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第171話 轟き、伝える(その9)

「……ああ、もう、まったく。本当に、君の頼りなさには呆れるばかりだ。心配で、おちおち錯乱もしていられない」


 瞼を一度閉じ、その後、改めてゆっくりと開きながら。

 セリアが、今しがた轟の放った問いかけに冗談めかして答える。

 彼女が、先程までの状態に復調を果たしたのか、それとも新たな変調を迎えたのかは、轟には判別がつかなかった。

 ただ、轟を見つめるその瞳の奥には、明確な意志の定着を感じさせる強い輝きが宿っている。

 轟にとってはそれだけで十分以上の結果だった。

 ”先生”から、自我の崩壊を促す命令が現在進行系で送られ続けられている中で、セリアは自分を取り戻すことができた――――その事実が持つ意味は、あまりにも大きい。

 そして、彼女の人並み外れた記憶力ならば、この経験を忘れることはけしてない。

 万が一、”先生”の命令に再び屈することがあったとしても、確立された帰還の術が何度でも彼女自身を呼び覚ますことだろう。


「そういうことだ。テメーのあれやこれやより、他人に世話焼いてもらわねーと何もできねー俺の方が、よっぽど不安要素なんだぜ」

「清々しいまでの開き直りっぷりだね。でもそうだね……確かにそうだ。この場における最優先事項は、“先生”の命令を拝聴することなんかじゃない」

「やれるか……?」

「やれるさ」


 まだどこか少し弱々しさを感じさせる動きで、セリアが上体を起こす。

 そのままセリアは、先程まで操作していた予備の制御端末を再び手に取ろうとするが、轟はセリアを抱えたまま操縦席へと戻った。

 誰かに抱きかかえられるという滅多にない体験に、セリアが上ずった声を上げるが、轟はお構いなしにシートに身を預ける。

 自然、セリアは轟の膝に腰掛ける形になり、困惑の表情が轟の方に向けられた。


「あの……」

「また降りるのは面倒だ。作業なら、ここでもやれんだろ」


 コックピットブロックの下部に用意された予備の制御端末は、操縦席に設けられたコンソールの簡易版のようなもので、当然後者の方がより細かな作業を行える。

 ただし、そちらをセリアが使うとなれば、轟の操縦に大いに支障をきたす。

 そうした理由があって、セリアはシートを離れていた。

 しかし、いま告げたような理由もあって、別の場所での作業は合理的とは言えなくなった。

 いや――――それはただの建前であり、口実だ。

 真意は、他のところにあるに決まっている。

 セリアは轟の勝手さに若干口を尖らせながらも、拒否の意志を示すことはなく、すぐさまコンソールの操作に移った。


「残念だったな、“先生”。今の俺達には、テメーの小細工なんて通用しねー。観念して、普通の真っ向勝負をやろうぜ。それなら喜んで受けて立ってやるからよ」


 言いながら、轟はヴォルフィアナCの右拳を突き出してみせる。

 セリアの集中力は凄まじく、上体を捻りながらの作業でありながらも、精度と速度は明らかに先程までを上回っている。

 通常通りの操縦を行っているのではないかと錯覚を覚えるほど、ほとんどタイムラグなく、轟の操作を機体へと反映させていた。

 これで自分達の勝利は、よりいっそう確実なものとなったと、轟は不敵な笑みを漏らす。

 だが直後、自分達の気勢と相反する空気がヴェンデリーネから漏出しているのを察知して、表情を再び硬直させた。


「なんだ……?」


 轟の全身に、これまでにない緊張が走る。

 轟の知る限り、エウドクソスの構成員は、正の感情も負の感情も極めて希薄。

 “先生”の命令を忠実に実行するだけの、操り人形のはずだ。

 彼らの生き様に憐憫や畏怖を覚えることはあっても、体外ににじみ出るほどの情動を感じ取ることは“劣等生”のセリアを除いてあり得なかった。

 そんな轟の違和感を証明するように、次の瞬間、ヴェンデリーネは手にしたリルグトライデントを背後の壁面へと叩きつけた。

 唐突に鼓膜を打った轟音に、轟もセリアも驚き息を呑む。

 今の行為は、自分の得物に余計なダメージを蓄積させるだけで、戦術的な意味などどこにもない。

 轟もかつては悪癖のように繰り返していた、やり場のない怒りを発散するための、ひどく効率の悪い方法だ。

 “先生”が操縦を代わったのでもなければ、それを成した人物は、消去法で一人に絞られる。


「なんだ、ってのは俺の台詞だよ……」


 聞こえてきたのは、自嘲を前面に押し出した、ギルタブの生々しい笑声。

 普段の不気味さが、得体の知れなさを由来とするのものならば、いま轟達がギルタブに感じているのはその対局。

 純度の高すぎる感情の発露を目の当たりにしたがゆえの畏縮。

 セリアに続いて、ギルタブもまた、“先生”の矯正きょういくによって押し込められた自我を取り戻したことを、轟はだいぶ遅れて理解する。


「北沢轟、それにシャウラも……! お前らは、どうしてそんなに壊れられるんだ。一体何をどうやったら、そこまで“先生”の思い通りにならない無能になれるんだ。教えてくれよ、気になるんだ。毎度毎度、こうまで盛大にやらかされたらさあ……!」

「ギルタブ……」

「お前らばっかり、ずるいんだよ。俺は、俺だって……!」

「テメーも、壊れてーのか?」


 激昂するギルタブに、轟は真剣な表情で尋ねた。

 ギルタブとの間には、数々の遺恨がある。

 ヴァルクスの活動を長期に渡って妨害されただけでなく、生身の喧嘩とメテオメイル戦の双方において、その圧倒的な実力を前に連敗を喫してきた。

 この戦いはようやく訪れた憂さ晴らしの機会であるため、無論、体力が尽き果てるまで殴り倒す所存である。

 だが――――ことが済んだそのときは、全てを水に流してやるつもりでいた。

 エウドクソス一員として何らかの処罰を受けることはあるだろうが、少なくとも北沢轟個人としては、ギルタブとの関係に一区切りをつけるつもりでいた。

 なぜなら轟にとってのギルタブとの戦いは、自分が勝手につけた因縁から始まった、スケールの大きい喧嘩でしかないのだから。

 それゆえに、ギルタブにを想起させる光明が見えてきたことは、大いに歓迎すべき事態だった。

 いつか、またどこかで、お互いどのような立場になっているかはともかく――――

 かつてギルタブと名乗っていたこともある青年と、何らかの形で一勝負することは吝かではない。

 敢えて助け舟を出すような発言をしたのには、そうした理由があった。


「いいじゃねーか。テメーも、テメーの殻をぶち破ってみろよ。サッパリするぜ。それまでウダウダ悩んでた自分がバカらしく思えてくる程にな」

「無茶言うなよ。俺は“優等生”の中でもとりわけ完成度が高いんだ。どう足掻いたって壊れようがない。だから……だからお前達を消さなきゃならないんだよ! 俺には絶対できないことを見せつけてくるお前達を!」


 ギルタブの放った叫びは、はたして怒号か、それとも慟哭か。

 ともあれ、その激情を糧として、ヴェンデリーネは変化へんげを果たす。

 背面から伸びる八本の柱が続々と展開し、それぞれが本来の両腕と同等のサイズを持つサブアームに変形。

 これにより、ヴェンデリーネの腕は合計十本となり、その姿は千手観音に酷似したものとなる。

 無論、ギルタブは十腕の全てを使いこなした近接格闘戦を行うことが可能。

 以前の戦いで披露されたときには、その手数の多さを前に完敗を喫している。


「アシュタラブジャ、起動……! こいつなら、やりようはある!」


 変形が完了した矢先。

 ヴェンデリーネは、極端な前傾姿勢に体重を乗せることで、異様な速度で踏み込んでくる。

 重量級の機体であることを逆に活かした、思い切りのいい突撃だった。


「聞いてもくれねーってのかよ……!」


 轟に、それ以上の嘆きを口にする余裕はなかった。

 視界の端から右フックが、次いで、垂直の打ち下ろしが。

 それぞれ恐るべき速度で、ヴォルフィアナCに叩きつけられる。

 どちらも、装甲表面に展開するレイ・ヴェールにより威力は減殺され、機体へのダメージは皆無だ。

 ただ、この連続攻撃の前では、うかつに反撃に出られない。

 轟の編み出した、破壊力を極限まで高める打撃は、レイ・ヴェールの出力を一点に集中させて放つものだ。

 無防備を晒す関係上、複数箇所をほぼ同時に狙うような攻撃の前では、どうしても使用が躊躇われる。

 特に今は、変則的な操縦方法のせいで、実際に機体が動作を開始するまでの間に若干のタイムラグが存在するため尚更だ。


「これは、まずいね……」


 二人が判断に迷っている間にも、ヴェンデリーネの乱打は続く。

 変わらず、ダメージは無効化できているが、その分だけ確実にエネルギーは消費されていく。

 消費量自体は微々たるものだが、先の戦いによる消耗が激しい轟とセリアにとっては、その微々さえも大きな損失となる。

 間断なく攻め立てて二人の体力を消耗させるというのは、やぶれかぶれの一手のようでいて、その実かなり効果的なのだ。

 感情を爆発させたギルタブの猛攻が、結果的に有効な戦術の体を成したと受け取ることもできる。

 だが、そうにしては打撃の狙いが的確すぎた。

 十腕を駆使して、常に轟の死角から繰り出される。

 視野を特定されるほど、大きな目線の動きは見せていないというのにだ。

 ならば、何故――――その答えに、轟とセリアはそれぞれの論理展開で、同時に辿り着く。


「そうだ……依然として、ヴォルフィアナCに対する“先生”の干渉は有効」

「こっちの動きが筒抜けになってるってわけか……!」


 こちらの動きが、読まれている。

 極めて高精度の予測を、そう表現することもあるが、この場合はまさに閲覧よむ

 機体の中枢部を経由する操縦データが、一方的なアクセスによって直接盗み見られているのだ。


「同じ言葉を返させてもらうぜ、北沢轟! タネがわかったところでどうしようもないんだよ、“先生”のお力はな! お前達の動きを全部読み取って、一手ごとの理想的な解答をリアルタイムで俺に伝達してくれる!」


 一か八かのカウンターを狙わなかったことは、結果的に正解だったということだ。

 今の状態で大技を放ったところで、確実に回避されていただろう。


「“優等生”の中で最も優秀な俺と、汎用機体で最高の基本性能を持つヴェンデリーネと、データが取得できれば絶対に対策を示してくれる“先生”の融合”! これこそが、完全にして万能の存在なんだよ!」

「そうじゃなきゃ困る、か……。まるで昔の俺だな、テメーは」


 猛撃の雨に晒される中、轟は呟きを漏らす。

 懐かしむほど遠くもない過去、轟は自分こそが最強の存在であると、絶えず自分に言い聞かせ続けてきた。

 そうすることで自己の精神を高めるというような、立派なものではない。

 効力としては、その真逆で、ただの現実逃避に過ぎなかった。

 駄々をこねている内に、誰もがそう認めてくれるのではないかという妄想じみた願望だ。

 だから、その願望を打ち砕く要素は認められない。

 ギルタブが轟とセリアに抱く、羨望を由来とする怒りも、結局はそこに帰結するのだろう。

 全てを手にし、誰よりも高みにあるはずの自分が、なおも何かを欲している。

 そのあり得ざる事態は、全身全霊を以て否定しなければならない。

 既に通過した場所であるがゆえに、轟にはギルタブの心中が痛いほどに理解できた。

 もっとも、当のギルタブは微塵も自認していないだろうが。


「だからこそ、テメーは完膚なきまでにブチのめす。大バカ野郎の目を覚ますには、それしか方法がねーからな……!」


 完全なる敗北を味わわせ、その事実を突きつけることで、否が応でも逃げ道を断つ――――

 なんのことはない。

 それは、これまでの戦いで幾度も実践されてきた、根性を叩き直す上で最も原始的で最も効果的な手段だ。

 結局、轟のやることは普段通りというわけである。

 どうすればギルタブの枷を壊すことができるのかと、あれこれ思考を巡らせたことの無意味さを悟って、轟はたまらず苦笑する。

 そして、反撃の機会を窺い防御に徹していた、自分の中途半端に合理的な立ち回りに対して嘆息をする。

 こんな利口さは、自分には不要なものだ。


「セリア、俺は諦めたぜ。いつ来るかもわからねー、一発逆転のチャンスを待つのはよ……!」

「君がそろそろそう言い出す頃だと思っていたよ。準備は出来ている、心構えの方もね」


 間髪を置かずセリアがそう言ってくれるのは心強かった。

 その一声があれば、もう恐れるものは何もない。

 轟はヴォルフィアナCの防御姿勢を解いて、一歩半だけ退く。

 この間合いの調整が、ギルタブとの戦いにおける最後の後退だ。

 あとはもう、前に踏み込むだけ――――

 轟は、バウショックを操っているときそうしているように、ヴォルフィアナCに前傾姿勢を取らせる。

 拳をいつでも繰り出せるように、腕は力を抜きながらも僅かに引く。

 主要な武術のどの型にも当てはまらず、生身での戦闘においての有効性はおそらく皆無に近い。

 強いて言うなら、轟の体に染み付いた轟の型。

 バウショックと共に駆け抜けた幾多の戦いの中で完成に至った、轟にとってのみ最も効率の良い動きができる構えだ。

 事実、直後に放たれたヴェンデリーネの三連撃を、ヴォルフィアナCは腕を払うことで華麗に捌き切る。

 三撃目に関しては、そのまま腕を掴み取ることにすら成功する。


「お前……!?」

「“先生”が教えてくれたのか、教えてくれなかったのかは知らねーが……どのみち、どうしようもなかったみてーだな」


 ギルタブが動揺を見せた一瞬を、轟は見逃さなかった。

 ヴォルフィアナCの腰を深く落とすとともに、握り込んだヴェンデリーネの腕を、渾身の力を込めて水平に引く。

 それにより、肘から先が千切られて、露出したケーブル類が激しい火花を上げた。


「待たせて悪かったな。始めようじゃねーか、ケンカを。もう何十回目になるかわからねー、俺とテメのただのケンカを!」


 握り込んだヴェンデリーネの上腕を投げ捨てながら、轟は威勢よく発する。

 その咆哮をきっかけにして、ようやく轟の中に感触が湧いてきた。

 故あって乗り合わせただけの戦闘兵器でしかなかったヴォルフィアナCに血が通い、自らの手足となったその感触が。

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