第115話 奪いし者の前夜
「こりゃあ傑作だ。まさか、あの“奪還者”までもがオーゼスに参加してるとはな。 巷じゃ散々、ヒーローだのなんだのと持て囃されておきながらよ……?」
オーゼスによる人類史上最低最悪の侵略が始まる、一年ほど前。
新たに組織の一員となることが決定し、その日初めてオーゼスの本拠地を訪れたスラッシュは、顔を合わせたばかりのジェルミに対して、そんな風に嘲りと好奇の入り混じった眼差しを向けてきた。
“奪還者”。
それは、かつて連合の海軍に在籍していた頃のジェルミが持っていた二つ名である。
その名も、そう呼ばれる理由も、軍内部のみならず、ヨーロッパ方面では広く知れ渡っていた。
ニュースで取り上げられた回数も少なくない。
「おっと、勘違いしないでくれよ。むしろ俺様としちゃあ、そっちの方が断然好ましい。テメエの本性押し殺した優等生ってのが、俺様は心底嫌いでな」
馴れ馴れしく、軽薄な態度で接してくるスラッシュのことは気に食わなかったものの、そのときのジェルミは些か以上にアルコールを摂取しすぎていた。
だからか、柄にもなく身の上を語るということをした。
「これがワタシの本性と言えばそうなのだろうが、本来の形から変化を遂げてこうなったのか、元より自覚できぬほどの深層に隠されていたのかは、今でも答えを出せていない」
「へえ……?」
「ただ、あの戦いで負った戦傷が、ワタシが今のワタシとなる契機であったのは確かだ。第二の誕生、新たなる原点、真なる始動………そう言い換えることもできる」
二つ名を得るにあたり、ジェルミが奪還したものは、占領された地域や重要施設でもなければ、機密文書や希少資源の類でもない。
そもそも、後に転属することになる特殊工作部隊“エルタニン”ならばともかく、大部隊での行動を基本とする海軍においては、少佐階級程度は指揮系統の中間点である。
大きな功績は、まず間違いなく、より上位の者の手に収まる。
では、果たしてジェルミが奪還したものは何なのか。
それは、他ならぬ自分自身の肉体であった。
「あんな状態にもなりゃあ、そりゃあ、ものの見方も変わるだろうよ。俺様ならとっくに人生諦めちまってらあ」
スラッシュにつられて、ジェルミも宙を仰ぎ、当時の記憶を呼び起こす。
西暦2182年に発生した、とある連合加盟国と、隣接する非加盟国との間に生じた大規模な武力衝突。
その際、救援部隊を預かる隊長として現地に派遣されたジェルミは、空爆に巻き込まれ脊髄を損傷――――結果的に、全身不随の体となってしまった。
医者すらもが、回復は不可能と断言するほどの重症であった。
しかしジェルミは、常人には到底耐えきれないほどの激痛がつきまとう過酷極まるリハビリによって、わずか一年半で身体の自由を取り戻した。
条理を捻じ曲げて蘇るほどの、人並み外れた執念。
通常、帰還者と称されるところを、敢えて奪還者とされた所以も、そこにある。
ジェルミは、自らの手を離れて遥か深くに沈み込んだものを、再び掴み上げてみせたのだ。
「おかげで、ワタシという人間がいかに足りていない存在であるかを……そして、どれだけ餓えているのかを、強く実感できるようになった。肉体だけではなく、思考能力や精神面の部分においてもだ」
リハビリの最中、ジェルミは自分という存在の、あまりの心許なさに気付いてしまった。
長い人生の中、多くの知識と経験を自らの血肉としてきたように思えて、その実、到るところに大穴が開きすぎていた。
どころか、途方もなく大きな空洞の中に、自らを成す一塊が寂しく転がっているような感覚さえ覚える。
「器が充溢している者を“正しい”とするなら、空疎を感じる者は“間違い”だということだ。ワタシは、ワタシが間違えているということすら、自覚するまでに長い時間を要してしまった」
「そりゃあ、極論じゃねえのかよ。だって少なくとも、アンタはカカシの状態から復調しやがった。足りてない奴にゃあ、あんな奇跡は起こせねえ」
「間違っている者には、奇跡など起こせはしない。回復する見込みのないリハビリに挑むこともない」
「あ……?」
「身体機能を補填する方法など、幾らでもあるということだよ……スラッシュ・マグナルス君」
言って、ジェルミはスラッシュの眼前でスーツの右袖を捲ってみせた。
そこにあるものを目にしたスラッシュは、テーブルにしがみつくようにして、必死で笑いを噛み殺した。
「ああ、そういうことか……! アンタとオーゼスは、とっくに、その時から……!」
「あの戦闘における連合側の過剰防衛から目を逸らすために、軍は市民の同情と崇敬を集める英雄を求めていた。どういう手段であれ、甦ることに成功したワタシは、彼らにとって都合のいい存在だったのだよ。よくできた作り話だったろう、あれは」
「いいな、アンタ……いや、ジェルミの旦那と呼ばせてもらうぜ。そうだよな、見込みのねえ努力なんてクソに決まってるよな」
スラッシュは破顔し、鬱陶しくも、ばしばしとジェルミの肩を叩く。
しつこく続けるようならスーツの内に忍ばせた拳銃を取り出すことも吝かではなかったが、残念なことに、ジェルミがそうすると定めた回数ちょうどで、スラッシュは手を止めた。
そして、今まで以上に興味深げに、ジェルミの目元を覗き込んできた。
「……で、旦那はこのゲーム、一体どう遊ぶつもりで? まさかB4みてえに、惰性で陣取りをやるってことはねえでしょうよ」
「決まっているだろう。不足を間違いとするならば、隙間を徹底的に埋めて、正しき人間を目指さねばならない。正しき者の持つ、数多の正しさを奪い取ることでな……!」
それが、ジェルミの行き着いた結論だった。
間違わせる――――つまるところが、悪辣な妨害によって相手の判断を誤らせ、本来ゆくべき正しき道から外れさせる行為。
そのとき得られる快楽こそが、奪略成功の証。
正しき者に勝利することは、ジェルミにとって、それ以上の正しさを手に入れることと同義なのだ。
「そりゃあいい。そして正しさを奪われたそいつは、心をメッタクソに砕かれて泥を舐めるってわけだ」
「それが最終目標ではあるが……しかしながら、ワタシが正しさを奪うと決めた獲物は極めつけの難敵だ。はたして、メテオメイルを用いた大量殺戮でも彼を間違わせられるかどうか……」
ジェルミは、隣のスラッシュと同様に、盛大に破顔しながらそう答えた。




