第162話 物言わぬ救主(その2)
「良くはないな……」
グリーンランドの海底に広がる水中洞窟を利用して造られたエウドクソスの大型拠点、“原動天”。
その中央管理室にて、施設内外の被害状況をチェックしながら、ロベルトはあたかも他人事のように呟く。
確かに、この中央管理室の周辺は、未だ安全といえる状態にあった。
地下数キロメートルの地点に存在する施設であるため、地上からの直接攻撃は不可能。
加えて、ヴォルフィアナとバウショックが激戦を繰り広げている格納庫エリアとも長大な通路で隔てられている。
ここに連合の手の者が乗り込んでくるのは、まだまだ先の話だろう。
もっとも、その辺りの事情は、ロベルトが今なお平静を保っていられる理由には含まれない。
「だが、損失を惜しまないのが長生きの秘訣だ」
そう口にする通り、ロベルトには自覚があった。
ヴァルクスの予期せぬ襲撃を許してしまった時点で、戦略的には既に敗北しているという自覚が。
今回の戦闘で、エウドクソスが負った損害は計り知れない。
極秘裏に生産を続けてきた数百機ものフェーゲフォイアーが破壊された挙げ句、エウドクソスの主要構成員は、これから原動天を放棄しようとしている。
組織の存続が危うくなるほどの、明明白白な大打撃である。
だが、これが“先生”の導き出した最適解であったし、ロベルトもその決定に同意している。
格納庫に眠る残りのフェーゲフォイアー百数十機と、ヴェンデリーネ、ヴォルフィアナ。
戦力は十分に揃っているが、施設の場所が割れてしまっている以上、籠城は得策ではない。
当面は持ちこたえられるだろうが、物資の補給を絶たれて、いずれは敗北してしまうからだ。
それよりは、別の拠点に身を潜めて徐々に組織を再拡大させていく方が、遥かに建設的な判断だといえた。
一切の感情論を廃した清々しい割り切りができることこそが、エウドクソスという組織の最大の強みなのだ。
「“先生”の搬入作業はどうなっている?」
『ちょうど今、外部電源ユニットの接続が完了したところです。これから専用機の元へ運搬します』
「予定より九十秒ほど遅れが出ているな。エウドクソスの一員たる矜持を持つのならば、急げ」
『了解です……!』
敢えて取ってみせた淡白な態度は、効果覿面だった。
画面の向こうにいる作業スタッフのチーフは、表情を固くして、すぐさま現場の指示に戻る。
いざというときに本来のパフォーマンスを発揮できない人間はロベルトの侮蔑の対象だったが、しかし今回ばかりは仕方がない部分もあった。
なにせ、組織の頂点に君臨する“先生”を、施設の外に緊急避難させようというのだから。
“先生”はいささか以上に巨体で、短時間の内に他の場所へ移動させることが想定されていない。
連れ出す方法自体はマニュアル化されていたが、諸々の事情から予行演習をすることは不可能。となれば、スムーズに作業が進まないのも当然のことではあった。
「あとはヴォルフィアナの退避さえ完了すれば撤収できるのだが……コードλめ、まさかこんな肝心な場面で“劣等生”の本領を発揮してくるとは」
また別のモニターに視線をやりながら、ロベルトは皮肉を口にする。
そこに映し出されているのは、格納庫エリアで行われている戦闘の模様。
“先生”の保有する知識と、連合の保有する多数の実戦データと、オーゼスで運用される多種多様な機体の設計データ。
それら全てを結集して作り上げた究極のメテオメイルが、系譜的には枝葉も枝葉にあたる、近接戦闘だけが取り柄の鈍重なメテオメイル一機を未だに排除できないでいる。
そのあまりにも無様な戦いぶりには、流石に無能の烙印を押さざるを得なかった。
コードλ――――シャウラのことは、もう少し高く買っていただけに、ロベルトにとっては非常に残念な結果である。
「コードλの特性、人格転換ですが、今回の戦いで一気に綻びが出ましたね」
「あれも、所詮はただの若者だったということだ。期待しすぎた我々のミスだということだ」
ヴォルフィアナの戦闘を監視しているまた別のスタッフに対し、ロベルトは端的に答える。
ロベルトはかつて、シャウラの特性をOSが導入されていないコンピューターに例えた。
だが、コンソール上の機器を通して流れてくるシャウラの通話音声を聴く限り、どうやらそれは誤りのようだった。
彼女の記憶するそれぞれの人格データは、完全には独立しておらず、実際にはそれらを総括する大元の人格と紐付いている――――
今までは、その人格の自我があまりにも希薄であったことから、全くないものと判断されていただけなのだ。
無論それは、組織の行ったあらゆる検証実験で発露しなかったというデータを踏まえての結論である。
「重箱の隅を突かれたというよりは、執拗な干渉で強引に扉を開いたという感じだな。……それにしても、まさかあの北沢轟が、エウドクソスにとってこれほどのイレギュラーになるとはな。世の中、何が起こるかわからんものだ」
おかげで今、原動天からの脱出計画には大きな遅れが生じてしまっている。
ロベルトがこの期に及んで中央管理室に残っているのも、メテオエンジンを四基も搭載しているヴォルフィアナを無事に離脱させるという仕事が残っているからこそだった。
とはいえ、今のところは、二機の戦いを見守ることしかできないでいる。
シャウラの不安定なメンタルが原因で、バウショックに押され気味であることは瞭然だ。
しかし、ああまで乱れてしまっていると、命令によって強引に思考を安定化させることも得策とは言い難い。
命令が余計な刺激となって、更なる混乱を誘発することも考えられるからだ。
状態はともかくとして、主軸の人格となっているのは依然としてシャウラのまま――――つまり、エウドクソスのために行動する駒であることは、少なくとも保証されている。
そこは、絶対に崩してはならない部分だった。
「どうします?」
「もう何分か様子を見て、状況が動かなければ、危険ではあるが、手を打つ。メテオエンジンの回収はランクSの優先事項。先生も承認してくださるだろう」
『上級管理官、無事、“先生”の機内への搬入が完了しました。発進の用意もできていますが……』
「他の者を待つ必要はない、早急に出せ。まだ便は残っている」
その返答もまた、すぐに発することができた。
ロベルトは、組織の中に五名ほど存在する最高クラスの幹部階級“上級管理官”であり、統御の手腕に関しては自身こそが最も優れているという自負もある。
しかし、他の何にも代えがたい存在である“先生”を比較対象にしたとき、他の構成員は一律で“それ以外”に区分される。
それほどの、絶対的格差。
エウドクソスという組織は、どこまで上り詰めても、巨視的に見ればほとんど平等なのだ。
ゆえに、驕りという低俗な精神の緩みも生まれようがない。
「これでとりあえず、大仕事の一つは片付くか。後は地上と地下の戦闘に問題がなければ…………うん?」
鳴り響いた警報に言葉を遮られ、ロベルトは微かに顔をしかめる。
多少の驚きもあるが、今日だけで五度目の発報であるため、もはや反応としては呆れの方が勝るのである。
「またか……!」
「騒がしいのは苦手なのだがな。それで、今度は何だ」
念の為スタッフに尋ねるロベルトだが、おおよその見当はついている。
大方、バウショックの攻撃によって大規模な崩落が始まっている格納庫エリアで、更に被害が拡大したのだろう。
でなければ、施設の発電施設をフル稼働させたことで、どこかしらに異常が発生したのか。
もっとも、直後、その予想はどちらも裏切られることになる。
「上級管理官、レーダーに反応がありました。南微東方向から、未確認の物体が急速接近してきます。たった今、原動天の南方五百キロメートル地点を通過したようですが、高度は未だ二千メートル以上に保たれています。フェーゲフォイアーのタイプA装備でも、迎撃は不可能です」
「方角的には、ラニアケアだな。コンテナの第二陣ではないのか?」
つい数分前にも、ラニアケアのリニアカタパルトを利用して射出されたとおぼしき巨大なコンテナが、格納庫エリアへと続く地上のゲート付近に落下している。
ヴァルクス側は、それだけでは不十分と考えて、追加の補給物資を寄越したのだろう。
消去法的に、そういう結論にしか至れない。
それでも無理に他の可能性をひねり出すなら、リニアカタパルトが使用されていないケース――――航空機類の侵入か、長距離ミサイルなど誘導兵器の発射。
が、どちらの使用も戦術面で効果的に作用するとは思えず、論外だ。
と、一旦を思索を止めた矢先だった。
「カメラで捕捉しました。映像出ます!」
「……?」
張り合いのある相手に恵まれなかったせいか、あるいは単純に加齢のせいか、すっかり思考回路が凝り固まってしまっている自分にロベルトは辟易した。
モニターに映し出されたその物体は、もはや反則に近い代物。
発想のベクトルが大胆というか、どこか子供じみた向きさえある、ひどい奇手であるのは確かだ。
だが――――無数の皮算用の積み重ねでようやく成り立つ今回の襲撃しかり、そんな無茶を平然と行ってくるのがヴァルクスではなかったか。
奇手を幾度も打ち続けるのは愚かな真似だが、真に愚かなのは、だからといってその可能性を脳内から排除してしまうことだ。
ロベルトは、モニター上の空を高速で横切ってくそれを見やりながら、自省した。
「なるほど……。適正を持ったパイロットの数が不足していても、使えなくはない。短時間の間、通常兵器としてならな」
未確認物体の正体は、全高三十メートル前後の、鋼鉄の巨人――――紛うことなきメテオメイルだった。
エウドクソスのデータベースには、これまでにかき集めた全陣営の機体データが記録されているが、その機体と完全一致するものは一件も存在しない。
各陣営で実際に運用された機体のみならず、開発途中であるものや、プロトタイプ機まで検索範囲を広げてもだ。
しかし一方で、部分一致ということであれば、該当箇所は全身くまなくに存在する。
早い話が、複数のメテオメイルの予備パーツを利用して組み上げた急造品なのだ。
ベースとなっているのはオルトクラウドの素体部分だが、胸部や四肢の一部をバウショックの装甲で補強。
背面には、ゲルトルートの円錐形スラスターとセイファートの両脚部を強引に接続した、何とも奇怪な構造のバックパックが接続されている。
そして、その両手で抱えるのは、威力不十分という理由でお蔵入りになったはずの試作型レーザーライフル。
貧弱な下半身と、パーツが過剰に装着された上半身。
有り合わせの一品であるがゆえの、劣悪な重量バランス――――おそらくまともに歩行することは不可能だろう。
だが彼らにとっては、それで構わない。
狙撃を行う固定砲台としての運用なら、何ら問題はないのだ。
「やられたな……」
その“存在しない五機目”が、スラスターを逆噴射させてゆるやかな軌道で着陸するのを確認して、ロベルトは額に手をやった。
それが着陸した地点は、原動天の地下施設が存在するエリアから五キロメートルほど北の丘陵地帯。
加えて、そのときちょうど中央管理室側の地上部ゲートが開いて、“先生”を載せた細長の輸送機が地上に姿を現してしまったからだ。
考えうる限りの、最悪の事態だった。
「情報が漏洩している……!?」
「タイミングが重なってしまったのは偶然だろう。彼らにとっては、いま原動天から飛び立つものならば、どれでも当たりなのだ。“先生”でないにしろ、要人が搭乗している可能性は高いわけだからな」
言いながら、ロベルトはやや乗り出し気味だった姿勢を元に戻した。
先ほどまで激しく荒れ狂っていた吹雪も、今では少し、その勢いが弱まっている。
狙撃を前提とした機体のセンサー性能ならば、この悪天候でも、五キロメートル前後の範囲は十分感知できる仕様になっていることだろう。
地上の各所に散在していたフェーゲフォイアーも、その大半がセイファートら主力部隊の迎撃に向かってしまっており、“五機目”の現在位置の周囲にはほとんど機体が残っていない。
既に“五機目”の銃口は、輸送機の方へ向けられている。
あとは、あの機体がレーザーの一射を放てば全て終わりだ。
ただ、まだやりようはある。
「あの機体と、直に通信を行うことは可能だな?」
「ここの位置が割り出されてしまうおそれもありますが……」
「今更が過ぎるな。そもそも、“先生”を無事に逃がすための駆け引きをしようというのだから、他の全てをチップにして何の問題がある」
「……試みてみます。いえ、先にあちらからコンタクトを求めてきました」
モニターを見れば、“五機目”の双眸――――メインカメラの点滅パターンが、確かにそう告げていた。
あまりにも好都合な展開に、ロベルトは口元の緩みを鋼の精神力で矯正する。
周波数帯を合わせてやるか、合わせてもらうか。
少なくともロベルトにとって、この違いは天と地ほども違う。
「応じろ」
言って、作業に取り掛かるスタッフの背中を一瞥すると、ロベルトはすぐさま策略の構築にかかった。
無論、複数並行してだ。
そう、ロベルトには話術という、数十年と使い込んだ自慢の武器が残っている。
それを巧みに操ることで、ロベルトはエウドクソスに貢献し、現在の地位まで上り詰めたのだ。
組織に人員と金を流すための数々の裏工作と、連合の軍事計画の進捗調整。
挙げた成果でいえば、メテオメイルや“生徒”すら遠く及ばない。
どれだけ高精度な“先生”の教示があれど、実行者はロベルト自身。
つい最近まで、盤面のコントロールがほぼ完璧だったことを考えれば、一時的とはいえ世界の支配者として君臨していたともいえる。
「所詮は正規パイロットを欠いた番外機。ならば、動力源はメテオエンジンではなく、大容量のバッテリーに置き換わっているはずだ。となれば、発射可能な弾数はせいぜい二、三発……」
推察を進めれば進めるほど、交渉が有利に進むビジョンが確たるものとなっていく。
俯瞰視点で見れば王手の構図だが、それぞれの視点からすると、そうではない。
まだヴァルクスには、眼前の駒がキングであるかどうかの判別が付かないからだ。
どれを撃ち落とそうが成果になるとはいえ、できれば“先生”をここで確実に押さえておきたいと思うのが人情。
だからこそ、“五機目”はまだトリガーを引けないでいる。
「そしてだ……パイロットを、一体誰が担う? 完成度の低い急造品で、敵地の中心に送り込まれ、敵の要人が搭乗した輸送機を狙撃……。これほど責任重大で危険極まる任務だ、精神面と技能面のどちらにおいても、並の人間に務まるものではない。以前に、これほど破天荒な命令を他人に下す者は指揮官として失格だ。となれば……」
「上級管理官、回線の接続に成功しました!」
報告を受け、ロベルトは目線の動きだけで、応答の権限を自分に寄越せと命じる。
直後、手元のディスプレイに内蔵されたスピーカーから発せられたのは、静かな威圧を込めて放たれる青年の声。
その声は、ロベルトが、人生で四番目によく知る人物のものだった。
あらゆる観点から条件を加えて徹底的に候補を絞り込めば、最後には、その男しか残らない。
既に確信を抱いていたロベルトは、ともすれば平時以上の圧倒的余裕を以て、口を開く。
自分が、彼に交渉という戦いで負けることだけは、けしてあり得ないのだから。
『地球統一連合軍メテオメイル部隊、ヴァルクスの一員として警告する。その輸送機に僅かでも離陸の兆候が見られた場合、本機は直ちに攻撃を――――』
「なあ、そうだろう……ケルケイム・クシナダ。指揮官自ら、わざわざご苦労なことだ」
『ロベルト・ベイスン……。やはり、あなたが出てきたか……!』
できれば対面は避けたかったとでも言いたげな、苦々しい呻き。
直面した現実を受け入れ、即座に順応しようとする、深い息遣い。
組織を裏切っただけでなく、自らが愛する者の死に深く関与した仇敵に対する、明徴な激昂を宿した語気。
ケルケイムの見せた反応は、その全てが懐かしく、そして期待通りだった。
口惜しいことに、一度は裏をかかれてしまっている以上、ケルケイムを相手にすることに対しての油断や慢心はない。
それでも勝利を断言できてしまう根拠は、膨大な経験に裏打ちされた確固たる自信。
今回で二度目となるケルケイムとの頭脳戦は、ともすれば、師弟対決と呼ばれるものに分類されるのかもしれない。
そんな悠長なことを考えながら、ロベルトはケルケイムとの交信に臨んだ。




