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第118話 Snowdrop(その2)

 二時間前に発ったばかりのフランスへと引き返すべく、ビスケー湾を最大速力で東進する、大型客船“スノードロップ号”。

 現在、その内部は混乱の極みにあった。

 今日に至るまで、実に数百万という命を喰らってきた、忌まわしき鋼鉄の五頭竜――――オーゼスのメテオメイル、ガンマドラコニスBが、この船に狙いを定めているからだ。

 スノードロップ号は、戦災地に届けるための支援物資を積んだ、ただの客船である。

 執拗に狙われる理由は、ないはずだった。

 そのため、船員の多くは当初、不幸にも進路が重なってしまっただけで、大きく転進すれば確実に振り切れるものと信じていた。

 しかしガンマドラコニスBは、ロリアン基地から発進した艦隊を壊滅させた後、あえて上陸を避けたスノードロップ号の後を正確に追跡してきた。

 確固たる目的があるとしか、考えられなかった。


「どうします……」


 操舵室にて、初老の船長が弱々しく呟く。

 隣に立つノルンに対して指示を仰いでいる風ではあるが、実際は、恐怖から逃れるため無意識に漏れ出た言葉だった。

 だが、それほど精神的に追い込まれるのも、無理からぬことだった。

 軍からの緊急通信で、おおよその位置を把握するのみだったガンマドラコニスBが、とうとう船から視認できる距離にまで接近してきたからだ。

 船室の側で飛び交っていた怒号と悲鳴も、ここにきて、分厚い操舵室の扉を突き抜けるまでに至る。

 現時点における、スノードロップ号とガンマドラコニスBとの相対距離は、五キロメートルほど。

 現代戦においては十分に間近といえる距離であったし、超常の火力を誇るガンマドラコニスBにとっては、なおのことそうだろう。

 もはや状況は、一秒先に死が訪れてもおかしくないというところにまで来ているのだ。


「ノルンさん……!」


 さほど間を置かずに、再び船長が口を開く。

 今度は明確にノルンの存在を意識した発言だったが、縋られているという意味では、同じである。

 実質、これから起こることの責任を押し付けられているようなものだったが、ノルンは眉根を寄せることもなく迅速に応じた。


「脱出は準備のみに留め、当面は船内上層で待機するよう、乗員の皆さんに指示を出して下さい」

「しかしそれでは、全員……」

「メテオメイルの……とりわけ、あの機体の火力は絶大です。船が沈むほどの攻撃が行われた場合、周囲の救命ボートも、無事では済みません」

「それでも、脱出しないよりは、確率的に幾らかましでしょう」


 船長の言い分にも一理あったが、それでは本当に、生存者が若干増えるだけだ。

 全員が生還するためには、根本的なところから発想を変える必要があった。

 とはいえ、ただ船内に籠もるだけでは、全滅は必至である。

 待機指示は、もちろん、その点も踏まえた上で口にしたものであった。

 ノルンは、ただ綺麗事を並べるだけの夢想家ではない。

 むしろ、その対極ともいえる、過酷な現実が突きつけられる世界で、一年の大半を過ごしていた。

 より多くを生かすことにおいては、この場の誰よりも精通している。

 だから、ノルンは船長にこう告げる。


「私が時間を稼ぎます。彼らが………ヴァルクスの戦闘部隊が到着するまでの」

「どうやって……?」


 セイファートとバウショックがラニアケアから発進し、取り急ぎスノードロップ号の救援に向かっているとの連絡は、既に受け取っている。

 だが、どう都合よく考えても、まず間に合いそうにはないからこその、船員たちの阿鼻叫喚なのである。

 最短でも、あと十分以上はかかるはずだった。


 それこそが、現段階でノルンが思いついた最適解。

 唖然とする船長ほか数名のクルーをよそに、ノルンは近場の無線装置を操り、早速交信の準備を始めた。



「反吐が出るほどに美しい女だ……改めてそう思わされたよ、ノルン・エーレルト」

「お褒めに預かり光栄です、ジェルミ・アバーテさん」


 全身を駆け巡る耐え難い不快感で、ジェルミは逆に笑みをこぼしてしまう。

 既に、ジェルミの操るガンマドラコニスBは、左右計四本の竜首をスノードロップ号の船体に食らいつかせていた。

 無論のことスクリューは破壊済みで、まともな航行はほぼ不可能。

 そして、デッキにはノルン・エーレルトが単身、その身を晒している。

 表面上は、計画通りに事が進んでいると言っていい。

 しかし、そうなるに至った過程は、ジェルミの想定とは大きく異なるものであった。

 本来、威嚇と脅迫によって自らの元へと引きずり出すつもりだったノルンは、驚くべきことに、自らスノードロップ号のデッキに姿を現したのだ。

 スノードロップ号に対する攻撃は、能動的な奪略が台無しにされたことに対しての、瞬間的な苛立ちを起因としたものなのである。


「あなたのことは、ケルケイムさんから聞かされています」

「どの程度だね」

「おそらくは、あの人が知る限りのことを」

「だろうな。だからキミは、自分一人で出てくるという判断ができたわけだ。それが、被害を最小限に抑えられる方法だと確信して」


 艶のあるライトブラウンの髪を海風になびかせながら、堂々とした佇まいで、ノルンは眼前のガンマドラコニスBと向き合う。

 その瞳に宿るのは、より多くを救うという確固たる意思。

 果たして、今このとき、食われようとしているのはどちらか。

 胸の奥底からにじみ出るの強烈な敗北感に、ジェルミは生殺与奪を握る側でありながら、静かに顎を引く。


「正しすぎる……どこまでも正しすぎるな、キミは」


 ジェルミは、怨嗟を吐き出すようにして言い放つ。

 こういう形で手を打たれる想定はあったが、ここまでの覚悟があることは、完全に予想外だった。

 敵の狙いが自分にあることを察したとしても。

 立ち回り次第で時間を稼ぐことができるとしても。

 ケルケイムの心に揺さぶりをかけるゲームの駒として扱われる以上、今しばらくは無事でいられるとしても。

 それでも、最後には高確率で死が待ち受ける選択である。

 いくら最適解だといっても、そうそう手にとることはできはしない。

 特にノルンは、軍人でもなければ政府官僚でもない、ただの民間人である。

 自らの命を差し出すほどの覚悟を持っているなど、どうして想像できようか。


「だが、おかげで楽しみが増えた。ケルケイム君の正しさを試すついでに、キミが本当に気高き聖女でいられるかどうかも試してみるとしよう」

「私がそのような人間でないことなど、ケルケイムさんは既にご存知です。そして私もまた、ケルケイムさんが、あなたの語るような正しさにまみれた人間でないことを知っています。あなたが見ているものは、ただの……」

「もういい……!」


 ジェルミは、たまらず声を荒げる。

 言葉の一つ一つが、鋭き槍のごとく心を深く穿つ――――ノルンと話し続けることは、ジェルミにとって磔刑以外のなにものでもなかった。


「……そうとも、こんなことに時間を使っている場合ではないのだよ、ワタシは」


 言いながら、ジェルミは操縦桿の脇に設けられた操作パネルを、手早く操る。

 直後、ガンマドラコニスBは、三メートル近い長さの黒いくさびを胴体上部から連続射出。

 ノルンの周囲を取り囲むように、合計十二本を甲板に突き刺した。

 ノルンは怪我こそなかったものの、間近に走る衝撃で、その場に倒れ伏す。


「うっ……。これ、は……?」

「キミの為に用意した、特別性の檻だ」


 より詳しい説明を続けるかどうか、ジェルミはしばし迷う

 だが、時間の浪費が、逆にその手間を省かせてくれた。

 たった今、ガンマドラコニスBのレーダーが、こちらに急速接近してくる一つの機影を捉えたのである。

 エネルギー反応の高さから、それがメテオメイルであることは明白。

 そして、エウドクソスと協力関係にある現在、こんな場所に現れるのは、ラニアケアから派遣された戦力くらいしかなかった。


「丁度いい……彼も交えて、ルール説明と行こうか」


 機種にしても、消去法で割り出すことができた。

 予想を遥かに上回る早さでの到着――――そして、ラニアケアから二千キロメートル以上の距離を飛んできたにも関わらず、ほぼ一定に維持されたままの移動速度と高度。

 エンベロープが失われた現状、これほどの航空能力を持つ機体は、世界にただ一機。

 空に煌めき、空を切り裂く、風の星。

 先陣を切っているのは、セイファートで間違いなかった。



「少しばかりワタシの話に付き合ってもらおうか……煩わしき妨害者、風岩瞬。状況は、これ以上ないほどに把握できているはずだ。先の戦いのように、問答無用の先制攻撃とはいくまい?」


 直接通信が可能な距離に入るなり、ジェルミが早速、無駄によく通る声で語りかけてくる。

 フェイスウィンドウに映る、底なしの悪意が如実に現れた、究極的に忌々しい表情は健在。

 瞬のはらわたは、再会に要した一ヶ月半という時間を忘れたかのように、激しく煮えくり返った。

 以前の戦いにおいて、最後の最後まで玩弄された屈辱は、未だに拭えていない。

 ガンマドラコニスB自体は大破に至ったものの、それも向こうの自爆によるもので、瞬は、あんなものを勝利としては認めていなかった。


「やってもいいんだぜ」

「無理だな。キミからは、その覚悟を感じない」


 もちろん、瞬にノルンを見捨てる気は毛頭なかった。

 ジェルミの言葉におとなしく従うことが、性分的にも因縁的にもできなかったというだけだ。

 現に、とっくにセイファートの減速と降下は始めている。

 そして、ガンマドラコニスBから四百メートルほど離れたところで滞空させた。

 これは、停止状態から最大出力で加速を始めたとき、ジェミニソードの斬撃が最高の威力に達する最短の距離である。

 相手の土俵に一歩足をかけつつ、抵抗の意思も示し、迂闊さも見せない。

 全ての条件を満たす、完璧な間合いだった。

 

「今日は、ノルンさんが人質ってわけか」

「そのとおりだ。彼女は今、船の甲板上に設置した檻の中で囚われの姫君となっている。檻は簡易的な電磁フィールド発生装置になっていて、中の人間を出さない代わりに、外からの干渉もそれなりに防いでくれる。少なくとも、我々の戦闘の余波で命を落とすことは、ないはずだ」


 ガンマドラコニスBのほぼ真横に浮かぶ、船体の一部を食い破られたスノードロップ号。

 瞬がセイファートのメインカメラの倍率を上げ、その甲板に目をやると、確かにそこには、無数の黒い柱に囲まれたノルンの姿があった。

 柱同士の距離はそれなりに離れており、頭上の空間も開けていたが、ジェルミの言うとおりならば、内外に通過しようとするとフィールドが展開されるのだろう。

 ノルンの自力脱出は、まず見込めないと考えてよさそうだった。


「当然、他にもおまけの機能がついてんだろ。それだけじゃ、良心的すぎる」

「勿論だとも。戦闘開始から三十分が経過するか、船が現在位置から五百メートル以上離れた場合、電磁フィールドが既定値以上の出力で作動し、中のノルン君を灼き殺す仕組みになっている。彼女を助けるつもりがあるのなら、そこのところには留意して戦ってくれたまえ」

「あんた自体には遠慮なく攻撃できるわけか。上手くやれば、なんとかなりそうだ」

「そうだろうとも。なんとかできるように、調整してあるのだからな」

「だろうな……」


 瞬は、ジェルミを睨みつけながら言った。

 電磁フィールドとやらの強度があてにならない以上、ガンマドラコニスBをスノードロップ号から十分に引き剥がし、その後に撃破するのが理想の流れである。

 まず間違いなく固定砲台を決め込むであろうジェルミを、うまく遠くへ誘い出すか、押し出す――――確かに、骨の折れる仕事と言わざるを得ない。

 が、奇跡でも起きなければ到底成しえない、至難の業とまでは思わなかった。

 むしろ、明らかに前回よりも楽になっている。

 だが、だからこそ、余計に悪辣な趣向として仕上がっているといえた。

 これまで散々苦しめられてきたがために、ジェルミの意図を読むことは、もう難しくない。


「流石に、猛省したよ。ワタシの機体に捕らわれたニーヴル君を救出してみせろというのは、あまりにも達成が困難なクリア条件だった。……正直、キミ達も最初から思っていたろう。そんなことは、絶対に不可能だと」


 けして口に出してはならないことだが――――自分の本心に素直になるならば、そうだった。

 ガンマドラコニスBは、凶悪な火力とジェルミの高い操縦技能によって、本気でやり合っても勝つのが難しい相手だ。

 そんな機体を、中のニーヴルを傷つけないよう武装とスラスターだけ破壊して行動不能に陥らせるというのは、あまりにも難易度の高すぎる芸当だった。

 第一、実際にそうなってしまったが、機体の中では、ジェルミの気分次第で自由に手を下せてしまうという問題もある。


「ワタシはな、ケルケイム君が葛藤の末に導き出した“正しさ”を見たいのだ。他の選択肢もある中で、それでも人質を見殺しにするしかないと、彼に判断させたいのだ。どう足掻いても救出は不可能であると、仕方なしに見捨てさせることは、ワタシの本意ではない。その意味で、本当に前回の催しは失敗だったよ」


 フェイスウィンドウの向こうで、ジェルミが天を仰ぐようにして嘆く。

 自らの顔面を、右手の五指が深く食い込むほどに強く、握りしめながら。

 実際、ジェルミが瞬とニーヴルの命を天秤にかけた最後の脅迫についても、意味を成しているとは言い難かった。

 司令官という立場であれば、皆が皆、戦略的価値から瞬とゲルトルートを選ぶに決まっている。

 あの戦いは、ジェルミにとっても、真の勝利ではなかったというわけである。


「だから今回は、その辺りの反省も踏まえて、しっかりと環境を整えた。あくまでケルケイム君自身がように、緩く、優しくな」

「やっぱりあんたは、他の連中とはひと味違うな……」

「そうだとも。ワタシは、己の欲求を正しく満たすための自己分析と研鑽を常に怠らない。変化を許容し、最良の手段を選ぶことができる。だからオーゼスを捨て、エウドクソスと手を組むこともした。歩みを止めた他の八人とは、別格の存在なのだよ」

「ああ……そうだな。あんただけ、格が落ちる」

「何だと……?」


 瞬の一言で、陶酔気味だったジェルミの表情が即座に現実へと帰還し、険しいものとなる。

 間に、瞬はずっと手をかけていたジェミニソードを抜刀し、セイファートに脇構えの体勢を取らせた。

 一気にひりつく、自分とジェルミとの間に流れる空気が、瞬を自ずとそうさせた。


「アダインも、スラッシュも、十輪寺も、グレゴールも……オレが戦ってきた奴らは、馬鹿は馬鹿でも、必ず一つは、でかい見どころのある馬鹿だった。本気で格好いいと思えたし、本気で尊敬できた。あんたには、そんなところがただの一つもねえ。……あんたは、ただの薄汚い悪党だ」

「断言しよう、風岩瞬……やはりキミは、天賦の才を持っている。ワタシがこれまで出会ってきた中で、他人を苛つかせることに対して、キミの右に出る者はいない。一度ならず二度までも、ワタシの意識をケルケイム君から反らしてみせるとは、実に驚嘆すべき手腕だ」

「だろ?」

 

 ジェルミの、くぐもった笑いと共に。

 眼前で、ガンマドラコニスBの両肩と首から映える、五本の竜首が一斉にのたうつ。

 いつになく攻撃的なモーションだった。

 堅牢な装甲と豊富な火力による迎撃能力の高さをあてにして、まずは相手に先手を譲るのが、従来のジェルミのスタイルである。

 相手が挑発に乗ってくることは、通常ならば瞬に痛快さと心の余裕をもたらすが、ジェルミの場合は、逆に恐怖を覚える。

 ジェルミが、思考と感情を切り離して動かせる類の人間であることは、これまでの戦いを振り返ってみても明らかだったからだ。

 根本的な間違いは犯しても、喜怒哀楽を問わず、そのときの情意で己を見失うことはない。

 のだ。

 だが、その点を加味しても、向こうの積極的な攻撃を誘えるメリットがこの場においては勝る。

 あくまで状況を動かしているのはこちらだと、瞬は緊縮する自分の神経と筋肉に喝を入れた。


「ルールの後出しは、なしだぜ」

「無論だとも。全てを提示した上で戦い、それでもなおキミ達が彼女を救い出せずに慟哭するところを、ワタシは見たいのだ。何一つとして、隠すわけがない」

「ならいい。とっとと、おっ始めようじゃねえか。あんたの引退試合をな……!」


 自分自身もたまらない鬱陶しさを感じてはいるが、何よりケルケイムのために、ここでジェルミとは必ず決着を付けなければならない。

 心身、技術、機体――――あらゆる面において万全の状態で訪れた、この三戦目。

 けして落とすまいと、瞬は腹腔に渾身の力を込めて啖呵を切った。

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