第153話 セリアの諷示
「うえっ、まだこんなにあるのかよ……」
エレベーターに乗り、隊員用宿舎の四階に戻ってきた瞬は、廊下に積み上げられた段ボール箱の山を見て辟易する。
既に二十分近く、それらを一階へと運ぶ作業を繰り返しているのだが、数は減るどころかむしろ増えていくばかりだ。
あとおおよそ、どれくらいの荷物が残っているのだろうか。
気になった瞬は、段ボール箱の山を回り込み、その先にある半開きになったドアに手をかけた。
だが直後、メアラの蔑むような表情が隙間からにゅるりと出てきて、瞬の視線を遮る。
「おわっ……!」
「乙女の部屋を覗こうだなんて不届き千万ですよ。重大なマナー違反です」
「片付けてる最中なんだから、違反ってほどのことじゃないだろ」
「駄目です。例えどんな状態であろうと、乙女の部屋は乙女の部屋なんです。殿方には見せられない秘密が一杯なんです」
「ほんっとデリカシーのない男ね。絶対恋人にはしたくないタイプ」
「うるせー」
部屋の奥から聞こえてくる連奈の嘆息に、瞬はそんざいに返事をする。
それからも、みっともなくジャンプとしゃがみを繰り返してどうにか中の様子を視界に入れようとするが、全く同じ動作をするメアラによって結局阻まれてしまった。
そして、二人が無駄に息を切らしたところで、背後から轟の冷ややかな罵倒が飛んでくる。
轟には、エレベーターの“開く”ボタンを押したままにしてもらっているのだ。
「何やってんだ、バカ兄妹。サボってねーで働け」
「バカは余計です」
「そもそも兄妹でもねえし」
瞬とメアラは口々に反論するが、指摘そのものは至って正論なので、おとなしくそれぞれの作業に戻った。
しかしまさか、あの北沢轟から、仕事のことで急かされる日が来るとは――――この状況の奇妙さに、瞬はおかしさを覚えて喉を鳴らす。
おそらくは、今回の件に限った希少な事例だろうが、それでもだ。
「あっ、なんやかんや聞きそびれたな。あっちの進捗」
「構いやしねー。終わるまでやれば、終わりだ」
エレベーターの籠内に段ボール箱を置きに来た瞬に、轟は平然と答える。
操縦訓練やトレーニングもそうだが、轟は徹頭徹尾、一定のテンションで淡々とこなすことができる。
その冷たく頑強な、鉄の如き精神性は、瞬とは真逆のものだった。
「お前の方こそ興味ないのかよ、セリアの部屋がどんな風なのかは。それとも、オレの知らないところで実は入ったことがあったりするとか」
「……ねーよ。そんな用事はなかったしな」
「だと思ったぜ」
「訳知り顔で語ってんじゃねー」
渋面を浮かべる轟を、瞬は軽く笑っていなすと、また新しい段ボール箱を取りに戻った。
来たるべきオーゼスとの決戦に向けた、実質的なヴァルクスの再編。
その大規模な人事異動に際して、ラニアケアには、実に百五十名近くの人員が追加で送り込まれることとなった。
これにより、ラニアケアに居住する人間の総数は、以前の約五割増しに。
おかげで、これまで多数の空き部屋を残していた一般隊員用の宿舎も一気に満室となった。
どころか、一部の多人数部屋に至っては、本来の利用可能人数を超えた状態で使われている始末である。
となれば、既に存在しない隊員の部屋を、そのまま放置しておいていい道理はない。
先の戦いで明確な離反の意思が確認されたことで、先日とうとう、地球統一連合軍から正式に除籍されたセリア・アーリアル――――
彼女がかつて利用していた個室は、後日やってくる別の人間に明け渡されることが決定し、室内の私物も全て処分される運びとなった。
ただ、だからといって、おとなしくその手伝いに甘んじる瞬達ではない。
自らの手でメテオメイルを操り、ラニアケアに多大な損害を与えたセリアが、ヴァルクスに復隊できる可能性は限りなく低い。
そもそも、シャウラをセリアに戻すこと自体が至難の業だ。
だが、少なくとも轟だけは、彼女の帰還を心の底から信じている。
自身の人生全てを、セリアのために注ぐ気でいる。
そして瞬にとっても、連奈にとっても、メアラにとっても、セリアは魅力的な友人の一人であることに変わりはない。
轟ほどの覚悟はできないにせよ、手伝いならば幾らでも引き受ける所存だった。
そこで、セリアの私物はパイロットチーム四人が一時的に預かるという形で、ケルケイムを納得させたのである。
運んでいる先も、無論、別の階にあるそれぞれの自室だった。
「あ、いま出ている分を運び終わったら風岩先輩と北沢先輩はお仕事終了です」
メアラがまた、ドアの隙間から身を乗り出してそう告げてくる。
まだ十数箱は残っているが、それでも具体的な終わりが提示されて、だいぶ気は楽になった。
瞬は苦笑を漏らしながら、手近な段ボール箱に手をかける。
「ようやくか。しかしセリアのやつ、よくもまあこんなに溜め込んでたもんだ……」
瞬と轟は、男手ということもあって、セリアの貯蔵する物理書籍全般の運搬および保管を任されていた。
セリアが相当な読書家であることは知っていたため、それなりの量になることは覚悟していたが、しかしこの多さは流石に予想外だった。
連奈やメアラの話によれば、蔵書の内訳は小説と専門書のみならず、絵本や漫画、図鑑や年鑑など多岐にわたるという。
無論、重量的にも、ソフトカバーで統一されている場合の比ではない。
ここはあくまで仮の住まい――――いずれは離れる場所であることを、果たしてセリアはちゃんと考えていたのだろうか。
そんな疑問が、瞬の脳裏をよぎる。
(シャウラの言い分的には、まあ、考える考えない以前の話ってことになるんだろうが……)
住居以前に、セリア・アーリアル自体も仮の人格。
バウショックを主とする、メテオメイルの運用データを盗み取るためだけに送り込まれた存在。
彼女を末永く運用することは、元より想定されていない。
おそらく読書家というのも、セリアに多少の個性を付与するため、エウドクソスが用意した設定の一つなのだろう。
蔵書の種類が不自然に幅広いところは、いかにも、人間というものをよく理解できていないエウドクソスのセンスという感じがした。
「セリアめ。帰ってきたら、全部自分で運んでもらうからな……」
愚痴を半分、祈念を半分に瞬は呟く。
そして、その矢先、何らかの強烈な違和感を覚えて身をこわばらせた。
瞬の自覚可能域を超えた潜在的感性が、思考に先んじて反応する、たびたび起こる現象だった。
今この瞬間に反応したということは、おそらく原因は、目の前にある段ボール箱。
これだけは、ガムテープではなく透明のビニールテープで梱包されており、一度も開封されていないようなのだ。
伝票に書籍類と記されているため、メアラがそのまま持ってきたのだろう。
「いや、未開封だからなんだっていうんだ……?」
違和感を覚えた張本人であるにも関わらず、瞬は首をかしげる。
これが、たったいま発揮されたばかりの直感の厄介なところで、自分の能力としてカウントしづらい理由だった。
論理的に筋道立てて結論を導き出しているわけではないため、結局過程を自力で考える必要があるのだ。
加えて、結論に辿り着ける確率も五分五分で、今回は悪い方の結果に終わった。
僥倖だったのは、この疑問を解消するにあたって、瞬よりも適任とされる人物がいたことだ。
答えを出せないまま、瞬がエレベーターにその段ボール箱を運ぶと、轟は獣じみた鋭敏な目の動きで箱の表面をしばらく凝視。
そして、唐突に息を呑むや否や、おもむろにそれを抱えてセリアの部屋へと駆け出した。
「轟……!?」
「おい後輩女、ハサミだハサミ! 貸してくれ!」
「どうしたんですか、北澤先輩?」
「いいから早く!」
轟の剣幕に押されて、メアラはわけもわからぬまま部屋の中からハサミを持ってくる。
後を追ってきた瞬も、何がなんだかさっぱりだった。
呆然としている間にも、轟はその場に腰を下ろし、フラップの中央にハサミを入れて箱を開封する。
「ちょっと、どうしたのよ。虫でも出たの?」
外の騒がしさに、中で作業を続けていた連奈も遅れて顔を出す。
三人が困惑の面持ちで見守る中、轟はフラップを開きながら、焦りと期待の入り混じった、縋るようなの口調で発する。
「この中に、あいつがいるかもしれねーんだ……!」
「あいつ……?」
「テメーらもご存知の、あの超絶不器用な上に他人のアクション待ちとかいうクソ面倒をやらかす女のことだよ!」
「そうじゃなくてよ……」
箱は一人で抱えられる程度の大きさで、その中に、物理的にセリアが隠れているわけもない。
ならば、精神的に?
そこでようやく、瞬は轟の突飛な行動に合点がいった。
遅れて連奈も、ああと大きく漏らし、何となく察しが付いた様子を見せた。
「あいつ自身が言ってたんだ。ラニアケアを出ていくタイミングは、二千冊を読み切ったときだってな……。エウドクソスの連中が、そういう風に調整して本を寄越してやがったんだ」
今更のように、瞬が違和感を覚えるに至った取っ掛かりの部分が判明する。
かつて行われた軍上層部とのオンライン会議の際にも、轟が同様のことを語っていたのだ。
この場合の二千冊とは、セリアが実際に読んだありとあらゆる本の総計ではなく、エウドクソスの側が用意したものに限るということだろう。
瞬達からの信頼の獲得を完全なものとするためだろうか、セリアとロベルトは同じ組織に属していながら、ラニアケアの内部で不用意な接触を行った形跡が一切ない。
だから水面下では、このような回りくどい形で指示の伝達を行っていたのだ。
「だったら、読み終えていない本が残っているというのは、少しおかしな話になるというわけね」
連奈は、轟が取り出して雑に並べた本の中から、手近な一冊を拾い上げながら言った。
「あのエウドクソスのことだもの。そこで潜入任務が終わる人間のために、自然さを演出するためだけの費用を捻出するとはとても思えない」
「ひょっとしたら、セリアが、あいつ自身の意思で買ったものの可能性があるってことだな……」
連奈が手にとったのは脳科学についての専門書のようで、他の本にしても、心理学や精神医学など、近しい分野を取り扱ったものばかりだった。
そして、その多くには自己の確立や他人とのコミュニケーションに関連するサブタイトルが付けられている
この、他に解釈しようがないほどはっきりと表れた傾向から、瞬達が感じ取れることは二つ。
セリアの並々ならぬ苦悩と、そして自身の異常の原因を探り出そうという確固たる意志。
セリアはもう、任務遂行のためだけに作り出された儚い人格という域を、とっくに脱しているのだ。
「いや、ひょっとしたらじゃねえな。これはセリアの残した痕跡だ。内容が偶然こんなに偏るわけがねえ。しかも、エウドクソス的にはあんまり読ませたくないタイプのやつが」
これまでは、轟の言葉を通して聞くのみだったセリアの核たる部分――――その一端を目の当たりにし、瞬は考えを改めることにする。
セリア・アーリアルという人格の確かな重みを肌に感じておきながら、手伝うのも吝かではないという程度の姿勢では、些か冷淡が過ぎるというものだ。
「あとのは、何だ……?」
それぞれが、よくわかりもしない専門書をぱらぱらとめくって余韻に浸る中。
瞬は何となく場にそぐわない気がして、僅かに混じった異分子を山の中から抜き取った。
箱に収められていた三十冊ほどのうち、その三冊だけは、他のものとは大きくジャンルが異なっていたのだ。
それらの書名は、以下の通りである。
『三つの故郷』
『七月八日 ~栄光の始まりと終わり~』
『デネボラ・ザ・ファントム 第6巻 絶体絶命、サイボーグ忍者襲来!(上)』
一冊目は、幼少期にアジア各地を転々とした経験のあるカメラマンの写真集。
二冊目は、メジャーリーグベースボールに所属している有名な球団において、かつて監督を任されていた男のエッセイ。
前書きやあらすじに目を通してみて、瞬が個人的に興味を惹かれたのは三冊目だ。
もっとも、シリーズものを途中から読んでも面白さは半減なので、勝手に借りて読むことは断念する。
それに、これら三冊にしても、ただの趣味に留まらない、何らかの特別な意味を含んだ本のような気がする。
瞬はその旨を、この場にいる全員に伝え、改めてタイトルや内容の吟味を始めた。




