第163話 物言わぬ救主(その3)
「自分達の立場は重々に承知しているつもりだが……だからこそ、先にこれだけは言わせてくれ。おめでとう、ケルケイム君。」
ヴァルクスが盤上にねじ込んできた自作の駒――――存在しない五番目の連合製メテオメイル。
その機体が、組織の頂点たる“先生”の搭乗する輸送機にレーザーライフルの狙いを定めているという、エウドクソスの存亡に関わる絶体絶命の危機。
場は、本来ならば緊迫した空気に包まれるはずだった。
しかし、室内が沈黙に支配される寸前、力強い拍手を交えたロベルトの称賛がそこに差し挟まれる。
状況にそぐわぬその行為に、敵と味方の全員が戸惑い、自らの取るべき反応を見失う。
『お前は、一体何を企んで……』
「素直に君達の健闘を讃えているのだとも。十分な根拠もなしに敵方の行動を絞り込みすぎた、些か以上に粗の多い作戦ではあったが……私はこれを、運任せの下策とは評しない。数々の無謀の合間に、それを有効なものへと変える絶妙な軌道修正が介在していたからこそ、この結果に行き着いたのだと考える。徹頭徹尾、君の手腕やパイロット達の奮闘の成果だということだ。だからこそ素直に感服もする」
『これ以上、喋るな……!』
ケルケイムの怒声とともに、“五機目”のレーザーライフルの後端部から、微かに蒸気が吹き出る。
いつでも発射できるというアピールのつもりなのだろうが、残念なことに、ロベルトにとってそれは威嚇として機能しない。
ケルケイムという男が、極めて理性的な人物であるがゆえだ。
まだ彼は、輸送機に“先生”が搭乗しているという確証を得ていない。
その可能性を懸念する段階に留まっている。
『質問に答えろ。その輸送機に、お前達が“先生”と呼び盲信する、エウドクソスを束ねる人物は乗っているのか?』
「ああ。乗っておられるとも」
ロベルトが軽率に発した、あまりにも正直な返答を聞いて、中央管理室の内部は再び騒然となった。
これから始めるのは、“先生”を無事に逃すための駆け引きではなかったのか――――驚愕と不安の入り混じった眼差しが、四方八方からロベルトに向く。
一方のロベルトは、彼らの心情を意に介することなく、更に言葉を紡いだ。
「相変わらず頭の固い男だな、君は。あれだけ賞嘆してみせたというのに、まだ降参の意が伝わっていないとは。そもそも、自らの敗北を認めていない者が、わざわざ交信に応じるかね?」
『あなたならば、あり得る』
「信用がないな……いや、逆にこの上なく信用されていると受け取るべきか」
ケルケイムの率直な物言いに心地良さを感じながら、ロベルトはそう答えた。
声色に含まれた重みだけでも、ケルケイムがますますに注意深くなっているのを感じる。
単に疑念を向けているだけではなく、ロベルトがそうすることの意図まで読もうと思考を巡らせている。
相手がそこまで視野を広げて、ようやく頭脳戦は面白みが出てくるというものだ。
「それでだ、ケルケイム・クシナダ……君の出した結論は、どちらなのだね」
自身の発言は、真か偽か。
ロベルトは、ただそれだけの極めてシンプルな問いを投げる。
“五機目”は、寄せ集めのパーツで作った急造品であり、メテオエンジンを搭載していない番外機。
加えて、ケルケイムの操縦経験もたかが知れている。
撃てるのはせいぜい三射から五射で、そのうち半分は無駄弾になるだろう。
となれば、軽率な発射は禁物。
“先生”が別の輸送機や他の移動手段で逃亡する可能性まで考えて、眼前の輸送機を見逃すことも、十分視野に入ってくるのである。
『本当に“先生”とやらが乗っているのならば、その身柄を引き渡してもらおう。撃墜による殺害は、あくまで次善の策だ。連合としては、確保が望ましい。聞きたいことは山のようにあるからな』
「もっともな意見だな。しかし残念だが、その要求は呑めない」
『やはり、虚偽の発言だったということだな』
「保証の術を持たないからだよ」
ロベルトがいま指摘した部分こそ、ヴァルクスが敢行した、この作戦における大きな問題点の一つだ。
ある理由から、“先生”のパーソナルデータを調べ上げることは絶対に不可能となっている。
戸籍、経歴、身体的特徴―――外部の人間には、それらの断片一つ、把握することが許されない。
ロベルトの性分的に、絶対という表現を用いることには抵抗がある。
だが、ケルケイムの浅慮な発言は、彼が未だ真相に辿り着いていないことを裏付けるこの上ない材料だった。
「これから、何者かが輸送機から降りて、そちらに向かってきたとしてだ……君は、その人物が“先生”であることをどうやって確かめる? 馬鹿正直に当人の主張を信じるとでもいうのかね」
『それは……!』
「こちらのペースに呑まれないよう、どうにか第三の選択をしたいという心情は理解できるが、この状況においては無意味な反抗だ。輸送機を撃墜することで乗員全てを仕留めるか、ブラフに備えて弾を温存するか。君に与えられた選択肢はその二つだけだ」
『……一つ聞きたい。組織のトップに立つ“先生”を、軽々と秤にかけるその判断、当人は納得しているのだろうな? 私のコンタクトにそちらが応答するまで、大した相談の時間はなかったように思えるが』
「こういった事態への対処方法など、事前に幾つも用意してある。いまさら慌てて意見を伺う必要はどこにもない」
ケルケイムの一手は中々に鋭かったが、ロベルトはそれを難なく捌き切る。
一瞬、“先生”に確認を取る素振りをすることも考えたが、今のケルケイムを前に芝居を打つのはリスクが高い。
独断の決定であることに舵を切り、真と偽を両立させ続けるのが最適解だった。
そして、ロベルトは反論を待たない。
ケルケイムの攻め手が止まったこのタイミングに、一気に畳み掛ける。
「……なあケルケイム君、差し出がましいようだが、君の悩みを解消する提案を一つさせてもらっても構わないかね」
『今更、私が敵の甘言に耳を貸すと思っているのか?』
「今の君は、決着を急ぐあまりに、ひどく視野が狭くなっている。そのせいで、連合に多大な不利益をもたらそうとしている。このままでは、我々が勝つのではなく、君がひとりでに負けてしまうぞ」
『……ならば尚更、それを私に話すメリットがないだろう』
「あるさ、こちらにも、無論」
言いながら、ロベルトは手元のコンソールを操作して、指示を送る。
主戦場から少し離れた、原動天地上部の北東区画と東区画それぞれに、残存するフェーゲフォイアーの数機を集めろと。
よほど注意していなければ察知できないレベルの、しかし必ず微小な気配をちらつかせる、評価に換算すれば九十五点の隠密行動という条件付きで。
そこに、何か重要な施設が存在しているわけではない。
重要なのは、その不審な行動をケルケイムに気づかせ、勘ぐらせることだ。
「君は……というより君達は、もう十分に大手柄を挙げている。この原動天を失ってしまった我々は、組織の再建に年単位の時間を要するだろう。メテオメイルだけの運用にしても、数カ月は先送りになる見通しだ」
『だから見逃せとでも言いたいのか』
「私にも、ささやかながらプライドはある。そのような懇願をするつもりはない。しかし、君がこの場において、敢えて“先生”の確保ないし殺害に拘る必要性もまた感じないな」
『戯言だ。表現の違いでしかない』
「そうかもしれないが、それで十分だろう、君達にとっては」
『それは、どういう……』
「エウドクソスにとってあの方が必要不可欠なのは確かだが、かといって他の人材が不要というわけでもない。世界各地から、極めつけに有能な人材を集めたのがこの組織だ。むしろ誰一人欠かせないとすら言える。輸送機に乗っているのが誰であれ……撃墜してしまえば、我々にとって、確実に大きな痛手となるわけだ」
『結局は、“先生”を差し出すつもりなど毛頭ないということか。勿体をつけた割には……いや、だからこそ勿体をつけたのだな』
ロベルトは、ケルケイムの漏らす息の中に、納得を由来とする唸りが混じるのを聞き逃さなかった。
それもそのはず、今しがたのロベルトの言い分を吟味すれば、目の前にある輸送機に“先生”が乗っていないと暗に宣言したも同じなのだから。
ロベルトの狙いが、妥協を強いることにあるという誤った結論に、ケルケイムは行き着いてしまったのだ。
『ならば……』
ケルケイムの小さな呟きとともに、ついに、待望のときが訪れる。
上半身を微動させ、頭部と、手にした銃口の向きを僅かに変える“五機目”。
それは、これまで輸送機にぴたりと張り付いていたケルケイムの意識が、別方面に逸れつつあることの証左。
どこかで進行している不穏な動きを嗅ぎ取ろうと神経を尖らせている様子が、容易に想像できる。
ケルケイムほどの観察眼ならば、“五機目”のセンサーで、無意味に集結するフェーゲフォイアーの姿を捉えるのも時間の問題だろう。
しかし、まだ油断は禁物だ。
ここから先は、忍耐力の勝負。
ケルケイムの注意は、確かに輸送機から剥がれかけている。
が、言葉巧みにその後押しをするのは、目も当てられない悪手。
ケルケイムに一切の違和感を抱かせないためには、当人の判断で、自然に剥がれるのを待つ必要がある。
ゆえにロベルトは、口数を減らし、未だ全身全霊を賭して頭脳戦を繰り広げている風を装う。
敵の秘策を探り当てたとき、それが入念に隠匿されたものであるほど、人は慢心する。
自らの力で敵の目論見を暴いたときに得られる全能感が、思考回路を狂わせる。
かつて自分がケルケイムに送り、後に返されはしたものの、すぐに送り返した教訓だ。
(ケルケイム君……申し訳ないが、押し付け合いならば私の独壇場だ。君にはそのまま抱え続けてもらう)
喋りすぎるのは迂闊だが、黙りすぎるのも危険。
いい加減に口を開いて、をケルケイムの確信を揺らがせねば――――そうすることで逆に、より確信を確固たるものとせねばと、ロベルトは膨大な語彙の中から効果的な組み合わせを模索する。
と、そのときだった。
先にケルケイムが、全く予想外の方向から仕掛けてくる。
『連合在籍時代に見せつけられた、神算鬼謀の数々。そして、“生徒”やメテオメイルすら捨て駒にするエウドクソスが、わざわざ危険を犯してまで救出に出向いてきたという事実。私はてっきり、お前がそちらでも重要なポストに就いているとばかり考えていたが……どうやら、私の買い被りだったようだな』
「……?」
『長年に渡って連合を陰から操ってきた秘密組織ともなれば、まだまだ優秀な人材はいるらしい。そのことが、ようやくわかった』
「何を根拠にそう考えたかは知らないが、君の推察は的外れだと指摘しておく。具体的な序列は伏せるが、私以上の権限を持つ者が片手で数えられる程度の要職は任せられているよ」
ロベルトには、ケルケイムの意図がまるで読めなかった。
自分の発言を何度脳内で反芻してみても、“先生”の所在を特定する上で、有益な情報は見当たらない。
ただ、人間は意味のない行動を取ることもある。
攻め手に窮しているときには、特に。
常にアドバンテージを取られ続けている状況に対する、抵抗の一環。
体裁を取り繕うためだけの、実質的な逃避行動。
いまのケルケイムの一手を表現する上で、それが最も適切な言葉だろう。
つまり、形勢は何も変わって――――
『だろうな』
まるで時間が巻き戻されるかのように。
ケルケイムの冷ややかな一言が放たれた後、“五機目”が、手にしたレーザーライフルの銃口をすぐそばの輸送機に向け直す。
ケルケイムの口調に、気の迷いは見当たらない。
一方で、運否天賦の勝負をする際の過剰な鼓舞も感じない。
確かな証拠を掴んだ者のみが持ちうる、堅牢な意志だけが宿っていた。
どういうわけか、ケルケイムはロベルトの計略を看破している。
どこでヒントを撒いてしまったのか。
ロベルトは柄にもなく焦り、迅速に、自らの発言を振り返った。
だが、致命的と呼べるほどのミスは見当たらない。
だとすれば、気付きを得たような素振りを見せ、揺さぶりをかけるのが目的ということになる。
(随分と真に迫ったブラフだ。この私が、危うく乗りかけるところだった)
空調は問題なく効いているというのに、いつの間にか、額にはじんわりと汗が滲んでいた。
どうせ見えてはいまいと、ロベルトは、それを拭うために右腕を持ち上げる。
その、矢先だった。
モニターの向こう側で、目を覆うほどの眩い閃光が、一度生まれる。
言うまでもなく、その正体はレーザーライフルから吐き出された光の奔流。
それは、大気を焼く鈍い音とともに空間を直進し、輸送機からほんの五メートルほど離れた地面を掠めるようにして飛び去っていった。
輸送機は、直接のダメージはなかったが、全く無事では済まない。
横殴りの激しい熱風を真横から受けて、リフトの端まで押しやられる。
実際に、数限られたエネルギーを使った以上、もう後に引くことは出来ない。
これほどに念の入ったブラフなのか、あるいは、まさかの――――
「ケルケイム君……!? 君は……!」
『この姿勢での試射は事前にデータを取っていなかったからな……。やはりブレが大きい。だが修正可能な範疇だ。次は当たる』
「それを撃ってくれるのであれば、我々としては願ったり叶ったりだが、しかし――――」
『身柄の確保が最優先だと言ったはずだ。降りてもらうのならば、早くしろ』
いや、まだゲームを降りるには早すぎる。
ケルケイムが敢えて貴重な一発を消費したのは、要は掛け金の上乗せ。
いかにも強力な手札を揃えたかのような素振りで、ロベルトが手の内を明かすのを誘っているのだ。
この尋常ならざる豪胆さ、並の人間なら勢いに呑まれて、そのまま押し切られていたことだろう。
ただ残念なことに、此度の相手はロベルト・ベイスン。
潜ってきた修羅場の数は三桁以上。
若造と度胸比べで負けることは、けしてない。
そうとも、ここからが腕の見せどころなのだ。
しかし――――息巻くロベルトの前で、事態は認めがたい方向へと進展していった。
『お前がわざわざ出てきたこと。出てくる必要性があったこと。出てくるのみに留まらず、そこに居続けること……。これらの事実から浮かび上がる真実だけは、どれほど巧妙な嘘でも誤魔化せはしない』
手札の開示は、ケルケイムの側から行われた。
まずは、スートの揃った絵札が三枚。
この時点で、嫌な予感に激しく胃が締め付けられる。
『私の知っているロベルト・ベイスンならば、私の前に姿を現すことなく、逃亡しているはずだ。自分でなくとも成し遂げられる仕事は、必ず他人に回す。それがお前の主義だ』
「……だから?」
『そんなお前がテーブルについているという事実が、抱えた仕事の重要性を担保している。わざわざお前が反応しなければ、ここで仕掛ける意味の段階で私を迷わせられたというのにな』
自身が勝負に臨んだこと、それ自体が決まり手となってしまうとは、何たる皮肉か。
自分の能力が高く評価されているがゆえに確立してしまったロジック――――ロベルトの視点からでは想像し難い、死角からの一撃。
先程のつまらない挑発は、発射に踏み切るための最終確認のようなもの。
その発言自体をどれだけ吟味しても、ケルケイムの真意が汲み取れるわけもない。
自分の間抜けさに、ロベルトは渋い笑みを浮かべた。
『リスクは大きいが、無視を決め込むか、別の人間に任せる方が上策だったな。だがお前にはそれができなかった。自分こそが最も“先生”を安全に逃せるという自負心があったからだ』
「……ぐうの音も出ないな。そうとも、私以上に、君を籠絡する上で適任な人間はいない。だからこそ、誘い出されてしまった」
確実な勝利を追求したことが仇となって、敗北。
何とも、エウドクソスの構成員に相応しい結末だ。
命令を実行するしか能のない“生徒”達より幾分かましとはいえ、それでも結局、視野の狭窄は免れなかった。
これが、“先生”に仕えた代償。
ただし今回は、一概にそうとも言い切れない。
勝敗を分けた要因は、やはり道なき道を強引に切り開いた、ケルケイムの豪胆さだ。
今回の作戦で必ずエウドクソスを壊滅に追いやるという、あの男の信念が、ロベルトの知略をねじ伏せたのだ。
長年、手塩にかけて育ててきた人間が、せめぎ合いの果てに自分を超えていく
忌々しく、忸怩たる思いにもなるが、それらとは相反する感情もまた生まれている。
ただ、心中はさほど複雑ではない。
混ざりあう感情の総量よりも、疲弊が勝っていたからだ。
そう、これから始まるのは、野望の終焉。
ロベルトが半生以上を捧げてきた一大計画の崩壊。
そんな不可逆の破滅を前にすれば、何を思う余地もない。
「拍手は、前倒しにして正解だったな」
ロベルトが自嘲めいた呟きを漏らした直後、レーザーライフルの二射目が、輸送機の左翼を正確に撃ち抜いた。
翼内部の燃料に引火したことで小爆発が起き、炎を噴き出しながら地滑りする、長大な鋼鉄の塊。
搭乗員の脱出は、急げば間に合うだろう。
しかし、火の回る早さを見るに“、先生”の搬出だけは間に合いそうになかった。




