男の雰囲気にも、些か揺れ動くものはある。
「迷っている人間は大抵そう言うんだ。……ご両親と連絡は取れないのかな」
「電話したところで、地球を四分の一ほど回ったところにいるから役には立たないわよ」
「という事は、他にお知り合いが同伴しているのかな? それともまさか一人で旅行かい?」
「あまりしつこいと、別の場所に連絡することになるけど?」
「おっと……これは失礼。しかし後者なら、やや警戒心が足りないと思ってね。夜道をうら若いレディが一人で歩くのは危険だ。ここの客の大半は富裕層だが、全てじゃない。そういった層から金を巻き上げようとする輩も紛れ込んでいる。それに――――そうでなくても君は美しい。その美貌は誘蛾灯のように多くのトラブルを吸い寄せるだろう」
「全くね……早速変な模様の蛾が一匹飛んで来たわ。それも子供狙いの変種が」
「おっと、これは一本取られたかな……」
男はわざわざ演技たらしく額に手を当てて苦笑してみせる。
連奈は、中々に応戦できているとは思いつつも、しかし気を抜けばペースに嵌ってしまいそうな話術スキルの高さを男に感じていた。
「だが、君が注目の的というのは本当さ。先程からずっと君の事を追いかけている、物好きな方々がいる。五人……いや、六人かな。ひょっとしたら、他にまだいるかもしれないが」
「へえ……そんな事までわかるの?」
連奈は、全く別の表情とニュアンスになるのを抑えて、他人事のように聞き返した。
機転では瞬に一歩劣りつつも、この状況で、少なくとも表面上は平静が保てるのが連奈の強みだった。
男が気付いたその面々とは、どこぞの不埒な輩ではなく、ボディーガードの事と考えて間違いない。
ビーチエリアを出歩く人の数はまだ多い。
その中で微細な違和感を嗅ぎ取るほどの観察眼があるとなれば、ただの不審人物にカテゴライズされる類の人間ではない。
「わかるさ。私はちょっとした有名人でね、世界中の何処に行っても熱烈なファンが追いかけてくるんだ。彼らを撒くために、随分と注意深くなった」
「……だったら、まずはその変なスーツをやめるべきなんじゃないの?」
「それはできない。このスーツは私のトレードマークであると同時に、もはや肉体の一部なんだ。これを着たまま外を出歩けるように、自分の姿を極力人の視界に入れないように立ち回れる訓練までやった」
言われてみれば、それなりの人通りであるにも関わらず、誰も男に不審な視線を向けるどころか、そもそも認識すらしていない。
まるで男の周囲だけ空間が隔離されているかのような、異常な光景だった。
この魔術じみた技能の仕組みは連奈にはわかりかねたが、相当の訓練を要するであろう事だけは確実だった。
やはり、この男は只者ではない。
自分の身を案じるのであれば、選ぶべき行動は一つ――――これ以上の関わり合いを避けることだ。
ただし、三風連奈は退屈な安全より身を焦がすような危険を好む。
その他大勢の心労と己の快楽など、わざわざ秤に掛けるまでもない。
「あまりに胡散臭すぎて、逆に興味が出て来たわ。もっと面白い話をしてくれるのなら、私にディナーを振る舞う権利をあげるけど?」
「ほう、それは光栄だ。何を隠そう、私も一人でね。目当てのレストランに入るのを足踏みしていたところさ。ご一緒してくれるなら、幾らか居心地は良くなる」
「話の方には自信があるってわけね」
「あるさ、あるとも。三日三晩では語り尽くせないほどにある。むしろ面白い話しかできないと断言してもいい」
「それと最後に、ご職業を尋ねてもいいかしら? 幾ら魅力的な振る舞いが出来ても、これで中流サラリーマン程度のご身分なら幻滅よ」
「ああ、それなら心配ない。きっと君のご期待に添える職業だと思う」
男はそう言うと、連奈の耳元にそっと口を寄せる。
そして、痺れるような甘い声で囁いた。
「――――詐欺師」
「是非とも、ご一緒させてもらうわ」
むせかえるほどの非日常の香りを前に、連奈は喜悦の笑みで即答せざるを得なかった。




