第150話 ファイナルラウンド(その7)
(わかってやがるな、霧島……)
スラッシュは、理想的なベテルギウスの動きをレーダー上で確認して、ほくそ笑む。
だが同時に、自分達の現状に対するもの悲しさもあった。
霧島がスラッシュの意図を汲めていなかったとしても、どのみち消去法を用いれば同じ結論に至ってしまうからだ。
セイファートとバウショックを二機とも仕留めるための方法は、もはや一つしか残されていない。
いや、“一つ”と胸を張って言えるほど、確かなものですらない。
自分達が一切ミスをしないことは前提条件で、あちらも終始予想通りに動いてくれるという、万事が都合よく噛み合ってようやく実現に至る作戦――――いや、作戦未満。
皮算用レベルの杜撰な思いつきだ。
そこまでくると、むしろ思い込みと評するのが相応しいかもしれない。
それでも、二人は暗闇の中をひたすらに進む。
理論上は可能という、その心許ない光を愚かに追い続ける。
「ペネトレイト・ボルト、充電開始……。残弾は一。そうでなくとも発射機構にガタが来てる。
文字通りの一発勝負ってわけだ」
ストレムグレンの頭部に内臓された大型レールガン、通称“ペネトレイト・ボルト”。
セイファートとバウショックを上手く誘導して一列に並べ、この虎の子たる一撃を放って二機をまとめて撃墜する――――それが、スラッシュと霧島の狙いだった。
ストレムグレンの毒爪や、ベテルギウスの締め上げによる関節破壊などという遅々としたやり方では、もはやこちらの身が保たないからだ。
成功の確率は、限りなく低い。
単に、セイファートとバウショックが軸線上に揃えばいいというものではないからだ。
絶対に回避や防御をされないよう、事前に身動きを封じるか、体勢を崩しておくことも成功の条件に含まれる。
先程の連続奇襲は、まさにその大博打のやり損ないだ。
特にセイファートの敏捷性は厄介で、ワイヤーを巻き付ける程度では不足。
パイロットの瞬を気絶させるか、羽交い締めレベルの強固な拘束が求められた。
そのどちらを実現するにしても、必要な手段を持つのはストレムグレンではなくベテルギウス。
霧島にはこれから、セイファートとバウショックを立て続けに行動不能にするという大役が与えられていた。
「心構えは十分か、霧島」
「いつでも」
柔和さをかなぐり捨てた、素っ気のない返事。
それは、これまでに類を見ないほどの集中状態にあるという、何よりの証。
だからこそスラッシュもまた、照準を合わせてトリガーを引くという自分の仕事に専念できた。
認めてしまうのは癪に障るが、スラッシュがこの作戦の成功率を低いと断じる要因は、他でもない自分自身。
霧島に関しては、例えどのような無茶を振っても高確率で役目を果たしてくれるという信頼がある。
敢えて霧島に心の準備を問うたのは、そうすることで、自分のスイッチを入れるためだ。
迂遠なやり方だと、スラッシュは自嘲する。
並行して、瞬と轟に対する憎らしさは更に倍増した。
こんな心強さを―――――味方のことで気を揉まずに戦える開放感と安心感を、あの二人は、自分達よりずっと早くに手に入れていたのだから。
(本当に卑怯なのはテメエらの方だ、クソガキ共。何でも持っていやがる……!)
あまりにも無様がすぎるため、その怒りを、スラッシュが言葉にすることはない。
溜め込むことで、メテオエンジンが生成するエネルギーに回した方が、使い道としては遥かに有益だ。
そして、とうとうスラッシュと霧島が待ち望んでいた状況が訪れる。
事前に建造物があらかた破壊されており、見晴らしの良くなった幹線道路。
まるで街の上辺を形成するかのように、北西端から北東端まで長い直線が続く、その路上で、四機のメテオメイルが一直線に連なる。
西側から現れた、セイファート、ストレムグレン。
東側から現れた、バウショック、ベテルギウス。
それぞれが、道路の中央を合流点として定め、集結を目指して疾走する。
「今だ……!」
四人それぞれが、最後の手札を切るための最適な機を窺う、この一戦における最も高度な読み合いの瞬間。
肉薄まで残り十数秒という猶予の中で幾十幾百の知謀が衝突する、無言にして無音の剣戟。
その極限まで緊縮した静寂を破ったのは、瞬だった。
高出力のスラスター噴射で足元のアスファルトと瓦礫片を巻き上げながら、セイファートの飛翔を開始。
他の三機と横軸こそ同一線上に並んだままだが、上昇角度はほぼ垂直――――ものの数秒で一キロメートルほど高度を上げ、戦場を俯瞰する。
両腕に握り込むのは、機体背面に三つの補助翼として装着されている大型剣“天の河”、その一振り。
その切っ先を向けるのは、スラッシュのストレムグレンではなく、霧島のベテルギウス。
セイファートとの相性の関係もあるが、現在の四機の位置関係的にも、先に撃破を狙うのはこちらだ。
最悪攻撃を外してしまっても、バウショックによる追撃が見込めるからだ。
高高度から襲い来る炸裂型斬撃“流星塵”と、前方の空間ごと焼き払う圧縮灼熱球“クリムゾンストライク”。
二種の決戦兵装を立て続けに打ち込むという理不尽の行使――――
防御性能が特別優れているわけでもないベテルギウスに、それだけの過剰火力を費やすことに対して、二人の気後れは皆無だった。
本来の立ち回りに回帰した今の霧島を仕留めるためには、ここまでの容赦なさでようやく、及第点と呼べる域に達する。
「秘剣、“流星塵”……こいつなら、あんた自慢の神がかった護身技術も関係ねえ。そっちから触れてもアウトだ」
瞬は、豆粒ほどの大きさしかないベテルギウスに向かって言い放つ。
天の河は、命中と同時に、刀身を構成する金属粒子が強力な反発作用によって弾け飛び、対象の全身を削り尽くす。
一般的な構造の剣とは異なり、いわゆる“無刀取り”のように、刀身を奪い取ることも叩き落とすことも不可能だった。
「オレが貰っちまうぞ、轟!」
「それでいい。気ぃ緩めやがったらタダじゃおかねー!」
轟からの返事を聴覚が受け取るやいなや、瞬はセイファートの加速を開始。
眼下のベテルギウス目掛けて、流星のごとく急降下する。
左右に回避される可能性も考慮し、速度は、むしろ最大限まで引き上げる。
僅かな誤差ならば剣の振り方で修正が利くからだ。
弾性で伸縮する四肢を持つベテルギウスが、その特性をフルに活用した場合、移動する先を予測するのは極めて困難。
下手に減速して、逃げるための猶予を与えてしまうのは悪手だった。
「速攻で塵にしてやる……!」
音速を超えた速度で墜ちるセイファートは、瞬く間にベテルギウスの眼前まで到達。
六角形の単眼のみが設けられた気味の悪い頭部と刹那の睨み合いを経て、瞬は力強い銀の一閃を放つ。
頭上から超高速で飛来し、渾身の力で叩きつけられる、刀剣型の炸薬塊。
反応速度でセイファートに大きく遅れを取るベテルギウスが、この無慈悲な一撃を前にできることなど何一つない。
何らかの絶技により反撃を繰り出してくるという、もしやの可能性は杞憂のまま終了。
天の河の刀身は正確にベテルギウスの左肩口を捉え、大気が咆哮したかのような轟音を伴って、盛大に炸裂する。
特殊な加工処理により強引に結合されていた金属粒子が一気に解き放たれる際の、荒々しく激しい煌めきを、瞬は確かに見届けた。
同時に―――――その燐光に紛れて宙を舞う、ただならぬ不穏も。
「轟、正面だ! クリムゾンストライクをぶちかませ!」
銀灰の塵が立ち込める幻想的な靄の中、瞬は轟に向かって早口に叫ぶ。
“流星塵”は間違いなく命中した。
だが、まだ終わっていない。
ベテルギウスは健在だ。
いや、これから再び健在となる。
「いえ、もう間に合いません。既に攻守は逆転しました。形勢もね」
コックピット内に響き渡るのは、霧島の声。
スピーカーを介して聞こえてくる音声だというのに、直に密接されているような錯覚を起こして、瞬はたまらず背筋を凍らせる。
そもそも、そのような錯覚を起こしてしまうのは、現状をこの上なく正確に把握できているからだ。
「ベテルギウス、ここまでの……!」
靄の中から抜け出すべく、セイファートを再度飛翔させながら、瞬は焦りを露わにする。
天の河を叩きつける寸前、ベテルギウスの右手は、妙な位置に置かれていた。
自らの脇腹に潜り込ませるような、とてもそこから受け身に繋がるとは思えない、不可思議な位置に。
その理由は、他ならぬ霧島の生存によって証明された。
霧島は、液状物質で構成されたベテルギウスの胴体内部から、自身もそこに搭乗しているコックピットブロックを抜き取っていたのだ。
それを投擲することで本体から遠ざけ、金属粒子の炸裂から退避していていたというわけである。
そして、飛散した液状物質の一部を再びコックピットブロックの周囲に接合。
既にセイファートへ絡みついて、その胴体と左腕を締め上げるに至っていた。
「読みが甘かったなどとは言いませんよ。これは、僕にとっても結構な賭けでしたからね。正直、上手くいくだなんて思ってもいませんでした」
現在のベテルギウスは、どうにか胴体と両腕に相当する部分を再構成しているだけで、質量は従来の三分の一程度しかない。
とはいえ、全方位に飛散したはずの液状物質が、それだけの量、コックピットブロックの周囲に集まったことは、十分に奇跡の領域。
霧島もそう評する通り、これは、本来ならば起こり得ぬ復活。
それゆえに瞬の対処は一手遅れることになり、推察されるこの先の展開に、どっと冷や汗が吹き出す。
「ま、ず、い……!」
ベテルギウスを振り払おうとしたのが仇となり、逆に振り払おうとした右腕を捻られ、セイファートは体勢を崩して墜落。
道路に打ち付けられた後、十数棟のビルをなぎ倒しながら無様に地を滑る。
「瞬、どうにかならねーのか!」
切迫した轟の声が、瞬の鼓膜を打つ。
ベテルギウスに組み付かれたこの状態でクリムゾンストライクを放てば、当然ながら、セイファートも消し飛ぶことになる。
かといって、バウショックがベテルギウスを引き剥がすことも、この状況においては致命的な悪手だった。
ギガントアームのエネルギーチャージを強制中断した場合、放出を止められた膨大な熱エネルギーを逃すため、通常の数倍近い冷却時間を要することになるが――――それはいい。
問題なのは、後方に控えているストレムグレンの頭部が再び展開して、内部機構から激しい電光を迸らせていることだ。
轟が瞬の救出に向かおうものなら、凶悪無比な威力を誇るレールガンの一射によって二機とも射抜かれるのは必至。
作戦を成功させる上で最も重要な部分を天運に委ねた、この出鱈目こそがスラッシュと霧島の覚悟の産物であるというのなら、もはや呆れを通り越して敬服に値する。
「俺様達とテメエらは別種。だから、俺様達の勝ちだ……!」
誇るように、嘲るように、笑うように、呻くように。
スラッシュが声を張り上げ、勝ち鬨を吠える。
そう、スラッシュには、引鉄を引くことができる。
味方であるはずの霧島を巻き添えにしても――――その命を手ずから摘み取ってでも、勝利を掴み取ろうとする、常軌を逸した利己性と執念を持ち合わせている。
その思想自体は、極めつけの破綻者が集まるオーゼスにおいては特段の異常性ではないのかもしれない。
外道を標榜するスラッシュにとっては、むしろ、自らをそう定義するための前提条件とすらいえる。
それでも瞬が、スラッシュの中に葛藤の末の決断を見出しているのは、霧島ごと撃ち抜くことについて、二人の間で同意が得られているからだ。
身勝手の極地ともいえるスラッシュの行為を、霧島が受け入れてしまっているからだ。
「霧島、あんたは……! 自分の身を守るのがあんたの拘りだろうが!」
「それは勿論そうですよ。……ですが、それ以上に見てみたくなったんです。正道を外れた弱い僕達が、正道を歩み続ける強い君達を凌駕する、その光景をね」
「見れねえよ。オレと道連れになるあんたには」
「見れますよ。スラッシュさんが見てくだされば、それは僕のものでもある」
「言葉遊びだろ、それは……!」
「まあ、奇跡の生還についても、若干は期待していますよ。あくまで僕の経験則であり、根拠には乏しいですが………万に一つの展開というのは、短期間の内に連続して起こりやすいものですからね」
霧島は朗らかに答えるものの、ベテルギウスの拘束は依然変わらず完璧で、そこには生への渇望が一切感じられなかった。
諦観を束ねることで生まれた、闇色の意思を前に、瞬は口を固く結ぶことしかできない。
他のオーゼス構成員のタッグでは、けして生じ得ない究極の信頼関係。
生者の勝利を死者の勝利にカウントできる、真の一心同体。
例え立場が逆だったとしても、それで勝利が得られるのならば、霧島は同じようにスラッシュの命を絶つだろう。
どちらの度量も、壮絶の一言に尽きる。
決意の方向性の是非はさておき、瞬にはとても真似できる気がしない。
ただ――――だからといって、存在の格で劣るとは思わない。
そんな哀切な覚悟が、勝者の条件であっていいはずがない。
あくまでも、あれは固有の強さの一つ。
あれを羨むようでは、二人の後追いにしかならないのだ。
「そういうわけですので、やってしまってくださいスラッシュさん」
「詫びなんか入れねえからな、俺様は!」
霧島の合図と共に、ストレムグレンがレールガンの照準のブレを抑えるべく、大きく身を屈める。
スラッシュ自身の操作ではなく、安定した姿勢で発射を行うために、そもそもプログラムとして組み込まれている予備動作。
この、発射までの数瞬。
スラッシュの反射神経が及ばぬ領域こそが、瞬の見つけ出した突破口だった。
セイファートはベテルギウスの拘束によって身動きを封じられたままだが、手詰まりになったわけではない。
左腕の篭手、ストリームウォールを起動し、風圧防壁を発生させる。
「当たってたまるか……負けてたまるかよ!」
「ぐっ……!」
ベテルギウスによって抑え込まれたままのセイファートは、左腕から放出される絶大な風力を受けて、その場を駒のように回転。
流石というべきか、それでもベテルギウスの拘束は緩むことはない。
もっとも、そこは瞬の狙いではなかったし、霧島がそんなヤワな根性をしているとも思っていない。
瞬の狙いは、それまでフラットだった霧島の意識を傾けることにある。
セイファートに必死でしがみつかせることが目的なのだ。
「あんたと一緒に地獄に行くなんざ御免なんだよ!」
瞬は、自身もまた激しい回転に襲われる中、セイファートの上半身を力の限り起こす。
そして、後頭部に仕込まれた多目的刺突兵装、シャドースラッシャーを即座に射出。
鋭利なブレード状のパーツが、セイファートに組み付いているベテルギウスの左腕を貫き、肘から先を本体から分断することに成功する。
そして、さしもの霧島といえど、残った右腕だけでは五体満足のセイファートの動きを止めることは不可能。
まだ回転の慣性が乗っている中、瞬はセイファートの膝を立てて強引に起き上がらせ、ベテルギウスを振り落とす。
だが、ようやくベテルギウスから逃れられたその瞬間は、ストレムグレンに対して無防備を晒した瞬間でもあった。
物理的な弾丸の発射に先んじて、同じ射線を通って飛ばされた純粋な殺意が、瞬を射止める。
「今です、スラッシュさん!」
「霧島ぁ!」
「轟、ちゃんと避けろよ!」
「生意気に人の心配なんかしてんじゃねーぞ、瞬!」
四人の絶叫が重なった直後、ストレムグレンの頭部から、激しい雷鳴を伴った超音速の弾丸が撃ち出される。
人間の知覚では到底捉えきれないそれは、須臾の間に空間を貫き、思い出したかのように鈍い残響をもたらした。
「……っぶねえ」
レールガンの発射から、数秒の後。
命に別状はないにしろ、今の瞬には、表情筋を硬直させたままそう呟くのがせいぜいだった。
なにしろ、現在のセイファートは、腰部を撃ち抜かれて下半身を丸ごと喪失している。
弾丸の軌道があとほんの四、五メートル上にずれていたら、コックピットブロックの向こう側にいる瞬の体は塵芥と化していただろう。
もう少し下だったとしても、そこには極めてデリケートな動力機関――――メテオエンジンが収められているため、結果は似たり寄ったりだ。
安堵の息を吐くにしては、あまりにも死が目前に迫りすぎていた。
「どうにかなったか……」
バウショックも、ギガントアームの大部分を消し飛ばされているものの、どうにか撃墜だけは免れていた。
レールガンが発射される寸前、セイファートが咄嗟に体を捻ったことが功を奏し、それに合わせてストレムグレンの照準もやや右方に自動補正されたようだった。
セイファートの敏捷性なら不可能ではないと考えこそしていたが、かといって絶対に間に合うという確信もなく、霧島と同じく運頼みの一手だった。
「……まだ時期尚早だな」
「ああ、まだ足りねー」
瞬と轟は、視線を交錯させ、互いの気分が同一であることを確かめ合う。
ストレムグレンの頭部は、限界を超えた威力で発射されたレールガンの反動で内部機構が破損したのか、冷却のものとは明らかに異なる白煙を噴き上げている。
一方で、今の一撃を受けて激しく欠損したセイファートとバウショックだが、両機とも戦闘の続行は可能。
主力武装も問題なく使用可能だ。
大勢は決した――――いや、はっきり言ってしまえば、もう決着は付いた。
慢心すら介在する余地のない、冷ややかな現実。
だが、こんなものでは、まだ自分達の実力を示せたとは言い難い。
スラッシュと霧島の打倒を宣言するには、まだ足りない。
だからこそ、非情に、貪欲に、そして敬虔に。
物理的にも精神的にも真の決着をつけるために、一斉に動き出す。
「そうだ……まだ終わっちゃあいねえ。かかってこいやクソガキ共! ここでリタイアしちまうとしても、テメエらだけは確実に叩き潰す! なあ、そうだろ霧島……」
鳴り止むことのない警告のアラートをBGMに、スラッシュは口元すら歪めて、声を張り上げる。
ストレムグレンの損傷度は、現在、五十パーセント超。
右腕は丸ごと喪失。
頭部も最低限のカメラ・センサー類が生きているだけで、クラッシュ・ボルトおよびペネトレイトボルトは破損により使用不能。
煙幕弾、ワイヤーアンカーも全てを使い果たし、アシッドネイルの内部に仕込まれた超強酸の残量もあと僅か。
両足の爪先に仕込まれたヒートナイフも刃こぼれがひどく、武装としての有効性は皆無。
閃光放射用のレンズ機構は無事だが、肝心の、それを保護する胸部ハッチが被弾による歪曲によって開閉不可。
まともに機能するのは脚部の拡散レーザーのみだが、両脇腹の予備エネルギー貯蓄用バッテリーが機能を停止しているため、出力はひどく不安定という始末である。
だが、まだ勝機がなくなってしまったわけではない。
霧島さえいれば、どうとでもなる。
自分が盤面を掻き乱し、戸惑う瞬と轟を霧島が制する。
この鉄板戦術が機能する限り、逆転の可能性が残されていることは保証されているのだ。
いついかなるときでも、一欠片であろうと。
(見てみろ、セイファートを、バウショックを。俺様達が一方的にボコられてるわけじゃねえ。奴らだって、満身創痍だ。霧島が一投げしちまえばセイファートはお陀仏。バウショックも、胸元にアシッドネイルを付き立てりゃあ毒が回って直に死ぬ。遠くはねえ。むしろ俺様達にの勝利に着実に近づいてる。こりゃあ、ひょっとすれば……)
その鉄板戦術が、機能している限りは――――
「……霧島?」
いくら待っても、幾度もの共闘と長すぎた共生の末、ついぞ相棒と認めてしまった男の言葉は返ってくることがない。
そのあまりにも空気が乾ききった静けさに。
今の今まで自分自身さえ暑苦しさを覚えるほどに沸き立っていたスラッシュの心が、嘘のように一瞬で冷める。
あるいは、覚めたのかもしれない。
先程からずっと、霧島の乗るベテルギウスは、微動だにしていない。
物言わぬ骸として、ずっとセイファートの足元付近に転がったままだった。
直接・間接を問わず、ベテルギウスに、レールガンの発射に際するダメージは及んでいないように見受けられる。
だとすれば、最後のひと押しとなった要因はどの時点のいかなる攻撃か。
それ以前に、霧島は生きているのだろうか。
恐ろしく冷静な心境で、スラッシュは思考を巡らせる。
そして、恐ろしく冷静であるがゆえに、最も要を得た結論を導き出せてしまう。
どちらの疑問にしても、答えがいかなる内容であろうと、今となってはもはや無意味だという結論を。
霧島優は、スラッシュよりひと足先に終わってしまった。
現状を説明するには、その一言で全てが事足りた。
「……バカが」
自分達の勝利のため、三十年以上の研鑽によって支えられた己の主義を曲げてまで命を投げ出した男がいた。
そんな男に、今のスラッシュがかける言葉は、それだけだった。
憐憫などでは断じてない、心の底からの罵倒だ。
招集された九人の愚か者の中で、誰よりも理解に苦しんだはずの男に、心の底から。
「バカが……!」
同じ罵倒を、今度は自分に向けて放つ。
霧島とて、ただの人間であるというのに――――
元より、致命傷レベルの痛みを訴えていたというのに――――
何度でも苦痛を超克して立ち上がってくれると、最後の最後まで肩を並べて戦ってくれるものと、手放しの信頼を寄せてしまっていた。
そこまでいけば、依存であり、自分の都合の押し付けだ。
霧島の退場は、自分が無自覚に対等の関係を破棄したからこその結果。
こうなることは必然も必然、ただの道理。
怒りなのか、悲しみなのか。
スラッシュには、自分の体をわななかせている未知の感情を言い表すにあたって、適当な語彙を持たない。
それでもどうにかして、その名状しがたい何かを確かな形にするのならば、方法はただ一つ。
フットペダルを踏み込んで、前へと征くことだけだ。
自分に向かってくる、二つの眩いものと対峙することだけだ。
「うおああああ!」
恥も外聞もなく、幼子のように。
情動を曝け出し、肺の底から哮りを絞り出して。
傷跡だらけのストレムグレンを狩り、唯一の獲物である左腕のアシッドネイルを闇雲に振り回す。
もはや作戦などない。
ただ余力の許すまま、手数を増やし、少しでも損傷を蓄積させ、勝利に這い寄る。
未だ自らの敗北を認められない男の、無様な抵抗。
だがスラッシュは、その無様を最後まで抱える義務がある。
ここで物分りの良い大人を演じれば、それは最悪の冒涜となる。
自分の人生に対しても。
オーゼスの一員となってからの三戦全てを共に駆け抜けた霧島に対しても。
世界に歯向かう力を二度も与えてくれた“あの男”に対してもだ。
「行くぞ轟、これで終いだ」
「クソ長え喧嘩だった。ここまでの長丁場は、多分もう二度とねーだろーな」
見苦しいと誹りを受けてもおかしくないほどの蛮行にも、瞬と轟は、一切の油断なく向き合ってきた。
間断なく放たれるストレムグレンの爪撃をスラッシュの戦術の一つと認識し、片や回避、片や防御で的確に対処していく。
けして相手を見下すことがない、その真摯さが、かえって忌々しさを覚えさせる。
この期に及んでなお、自分のことを倒すべき敵と見なしてくれているのは、スラッシュにとってはこの上ない恥辱だった。
とっくのとうに、そんな上等なものではなくなってしまっているというのに。
「クソガキが、一丁前によお……! テメエらはもっと、考え足らずで、生意気で、自分しか見てねえどころか、自分のことすらろくに見れてねえような、そんな奴らだったろうが……!」
「いつの話をしてんだよ」
「今も変わっちゃいねーがな」
少年二人の端的な返事と共に、ガキリ、と金属同士の擦れ合う音が響く。
それを境として、戦場に幾度目かの長い静寂が訪れた。
斜めに振り下ろしたストレムグレンの腕が、下から滑り込んできたバウショックの左腕に絡め取られてしまったからだ。
肘から先を分離して射出する“バスターアシッドネイル”が、唯一スピキュールから撤廃された機能だとは、何たる皮肉か。
ともあれ、こうなってしまっては、もはやストレムグレンは完封状態。
スラッシュに、抵抗の術は残されていない。
「打甲術」
残心の一環としてか、スラッシュが失念していた技の名を轟が口にする。
相手の腕を自身の前腕と上腕で挟み込むその変則的防御術は、二度目の戦いにおいても霧島に対して披露された技。
無策で押し勝てる今のストレムグレンに、わざわざそのような高等技術を使ってみせる意義は薄い。
だがそれは、これまでにスラッシュが見てきた中で、最も流麗な動きで繰り出された。
堂に入っていると評してもいい。
機体形状が千差万別のメテオメイル戦では使う機会が乏しいものを、ここまで仕上げてくる根性は見上げたものだった。
どんな技でも万一の備えとして絶えず修練に励む、そのひたむきな姿勢は、果たして誰から学んだものか。
そして、感傷に浸ったのも束の間、スラッシュの頭上から最後の一撃が降り注ぐ。
予兆そのものはしばらく前から感じていた。
しかし残念ながら、弱りきった今のストレムグレンとスラッシュにはバウショックの腕を振りほどく力などない。
操縦桿を二度三度大きく揺らして、それでどうにもならないことを確かめると、スラッシュはとうとう、己の運命を心穏やかに受け入れた。
「六十八式、“紅色簪”」
恐るべき速度で降下してきた半身のセイファートが、上下を反転させて握り込んだジェミニソードの本差を、ストレムグレンの頭上から勢いよく突き立てる。
異様なほど鋭利に磨き込まれた鋼の刃は、深々とストレムグレンの中に潜り込み、胴体中央のメテオエンジン格納部にまで到達。
血管のごとく展開するエネルギー供給用のパイプラインをことごとく断ち切り、噴出した熱量の濁流も含めて、ストレムグレンを内側から徹底的に破壊し尽くした。
やがて、全身が赤々とした炎に包まれ、鳩羽色の魔獣はゆっくりと膝をつく。
それはもう二度と、主の命令を聞くことはなかった。
「畜生が……」
次々と計器類やモニターの光が消え、徐々に闇色へ染まっていくコックピットの中で、スラッシュは力なく呟く。
この奈落の底に沈んでいくような終幕の形は、むしろありがたいものだった。
ともすれば機体以上に醜く変容している自身の肉体を、これ以上、眺めずに済むのだから。
視覚さえ塞がってしまえば、急速に暖かさが抜け落ちていく絶望さえも、心地がいいものだった。




