第165話 轟き、伝える(その5)
「……ったくよ。今度は一体、何女なんだ?」
轟は辟易しながら、相対する少女に向かって尋ねる。
『彼女』はまだ、たった一言を発しただけだが――――不自然な態度の豹変から、それがシャウラと入れ替わりに表層化した、また新たな人格であることは明らかだった。
『彼女』が纏う、無味無臭の乾いた空気は、セリア・アーリアルのものとも異なる。
「他の人格データに重大なエラーが生じた際の、フェイルセーフ用プログラム……主な役割は、緊急事態発生時の任務代行。君の知能でも理解できるように説明するなら、“他”が壊れたときの応急処置みたいなものだね」
「要するに、悪あがきってことだな。誰の意志で切り替わったのかは知らねーが」
“彼女”が言い終わるやいなや、轟は容赦なく、ばっさりと切り捨てる。
“彼女”の言葉は、内容の理解どうこう以前に、そもそも吟味すらしていない。
別の人格を出して、場を繋ごうとする。
その行為自体が、彼女が逃げの一手に出たことをはっきりと表していて、それ以上のことを考える必要はなかったからだ。
「そういうところだぜ」
「まるで要領を得ない発言だね。何を指してのものなのか、もう少し詳しく説明して欲しいところだ」
「俺は……俺達がこうなっちまった原因の十割が、俺の不甲斐なさにあると思って、今日まで必死に償い方を考えてきた」
“彼女”のリクエストに律儀に応じてやるつもりはなかったが、結果として、そういう形になってしまった。
どうすれば、彼女の信頼を取り戻すことができるのか。
どうすれば、あの短くも懐かしい毎日に戻れるのか。
轟は三ヶ月もの間、それだけを考え、ひたすら邁進してきた。
その甲斐あって、轟は自分の誤ちも、抱える弱さの根幹も、とうとう正しく把握するに至った。
そして、だからこそ判明したこともあった。
自分と彼女とを巡る一連の悶着において、それはある意味で肝心なことだ。
彼女に対する深い罪の意識から、ずっと蓋をしてしまっていた、その思いを――――今、轟はふてぶてしい態度で言い放つ。
「だけど今日、テメーと散々くっちゃべって、ついに確信したぜ。半分はテメーの責任だ。テメーも俺に謝れ」
「は……?」
「俺は底抜けにバカで、臆病な男だ。でもテメーも底抜けにバカで、臆病だ。一方的に被害者ヅラされる謂れも、呆れられる謂れもねーってことだ」
呆気に取られる“彼女”の前で、轟は思うがままに言葉を紡ぐ。
他の人格を盾にして、直接の対話を拒み続ける彼女に対しての苛立ち。
それこそが轟の偽らざる本心であり、最も大きな胸のつかえ。
おかげで轟は、自身の責務を遥かに超過した献身を強いられてしまっている。
一時は、全てを捧げる覚悟を決めもした。
だが、彼女と戦えば戦うほど、心を覆う余計な殻が剥がれれば剥がれるほど、眼前の不公平に対する不満が浮き彫りになってきた。
結局のところ、北沢轟という人間は、悟りの境地とは縁遠い存在。
神仏ではなくただの人間、大人ではなく子供なのだ。
だから、どこまでも正直になって、自分の都合を喚き立てる。
綺麗事を吐くのも、身の丈に合わない理想を吐くのも、もうこりごりだった。
彼女と再び共に歩む未来を望んでおいて、その開き直りは、逆効果のようにも思える。
しかし、彼女くらい難攻不落の相手には、逆効果くらいで丁度いいのだという思いもまたあった。
投げやりになっているのでもなければ、漠然とした見通しでもない。
保身に関して人並み外れた才覚を持った強敵達と、幾度となくやり合ったことで得た、確かな経験則だ。
「こちらは行動も思考も大きく制限されているんだ。その厳しい条件下で、同じ五分の歩み寄りは不可能だろう。セリア・アーリアルやコードλなら、きっとそう返答するだろうね」
「テメーにしては、つまんねー言い訳だな。……いや違う、俺が言いたいのは、そうじゃねー」
思いを正しく形にできない、自分の語彙力の低さに嫌気が差す。
しかし今回は運良く、さほど間を置かずに、及第点を出してもいい言葉が浮かんできた。
「テメーは、そんなつまんねー言い訳もできるんだな。そうだ、こっちだ」
「結局、貶していることに変わりはないようだけど」
「バカ言え、褒めてんだよ。やっとそんな、人並みにつまんねーところを見せてくれたんだからよ」
「つまらない部分が評価点になるなんて、全く理解できない主張だね。……ああ、だから始末の許可が降りたのか」
“彼女”の淡々とした呟きが終わるとともに。
内々の準備が終わったのか、いよいよを以て、ヴォルフィアナが活動を再開する。
両腕をともに後方へ引くという構えは、重心移動を行わずとも強力無比な打撃を繰り出せるヴォルフィアナならではのものだ。
そして、人格が新たなものへ切り替わったことを示すように、挙動も今まで以上に機械じみたものとなっていた。
「私は一切躊躇しない。君がそこをどかないというのであれば、私が持つ全ての能力を駆使し速やかに排除させてもらう」
「そうだ、出してみやがれ。テメーの全部を。俺はバカだからよ……勿体つけられちゃ、わからねーんだ!」
そのやり取りが終わった瞬間、二人の状態と二人を取り巻く状況の双方において最終ラウンドと呼ぶに相応しい戦いが幕を開けた。
一触を間に挟むことさえしない、即発。
轟と“彼女”は、もはや相手の様子を一切伺うことなく、それぞれの右拳を前方へと繰り出す。
直後、互いの拳の表面に展開されるレイ・ヴェールが衝突し、激しい閃光が飛散した。
結果は、互角。
またもバウショックが会心の一撃を炸裂させ、数十倍ものサイズ差・質量差を超克して、パワーの総合計においてヴォルフィアナのそれと並ぶ。
先の一撃を受けて、既にあらぬ方向へとねじ曲がっていたヴォルフィアナ右腕の四指は、とうとう完全に砕けるに至った。
しかし、その光景を目にしても、轟が浮かべるのは渋面だった。
ヴォルフィアナの指が何本喪失しようと、装甲が何枚剥がれ落ちようと――――ただ叩きつけるだけの、打撃兵装としての運用ならば、さしたる問題はないのだから。
「できればこんな、知性の欠片もない雑な戦い方はしたくなかったんだけどね……だけど、この対応が最も有効だという分析が出ている」
「ぐっ……がっ!」
矢継ぎ早に繰り出される、ヴォルフィアナの左拳。
轟は研ぎ澄まされた己の感覚に身を委ね、もう何度もそうしているように、一点にレイ・ヴェールを集中させた神がかり的な拳でそれに応じる。
だが、生じる反動――――コックピットを襲う揺れは、大きくなっていくばかりだった。
ヴォルフィアナの打撃が、威力を増しているのではない。
バウショックの内部フレームの各所に設けられたショックアブソーバーが、激しい負荷に耐えきれず、打撃を放つ度に破損を繰り返しているのだ。
無論、他の部品もそれは同様で、操作の完了から動作の実行までのタイムラグも増えていく。
未だ、腕部のフレームが折れずに駆動してくれているのは、もはや奇跡の領域だった。
(魔法は、所詮は魔法……いつまでもは続いてくれねー)
よろめくバウショックに対し、ヴォルフィアナの三打目が放たれる。
その一撃も、どうにか威力を相殺することには成功した。
だが、拳と拳が衝突を果たした刹那、これまでにない異様な感触が轟の全身を駆け巡る。
押し込んだときの反動は不自然に軽く、押し戻される反応は不自然に重い――――
全身各部の細かな破損が積み重なって、いよいよ致命的なレベルに達した合図だ。
自身の知覚能力が百パーセント以上の性能を発揮しているという、至上の好調状態にあるからこそ、機体の寿命も正確に割り出せてしまう。
そしてそれは、本当に残り少ない。
しかし、轟の表情に絶望の色が浮かぶことはなかった。
むしろ、選択肢が極限まで絞られたことに対して有り難ささえ感じる。
「ビビリの俺には、都合がいいってもんだ……!」
限界を超えた酷使により、絶えず痙攣を繰り返し、気を抜けば即座に脱力感で崩れ落ちそうになる――――そんな、吹けば飛ぶような肉体に、轟は最後の喝を入れる。
楽なものだった。
どうせ機体の方も次の攻撃で自壊を迎えてしまうのだから、パイロットの側も、先を見越して余力を残しておく必要性がない。
深い前傾姿勢となり、両腕をだらりと落とすバウショック。
その姿は、“彼女”の側からすれば、力尽きたか、勝利を諦めてしまったように映るかもしれない。
だが、違う。
これは、“彼女”との長い戦いにおける、唯一の体力温存。
次の瞬間に全てを解き放つための、最後の下準備だった。
「どれだけの思いも、力も、ヴォルフィアナという絶対の障壁を貫くことはない。君の何一つ、私には届かない。それが、現実なんだよ……!」
相対する轟にも、そして自分自身にも言い聞かせるように、“彼女”が主張を発する。
同時に、ヴォルフィアナは両腕を最大限まで広げるという予備動作に入る。
その体勢から繰り出される攻撃は、一つ。
直後、ヴォルフィアナの両腕は、その間に立つバウショックへ同時に叩きつけられた。
命中すれば一撃必殺、あらゆる手段を以てしても防御不可能な、単純明快な最強の質量攻撃。
ただし―――轟が己の眼に映しているものは、それゆえに生まれた大きな隙の方だった。
「そんな窮屈な現実は、ブッ壊す!」
ヴォルフィアナの両腕がバウショックを叩き潰す、その寸前。
轟はバウショックを跳躍させ、ヴォルフィアナの左腕に飛び乗る。
そのまま、坂状になった上腕と肩を蹴るようにして登り、ヴォルフィアナの真上を取った。
そして、ヴォルフィアナの装甲表面に展開されているレイ・ヴェールの反発力を利用し、もう一度上空へと跳んだ。
その際の力強い踏み込みが決定打となって、バウショックの右脚は空中で飛散する。
この瞬間を堺に、もう仕切り直しは不可能となった。
「機体の中枢部だけを破壊して終わらせようだなんて……そんな虫のいい話はないよ、北沢君」
しかし流石に、“彼女”も冷静だった。
轟の狙いと動作を完全に読み切り、即座に迎撃に出る。
バウショックへ向けて放たれたのは、両翼に仕込まれた、無数の風切を撃ち出す特殊武装。
翼のフレームとを繋ぐワイヤーが伸びて生まれた、十数の触手が、落下中のバウショックを絡めるべく迫る。
それらへの対抗策は、持ち合わせていない。
気力でどうにか意識を保っている今の轟には、一度使われただけの武装の存在など、記憶に留めておけるわけもなかった。
対処を考えられる時間的猶予は、ほとんど無に等しい。
ゆえに轟は、無数の実戦経験を刻み込んできた肉体に、対応を委任する。
思考放棄と絶対的自信、矛盾する二つの要素を孕んだ判断。
それは幸いにも、この場においては最高の働きをしてくれた。
「ブッ壊すって言ってんだろーが、よぉ!」
轟は落下の最中にバウショックの全身を捻り、巻き付こうとしていたワイヤーをまとめて弾き飛ばすと、その回転すらも利用してヴォルフィアナの上部に左拳の一撃を叩き込む。
その絶大な威力は、ヴォルフィアナの装甲を深く陥没させるが、同じだけの反動を受けて左腕もまた勢いよく砕け散った。
「う、あああっ……!」
機体を激しく揺さぶられたためか、通信回線を介して“彼女”が上げた悲鳴が、轟の耳元に届けられる。
ヴォルフィアナには頭部に該当する部位が存在しないため適切な表現ではないが、今しがた殴りつけた部位は、通常の人型メテオメイルでいうところの首元。
胴体部には、凶悪な破壊力を誇る光線“太陽の槍”の発射口ともいえる宝玉状のパーツが埋め込まれているため、搭乗口があるとすればこの位置である可能性が極めて高かった。
轟の狙いは、最初からその一点のみ。
どうにか機体の内部に乗り込んで、“彼女”自身を無力化させる――――轟の技術とバウショックの機体性能でヴォルフィアナを沈黙させる方法は、他に存在しない。
だからこそ、この戦闘の間ずっと、轟は上方から攻撃できる機会を伺い続けていた。
「まだだ……まだ、こんなものではヴォルフィアナは!」
今の一撃によるダメージが、ヴォルフィアナのコックピットにまで及んだのではないかと憂慮していた轟だったが、やはり他を隔絶する防御性能を誇る機体――――そうそう簡単に黙ってはくれない。
ヴォルフィアナ本体も、翼から伸びた触手も、平然と動き続ける。
「頑丈だなあオイ! だけどよ……!」
再び遅い来る触手の群れを、轟は右腕と左脚だけとなったバウショックを器用に操り、転がるような動作で巧みにかわす。
とはいえ反応速度の限度はあり、先に左脚が絡め取られてしまうが、これは轟の計算通りだった。
四肢の半分を喪失したバウショックに打撃を放つことは不可能。
だが、命綱で結ばれている現状、話は別だ。
轟はバウショックの右腕で力強くヴォルフィアナを殴りつけると、その反動を利用して、機体を一気に跳ね上げさせる。
これにより、とうとう両腕が喪失―――いや、ワイヤーに締め上げられた影響で左脚も実質的に役目を終えている。
それでも、まだ攻撃手段は残されていた。
「文字通りの、捨て身……」
“彼女”も轟の目論見に気づいたのか、残る触手を全て頭上のバウショックに差し向けるが、もう遅い。
ワイヤーの先端から伸びる風切が、次々とバウショックを刺し貫くが、それでもバウショックは背面のスラスターを最大出力で噴射して、強引に垂直落下。
そして弓なりに身を反らすと、額から鋭い二本角が伸びた頭部を、渾身の力でヴォルフィアナへと叩きつけた。
「これで、終わりだ!」
絞り出された、轟の咆哮とともに。
ヴォルフィアナの上部装甲が、完全に砕かれる。
無論、それを成したバウショックの頭部も。
四肢全てと頭部を犠牲にした、壮絶な特攻。
求めるところを成すために、何一つ――――自分の体力と精神力のみならず、搭乗する愛機を乗り捨てることすら惜しまない、究極の全身全霊。
それだけの積み重ねを以て、轟の手はようやく、目指した高みへと届いた。
もっとも、まだ決着は着いていない。
触れることはできても、掴み取れてはいない。
“彼女”に最後の一撃を打ち放つのは、ここからだ。
「頭ブッ壊しておいて言えた義理じゃねーが……見といてくれ、バウショック。俺がどこまでやれるようになったのかを。お前が、どれだけ俺を引っ張り上げてくれたのかを。俺は、お前で学んだことの何一つ、無駄にはしねー」
轟は、物言わぬ躯となったバウショックに自分なりの別れを告げると、足元の近くにあるレバーを操作して、手動でコックピットハッチを開放――――機体の外へと転がり出る。
そして、ヴォルファイアの上を息も絶え絶えに這いずりながら、自らこじ開けた装甲の歪みの中へ身を投じた。
「これでやっと、あいつに言える。当たり前に言わなきゃならないのに、ただの一度も言えなかったことを……!」
その言葉を届けたいと願う一心に突き動かされるように、轟は、薄暗闇の最奥に待ち受けていた円形のハッチに手をかける。




