第169話 轟き、伝える(その7)
「発言が二転三転して申し訳ねーんだけどよ……。やっぱり、悪いのは俺の方だ。俺がビビリだったから、こうまでズルズルと引っ張っちまったところはある。できねーことができねーのはいいさ。だけど、できるはずのことをやらなかったってのは、それはもう、ダメなんだ」
終わりが見えないほど長大なシャフトの中をゆっくりと上昇していく、直径百メートル近い台座を備える大型リフト。
その中央に鎮座する、激戦を経て痛々しい姿となったヴォルフィアナのコックピット内で、轟は自罰的に言葉を紡ぎ続ける。
今の轟に、同乗者であるセリアの顔色を伺うことはできない。
轟が俯いたままでいることも理由の一つではあるが、単純に位置関係の問題もあった。
ヴォルフィアナのコックピットブロックは、連合製メテオメイルのものと同じく球状の空間となっているが、サイズは二回り近く大きい。
その中で、底面間際の傾斜に身を預ける轟と、中心の座席に腰掛けるセリアとでは高低差がありすぎるのだ。
加えて言うなら、今の轟には身を起こすだけの体力もない。
「そこのところは……これから、もうちょい気をつける」
ぼそぼそとした声で轟が言い終えると、シャフトの内部に響き渡るのは再び、リフトの重苦しい駆動音のみとなった。
その言葉が向かう先であるセリアだが、依然として、相槌の一つも返ってこない。
会話に割く余力さえ残っていないのならともかく、コンソール類を淡々と操作し続ける手元だけは視認できるため、轟はいっそう落ち着かない気持ちになった。
崩落を続ける地下格納庫から脱出を果たし、リフトを起動させるまでは普通に受け答えをしていたはずだが、どこかのタイミングで機嫌を損ねてしまったのだろうか。
いつまで経っても他人の感情の機微に疎い自分に轟は立腹すると同時に落胆もする。
それから一分ほどが経過し、いっそのこと理由を尋ねてみようという決心がやっとのことでついた頃。
轟が深呼吸を始めたタイミングで、ようやくセリアは口を開く。
先程から感じていたことではあるが、その口調は懐かしくもあり、同時に新鮮でもあった。
「やらなければ、できるはずのこともできなくなっていく……それも、君の言う『できるはずのことをやらなかった』の一種であると私は思う。そして、こちらの方がより重度の怠慢だ。謝るのは私であって、断じて君じゃない」
「セリア……」
「たったこれだけのことを言語化するのに多大な時間を要してしまったという事実が、その決定的証拠だよ。まさか、自分の心からの言葉を探し出すという作業がここまで困難を極めるとはね……」
セリアが、呆れた笑いを漏らす。
そう――――今のセリアは、植え付けられた人格データを纏うことなく、自分自身の言葉で話している。
数年、ともすれば十年以上にも及ぶ、途方もなく長い期間を経て。
外付けの人格を自在に切り替えるというのは、彼女だけが持ち得る特性である。
そのため、オリジナルの自分という概念や、それが表層化している際の気分というのは、轟にはいまいちわからない。
だが、セリアの言わんとすることは十二分に理解できた。
他ならぬ轟自身も、随分と長く、深い部分で他人と交わることを避け続けてきた身なのだから。
「もっとも……私の場合は衰えたというよりは、最初からやっていなかったと表現する方が正しいかな。心からの言葉が中々見つからないのは、心と呼べるものを人並みに積み重ねていないのが最大の原因だろうね。だから、こんな風に薄っぺらなことしか言えない」
「昔のことは、何も覚えてねーのか……?」
「私が思い出せる一番最初の記憶は、アークトゥルスの施設内で、オンラインの授業を受けているところかな。それが、四歳か五歳ごろの話。家族のことや、それまでどこに住んでいたのかはさっぱりだ。……そして、それから一年後くらいには“先生”から与えられたカリキュラムをこなすようになったから、私が私として過ごした時間は、本当に短い」
元々明るくもなかったセリアの口調が、更に仄暗いものとなる。
心なしか、コンソールを操る細い指も、轟には動きが鈍くなっているように見えた。
「“生徒”としての教育の過程で試験的に様々な人格データが導入され、ヴァルクスに派遣されるまでは、一年の大半がその実験さ。様々な役目に応じた様々な知識を、“先生”が思いつくままに、ほとんど無制限に覚えさせられた」
「……つくづく、クソ野郎だな」
現在でこそ、セリアは自我を再表出させることに成功しているが、悪趣味かつ非人道的な実験が継続されていれば果てはどうなってしまっていたのか。
考えるだけで、そら恐ろしく、そして胸糞も悪くなる。
それよりは、地続きになった未来のことに期待を膨らませるほうが遥かに健全といえた。
「まあ、終わっちまったことをどうこう言っても仕方がねー。これからやりてーことやりまくって中身を詰めていくしかねーだろ」
「そうするだけの自由が与えられるかどうかは、甚だ疑問だけどね」
「なんでだよ」
「なんでだよ、じゃないよ……。例え組織の命令に従っていただけだとしても、私の行いは、流石に度を越えている。穏当な処置で済むとは、とても思えない」
極度の達成感と疲労感から、そんなことにすら考えが及ばなくなっていた自分に轟は嫌気が差した。
先の戦いにおいて――――セリアはヴォルフィアナを操り、ヴァルクスのメテオメイル四機を戦闘不能に追い込んだだけでなく、拠点であるラニアケアを半壊状態に追い込んでいる。
それらの修理・改修にかかった費用は莫大で、連合全体の各種軍事計画に大幅な遅延が出てしまっているのが現状だ。
組織の末端構成員であり、実質的な精神操作を受けていたことを踏まえても、責任を追求してくる者は少なからずいることだろう。
だが、そのような事態が待ち受けていたとしても、大人しく屈するつもりなど轟には毛頭ない。
心配は無用であると、轟はわざとらしく鼻で笑ってみせる。
「だったら、お咎めなしになるまで、どこまでも食い下がるだけだ。お偉方に言われるがままじゃ終われねー。まあ、俺の頭じゃ、できる言い訳なんてたかが知れてるがよ」
「それでも駄目だったら?」
「そんときゃ瞬と大砲女、後輩女も巻き込んで大戦争だ。あいつらは口が達者だ。こういうときは、俺の百倍頼りになる」
「……本当に変わったね、君は」
轟の態度に感化されてか、セリアの纏う空気も少しだけ和らいだものとなる。
意図して他人を元気づけようとしたのは、果たして何年ぶりのことか。
あるいは、人生において初の経験かもしれない。
ともあれ、自分にはあまり似合わない行為であることは確かで、轟は今更のように口元を歪めた。
「君の中にはもう、仲間を頼るという選択肢が当たり前のように存在している。そして、当たり前のようにそれを選ぶこともできる。それは、大いなる進歩だよ」
「変わったのはテメーもだろ。俺を褒める前に、テメーを褒めろってんだ」
「なにそれ」
「考えるのも行動すんのも全部押し付けてた被りモンを取っ払って俺と喋ってるんだから、そっちの方がよっぽど、大いなる進歩ってやつじゃねーのか」
「君が私の中に踏み込んできて、散々暴れ回ってくれた結果だよ。私自身が、何か凄いことをしたとは思えない」
「俺が変わったのだって、テメーを連れ帰るだけの力が欲しくて、やれることを全部やってたら、勝手になってただけだ。要はテメーに引っ張られたようなモンだ。テメーの手柄だ」
「もう少し自分を褒めた方がいいという言葉、そっくりそのままお返しするよ」
お互い、自分の成長については全く自信を持てないが、それでいて相手には自信を持てと語気を強める――――
そのやり取りがあまりにもおかしくて、二人は今度こそ声を大にして笑った。
通ってきた道筋が異なるだけで、人格の根底を成す部分は、ひどく似通っている。
だからこそセリアを見捨ててはおけなかったし、だからこそセリアに見捨てられたくなかったのだと、轟は今更のように悟る。
そしてそれは、この原動天の場所を遠回しに伝えてきたセリアの側も同じ思いなのだろう。
「……じゃあ、このまま君に同行させてもらうとしようかな。色々と懸念事項はあるけども、君達がいるのなら、面白いことも多少はあるだろうからね。それに……」
「協力的なところを見せといた方が、扱いも良くなるだろうしな」
「ああ、それもあったね。確かに、それも大事な理由の一つだ」
「じゃあ、何を言おうとしたんだよ」
「寒いのは、苦手なんだよね」
「ああ、そうだな……。そりゃあ決定的だ」
冗談めかして言うセリアに、轟は喉を鳴らしながら答える。
立場に引きずられることのない、極めて個人的な動機―――それは間違いなく、セリア自身の心から生まれた、彼女にとってかけがえのないものだ。
セリアの自我は、希薄なだけであって決して虚無ではない。
それに、別の人格として過ごした日々も、個々で独立しているだけで偽りの記憶というわけではない。
いずれ真なるセリアの人格が確固たるものとなれば、それらを自分の経験として取り込めるということも、もしかすると有り得るだろう。
そうした未来が訪れるような環境をどうにかして用意するのが、これから轟の仕事だ。
自らの使命を強く意識して、轟は重い腰を上げる。
そもそも、ヴォルフィアナの“オーロラの檻”を打ち破るに至った理由の大半がそれだ。
適当なところに外出して、適当にうろつく――――ひどく具体性に欠ける約束だが、それでも確かに、轟が持ちかけ、セリアが承諾した。
様々な事情が込み入って達成が困難にはなってしまったが、それが最初の目標であることは変わらない。
セリアと真正面から向き合えるようになった今、もう一度、言葉にしておきたい。
その衝動に身を任せ、轟はシートに手をかけてセリアの前に回り込もうとする。
だが、そんな轟の行動を邪魔するものがあった。
「こいつは……」
正面モニターの一画に表示された三次元レーダーが、上方から急速接近してくる物体があることを報せてくる。
ただし、そう表示されるだけで、警告音は流れない。
何故なら、接近してくる光点は味方機であると識別されているのだから。
管理上は、依然としてエウドクソスの所属として処理されているヴォルフィアナの味方機――――それはつまり、今の轟達にとって敵機であることを意味する。
味方機同士ということもあって、データの照合は即座に完了し、光点についての詳細データはすぐに表示される。
その文字列に目をやった轟が顔をしかめるのと、当の機体から通信が寄越されたのは、ほとんど同時だった。
「ひどいザマだな、シャウラ。ヴォルフィアナを使っておきながら、バウショック程度にそこまで手こずるなんて……“先生”が仰られる通り、やっぱりお前は“劣等生”だよ」
過去数ヶ月でうんざりするほど耳にしてきた、常に薄ら笑いが付随する極めつけに不快な声。
それを放った青年、ギルタブが操る鉛色のメテオメイル――――墜ちた千手観音“ヴェンデリーネ”は、轟達に視認できる距離まで近づいたところでスラスターの逆噴射を開始。
厚い装甲をまとった身重な機体を、ゆっくりと降下させてくる。
ギルタブの悪意なき侮蔑に対してどう応じたものかと、セリアは轟に目線を向けて意見を伺う。
当然、轟の取るべき対応は決まっていた。
「テメーの言ってることは何もかもが的外れだぜ、ギルタブ。情報が古くせーんだよ」
「北沢轟がヴォルフィアナに乗ってるのか……? おいおい、こりゃあ一体全体、どうなってんだ?」
「セリアは俺が貰っていく、そんだけだ」
口調にこそ笑気を伴っているとはいえ、珍しく困惑の表情を見せるギルタブに、轟はぞんざいに言ってのける。
ギルタブにわざわざ何かを説明するというのは、本来は意地でもやりたくない行為の一つだが、この状況においては自身の勝ち得た結果を突きつけたいという欲求の方が上回った。
結果、ギルタブの上げる声は、ますます間抜けなものとなる。
後ろのセリアも何かを言いたげだったが、轟は続けて言葉を紡ぐ。
「元々は、テメーをブッ倒して、それからゆっくりセリアを探すつもりでいたけどよ……先に目的が達成できたからな。もう、テメーのことなんざどうでもいい」
「奇遇だな。俺の方も、実はどうでもよかったりするんだよな」
ギルタブの態度は相変わらずだったが、その一言だけは、どこか本気の嘲笑めいた印象を受けた。
そんな、轟の予感は見事に的中。
直後、ヴェンデリーネは滑らかな動作で両腕を眼下のヴォルフィアナへと向ける。
次いで、腕部を覆うカバーがスライド展開。
内奥より六連圧縮光子生成機構“ソーラフォース”の砲門がせり出し、直ちに斉射が開始された。
絶え間なく吐き出される多量の光弾が、豪雨のごとくヴォルフィアナの全身を打つ。
「お前が生きていようが、シャウラの状態がどうであろうがな」
「ギルタブ……!」
「なんてったって、俺に下された命令は、ヴォルフィアナに積まれたメテオエンジンの無条件強制回収なんだからな。“劣等生”のお前でも、意味はわかるだろ?」
「善戦はしたつもりだったんだけど、“先生”の定めた評価基準はクリアできなかったようだね……」
「そう落ち込むなよ。そもそもお前なんて、珍しい能力があるからとりあえず確保されてただけの人材だろ。切られるのは、時間の問題だったさ」
ひたすらに連射されるソーラフォースが、徐々にヴォルフィアナの装甲を削り取っていく。
ヴォルフィアナの圧倒的出力によって展開されるレイ・ヴェールなら、そのくらいの攻撃は完全に防ぎ切ることが可能だ。
しかし生憎と、バウショックとの戦闘によって全身各所のレイ・ヴェール発生装置が破損しており、現在の守りは手薄も手薄。
轟があれだけ攻略に難儀したのが嘘のように、巨体のそこかしこから、次々と爆炎が吹き出す。
「セリア!」
「大丈夫だよ、北沢君。落ち込んでなんかいない。これで、後腐れなく離反できるわけだからね」
「そうじゃねー、どうするんだこれから!」
轟は、狼狽して声を荒げる。
全身に満ちる途方もない充足感のせいか、ギルタブを眼前にしておきながら、こうなることが轟の頭からすっかり抜けてしまっていた。
ギルタブを蔑ろにしたのは、挑発の意図があったわけではなく、本当にただその存在が眼中になかっただけなのだ。
ともかく、このままではまずい。
先の戦いのダメージで、ヴォルフィアナの両腕兼両腕は使用不可能。
風切の部分を触手のように操ることができる両翼も、脱出の過程で落石を受けて破損したため、強制排除して置いてきた。
強力な光線“太陽の槍”を放つ胸部の宝玉は無事のようだが、ヴォルフィアナはまともに動くことができず、実質的に正面方向にしか発射できない。
他の武装も、今の機体のコンディションでは、使ったところで自壊するのがオチだろう。
つまり、頭上のヴェンデリーネに対する攻撃手段は皆無――――手詰まりということになる。
幾つもの扉をこじ開けてようやく辿り着いた未来が、ギルタブの横入りであっさり台無しになるという結末は、悲劇にすらならない。
恨み言を吐く気さえ失せてしまうほど、純粋に馬鹿馬鹿しい。
そして、それに関してはセリアも同意見のようだった。
「使える武器はないけれど、武器として使えるものならある。さっきまでコンソールを弄っていたのは、それの準備さ」
「使えるもの……?」
「ヴァルプルガやヴィグディスには搭載されていただろう。例え機体が撃墜されても、メテオエンジンと周辺部位だけを射出して安全な場所まで逃がす装置が。このヴォルフィアナにも、その発展型にあたるものが組み込まれている。これだけの巨体に見合った、大掛かりなものがね。もっとも、それを戦力として扱えるかどうかは、私達次第だ」
衝撃に揺れる機体の中で、セリアはモニター上に、この場を切り抜ける可能性となりうる“それ”を表示する。
映し出されたものを目にして、轟は盛大に破顔した。
併記された細かな情報を読み取るまでもない。
それがその形状を取っているというだけで、自身に何が求められているのかは瞭然としているからだ。
同時に、それを最大効率で運用するためにセリアが何をするのかも。
「なんだよ、いいのを隠し持ってんじゃねーかよ……! 俺との戦いのときに使ってれば、勝敗はわかんなかったんじゃねーのか」
「残念だけど私には、これを戦闘目的で使いこなせる才能はないよ。あくまで非常時用のものだから、構造的にも堅牢ではないしね」
「まあいい……こいつさえあれば、どうにか」
轟はセリアに促され、代わりに操縦席へ身を預ける。
そして、ほとんど同じタイミングで、ヴェンデリーネの射撃が停止する。
それは、攻撃そのものの停止を意味しない。
確実に轟とセリアの息の根を止めるため、そして機体に搭載されたメテオエンジンを奪い取るために、接近する必要があるというだけだ。
「組織の役に立てなかった者同士、仲良くお陀仏してくれよな」
まるでコース料理を食すように。
ヴェンデリーネが、後腰部に取り付けていた二本の長物“バルジケイン”と“リルグトライデント”を取り出し、前者をヴォルフィアナの胸部に押し当て、後者を突き刺す。
敵機の電力を奪い取る鉄杖と、光の刃を発生する三叉槍。
元より満足に抵抗できる身ではなかったヴォルフィアナは、悪辣な駄目押しにより、一縷の希望すら奪われて機能を停止する。
――――ギルタブの視点からは、そのような光景に見えていることだろう。
だが、リルグトライデントの先端から伸びる光刃がコックピットに到達するよりも前に、反撃の準備は既に完了していた。
北沢轟とセリア・アーリアル、そしてヴォルフィアナの内に眠るもの。
その三要素が組み合わさることで初めて実現する“もう一つの究極”が、今、ギルタブの前にその姿を現した。




