第151話 ファイナルラウンド(その8)
戦闘が終了してから、数分後。
バウショックに同乗する瞬と轟は、ストレムグレンの残骸から危険水準の熱量反応が消失したことを確認すると、運んできたベテルギウスをその隣に並べた。
両機とも、メテオエンジンは完全に機能を停止しており、全体的な損傷の甚大さからも機体の再起動はあり得そうにない。
一方で、それらを操る二人の男の生死は、未だ判然としていなかった。
瞬と轟は、良くも悪くもただのメテオメイルパイロットであり、交戦した相手の容態をわざわざ確かめに向かうことは任務の範疇外である。
しかし、だからといって、その役目を他の誰かに任せる気にはなれなかった。
それに、奇妙な間柄となってしまったあの二人には、まだ伝えきれていないことが少なからずある。
「よせよ」
瞬が、膝をついたバウショックの腕を伝い、ビルに上半身を預けて眠るストレムグレンの胸元に近づいたときだった。
それ以上の接近を、低く通る声が制する。
声は、僅かに開いたコックピットハッチの隙間から漏れ出てきたものだった。
「……別に、助けに来たわけじゃねえよ」
声の主――――スラッシュに対し、瞬はぶっきらぼうにそう答える。
スラッシュが自身の救助を望んでいないことくらい、その性格を考えれば明らかであったし、今回の戦いを通して尚のこと確固たるものとなった。
「またとっ捕まえたところで、どんな処遇が待ってるかは目に見えてるしな」
自分で言っておきながら、その台詞はあまりにも白々しすぎると、瞬は自省した。
コックピットハッチの隙間からは、先程からずっと、赤黒い水滴が滴り落ちている。
座席までの奥行きを考えれば、並大抵の負傷では流れ出てくることがないはずのものだ。
しかし、それも必然。
ストレムグレンの頭部を深々と貫いたジェミニソードの刀身は、明らかに胴体中央部近くまで達している。
機体の内奥部を破壊されておいて、コックピットに被害が及ばずに済む道理はなかったし、スラッシュの肉体が無事で済む道理もなかった。
今までに感じたことがないほどの濃密な死の香りに当てられ、瞬の双眸は、ますます細められる。
その剣を突き立てたのが他ならぬ瞬自身であることもまた、やるせなさが募る一因であった。
「……他の理由も全部込みで、放っとけって言ってんだ。いいじゃねえか、もう。誰がどう見たって、テメエらの勝ちは明白だ。はいはい、おめでとうさん、良かったな」
「あんたの方から、何かねえかと思ってな」
スラッシュが、投げやり気味に返してくる。
先の短い一言からは語調の変化を感じなかったが、長く喋るのを聞けば、呼吸の荒さと弱々しさがはっきりとわかった。
その生々しさに、思わず瞬は本題から話を逸らすが、それも用件の一つではある。
魂の灯火が消える間際で放つスラッシュの言葉を聞き逃すまいと、瞬は黙して、耳を傾けた。
「何もねえよボケ……と言いたいところだが。なくはねえな」
「勿体ぶるなよ」
「あいつは……霧島は、どうなってる」
「轟の奴が、見に行ってる。……まだわかんねえ」
後半は、咄嗟に出た嘘だった。
ベテルギウスのコックピットハッチを強引に開いて中を覗き込んだ轟は、それきり、その場に座り込んだまま動こうとしない。
少しも狼狽えることがない不自然なまでの冷静さと、深く俯いたもの哀しげな姿を見れば、答えは聞かずともわかる。
「まあ、くたばっちまってんだろうがよ」
「わかんねえって言ってるだろ」
「俺様にはわかるんだよ。外傷性ショック死ってやつだ、間違いねえ」
意外にも、スラッシュの側からそれは断言される。
自分達と同様、事細かな連絡を取り合う間柄には見えないが、互いの状態を察せるくらいには言葉を交わしていたのだろう。
冗談めかした含みがなかったことから、本当に、瞬の僅かな言い淀みを推察の材料にしたわけではないようだった。
「だったら聞くなよ」
「テメエがどんなリアクションをするか興味があってよ」
「流石はクソ外道。この期に及んでも意地の悪い野郎だ」
「そうとも。俺様はスラッシュ・マグナルス。オーゼスが誇る稀代の悪党……。笑っちまうほど盛大に道を間違った、どうしようもねえバカだ」
「そうかもな……」
「だから、これ以上、テメエと話したくなんざねえんだ。……わかるだろ?」
か細くなりつつあるスラッシュの問いに、瞬は敢えて返答しない。
理解はできるが、同じくらい、理解したくもなかったからだ。
「他人との魂の摩擦を求めていた寂しがり屋が、誰とも触れ合えねえまま、いつの間にか独りで逝く……霧島にはお似合いの、ちゃんと、救いのねえ末路だ。俺様も、ああいう風に、ちゃんとしてえのよ」
「オレ達が、そんなにも、あんたを揺らがせたっていうのかよ」
「ああ揺らいだ。何度も何度も揺らいじまった。テメエらのような根性ねじ曲がったクソガキ共が、ここまで変わってみせたんだ。俺様達も、どっかで何かが違ってりゃ、真っ当な人生を送れてたんじゃねえかっていう羨ましさと後悔が……今日の今日まで、ずっと付きまとってやがった。」
「途中まで動きがふらふらしてたのは、それか」
「……挙げ句、テメエらの戯言を真に受けて、ボスの差配に疑念を抱くようなことまでしちまった。新型の性能を発揮できなかったのは、そんな下らねえ迷いのせいだってのによ」
瞬は、自分や轟の人生が、スラッシュが羨望の念を抱くほど、正しい軌道に乗っているとは思わない。
立場や周りの人間関係によって無理矢理に補正されているだけで、むしろ本質は、オーゼスの側に寄っているのではないかと思うときさえある。
自分や轟だけではなく、連奈やメアラにも、その素養を感じている。
だが、ひどく近しい存在であるがゆえに、スラッシュや霧島にとっての希望となってしまったのだ。
自分達は、いわば、不可逆の分岐点を渡る前のスラッシュと霧島。
同時に、その分岐点においてもう一つの道を辿ったスラッシュと霧島でもある。
だから瞬は、こう告げる。
「あったと思うぜ。あんた達が、臨時なんかじゃなく、正規のコーチとしてオレ達をしごいていた未来も」
だからスラッシュはこう返す。
「それを、聞きたかねえっつってんだろうが! あり得ねえ妄想語って、ここにいる俺様を辱めるな!」
「妄想とは思わねえ。あんたの言う通り、本当にちょっと、運のめぐり合わせが悪かっただけだ。そんなにも迷うってことは、根本の部分はそんなにもまともだってことの証明じゃねえか! まともじゃなきゃ、あんなにも力入れて、オレ達を鍛えてくれるわけがねえ!」
「ありゃあ、最大の汚点だ。成長したテメエらをブッ潰せば、まだまだ先を目指せるんじゃねえかと思ってたが………俺様達の側がそこまでの器じゃなかったせいで、このザマだ。手間暇かけた自殺と何も変わらねえ」
「戦いの基本がまるでなってねえオレ達を勝たせるほどの指導だったんだ。そこまで色んな知識が身に付いてる奴らが、弱い奴らだなんて思わねえ。オーゼスの一味になる以外の道がなかったなんて、とても思えねえ」
「クソッタレが……。テメエは最後の最後まで、そうやって、今更どうしようもねえ、夢を……」
自分が語れば語るだけ、外道に相応しい惨めな死を望むスラッシュを、より一層苦しめることは承知の上だ。
ただそれでも、スラッシュが人の世の中で健全に生きられた可能性を示さずにはいられなかった。
スラッシュの主張を肯定することは、ある意味で、スラッシュの為人を全否定することと同義だからだ。
どう足掻いても未来が閉ざされているなどという諦観に賛同することの方が、瞬にとってはよほど残酷な行為なのだ。
だが、だとしても、もう十分だった。
消えゆく命を前にして、自分の意見を喚き散らすのも不躾が過ぎる。
だから瞬は口を噤んで、スラッシュに残された時間の全てを、スラッシュのために空けることにした。
そして――――そんな瞬の慮りの通りに、次に放たれた一言が、スラッシュの末期の言葉となった。
「そんなにも俺様達を見どころのある人間にしてえなら、テメエらが、テメエらの生き方でそう示してみろ。そしたら認めてやってもいいかもな。俺様じゃねえ俺様をよ……」
スラッシュがいかなる思いを込めて、その言葉を発したのか、もはや確かめる術はない。
あるいは、死の間際に置かれた肉体と精神が適当に紡いだ、ただの譫言だったのかもしれない。
一つだけ確かだったのは、その一言が、オーゼスのスラッシュ・マグナルスらしからぬ、どこか教示めいたものであったことだ。
瞬達に対する怨嗟でもなく、社会に対する呪詛でもなく。
「ほらみろ……」
瞬はそう漏らすと、両の頬を、右手で二度三度掻いた。
先程からずっと、妙な痒みがその辺りに広がっていたからだ。
原因となっていたのは、自分の目元から零れ落ちた透明の液体だった。
自分の涙腺が分泌したものであるというのに、瞬は間抜けにも、その事実に驚く。
腹が捩れるほど笑って涙が出ることは、たまにある。
腸が煮えくり返りそうな怒りと悔しさで涙が出たことも、まだ記憶に新しい。
だが、悲しみに起因する涙は、いつ以来なのかを全く思い出せないほどに縁がない。
持ち前の異様な図太さと負けず嫌いな性格から、大抵の事態には耐えてしまえるからだ。
「何であんた達は、そっち側なんだよ……!」
ストレムグレンのコックピットハッチを殴りつけながら、瞬は叫ぶ。
疲れ切った思考が、ようやく心情に追いつき、余計に落涙の量は増える。
一生の内で何度出会えるかわからない、一切の遠慮なくぶつかり合える人間を、また自分達は、自分達の手で消してしまった―――――
しかも今度は、敵対する人間の中で特別長い付き合いとなった、スラッシュと霧島を。
途方もない喪失感と、自分達の行いに対する後悔や懐疑心が混ざり合って、嗚咽さえ上げそうになる。
だが瞬は、歯を食いしばり、そうすることだけは堪える。
共に戦い、共に過ごした轟も、そんなことはしていないからだ。
「もういいのか、瞬」
「お前はどうなんだ」
「俺もいい」
隣とはいっても、七、八メートルは離れているため、瞬と轟は少し大きめの声で確認を取り合う。
それぞれが、生涯の師とすら認めた男との、最後の対話が済んだかどうかの。
「ああ、そういうことか……」
言っておいて、無意識の内に理解していたことに気付く、いつものパターンだった。
自分とスラッシュが話している傍らで随分静かにしていると思ったら、轟も轟で、ベテルギウスの中に眠る霧島と語り合っていたのだ。
ともあれ、これでやるべきことは済んだ。
あと一つ、たった一つの大事なことを残して。
瞬と轟は、互いに目配せをした後、その場で両足を少し広げ、しっかりと背筋を伸ばして立つ。
そして、天を仰ぐようにしながら、肺一杯に空気を吸い込み―――――
深々と頭を垂れながら、鼓膜が破れんばかりの声量で、無上の感謝を叩きつけた。
「今まで、ありがとうございました……!」
スラッシュ・マグナルスと霧島優は、人の道を外れ、史上最悪の凶行に走った、数多の血に染まりし咎人だ。
犯した罪は、未来永劫、けして許されることがない。
彼らの中に光る断片があったという主張も、残る全てが暗黒の塊とあっては、擁護として成立しない。
世界はけして、彼らの存在と、その人生を認めることなどないのだ。
だがそれでも、瞬と轟は、そんな彼らを標として、ここまで来ることができた。
彼らに用意されていたはずの、もう一つの未来に歩を進めることができた。
彼らが徒花であるか否かを論じるには、まだもう少しばかりの時間を要する。




