第135話 解放作戦(その7)
「……ヴェンデリーネを、完全に撤退させることはできないのですか」
ケルケイムは、銃口をロベルトの眉間に定めたまま、威圧を込めた口調で問いかけた。
ヴェンデリーネが未だ、島の南方三キロメートルの地点に存在する岩礁地帯に留まっている――――
たった今、自身の通信機で司令室に地上の様子を確認したところ、そのような報告を受けたからである。
武装次第では、まだまだラニアケアに攻撃が届く、事態の収束を宣言するには無理のある距離。
後退を強要されている状況で、このような挑発的な采配をすることは、通常ならばあり得ない。
しかし当の命令を下したロベルトは、口元にかすかな笑みを携えて、こめかみの辺りをぽりぽりと掻いてみせるだけだ。
余裕も焦りも感じさせず、どこまでも普段の調子を貫く、その胆力。
並の人間であれば、そのペースに乗せられ、ものの見事に懐柔されてしまうことだろう。
「実に恥ずかしい話なのだが、今日ここで、自分の正体が暴かれることを全く想定していなくてね。どうしたらいいのか判断に困っているのだよ」
「それは、どういう……」
「この状況における、“エウドクソス的な正解”が……要するに、“先生”にとっての最優先事項が、よくわからないということさ」
ロベルトは、手すりに身を預けながらそう答えた。
「勘違いだったらこれまた恥ずかしいのだが、私はエウドクソスの内部において、それなりに価値のある人材だと自負していてね。内通者であることが露見した今でも、“生徒”達のように軽々しく使い捨てられることはないと思うのだよ」
「あくまで部外者の意見ですが、ここまでのエウドクソスの活動を見る限り、その“先生”とやらが、特定の個人を特別に扱うような存在であるとは、とても思えませんが」
「そうなんだよ。見捨てられる可能性だって十分にある。しかし、それにしたって絶対とまでは言い切れない。だから、いま出している指示が、私にできる限度というわけだ」
やや迂遠な言い回しではあったが、納得はできる回答だった。
『どうにかしてロベルトを救出する』、『ロベルトの救出は諦めて撤退する』、『ロベルトを巻き込んででも島に壊滅的な被害を与える』――――ギルタブに与える命令として、最も適切なものはどれか。
その三択問題に間違えれば、“先生”の計画を大きく狂わせることになるため、ロベルトとしても慎重にならざるを得ないのである。
しかし――――
「そういうわけで、もう少しばかり時間を貰えないだろうか。“先生”とコンタクトを取り、直に指示を仰ぎたいのだが」
「“先生”と……ですか」
「君達としても嫌だろう。せっかくここまで作戦が上手く行ったというのに、私やコードθを変に刺激して、イレギュラーな事態を発生させるのは。こちらの方針が明確になった方が、君達も対応が取りやすいと思うのだがね」
「その結果、ご自身に不利な決定が下されても構わないと?」
「独自の中継方式を用いている上、結構な長距離通信になるのでね。回線が繋がるまでには多少の時間を要する。その間に、覚悟を決めるさ」
そのやり取りで、ケルケイムの抱いていた疑惑は確信へと変わる。
ロベルトは、何一つ諦めてなどいない。
“先生”がどの答えを選んでも仕方がないという風を装いつつ、その実、自らの保身のためだけに動いている。
いや――――そもそもにおいて、先見の明に長けたロベルトが、こうまで場繋ぎ的な対応を取るわけがない。
いくら想定外の事態だったとしても、こうまで連絡をつけるのに手間取るのは妙だった。
つまりは、茶番。
この一連の行動は、自分が脱出する準備を整えるための、大いなる時間稼ぎなのだ。
「なるほど、覚悟ですか……」
ケルケイムは、静かに呟いた後、通信機に向かって手早く合図を送る。
それは、出来うることなら使いたくない一手だった。
ロベルトが大人しく投降してくれるのならば、それが最も理想の展開だった。
が、懐に隠し持った何らかの策で抵抗する気だというのならば、もはや容赦はできない。
最も奇抜かつ、最も確実な方法で、その身柄を拘束するしかなかった。
「急かすようで申し訳ないのですが――――」
次の瞬間、横殴りの轟音がケルケイムの鼓膜を震わせる。
ロベルトのすぐ傍の壁面が爆ぜ砕け、螺旋階段のみが設けられたこの筒状空間に、大きな風穴が開いたのだ。
そして、そこから突き出てきた巨大な鋼鉄の腕が、ロベルトを掴み取らんと掌を広げる。
「覚悟は、今この瞬間に決めてもらうことになります」
「っ!?」
ロベルトは咄嗟に階段を駆け上がって迫りくる掌から逃れるものの、巨腕はそのまま、ロベルトが元いた場所の階段と手すりを握り潰して通行不能にする。
その前腕部に纏うのは深蒼の装甲――――巨腕の正体は、オルトクラウドだった。
「これは……!」
眼下で起こる信じがたい異常事態に、ようやくロベルトが、真に迫った驚愕の声を上げる。
同時に、ケルケイムは階段を十数段ほど降りて、ロベルトに迫り寄る。
もはや、間近と言っていい距離だった。
直後、壁面がより広範囲にわたって崩落。
向こう側から上半身を晒したオルトクラウドが、メインカメラである鋭い双眸をロベルトへと向けた。
『もう逃げ場はないわよ、ロベルト・ベイスン副司令。……いえ、元副司令とお呼びした方がいいかしら』
連奈が外部スピーカーを使って、冷ややかに告げる。
連奈も、ケルケイムほどではないにしろ、常にヴァルクスへ利をもたらしてきたロベルトの老獪さを知っている身である。
それだけに、機体の挙動にも、油断は一切感じられなかった。
そう、ここまで含めた一連の流れが、ケルケイムの練り上げた策。
中央ブロックの格納庫は、この階段のすぐ近く、二つ三つの小さなフロアを挟んだ先にある。
それらの間に設けられた隔壁をオルトクラウドで破壊して道を拓き、そのままロベルトを捕縛するのが真の狙いだったのだ。
外のヴェンデリーネに奇襲砲撃を仕掛けるという目的すらブラフだったのである。
「なるほど、そういうことか。やってくれたなケルケイム君……! 君の考えついた作戦は、二段構えと見せかけた三段構え、もう一段階、裏をかいてきたというわけか……」
悔しさが振り切れたのだろうか、ロベルトは逆に破顔する。
普段、飄々とした態度を全く崩さない相手であるだけに、喜怒哀楽のはっきり現れた表情はひどく新鮮に感じられた。
「敵の秘策を探り当てたとき、それが入念に隠匿されたものであるほど、人は慢心する。他でもない、あなたの言葉です」
オルトクラウドを中央ブロック側に潜ませる表の計画と、分離した西ブロック側に潜ませる裏の計画。
ロベルトは、ケルケイムがひた隠しにしていた後者こそを本命と信じ込んでしまった。
しかし、普段のロベルトは、そのような手にかかるほど甘くはない難敵である。
それでも今回通用したのは、前日の夜、極秘裏に後者の存在を通達するという、ケルケイムの巧みな戦略があったからだ。
本当に信頼できる者のみに伝える、作戦決行直前の大胆なアレンジ。
謀に疎いとされているケルケイムの口から、そんなことを聞いてしまえば、多くの人間は、それが正真正銘の切り札のように思えてしまう。
いかにも精一杯の抵抗、苦肉の策であるように感じてしまう。
そのリアルさが、ロベルトの心理的な隙を突くに至ったのだ。
「やれ」
『了解』
ケルケイムの無慈悲な合図と共に、オルトクラウドの右手が、ロベルトの体を階段の一部ごと鷲掴みにする。
そして、いとも容易く支柱から引き剥がした。
メテオメイルのマニピュレーターは、コンクリート片程度なら問題なく破砕できるほどの握力を有しており、人間がいくら藻掻いたところで振り解けるものではない。
それに、万が一抜け出したところで、待ち受けるのは数十メートルの自由落下である。
抵抗の余地も、する意味も皆無とあっては、さしものロベルトも観念するしかないようだった。
鋼鉄の五指で握りしめられた不格好な己の姿を嘆くように、ロベルトは大きくため息をつく。
ここまでの完全な身体拘束を以て、ケルケイムもようやく、極限まで緊縮した神経に対して若干の弛緩命令を下すことができた。
「……私の完全敗北というわけか」
「本当にそう思っていらっしゃるのであれば、お答え下さい。……何故です?」
随分と漠然とした質問になってしまったが、付き合いの長さから、意図は伝わっているはずだった。
一体どのような理由があって、ロベルトほどの男が、エウドクソスなどという酔狂な組織に与しているのか。
事実が発覚すれば、軍内部で積み上げてきた実績と信頼の全てを失うというのに、どうしてそのような博打に出てしまったのか。
いつから、どのような活動を行っていたのかなど、聞きたいことは他に幾らでもあったが、その疑問だけは、今この瞬間に晴らしておきたかった。
「安定には、二種類がある。一つは、完全に不変である状態。しかし、人間社会でこれを実現することは不可能に近い。同じ行程をひたすら繰り返すことに、人の精神は構造上、耐えることができない。変化という名の油を差さなければ、すぐに摩耗する」
「至急、バウショック、ゲルトルート用のフロートを出せ。セイファートも含め、三機がかりでヴェンデリーネを撃墜する」
ロベルトが性懲りもなく、時間を引き伸ばすため世迷い言を放ち始めたと思い、ケルケイムはそれを無視して司令室に指示を飛ばす。
ここまで瞬達をラニアケアにて待機させていたのは、戦闘の混乱に乗じてロベルトが逃亡を果たす事態を避けたかったためだ。
最大の憂慮事項が解消された今、もはや、こちらから打って出ない理由はどこにもない。
「だから“先生”は、もう一つの方法を……変化の方向性を制御する形で、世界に安定をもたらすことにした。常に流れを生み出す者であろうとした」
「耳障りのいい理念を掲げようとも、結果がこれでは、“先生”とやらの程度が知れるというものです。連合とオーゼス、双方の活動を陰ながら幇助し、事態をより混沌なものへと変えていく……どう考えても、それは世の安定化とは真逆の行為だ」
「果たしてそうかな。これはこれで、一つの安定の形だとは思うがね、私は」
「何を……」
「半年以上に渡って繰り広げられる、一進一退の勝負。勝利するときもあれば、敗北するときもあり、人々は常に程よい緊張感を享受しながら日々を生きている。世界全体が、若干の物資不足に悩まされてはいるが、かといって物流に最大限工夫を凝らせば旧来の生活レベルを維持できなくもない状態。自由すぎず、窮屈すぎず、いい塩梅に見えざる強制力が作用しているとは考えられないかね」
「意図的に脅威を延命させるようなやり方が、いつまでも続くわげがない……!」
「わかっているとも。だからコードθも言っていただろう。“先生”が、最終的には連合の勝利で終わるシナリオを描いていると。そのときはまた、新しい手法が採られることになるだろう。もっとも、人々が今の状況に退屈を覚えるには、あと数年はかかりそうだが……」
やはり、ロベルトの返答は世迷い言だった。
理想の実現にあたって、相当数の犠牲が出ることを是とし、それに伴う数多の悲劇を看過している時点で、彼らに正しさはない。
オーゼスと同様、一刻も早く征伐しなければならない極めつけの害悪。
「もういい……! 連奈、所定の位置でその男を引き渡して、お前も戦闘に加わってくれ。ヴェンデリーネはここで確実に仕留めておきたい」
予備のジェミニソードを受け取って、本来の戦闘力を取り戻したセイファートと、水上移動を可能とする新造の台座型支援兵装、“ピスケス・ユニット”に飛び乗ったバウショックとゲルトルート。
三機のメテオメイルが、相次いで南方のヴェンデリーネへと向かっていく様子がケルケイムに報告される。
ラニアケアへの被害をさほど意識せずに戦える環境で、四対一という圧倒的な物量差ならば、勝利はほぼ確実。
その限りなく百パーセントに近い確率を、更に盤石にするのは、他でもない自らの指揮。
ケルケイムは、急ぎ階段を駆け登って司令室に戻ろうとする。
だが、この絶対的窮地の中にあって、ロベルトは今一度、微笑みを見せた。
とても敗者が浮かべるものとは思えない、濃密な不穏さを伴って。




