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第107話 渇水と湧水(その4)

「はい、おしまい。また来いよな」


 ギルタブの軽薄な声と共に、轟の体は容赦なく石畳へと投げ転がされた。

 おかげで、擦り傷が更に二箇所も増えてしまう。


「ギルタブ……!」


 轟は、一刻も早く身を起こそうと、手足へ必死に力を込める。

 だが、肉体の疲弊は激しく、残留するダメージも大きい。

 痣だらけになった顔面で、玄関扉の向こうに消えていくギルタブの足元を睨みつけるのが精々だった。

 ようやく立ち上がることができたのは、それから何分も経ってからのことだ。

 正確な時間まではわからない。

 だが、どんな格闘技であろうとノックアウト負けを宣告されるくらいには、長いダウンである。

 これから再びゲストハウスに押し入るのは、あまりにも見苦しい行為だった。


「ちっ……クソが」


 不気味なほど濃いオレンジに染まった夕空の下。

 轟は、とりわけ強力な殴打を見舞われた右肩を抑えながら、唸りとも呻きともつかない声を絞り出しす。

 悔しいことに、今回もまた、ギルタブとの喧嘩で惨敗を喫してしまった。

 前回同様、超人的な膂力と瞬発力と技術力に、ただただ圧倒され、蹂躙された。

 気持ちのいいパンチなど、ただの一撃とて打ち込めていない。

 当然のこと、今の気分と機嫌は最悪である。

 しかし轟の心は、諦めに向かうどころか、より強く勝利を欲して滾っていた。

 こうまで完璧に雑念を捨てられたのは、初めてのことだ。

 瞬の家で修行をしていたときですら、再び敗北することへの憂惧があったというのに。


「だが、今日は二発躱せた。やっと目が追いつくようになってきたぜ……」


 轟は、前回より良くなったと思える部分を、口に出して確かめる。

 どんなに微々たる成果であれ、成長は成長だ。

 苦しい状況であれば殊更に、その僅かな前進を認めるかどうかが、意気に大きく影響する。

 物は試しにと始めた瞬の真似だったが、悔しいことに、その効果は確かなものであった。

 なお、前回とは初めてギルタブに挑んだ日のことではなく、つい昨日のことだ。

 そして、前々回は一昨日で、前々々回は一昨昨日さきおととい

 この十日ほど、轟は、ギルタブの住むゲストハウスに懲りることなく殴り込みをかけ続けているのである。

 一度約束した以上、もうセリアやエウドクソスのことについて質問することはできない。

 しかし、ただの喧嘩であれば話は別。

 ギルタブは、退屈しのぎには丁度いいと、自分への暴力そのものを禁止するようなことはしなかった。

 ならば存分に利用させてもらうと、轟は開き直って、ギルタブの住むゲストハウスを道場代わりにし始めたのである。


「野郎の強さはバケモンじみていやがる。動きのこなれた感じからして、場数もかなり踏んでるはずだ。その上、空手とレスリングができるってんだから、とんでもねー」


 茨が巻き付いたかのような全身の痛みに抗い、轟は僅かずつだが隊員用宿舎へと向かって歩を進めていく。

 一度動き始めれば、そして動いている内は、痛覚はそれなりにおとなしい。

 黙って立っている方がよほど辛い。

 それは轟の経験則であり、そして教訓だ。


「……だが、。絶対に倒せねーわけじゃねー」


 口元にこびり付いた血を右手で拭いながら、轟はそう呟いた。

 弱点の発見や対応策の閃きなど、具体的な根拠があるわけではない。

 どれだけ強かろうと同じ人間なのだから、勝てる可能性はゼロではないという――――そんな暴論で、無理に己を奮い立たせているだけだ。

 そもそも、いずれギルタブと本格的にやりあう時がくるとしても。

 それはメテオメイルを用いた戦闘であって、肉弾戦の経験が活きる割合は悲しいくらいに少ない。

 ギルタブ本人にも、そう指摘されたことがある。

 だが、直接拳を交えることは、全くの無意味というわけではない。

 利き手利き足、動作の癖や傾向――――

 訓練によってどれだけの矯正を施しても、完璧な平滑フラットにすることのできない要素は幾つも存在する。

 轟はそれらを、ただひたすら回数を重ねることで判別し、体に刻み込もうとしているのだ。

 例えるなら、含有された微小な金が一塊の大きさになるまで、延々と海水を汲み続ける作業。

 効率は、凄まじく悪い。

 それでも、確実に蓄積されていくものがある。

 数ミリずつでも、勝利に向かって進み続けているのだ。

 しかしまあ、よくもそんな地道な積み重ねを進んでやるようになったものだと、轟は今更ながらに思う。

 かつての北沢轟は、もっと即物的な人間だったはずだ。

 後の勝利のためにその場の敗北を許容することは、絶対にできなかった。

 いかなる戦いであろうと、負けてもいい理由を作らないことこそが、真の強さだと信じていたからだ。

 それが、教わることからの逃避であるという事実に気づきもせず。

 だが、全ては過去の話だ。

 今の轟には、強さの先にあるものが見えていた。

 一等星のごとき明るさで、はっきりと。

 だから轟は、考えを改めて長期的視線でものを見られるようになったのかと問われれば、断じて否と答える。

 絶対に叶えなければならない目標ねがいを前に、勝手に改まっただけだ。


(らしくねーのはわかってる。どんどん俺の信条から逸れてるのは知ってる。……けどな、今はそんなことはどうでもいいんだ。どうでもよくなるくらいに、大事なことがある)


 轟は、脳裏に幾つもの人影を並べながら、拳を握り込む。

 ギルタブ、“先生”、そしてエウドクソスに与する者たち――――自身にとっての、怨敵の姿を。

 オーゼスの面々以上に存在することへの鬱陶しさを覚える、忌まわしき障害物にして唾棄すべき有象無象。

 セリア・アーリアルを連れ帰るためなら、轟は、それら全てを敵に回すことさえ厭わない。


「俺以外の全員、あいつの前からどいてもらう。そのためなら、いつまでだって俺は戦い続ける」


 轟は自ら作り上げた一切合切を焼き尽くしながら、今日もまた、いつもと同じ言葉で己に誓った。



「次は、ディフューズネビュラとラビリントスBの二体同時出撃だってさ。それぞれ、カンボジアとサウジアラビアを攻めるそうだ」


 朝の簡易ミーティングに割り込んできたギルタブは、そう報告し終えると、臆面もなく応接スペースのソファに腰を下ろす。

 どうやら、このまま話に混ざるつもりらしい。

 その場にいた全員から冷ややかな視線を向けられても、まるで意に介しない図太さは、もはや呆れるばかりである。


「あのクソデブか……! だったらそっちは、俺がやらねーとな」


 そう呟く轟の口調は、ひどく淡々としたものであったが、胸中に複雑な感情が渦巻いていることは想像に難くなかった。

 究極の防御特化型メテオメイル、ラビリントス。

 そのパイロットであるサミュエル・ダウランドは、轟にとっては因縁の相手だ。

 連合がメテオメイルを実戦投入して以降、サミュエルは二度出撃し、そのどちらにおいても轟のバウショックと交戦している。

 そして、戦績は一勝一敗。

 初戦はバウショックがラビリントスを撃退。

 逆に二戦目は、後継機であるラビリントスBの守りを崩せず、バウショックの方が撤退に追い込まれている。

 その上さらに、機体コンセプトは真逆で、性格も相容れないという。

 故に二人は――――少なくとも轟は、決着を付ける機会を求めていた。

 例えケルケイムが、もう一方を相手取るように指示したところで、轟が従うことはないだろう。


「なら、オレは十輪寺のおっさんか……」


 思い出すだけで脳が焼け付きそうになるほど暑苦しい男、十輪寺勝矢。

 瞬はかつて、その強烈なキャラクターと、乗機であるゴッドネビュラのパワーに圧倒された経験がある。

 ただ劣勢に追い込まれただけではない。

 自身の薄っぺらさを指摘され、真っ向勝負におけるセイファートの当たりの弱さも思い知らされた。

 あの日の出来事は、スラッシュに惨敗したときと同等の屈辱として記憶に残っている。

 拘りの何たるかを心得た今の自分と、新たなる能力を得たセイファートで、以前の評価を覆したい――――その意味で十輪寺は、絶対にもう一度戦っておきたい相手だった。


「……では早速、その割り当てで迎撃プランを練るとしよう」

「話がわかるじゃねーか、司令さんよ」

「どのみち、セイファートとラビリントスBとでは相性が悪すぎる。消去法だ」

「そうかい……」


 ケルケイムの淡白な返事に対し、轟が呆れ混じりに吐き捨てる。

 そのやり取りを以て、今度こそミーティングは解散になるはずだった。

 だが、後方で鳴ったバチリという音が、ケルケイムの発言を制止する。

 ギルタブが、大きく手を打ったのだ。

 どうやら何か、言いたいことがあるらしい。


「おいおいおいおいおい………ちょっと待ってくれよ」

「どうしたんですかギルタブさん。まだ他に、お役立ち情報が?」

「いや……何でお前ら、戦えることを前提に話を進めてるのかなって思ってさ」


 白々しく尋ねてみせる瞬に、ギルタブは喉を鳴らしながら答えた。


「“先生”がお前らに命じた、オーゼスとの交戦禁止令は、依然として継続中なんだぜ。前回の戦闘は、例外中の例外。ラニアケアが直接狙われたから、仕方なく出撃させてやったんだ。そこんところは、わかってるよな?」

「当然だろ」


 そう、未だラニアケアには、ヴェンデリーネという名の爆弾が残されている。

 エウドクソスの首魁とおぼしき“先生”が満足するほど、世界各地の被害が深刻化するまで、ヴァルクスは戦うことができない状態にあった。

 だからギルタブにとっては、目の前で行われている会話が、不思議で仕方がなかったのだろう。


「でも、ほら、万が一ってこともあるじゃねえかよ。また連中がラニアケアを攻めてきたり………もしくは、特別の事情があって、あんたに対する命令が解除されたりな」

「あるか……?」


 ギルタブの笑声には、若干の嘲りが含まれていた。

 どんな感情を向けられようと、常態化した作り笑いで受け流すことのできるギルタブにしては、珍しい反応だった。

 それだけ、瞬の発言に馬鹿馬鹿しさを感じているのだろう。

 実際、どちらのケースにしても、起きる可能性は極めて低い。

 そんな奇跡が起こってくれればと、天に願っているだけならば。


「ともかく、どう戦うか考えておく分にはセーフだろ。それは、あんたが口出しすることじゃねえ」

「そりゃ確かに。でもな……」

「何だよ」

「何でもないさ。俺が悪かった。お前の言うことの方が正しいよ、風岩瞬」

「言いたいことも言えねえのか、あんたは」


 こうまであからさまに水面下で何かを企んでいる風を見せつけても、疑念を口にできないギルタブに、瞬は哀れみと侮蔑を込めて言った。

 ヴェンデリーネを用いた通信の傍受も、結局は主目的のため――――無断出撃や戦闘の隠蔽を察知するためのものでしかないのだろう。

 もっとも、個人で担える仕事の量としては、それが限界だ。

 より多くを把握・管理しようとすれば、注意力が散漫になるだけである。

 実際、爆弾としての役割に集中しているギルタブを、根本的にどうにかするだけの策はまだ浮かんでこない。

 だが、一時的に無力化する方法ならば、瞬たちは既に幾つか思いついていた。

 そして――――もしその方法が上手くいった場合、エウドクソスに連なる人間を特定することにもなる。

 “最初の決戦の刻”は、もう間近に迫っているのだ。

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