第157話 煉獄領域(その4)
「くそっ、いよいよか……! だけど……」
高速飛行を続けながら北上するセイファートと、徐々に南下してくる分厚い雪雲とが、ついに邂逅を果たす。
降り注ぐ濃密な白雪のヴェールは、ほんの十数メートル先の光景さえ完全に覆い隠してしまう。
地平線の果てすら見渡せるほどに良好だった視界が、一気にその真逆へと転じたことで、瞬は別の世界に迷い込んでしまったような錯覚に陥った。
いや、別の世界という表現は、あながち間違いでもない。
轟の推察通り、地上に展開する大量のフェーゲフォイアーの装備パターンが、ある一定のラインを超えたところでまた別のものへと変化する。
今度のフェーゲフォイアーは、肩の前後に巨大な長方形の盾を装着した、見るからに防御特化の仕様だ。
その新たな換装形態は、自分達の探し求めているエウドクソスの拠点が、いよいよ間近に迫っていることを意味していた。
フェーゲフォイアーの攻撃が施設に被害を与えてしまう事態を危惧した、エウドクソスの慎重さの表れなのだ。
「轟!」
「ゴールは近そうだな!」
地上を進む轟の側も、フェーゲフォイアーの形態変化に気付いたのか、歓喜を滲ませた叫びを放つ。
そして早速、眼前に立ちふさがるそれらに飛びかかり、ギガントアームの強力な打撃を放った。
だが盾装備のフェーゲフォイアーは、見た目の通りに防御力が大きく向上している。
バウショックの全体重が乗った拳を真正面から受けても、仰け反るだけで転倒はしない。
挙動は緩慢なため、盾を剥ぎ取った後にもう一撃を与えればいいだけの話だが、その工程の発生こそが問題だった。
一、二発殴れば戦闘不能にできていたこれまでの仕様と比べると、撃破にかかる手間はほとんど倍。
足止め用の機体としては、ひどく優秀だということだ。
盾装備のフェーゲフォイアーが待ち構えるエリアに踏み入ってから、バウショックの進行速度は大きく低下するどころか、停止しているも同然。
視認できる範囲にすら五十機近くが密集しているため、迂回することもできない。
「流石はエウドクソスの奴らだ。やることなすこと全部、果てしなくウゼえ!」
「手は貸さなくていいよな」
「当然だ、テメーは探すことに集中しろ!」
「そうさせてもらうぜ……!」
言うなり、瞬はバウショックから離れて、更に先を目指す。
今日の今日まで、具体的な座標が判明しないどころか、グリーンランドに存在する可能性すら浮上しなかったほど厳重に隠匿されていた建造物である。
そんなものが地上に堂々と存在しているわけはない。
加えて、この悪天候。
地道に地面を眺めて違和感を捉えるだけでは、発見は困難を極めるだろう。
無論、瞬は、そんな悠長な捜索方法をする気などない。
セイファートの再変形が完了するやいなや、背面に装着された三つの補助翼兼刀身型特殊兵装“天の河”の一つを取り外し、手持ちの武器とする。
「三回やりゃあ、成果ゼロってことはないはずだ……」
セイファートの動きに反応した地上のフェーゲフォイアー部隊が、続々と盾を上空へ掲げて防御姿勢を取るが、何の脅威にもならなかった。
瞬は十分にセイファートの高度を上げると、地上を見下ろすように体勢を変え、アクセルペダルを踏み込んでスラスターの出力を最大にする。
「必殺、“流星塵”」
瞬の掛け声とともに、まさに流星のごとく、眩い煌めきに包まれたセイファートが天より堕ちる。
地面に衝突する寸前、その両腕に握り込まれた“天の河”が勢いよく地面に叩きつけられると、刀身を構成する金属粒子が盛大に炸裂。
広範囲に拡散する銀灰色の暴風は、地表を抉り飛ばすのみに留まらず、周囲に展開するフェーゲフォイアー十数機の機体表面を荒々しく削り取った。
「ちっ……」
自らの手で放った必殺の一撃が生んだ、半径五十メートルほどのクレーター。
その表面に不審なものは窺えず、瞬は舌打ちした。
しかし、天の河は、あと二振り残っている。
瞬は惜しむことなく、同様の方法で近場の氷床を穿ちにかかる。
そして、三度目の挑戦でとうとう、頑丈な金属版が張り巡らされた人工の地面を露出させることに成功した。
すぐさま、瞬は近場に降り立って、周囲に残ったフェーゲフォイアーの掃討に移る。
「マジに三回目じゃねえか。危ねえ危ねえ……!」
「見つかったのか、瞬!?」
「みたいだ!」
続々と押し寄せるフェーゲフォイアーの波が途切れた僅かな合間を縫って、瞬はセイファートの左腕に装着された篭手、ストリームウォールの機能を発動。
内部から生み出される気流の防壁を地面に叩きつけ、周辺の雪と氷片を吹き飛ばす。
そこでようやく、金属製の大地の全容が明らかとなった。
「予想より遥かにでけえな……」
瞬は眼前の光景に思わず圧倒されてしまう。
金属製の大地の正体は、地面に張り付くようにして存在する、巨大な円形の門。
セイファートはちょうど、その中央、扉を構成する部位に立っていた。
門の直径は、目測でセイファート三体分ほど――――つまり約百メートル。
人間どころか、メテオメイルの目線でも、十分に大穴と呼べるサイズだ。
おそらくは、この門をくぐった先にエウドクソスの本拠があるのだろう。
大量のフェーゲフォイアーの運用にエネルギーを割いているためか、門自体にバリアのようなものは貼られていない。
が、真上に乗ったセイファートの重量を平然と支えていることから、相当の厚みがあるはずだった。
「流石じゃねーか」
瞬が、残るセイファートの武装でこの頑丈な扉をどうこじ開けたものかと思案し始めた矢先、バウショックも門に到達する。
まるでラグビーの試合でもしているかのように、自身の手足に組み付いた四、五機のフェーゲフォイアーを、そのまま引きずってだ。
門の正確な位置が判明してしまった以上、もはや雑魚には構っていられないというわけだ。
「どいてろ、瞬。俺がブチ破ってやる」
言うなり、轟はバウショックを駒のように一回転させてフェーゲフォイアーを振り払うと、ギガントアームのエネルギーチャージを開始。
ほどなくして右掌に生まれた、巨大な圧縮熱量体――――クリムゾンストライクとクリムゾンショットの中間にあたるサイズの火炎球を、二枚の扉の境目に叩き込んだ。
直後、目が眩むほどの轟炎と激しい震動を伴う爆裂が起こる。
常軌を逸した灼熱を浴びせられたことで、さしもの頑丈な扉も、爆裂の中心地が蒸発消滅。
メテオメイルがどうにか一機通過できそうなほどの突入口が生まれることになった。
「何も見えねえな……」
瞬は、縦穴の空間が闇一色に染まっているのを見て、眉根を寄せる。
セイファートの頭部側面に設けられたサーチライトを起動させても、奥底は確認できない。
穴の深さからするに、海底よりも更に先――――岩盤の下まで続いていると考えて良さそうだった。
施設を堅牢なものとするなら、水圧の影響を受けない場所に建造するのは当然の理屈ではある。
だが、それゆえに、作戦の続行はますます過酷なものとなった。
「おい、これは流石に……」
「バウショックにとっちゃ、実質一方通行だな。一度飛び込んじまえば、気軽に戻ってくることはできねー」
瞬が言及するまでもなく、轟は正しく状況を理解していた。
構造的に、内部の兵器類を地上に出すためのリフトは存在しているだろうが、こちらの都合で使わせてもらえるわけがない。
味方に引き上げてもらうことを前提した、地獄の釜へのダイブ。
ならば、まずは独力で昇降できるセイファートが突入して、少しでも内部の様子を探るべきではないのか。
瞬は、そう提案したくなったが、自身の役目を思い出して口をつぐむ。
セイファートには、まだ地上で行うべき仕事が多く残っている。
万が一、セイファートが罠にかかって行動不能にでもなれば、ただでさえ低い作戦の成功率が更に下がってしまうのだ。
「テメーは、まだウジャウジャいやがるこいつらを片付けといてくれりゃあいい。少なくとも俺よりは、楽な仕事だ」
「わかったよ。……たった今、ラニアケアに応援を要請しといた。諸々届いたら、すぐに応援に行くからな」
直近では、それが一つ。
あと十数分もすれば、メアラのゲルトルートに加えて各メテオメイル用の支援兵装が積まれたコンテナが、この場所へダイレクトに送り届けられる。
ラニアケアの司令室には、頭の固いオースティン副司令官も詰めているが、今回ばかりは戦力投入を出し渋る理由がなく、要請はすぐに承認されていた。
そうした経緯があるため、ゲルトルートとコンテナ類を無事に降下させるための地ならし役を、この場に一機残す必要がある。
そして、その役目を果たす上で最適なのは、間違いなくセイファートだった。
内容的には、これまでと同様フェーゲフォイアーの数を減らして地上の安全を確保するだけ――――
本人が望んだことはいえ、自分の仕事が轟とは比べ物にならないほど楽であるという実情に、瞬は若干の後ろめたさを感じてしまう。
バウショックが一度大きく屈伸するという、何とも人間臭い動作を見せたのは、そのすぐ後だった。
宣言通り、轟は穴の中へ飛び込む気でいるようだ。
「テメーが来る前に、俺が何もかも終わらせておいてやる。あのいけ好かねー偽通信女も、これまで俺を散々殴ってくれやがったギルタブも、裏切り者の元副司令も、総元締めの“先生”とやらも……俺をムカつかせた連中全員、ただじゃおかねー」
そのひどくぞんざいな口調は、気に病む必要などないという、轟なりの配慮だったのかもしれない。
本当に、つくづく、北沢轟という人間は変わってしまった。
他者を自分の領域内に招き入れる勇気を持たなかった男が、今では、自らの意志で他人の領域へ踏む込める男に。
自分も、連奈も、メアラも、道を外れた大人達との戦いの中で、大なり小なり人間的な成長を遂げてきた。
しかし、轟の目覚しい変化には到底及ばない。
「そういうわけだ、俺は行かせてもらうぜ。まだ上でザコ共が動き回ってるってことは、下の準備が終わってねーってことだ。まだ無血開城できる可能性はある」
「それが一番いいな」
瞬は、四方八方から続々と押し寄せてくるフェーゲフォイアーの群れに呆れ混じりのため息を吐きながら答える。
轟に比べて楽な仕事とは言ったものの、メテオエンジンの出力はパイロットの精神力に左右される。
精神力の放出量は個人ごとに物理的な限界値が定められているため、気合を入れたところで急上昇することはない一方、いまいち気合が入らずに急低下することはある。
必ずしも、自分の方が安全ということはないのだ。
逆に、不退転の決意を持ってセリア奪還に臨んでいる今の轟なら、シャウラやギルタブを根負けに追い込むこともあり得る。
最優先で憂うべきは、自身の今後。
そう自分に言い聞かせて、瞬は暗黒の世界に旅立つ轟を笑顔で見送ろうとした。
だが――――バウショック側に繋がった通信ウィンドウに目をやった瞬間、直前までの安堵感は一瞬にして消し飛ぶことになった。
瞬の全身を襲ったのは、ジェルミとの三度目の戦いで味わったときのそれに酷似した、恐怖で血の気が引く感覚。
何故なら、通信ウィンドウの向こうにいたのは、勇猛果敢な戦士などではなかったから――――
「お前……!?」
北沢轟という人間は、確実に、大幅に、そして迅速に、人間として成長を遂げている。
自分も連奈もメアラも、道を外れた大人達との戦いを経て、大なり小なり個々の愚かさを正せてはいるだろうが、轟の歩みには遠く及ばない。
しかし、だからといって、轟が誰よりも強い精神力を手に入れたことにはならない。
そんな当たり前の事実を、瞬は失念してしまっていた。
加速度的に頼もしい男に変わっていくからこそ、過度な期待を寄せてしまっていた。
北沢轟には他人との触れ合いを恐れることの他に、もう一つ、致命的に破綻している部分があるというのに。
セリアを欠いた現状、それを知る者は――――気付いて止められるのは、自分くらいしかいないというのに。
「その顔は、違うだろうが! それは、これから惚れた女取り戻してくる奴の顔じゃねえぞ、轟!」
泡を食った瞬は、声を張り上げながら、すぐさまバウショックに詰め寄る。
詰め寄りながら、やはり行かせるわけにはいかないと、セイファートの手を伸ばす。
「変に現実見てんじゃねえ! いや、お前の見てるそれは現実なんかじゃねえ! そんなのは……」
「ああ、クソ。最後の最後で、見透かしやがって……」
しかし、動き出すのが二秒ほど遅かった。
既に軽めの跳躍を終え、穴の真上に位置していたバウショックは、そのまま自由落下を開始。
セイファートの右手は、どうにか落ち行くバウショックに触れることはできたものの、掴み込む時間的猶予と掴み上げる力が与えられることはなかった。
一瞬の甲高い摩擦音を残して、バウショックは無限の暗黒の中へと吸い込まれていく。
その間際。瞬はもう一度、見ることになった。
虚勢を張ることをやめ、諦観を顕わにする轟の表情を。
いずれの覚悟とも程遠い、ひどく弱々しい薄笑いを浮かべる、年齢相応の少年の表情を。
轟は、自らが繰り返してきた無謀を、本当にただ無謀としか認識してなかった。
誰よりも大きく具体的な夢を掲げながら、その成就を、誰よりも信じていなかったのだ。
ヴォルフィアナともヴェンデリーネとも戦わずに施設の制圧が完了するという、都合のいいシナリオがあるはずなどないことも、その可能性を提示した轟自身が一番わかっていたのだ。
「轟……!」
「じゃあな、瞬。……俺は、俺をやってくるよ」
今までに聞いたこともないような、柔らかな口調で告げられた別れの言葉と共に、バウショックとの通信が途絶する。
だが、大量のフェーゲフォイアーに包囲されている今の瞬には、自身の胸中で渦巻く感情を処理している暇さえなかった。




