第167話 物言わぬ救主(その4)
自ら戦場に馳せ参じたケルケイムが、エウドクソスの首魁である“先生”の搭乗する輸送機を攻撃し、離陸不能とすることに成功。
その直後、同組織において幹部を務めるロベルトが組織全体に戦闘停止命令を発令。
これにより、地球統一連合軍の独立部隊“ヴァルクス”と、新世界創生機構“エウドクソス”との間で行われた大規模な戦闘は、実質的な終結を迎えることとなった。
あとは、輸送機から脱出した“先生”が連合側の出した降伏勧告を受諾するのを待つのみという状況である。
とはいえ、その人物はロベルトの上役。
ロベルト以上の往生際の悪さを見せることも十分に考えられるため、気を緩めるのは時期尚早といえた。
今回の作戦のために用意された急造品のメテオメイル“クラインヒェン”のコックピットから、ケルケイムはむしろこれまで以上に神経を尖らせて、眼下の輸送機を注視する。
「いよいよだな……」
“先生”との対面を待ちきれず、ケルケイムは意図せずして呟きを漏らす。
撃ち抜かれた左翼を起点に、徐々に炎に飲み込まれつつある輸送機だが、ケルケイムが意図的に狙いをずらした甲斐あって火の回りは遅い。
白を基調とした制服を纏う乗員達が、右側面に設けられたエアステアから飛び出してくるが、その歩調はせいぜい早足程度のものだった。
ただ、先行した四人には、要人の身を守ろうとする挙動が見られない。
ならば“先生”は未だ機内に残っているのだろうかと思い、ケルケイムはもうしばらく待ってみたものの、一向に後続は現われない。
組織の最重要人物の脱出が、こうまで手間取る事態は奇妙であり、そして異常だった。
(何が起きている……?)
ケルケイムは訝しんで、少しばかり思考を巡らせた。
この拠点にどれだけの構成員が存在しているのかは不明だが、施設の規模を考えれば最低でも数百名は下らないだろう。
となると、六、七十メートルはある船体に、片手で数えられる人員を乗せて脱出するというのは些か贅沢な配分だ。
どうしても“先生”を逃さねばという多少の焦りがあったにしても、偏りが激しすぎる。
はっきり言ってしまえば、効率主義のエウドクソスらしくない。
ならば、考えられる可能性は――――
しかし残念なことに、考察はそこで中断される。
視覚情報の変化が、ケルケイムの意識を現実に引き戻したからだ。
「これは……」
輸送機後部のハッチが自動開放され、その内奥から複数の作業用アームによって機外に搬出されたのは、巨大な多面体状の機材だった。
表面を構成するパネルはほとんど無地に近く、数少ない隙間からは淡い紫色の光が漏出――――その外観は、SF映画に出てくるような異文明の古代遺跡といった印象を受ける。
あまりにも異質な構造であるために、ケルケイムの知識では、その用途について一つの候補すら挙げることができなかった。
「乗員の脱出以外は認めないと言ったはずだが……」
ケルケイムは、未だ通信回線を開いたままにしているロベルトに向かって、冷淡に告げる。
それに対するロベルトの返答は至って真摯なものだった。
冗長めいた言い回しでもなく、冗談めかすこともない口調で、端的に説明を行う。
かつて、ケルケイムの恩師であったときと同様にだ。
「そちらの要求は、現在進行系で遵守している。今、君が目にしているもの……それが、我々を導いて下さる“先生”だ」
「どれが、だ」
「この期に及んで言葉遊びをするつもりはない。その十二面体型演算処理装置こそが、“先生”なのだ」
まともに取り合おうとしないケルケイムの言い回しに、ロベルトが微かな憤慨を交えながら、そう答える。
いついかなるときも精神的余裕に満ち溢れたロベルトが、その感情を表層化させることは極稀だ。
だからこそ、今の発言に限り、ケルケイムはこれ以上の追求を行わず素直に事実と捉える。
もっとも、あまりに突拍子のない話であるため、疑問は尽きない。
「……“先生”とやらの人格を反映した人工知能だということか」
「そうではない。いや……そもそもにおいて、君達は前提条件を違えているようだな」
「どういうことだ」
「我らが“先生”には、ベースとなる人格など存在しない。そもそも、人格に該当する概念すら持たない。我々の問いかけに対して啓示を与えるだけの、ただの極めて高性能なコンピューターなのだよ。個人的にはあまり好ましくない言い回しだが、君達の理解を促進しようとすると、こうした表現になる」
組織の頂点に君臨し、多くの人員と戦闘兵器を従えているものの正体が単なる機械にすぎないという、予想だにせぬ真実。
言葉にしてしまえば簡単だが、だからこそ余計に、その情報を受容することは困難を極めた。
「そんなものに、お前は……お前達は従い続けてきたというのか?」
「そうだとも。“先生”は、我々が投げかけるありとあらゆる疑問に対し、何らかの解答を示して下さる。これまで我々が実行してきた作戦計画や実用化してきた技術は、その全てが“先生”よりもたらされたものだ。言ってみれば、エウドクソスの構成員は皆、“先生”の解答を実現する出力装置のようなものだ」
「だとすれば、お前達は……」
「君達にとってはひどく突拍子もない話だ。それなりの混乱はあることだろう。だが同時に、色々と納得もできているのではないかね。我々の、これまでに」
ロベルトが語るとおり――――今このとき、大小様々なことが、ケルケイムの中で腑に落ちていた。
常人を遥かに凌駕する技能や知識を有する反面、あまりにも融通が効かず、結果として単調な立ち回りしかできないエウドクソスの構成員。
命令を盲目的なまでに遵守し、場合によっては自らにとっての不都合すらも平然と受け入れてしまう彼らの歪さは、“先生”の『方針』ではなく『性質』によって形成されたものだったのだ。
彼らの語る教育や啓示というのは、とどのつまり、思考能力の矯正。
彼らは“先生”が効率よく扱える形に、整えられているというわけである。
おそらくは、相当に非人道的な手段を以て。
「……こんなもので責任逃れをしようとは、程度が知れる」
「ほう?」
「人格を持たないなどというのは詭弁だ。結局のところ“先生”は、お前達が、お前達の目的のために作り上げたものなのだからな。頂点に据えられていようが、実際は人の手により操作されているも同じだ」
ケルケイムは、吐き捨てるように言い放った。
“先生”が解答を示すだけの受動的なシステムであるにも関わらず、エウドクソスという組織がこうも精力的に活動しているということは、歯車に回転を与えている事実上の支配者が隠れ潜んでいて然りなのだ。
人員構成を調べ上げれば、それが誰であるのかもいずれ判明する。
辟易してしまうほどの、あまりにも無意味な抵抗だ。
だが、ロベルト・ベイスンという男は、時間を無駄に消費することだけはけしてしない。
そのことを自身に言い含めた矢先、ロベルトはやはり、微塵の動揺すら見せることなくケルケイムの指摘に反論した。
「残念だが、それも違うのだよケルケイム君。“先生”は、我々の手によって生み出されたものではない」
「それは、どういう……」
「君には“先生”が、従来の科学技術の延長線上にある代物に見えるのかね」
言われて、ケルケイムは押し黙る。
“先生”のサイズは、輸送機との比較による目測で、およそ直径五、六メートル程度。
単一の演算装置でここまで巨大なものはケルケイムの知識にはなく、加えて形状も、既存のものと大きくかけ離れている。
短時間で運び出せるメリットはあるだろうが、メンテナンスに多大な手間を要するデメリットを差し置いてまで、その構造にする必要性は見当たらなかった。
「ならば一体、誰が、どのような目的で……。いや、まさか……!」
「そういうことだ。同じ時代に、あれほどの奇人が二人もいてたまるものか」
ロベルトの返答を待つまでもなく、ケルケイムの思考の中では、点と点が結びついてしまっていた。
これまで一切の関連性を見いだせず、やむなく遠い場所に置いていた、最悪の点同士が。
「我々は確かに、連合とオーゼスのデータを盗用できる立場にあった。しかし、我々の運用していた機体は、盗んだデータだけで到れる仕上がりではなかっただろう?」
敵機のコントロールを奪うだけでなく、その場でエンジンすらも取り込むことが可能なヴァルプルガ。
強力な電磁迷彩により、いかなるレーダーにも感知されず行動することが可能なヴィグディス。
敵機のエネルギーを強制放電させて弱体化させた後、本体の高い基本性能で蹂躙を行うヴェンデリーネ。
メテオエンジンを四基搭載し、それらがもたらす圧倒的出力で攻防ともに他を隔絶するヴォルフィアナ。
エウドクソス製のメテオメイルは、いずれも強烈な独自性を有しており、そして完成度も非常に高いものばかりだ。
ケルケイムは長らく、エウドクソスにもオーゼスに匹敵するほどの優秀な技術者が在籍しているものとばかり思っていたが――――
「このろくでもない戦いを引き起こした張本人……メテオメイルを最初に作り上げ、九人の破綻者を呼び集めた全ての元凶。つまり、オーゼスの真のトップ。“先生”は、かつてその人物によって造られたものだ。我々はそれをとある事情から入手し、運用しているにすぎない」
「……エウドクソスは、オーゼスの下部組織だったということか?」
「まさかだろう。それは、我々の目的とこれまでの活動からも明らかのはずだ。“先生”を作り上げた人物は、この事実を把握できていないか、把握した上で敢えて容認しているか、第三者に利用させるため意図して放置したのか……あるいは、その存在を失念してしまっているのかもしれないな」
未だ、オーゼスの中核たる人物については、その正体を探る上で何の手がかりも掴めていない。
ただ、判明している事実だけを列挙していく限り、常人には到底理解し難い人物であることは確かだ。
だからこそ、常識的には最もあり得ないであろう四つ目の可能性が、ケルケイムには、逆に最有力の説のように思えた。
「ともあれ、確かなことは一つ。“先生”は、それを生み出した人物に匹敵するレベルの極めて優秀な頭脳を有しているということだけだ。我々はだからこそ、“先生”に世界に絶対の調和をもたらす救世主の役目を求めたのだ」
急に話がきな臭い方向へと転換し、ケルケイムは眉をひそめる。
次々と新事実が露呈する要点だらけの会話だが――――立場に一切囚われないケルケイム・クシナダ個人として最も気にかかるのは、やはりロベルトがエウドクソスなどという馬鹿げた組織に手を貸している理由だった。
誰より広い知見と柔軟な思考を持ち、あらゆる問題を円滑に解決できる手腕を備えた男が、理想の到達点としてエウドクソスを選んだという事実を、ケルケイムを未だに信じることができていなかった。
「司令……! “先生”は見つけられたのか?」
「瞬……来たか」
南方から接近してくる四つの機影をレーダー上に確認して、ケルケイムはようやく人心地がついた。
四機というのは、セイファート、オルトクラウド、ゲルトルートに加え、それらに包囲されながら歩くギルタブのヴェンデリーネである。
ギルタブはロベルトを通して武装解除の命令を下されているため、ヴェンデリーネの主兵装である“バルジケイン”と“リルグトライデント”は事前に投棄されている。
ケルケイムとしては、ここでヴェンデリーネを完全に破壊しておきたかったが、上層部から出た鹵獲要請がそれを不可能としていた。
また、機体が健在のままギルタブを降ろすことは、ヴェンデリーネが自爆を行うに際しての制約が緩くなることを意味する。
万一“先生”に逃亡された場合の追跡要員として瞬達を呼びたいだけだというのに、ヴェンデリーネをわざわざ連行しているのには、そうした止むに止まれぬ事情があった。
「“先生”ならば、今しがた機内から出てきたところだ。連奈、私のクライヒェンとポジションを交代してくれ。それは、私が直々に確保する」
その指示を出し終えて、ケルケイムはようやく、長時間操縦桿を握り込んでいた両手の痺れを実感する余裕を得た。




