第127話 剣と弓(その3)
持ち前の要領の良さで、何を始めてもすぐに八合目――――それなりの形になるレベルまで到達することができた。
だが、どれ一つとして、頂上までの残り二合を踏破したことがなかった。
それが、三風連奈の人生だった。
見切りをつける理由は、いずれも挫折ではなく、むしろその逆。
今後も到底挫折しそうにないほどの才能を、自分の中に感じていたからだ。
時間さえ費やせば、いずれ登頂に成功するとわかりきっているものに、熱意を持ち続けられるわけがないのである。
つまるところ、連奈の欲する刺激とは、山道の最初も最初に配置されているような、あからさまな困難。
だからこそ、メテオメイルのパイロットなどという、相当量の訓練が求められるであろう仕事を引き受けた。
だからこそ、どこまでも堕落しきったB4の身の回りの世話を、嬉々としながらやった。
しかしそのどちらも、結局すぐに、八合目のところまで辿り着いてしまった。
いつもと同じように訪れる、呆気ないほどの充実感の喪失。
恐ろしいまでに多才であるがゆえの虚無感。
だが、瞬の言葉が、連奈に一つの疑念を抱かせた。
自分には、果たして本当に、八合目から先へ進めるだけの能力があるのかと。
必要とされるおおよその労力を逆算して、わかったつもりになっているだけではないのかと。
(そんな人間は、世に腐るほどいる。でも私は違うわ。自分の中に、使い切れないほどの力が眠っているのを感じるもの……!)
だから、示さなければならない。
瞬に対しても、自分に対しても。
自分の抱える退屈が、断じて模造品などではないことを。
「お前が何をするつもりでも、その前に片を付けるだけだ……!」
瞬の切る啖呵に合わせて、セイファートの背部スラスターが甲高い噴射音を放つ。
背後で響く、その音を鼓膜が捉えた瞬間、連奈はディープ・ディザスター・ボウを足元へ向けて射った。
直後グランシャリオは、両手で武器を構えた体勢をそのままに、二百メートル近く垂直上昇するという常識外れの挙動を取る。
この離陸は、スラスターの推力によって行われたものではない。
加えて言うなら、本体の脚力による跳躍でもなければ、ヘリケーフォスのように着弾時の衝撃を反動として利用したのでもない。
“矢”の持つ性質を応用して、機体を丸ごと浮かび上がらせたのだ。
「!?」
「あら無様」
勢いよく斬りかかったはいいが、眼前の目標が一瞬で消え失せ、バランスを崩して転倒するセイファート。
そんな間抜けな光景を上空高くから見下ろしながら、連奈はわざとらしく笑ってみせる。
そして勿論、こんな好機をみすみす見逃しはしない。
落下の最中、機体を捻って真下を向かせ、そのまま第二射に移る。
「まあ、そんなことは気にもならなくなるわ。背中を射られて負ける、とびきりの無様に比べたらね」
セイファートが起き上がるよりも前に放つ、無慈悲な一射。
しかしセイファートは、左腕の篭手―――――ストリームウォールが生み出す激しい気流によって、強引に右方へと飛び、自らの胴体を射抜くはずだった“矢”を躱す。
着弾によって地面が抉れ、大量の土砂が宙を舞うが、逃げるセイファートの姿が完全に視認できなくなるほどではない。
数秒先の通過点を予測し、そこに向けて三射目を放つ。
「今度は、外さないわ」
「ぐあっ……!」
攻撃に転じようとして、疾走しながらもこちらに向き直ろうとしていたセイファートは、正面からまともに“矢”の直撃を受けて、数百メートルと吹き飛ばされる。
地面が抉られて生まれた、一直線に伸びる破壊の跡には、細かな破片が無数に散乱していた。
大したエネルギーは込めていないはずだが、セイファートの脆さも合わせて、総合的には想像を絶する威力となっていた。
「さっきから、何だ、そりゃあ……」
「教えてあげない」
駆動系にトラブルが起きたのか、糸の切れた操り人形のように足を伸ばして座り込むセイファート。
そのコックピットから、瞬の唸りが届く。
さすがに三度も使ってみせたせいか、瞬も“矢”の異常性を理解したようだった。
連奈も、B4との戦いで初めてこの"矢”を目の当たりにしたときは、随分と困惑したものだ。
いや――――正確には、目の当たりにできなったからこそ困惑した。
「何を撃ってやがるんだ、お前は……そいつは」
まさしく、瞬が問いかける通りである。
ディープ・ディザスター・ボウが発射するこの“矢”は、不可視のエネルギーの集合体だった。
何らかの光学的な細工を施して視えない状態を作り上げるような小細工とは、わけが違う。
媒介物質に依存せず、単独で物質に作用できるエネルギーであるため、色を持たないのである。
生成する際、発射口付近の大気が干渉して生まれる赤い煌めきだけは、唯一視認が可能であるものの、問題点とするには些細なことだ。
「どのみち、どうすることもできないわよ。こればかりはね」
“矢”の効力で落下速度を軽減させ、ほとんど無音で降り立ったグランシャリオを操り、連奈はセイファートの元へとにじり寄る。
答えは――――“矢”の正体は、超重力。
発射口の上下左右、計四方向に設置された粒子加速器を用いて陽子の衝突を引き起こし、中心部にマイクロブラックホールを形成。
それをそのまま打ち出し、攻撃手段としているのだ。
もっとも、マイクロブラックホール自体の寿命はほとんど一瞬で、発射口を離れればすぐさま消滅に至る。
実際に敵機へダメージを与えているのは、マイクロブラックホールが一度吸い寄せた後、その消滅に伴って再び外へと解き放たれる大気中の物質。
光速以上の速さで吸い寄せたものを、ほぼ同等の斥力で解放するため、尋常ならざる破壊力になるというわけである。
先程披露した垂直上昇や無反動着陸も、極限まで威力を落として発射しているだけで、原理としは全く同じだった。
「どうだろうな……!」
接近するグランシャリオを、セイファートが胸部両脇に設けられたレーザーバルカンで迎撃する。
もっとも、その行動は予測の範疇である。
連奈は即座にディープ・ディザスター・ボウを構え、そして撃つ。
すると、本来グランシャリオの装甲を削り取るはずだった数百発の光の礫は、手前の空間で大きく軌道を逸らし、一発残らずあらぬ方向へと飛んでいった。
吸い寄せた物質の解放は、敵の攻撃を跳ね除ける障壁としても機能するというわけである。
無論、発生した余波はそのまま直進し、再びセイファートを再び後方へと吹き飛ばす。
だが、倒れたふりでグランシャリオの接近を誘っている可能性もあり、まだ気を抜くには早い。
連奈は間髪を入れず、追い打ちの一射を放つ。
それを受けたセイファートの、全身の装甲が盛大に剥がれ落ちていくのを見て、ようやく連奈は一息をつくことができた。
「クソが……何でもありかよ!」
「その通りよ。私と同じで、器用で凶暴な子なの」
攻撃と防御、そして移動の補助。
ディープ・ディザスター・ボウは、それら全ての要素を単一の能力で成し遂げる、メテオメイル用戦闘装備としての完成形。
グランシャリオ本体は時代遅れの代物となっていたが、この大弓を含んだ総合的な戦闘力ならば、オルトクラウドと並んで最強の一角であると言えた。
それを、最強のエネルギー供給源たる自分が操っているのだから、誰にも負ける道理などなかった。
「だから、口だけにしておいたのに」
眼の前に広がるのは、やはり、幾度となく見てきた光景。
暴力的なスペックによる他者の圧倒。
片時でも、自分という器の総量を疑ってしまったことを、連奈は恥じる。
どういう過程を辿ったところで、最終的にはこうなってしまうのだ。
世の中はそんな甘いものではないと叱ってくる者も、夢中になれる何かがあると教誨してくる者も、最後には連奈の持つ強大な力の前に屈服していく。
人間社会に属する者としての、正しい在り方の指針があったとして、それは常人が考えた、常人のみに充実感をもたらすものだ。
それでは、規格外の存在は救えない。
「もうやめる? それとも、まだ続けるつもりなのかしら」
「そんなことを決める段階にすらねえよ。終わりにするにはまだまだ遠い。オレにとっちゃあ、このくらいのピンチは日常茶飯事だ」
「減らず口は相変わらずね。でも……!」
最後の一撃を加えるべく、連奈は操縦桿のスイッチに指をかけた。
しかし、確実に仕留めようと、ほんの僅かに弓先を移動させた合間。
沈黙を破り、セイファートが突如として両腕を跳ね上げる。
満身創痍の状態でも、反応速度は依然としてグランシャリオを上回る。
連奈が対応を模索する中、セイファートは両肩のウインドスラッシャーをそれぞれ個別に、忍者が用いる苦無のようにして投擲してくる。
組み合わせてブーメランにするのが正規の使用方法であり、無回転状態では大した威力にならないが、この場においては極めて有効な手だった。
「うっ……」
ディープ・ディザスター・ボウを振り回すようして、連奈は飛来するそれらを打ち払う。
そして、瞬がこの土壇場で見せる勝負強さに、思わず息を詰まらせた。
二つのウインドスラッシャーが向かっていた先は、グランシャリオ本体ではなく、ディープ・ディザスター・ボウの発射口。
もし決着を急いで、あのままスイッチを押し込んでいたら、マイクロブラックホール生成中の発射口が破損して、あわや大惨事となるところだった。
“矢”は、通常発射でもメテオメイルの装甲を容易に破砕する威力である。
暴発すれば、単純に武器自体が失われるだけでなく、本体にも相当の被害が及んでいたはずだ。
間に、セイファートは頭部のシャドースラッシャーを、後方へやや角度をつけて射出。
背後に存在する廃工場の蒸留塔にそれを突き刺した後、ワイヤーの巻取りで自らを牽引するという力技で起き上がる。
四肢の力だけでは起き上がることさえままならないほどの窮地だというのに、瞬の立ち回りは驚くほどに冷静だった。
定石こそ外しているものの、いずれも最適解に近い。
「なるほど……逆境には慣れているというわけね」
「だからお前には負けねえ。負けたことのないお前に、オレは倒せねえ」
どうにか直立を果たしたセイファートの中で、瞬が息も絶え絶えに言った。
何度も派手に地面を転がされているのだ。
機体のみならず、パイロットである瞬にも、相応のダメージが蓄積していて当然だった。
もっとも、その全身から放たれる気迫は些かも衰えていない。
何としてでも勝利を掴み取ろうとする意思が、本人の口調だけではなく、セイファートの細かな挙動からも感じる。
「敗北を価値あるものだと思いたがるのは、魂の根本から敗者になってしまっている証拠よ」
後ずさりをしながら、連奈は今度こそと、操縦桿を握る両手に力を込める。
やはり近接戦では、敏捷性で勝るセイファートには敵わない。
かといって、距離を取ればこちらの攻撃の命中精度は落ちるのだが、よくよく考えれば、そんなことを気にする必要などなかった。
オルトクラウドのゾディアックキャノンと同じく、自身の生み出す全精神エネルギーを注ぎ込んだ全力の一射――――限界まで肥大化させたマイクロブラックホールならば、対象の周囲どころか近隣の空間を丸ごと攻撃に巻き込めるからだ。
それは、自分のことを口先だけの人間であると侮る瞬に対しての、これ以上ない返答にもなる。
「どのみち、あなたがどれだけの経験を積み重ねても、私の高さには届かない……!」
連奈の呻くような叫びに合わせて、各リムの根本に設けられた四基の粒子加速器が、これまでにない轟音を内部から響かせて稼働する。
既定の設定数値を変更し、ディープ・ディザスター・ボウの内部機構が耐えうる限界寸前のところまで、次射に込めるエネルギーの量を引き上げたのだ。
直後、メテオエンジンが生み出す莫大なエネルギーが、グランシャリオの掌にあるコネクターを介してディープ・ディザスター・ボウへと流れ込んでいく。
充填が完了するまで、あと二十秒ほど。
もしそれ以降に発射を中断すれば、行き場を失ったエネルギーがグランシャリオの間近で解き放たれることとなる。
もう、後には引けなくなってしまう。
連奈の額を、体温やコックピット内部の温度を由来としない、一筋の汗が伝った。
連奈は、瞬が降参することを願ってセイファートに目をやる。
この一撃を受ければ、本当にセイファートは塵芥と化す。
そんなことは、先の二射を直に受けた瞬ならば容易に想像できるはずだった。
なのに、セイファートは懲りもせず、ジェミニソードの長刀を真正面に構えてみせる。
瞬は、まだ続ける気でいるのだ。
この状況を覆す算段があるというのか、それとも、考えなしに虚勢を張っているのか。
連奈が困惑する間にも、セイファートはゆっくりと前進を開始。
そして数秒の後、それは疾走へと変わる。
「やるかやられるか。これが最後だ連奈……!」
フレームの歪みと駆動系の故障が奏でる異音の具合からして、セイファートがそう長くは保たないのは明白。
ここまで深刻な損傷ならば、専守防衛に徹するだけで勝てた気もするが、その判断にしてももう遅い。
グランシャリオが、そしてディープ・ディザスター・ボウが、溜め込んだエネルギーが吐き出されるのを今か今かと待ちかねている。
その声なき催促に応じるかのように、連奈はとうとう、発射スイッチを力強く押し込んだ。
瞬間、四基の粒子加速器が生み出す赤の煌めきは激しさを増し、それぞれが一本の確たる光条となって斜め四方に伸びる。
まるでリムの数が倍増したかのようにも見えた。
マイクロブラックホールの生成が始まったのは、その直後。
間近で展開される極めて強力な重力場の影響で、聴こえる音も、見える景色も、全てが歪曲していく。
「お望み通りに……!」
メインカメラの一つが圧壊し、内壁モニターの一画にノイズが走ったそのとき、押し込められた重力場が細長く形を変え、尋常ならざる反動を伴って射出される。
消し飛ぶのは敵などという矮小な括りではなく、目に映る遍く全て。
自分の前には誰も立つことができないという、連奈の諦めを体現したかのような究極の破壊が、これから繰り広げられるのだ。
――――この災禍の大弓が、もう少し気の利く得物であったのなら、だが。
「連奈……」
聞こえてくるのは、瞬の小さな呟きだけだった。
発射から五秒が経過しても、打ち出された“矢”は炸裂していなかった。
マイクロブラックホール自体は視認できずとも、それを構成するエネルギーは極めて膨大である。
不発なり暴発なりで、熱量が近辺に撒き散らされれば、さすがに視覚でも何かしらの変化を捉えることができる。
だというのに、なぜ何も起きていないというこの現状があるのか。
答えは、単純だ。
とうにセイファートの頭上を飛び越え、その先何百キロメートルという場所突き進みながら、なおもマイクロブラックホールは消滅に至っていないのだ。
「そうよ……結局、何もかも、あなたの望んだ通りに」
限界を超えて大質量化させたマイクロブラックホールは、その形を保っていられる時間も、通常発射に比べて遥かに長くなる。
だから連奈の場合、近くの敵を攻撃するためには、逆に手を抜かなければならないのである。
正規のパイロットであるB4が操る上では絶対に起こりえない事態であるため、そもそも問題点として想定もされていない構造欠陥。
元の設定値の範疇ですら、B4が使っているときと比べて着弾のタイミングを遅く感じていた連奈である。
数値を弄れば、こうなるとわかっていた。
わかっていて、利用したのだ。
そして今、ようやく、地平線の遥か彼方で天高く土煙が巻き上がる。
自分たちに何一つ影響を及ぼさない、その遠いどこかでは、誰もが絶句するほどの巨大なクレーターが生まれていることだろう。
「オレじゃねえ。望んだのはお前だ。お前が外したんだ」
言って瞬は、セイファートを振り返らせ、背後の様子を確認する。
そして、それが済むと、グランシャリオの首元にジェミニソードを軽く当ててくる。
もうとっくに、セイファートが肉薄するのに十分なだけの時間は流れていた。
二重の意味で精神力が尽き果てた今の連奈は、自分が敗北する瞬間でさえ、ただ呆然と眺めることしかできなかった。
「そういう風にしかならなかった。……そういう風にしかできなかったのよ」
うなだれて、小刻みに身を震わせながら、悔し涙を目元に滲ませる。
そんな自分の無様さが悲しくなって、余計に涙腺が刺激された。
散々、目的のためなら命を奪うことも吝かではないと宣っておきながら、最後の最後まで瞬を敵として認識する覚悟が決まらなかった。
最後の“矢”を放つ寸前で咄嗟に働いた理性。
ひいては、自らの願望に瞬と同じ枚数のチップを賭けることができなかった意志の弱さ。
確固たる意思と意思のぶつかり合いにすらならなかったのだから、それらは敗因と呼ぶにすら値しない。
そう、この戦いは勝負未満の戯れ。
三風連奈の本質を浮き彫りにするだけの、精神の切削作業じみた何か。
迎える結末は、戦いを持ちかける前から決まっていたのだ。
「どうして私は、壊れられないの……?」
もはや操縦桿を握る力さえ残っておらず、連奈はだらりと腕を落とす。
無断の脱走に加えて、味方との交戦。
考えうる中で最も破滅的な行動を試してみても、それでもメーターの針が振り切れるほどの勢いがつくことはなかった。
最後の最後で――――いや、最初から最後まで、絶えず帰り道のことを気にする自分がいた。
目に残る形で実証してしまった以上、もはや弁解は不可能。
三風連奈という少女は、どうやら本人の期待に反して、普通という名のカテゴリーに区分される人間であるようだった。
数億分の一という確率でしか発現しない身体特性を持ち、その中でも頭一つ抜けた数字を出せる極めつけの特別性を持ちながら、出せた成果はごく僅か。
高い能力を持つことについては今なお譲らないが、“能力を扱い切る能力”が不足しているという点については、認めるしかないようだった。
「……終わったわ」
それは、連奈自身が事実を噛みしめるための言葉だった。
自分という存在はこれからも生き続けるが、自分が目指していた三風連奈は死んだ。
そこへと繋がる道を断たれ、切り離されて、完全な幻と成り果てた。
繋がっているように見えていただけで、今回の一件を抜きにしても、どのみち辿り着けなかったのかもしれない。
だがそれでも、窓越しに思いを馳せることはできた。
今日からは、それすらもできない。
他の皆と同じように、現実という、狭く息苦しい檻の中を向いて過ごさねばならないのだ。
考えるだけで薄ら寒くなるが、枠外に出るだけの強さを示せなかった以上、連奈にできるのは諦めて受け入れることだけだ。
希望を持つから絶望するのであって、高望みしなければ案外気楽に生きられるのかもしれない。
そう観念しかけたとき、連奈の意識を外の世界へと引き戻す声があった。
「そんな程度で終わってんじゃねえよ。ふとしたことで死ぬマンボウかよ」
「何ですって……」
連奈は眉根を寄せながらそれに応じる。
決着がついたからか、瞬の口調からは険しさが消え、普段通りの軽薄なものとなっていた。
いま自分は、失意の真っ只中にあって、それは表情からも察することができるはずだ。
適切な慰めの言葉が浮かばないにしても、こちらの心情を慮って、しばらく放っておくらいの気遣いをするのは当然だろう。
そんな状況で、平気で茶化してくるなど論外も論外で、さすがに腹に据えかねた。
とは思うものの、確かに、少し悲観的になりすぎている節はあった。
「今の自分と理想の自分のイメージがずれるのが終わりってんなら、オレや轟は何回終わってんだよって話だ。今日だって、お前の攻撃なんて一発たりとも当たる気なんてなかった。とんでもねえ実力差を見せつけて、有無を言わさず連れて帰るつもりだった」
「それは夢の見すぎよ。あなたの腕前じゃ、どう考えたってできるわけがないわ。もう少し地に足のついた考え方はできないのかしら」
「ひょっとしたら今のままでもできるかもしれねえ。だからとりあえず一回は試してみるのがオレのやり方だ。駄目だったら、そこでやっと反省だな」
その方針のせいで何回も地べたを舐め、そして今日も思惑通りに事が運ばなかったというのに、懲りない人間だった。
そしてこれからも、盛大に失敗しては起き上がり、しぶとく生きていくのだろう。
それに比べて、いま未熟だったというだけで、全てが終わったような顔をしている自分のなんと馬鹿らしいことか。
今回の見積もりは失敗に終わったが、また高く見積もるだけでいいのだ。
自らを高めるための良い方法あるかどうかはさておいて、少なくとも許されてはいる。
そんな当たり前のことさえ、今の今まで気づけなかった。
大きな挫折をしたことがないというのも、考えものだった。
一度深呼吸をした後、連奈はとうとう、その言葉を口にすることを決める。
「いいわ……帰ってあげるわよ、ヴァルクスにね」
「あ? ……急に素直じゃねえかよ」
会話の展開としては多少飛躍しているため、瞬は間の抜けた顔をする。
かといって、瞬が普通に喜ぶ光景は、それはそれで気味の悪いものであったが。
「ラインの向こう側に行くためには、もう少し腕を磨かないといけないことがわかったわ。だから、こんなところで退屈を気取っていられないの」
「そういう反省かよ。全然懲りてやがらねえ、こいつ……」
「そうよ、あなた達と同じでね」
安堵したのも束の間、瞬は大いに呆れて渋面を浮かべる。
だが、スタンスが変わらないのはお互い様だった。
連奈も、自負を捨てなどしない。
これまで通り、常人の枠を逸脱した者だけが味わうことのできる高次元の充実感を求める。
だが、途中で速度が緩んでしまう今の自分では、その領域に達するのが難しいことを思い知らされた。
ロケットが大気圏を抜けるまで休まず噴射を続けるのと同じで、ひたすら心のアクセルを踏み続ける必要がある。
そして、実戦を伴うパイロットという身分は、その練習としては極めて効果的だった。
精神の強度が、この上なくはっきりと明示される。
こんなにも自分のためになるような身分を放り出してしまったことを、その価値を理解できなかったことを、連奈は今更ながらに悔いた。
戦況を考えるに、自分が戦えるのは、あとほんの数回といったところだろう。
その間に、どこまで進むことができるのか。
ともかく、今やるべきことは一つだった。
「やっぱり違うわ、この服は。たまにあるのよね……デザインは好みだけど、一回着たら満足しちゃうやつ」
発した自分さえつい苦笑を漏らしてしまうほどの、勝手な言い分だった。




