第158話 轟き、伝える(その1)
ほんの半年ぐらい前まで――――俺の世界には、俺しかいなかった。
俺以外の人間は、全てが他人だった。
俺に媚びへつらう雑魚共も、俺に喧嘩を売る身の程知らずも、俺を育ててくれた施設の大人達も、施設で俺と一緒に暮らしていたガキ共も。
俺には認識できない世界の外側で、勝手に生きていた。
俺は、そいつらの誰にも、特別の価値を感じたことがない。
自分と全く関係のないものに、好きだとか嫌いだとか、大事だとか不要だとか、そんなことを考えたりはしないだろう。
寂しいとは、思わなかった。
むしろ、独りであることに、どこか心地よさを感じていた。
誰も必要としなければ、誰からも必要とされない。
必要とされなければ、俺がどうなろうと誰も気に留めない。
気に留められることがなければ、楽に生きられるし、楽に死ねる。
俺という荷物は、生涯、俺が一人で抱え続ける。
ずっとそう考えていたからこそ、この何ヶ月かは、かなり息苦しいものだった。
いなくなったら困る――――そういうふうに思える奴らが、何人もできてしまったからだ。
俺が何かをしたわけじゃない。
そいつらが俺の世界に勝手に踏み込んできて、俺がどれだけ睨みを利かせても、ふてぶてしく居座り続けた結果だ。
おかげで俺は、葛藤に苛まれ続けた。
そいつらと一緒にいるとき、俺の心はひどく安らいでいた。
俺ごときのために、誰かが身を削ることがあってはならないと肝に銘じているのに、そいつらとの関わりを断てないでいた。
人生哲学じみたことを語っておきながら、結局は現状に甘えている優柔不断な自分が、つくづく嫌になった。
だけど今は、少し違う。
少なくとも、そいつらが、そいつら自身の意志で俺の世界に入ってくることを、俺はもう気にしたりはしない。
そいつらが俺に関わってくる理由が、善意だけじゃなく、ただの性分だってことがよくわかったからだ。
そもそも、施しを受けているなんて考え方が、おめでたすぎたんだ。
そいつらが極端すぎるだけで、みんな大なり小なり、自分のために動いている。
そんな当たり前のことを、俺はついさっき、ようやく気づくことができた。
だから、残る問題はあと一つ。
人間としての欠点は星の数ほどあるとして、俺の心の根本的な脆さを克服するための問題は、それ一つ。
俺の側から、他人の世界に入っていけるかどうかだ。
俺はどうしても、それを確かめたい。
それさえ確かめられれば、後のことは、どうなっても構わない。
一瞬の輝きを求めて、無限の闇の中に飛び込むなんて、ひょっとしなくても馬鹿げたことなのかもしれない。
だけど、それでいい。
俺は北沢轟。
生まれたときから、今この瞬間に至るまで、ひたすらに馬鹿をやり続けてきた男だ。
今日一日だけ賢くなったところで、似合いやしない。
おびただしい数のフェーゲフォイアーに守られた、人工の巨大な縦穴に飛び込んでから、果たしてどのくらいの時間が経ったのだろうか。
穴の内部は、ほぼ完全な暗黒空間。
階数表示などで、おおよその距離を算出することもできない。
Gを大幅に軽減するコックピットブロックの仕様も相まって、本当に自由落下を続けているのかどうかさえ疑わしくなってくる。
「下らねーな……」
轟は、ほんの僅かな時間とはいえ、余計な妄想にふけって集中力を乱してしまったことを自戒する。
血流の僅かな違和感と、機体にかかる空気抵抗が生み出す耳障りな破裂音は、紛れもない本物。
ここは現実、物理法則が支配する世界。
全ての現象は連鎖しており、何の脈絡もなく訪れたように見えても、必ずどこかに予兆がある。
この長い縦穴の終点にしてもそうだ。
次の瞬間、轟は、穴の内部を満たす反響音の変化を鋭敏に感じ取る。
反響音の変化は、空気の流動パターンの変化と同義。
そして、空気の流動パターンの変化は、空間構造の変化を意味する。
つまり、この縦穴の終点か、終点ではないにしろ大きな区切りとなる場所が間近に迫っているということだ。
その結論を導き出した轟は、すぐさま足元へ向けてクリムゾンストライクを放つ。
何かを破壊するためではない。
発射時の反動と生み出された爆風によってバウショックを浮き上がらせ、着地時の衝撃を殺すためだ。
そのような危険な行動が、正規の操縦技術として考案されているわけもない。
たったいま思いついたばかりの、初めて試みる応用パターンだった。
適正なタイミングは刹那の間。
遅すぎても早すぎても十分な効果は得られない。
だが、戦闘パイロットとして図抜けたセンスを持つ轟は、見事にその神業を成功させる。
「ケッ……」
大質量の金属同士が衝突することで生まれた轟音が、闇を揺らす。
流石に、長時間の落下で累積した莫大な運動エネルギーを完全に軽減することは不可能だった。
視認はできないが、バウショックの両脚が、脛ほどまで地面に突き刺さっている感覚がある。
とはいえ、ダメージは軽微の部類。
順次、バウショックの両脚を引き抜いた轟は、そのまま闇の中を前進する。
「いつまで省エネ決め込んでるつもりだ、テメーら。そんなに電気代ケチりてーなら、そこら一帯、自主的に明るくさせてもらうぜ」
言って、轟はギガントアームを正面に突き出す。
もっとも、その行為は威嚇に留まらざるを得なかった。
ギガントアームの耐久度が、限界を迎える寸前だからだ。
熱量そのものを攻撃手段とするクリムゾンストライクは、生成の過程で、内部機構に凄まじい負荷を強いる。
にも関わらず、轟はここに辿り着くまで何度もクリムゾンストライクを使用してきた。
おかげで、ギガントアームを構成する部品の一部は融解を開始。
既に、冷却でどうにかなる範疇を超えてしまっていた。
これまで幾度となくバウショックを駆ってきた轟の感触では、どれだけ出力を抑えても、あと二度の使用が限度。
もっともそれは、二度目が正常に作動する確率を度外視した計算であるため、実質的には一度だけ。
この先に待ち受けている多数の不確定要素を考慮すれば、あまりにも心許ない数字だった。
「いやはや……君は何というか、変わらないね。無論、悪い方の意味でさ」
「っ……」
轟の勧告に反応するかのように――――聞き慣れた涼やかな声が、強制的に構築された通信回線を介して、バウショックのコックピットに届けられる。
同時に、各所の照明が続々と点灯を始め、バウショックが降り立った地下空間の全容がとうとう明らかとなった。
眼前の光景を一言で例えるとするならば、荘厳な寺院。
壁にも天井にも銅色の金属板が敷き詰められており、高さも奥行きも、ゆうに二、三キロメートルはある。
しかし、それだけ広大な場所でありながら、真っ先に覚えるのは圧迫感だった。
その原因は、単純明快。
左右にずらりと、何列にも渡って並ぶ、数百体ものフェーゲフォイアーのせいだ。
これまでに戦ってきた射撃特化型、汎用型、防御特化型の姿もあれば、それらとは全く異なる装備を持った別形態も多数存在している。
この数百機全てをまともに相手にしようものなら、途中で力尽きることは必至。
かといって強行突破も現実的ではなく、どうしたものかと轟は思案する。
もっとも、その行為は徒労に終わった。
「そこのそれらのことなら、気にしなくていいよ。屋内用の連携戦闘プログラムが、まだ完成していないからね。そのまま進んでくれていい」
轟の思考を読んだかのように、声が補足を加える。
声の主の姿は、とっくに轟の視界に入っていた。
厳密には、彼女が乗るメテオメイルの姿が、だが。
空間の中央を貫くようにして設けられた道――――その最奥部にそびえ立つ、乳白色の装甲を纏った無貌にして無腕の巨神“ヴォルフィアナ”。
それの背面から伸びる無数のケーブルは、扇状に広がり、背後の壁面に繋がっていた。
あたかもそれは風に煽られた長い髪のようにも見え、ますます、悪趣味な神像としての趣が強くなっていた。
彼女の言葉を受け、轟は、慎重に一歩ずつゆっくりと歩を進めていく。
彼女を含めた、エウドクソスの“生徒”がアドリブで嘘をつけないように作られているというのは重々承知している。
にも関わらず足取りが重くなってしまっているのは、轟自身の緊張のせいだった。
仲間たちの激励もあって、ここに辿り着くまでの間に、恐れも迷いも捨ててきた。
ただしそれは、轟自身や仲間達との関係に限ったこと。
たった一人、特別に思う存在との適切な距離感の取り方は、未だに会得していない。
「そもそも、屋外用の連携戦闘プログラムだって、出来栄えはかなり微妙だっただろう?」
「全くだ。離れてるときはまあまあ手強いが、近づいちまえば、同士討ちにビビって急に動きが悪くなりやがる」
「仕方がないのさ。量産型メテオメイルの研究に本腰を入れているのは、現状、エウドクソスくらいのものだからね。まだまだ運用のノウハウが確立されていない。今回の、君達との戦闘データを反映させても、まだまだ完成には遠いだろう」
「そのことなら、心配する必要はねー。エウドクソスは、今日で店じまいになるんだからな」
「私に通知されている今後のスケジュールにはない情報だね。あとで上に問い合わせてみるよ」
「テメーらの予定の話じゃねー。俺が力づくで潰してやるって言ってんだ」
気づけば、轟の膝は小刻みに震えていた。
繊細な動作ができず、時折扱いづらさを感じるバウショックだが、今日ばかりはその固さを羨ましく思う。
肉体は、精神状態をあまりにも反映しすぎる。
「潰す、か……。方法が気になるね。教えてもらってもいいかい?」
モニター上に表示された通信ウィンドウには、回線強度や音量などのステータス表示があるのみで、彼女の表情を伺うことはできない。
だが、高揚感を含んだ声色から、彼女が蔑んだ笑みを浮かべていることがはっきりとわかる。
その反応から、ヴォルフィアナを操っている人物が、やはりシャウラだということを轟は確信した。
同じ会話の流れなら、セリアも同一の台詞を口にするだろうが、もう少し皮肉の度合いは抑えめだ。
しかし逆を言えば、セリアとシャウラは、別人格でありながら思考回路自体はかなり似通っていることになる。
それぞれ全く異なる任務のために用意された人格であるにも関わらずだ。
実際、轟は、初めてシャウラと対面したときから、彼女と小気味の良い会話を行うことができている。
そして、この全身に広がる極限の緊張。
自分は自分で思っているほど、セリアとシャウラを区別していないのではないか。
その可能性に、轟は今になって思い至る。
シャウラの人格をどうにか押しのけて、セリアを再び目覚めさせる――――
ともすれば、その目的は、前提から間違っているのかもしれない。
「エウドクソスが、組織としてどれだけの力を持っていようが、戦力がなきゃ話にならねー。そして、戦力の要は間違いなく、メテオエンジン四個積みの、そのデカブツだ。そいつさえブッ壊しちまえば、テメーらは終わる」
「私が知りたいのは、その結果に繋がる過程の方なんだけどもね。……まあいいさ。君が筋道の伴わない願望を述べ立てるだけの人間であることは、データが示す通りだ」
セリアがそう答えたタイミングで、バウショックはいよいよ、左右にフェーゲフォイアーがひしめく花道を抜ける。
他には誰も存在しない、広々とした舞台で対面するバウショックとヴォルフィアナ。
ヴォルフィアナは、貌と呼べる部位を持たない。
しかし、僅かに傾いた胴体が、バウショックに意識を向けたことを証明している。
「君達には、ここで死んでもらうよ。無論、その方法も具体的に提示できる」
あまりにもはっきりとしたシャウラの物言いに、轟は息を呑む。
今一度、百メートル近い全高を持つヴォルフィアナを目の前にして、そのスケール感に圧倒されたのも事実だ。
だが、その一言の方が、遥かに鮮烈な印象を残した。




