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第105話 渇水と湧水(その2)

 ラニアケア、中央タワーの二階西側。

 張り巡らされたガラス壁越しに、滑走路を見渡すことのできるラウンジ。

 ケルケイムは現在、そこに設けられたテーブル席の一つで、来客の応対をしていた。

 相手は、情報作戦室に所属するヴィルヘルム・エーレルト中将の一人娘、ノルン・エーレルトだ。

 彼女はケルケイムの熱烈な支持者であり、かつては軍内部におけるケルケイムの発言力を高めるため、自ら婚姻を申し出たことさえある。

 そして、申し出をケルケイムに断られても、彼女は自分にできる支援の形を模索。

 現在では、国際ボランティア団体の代表という立場を利用して、ヴァルクスの活動に有益とされる情報の収集を自発的に開始しているという。

 ケルケイムは、先日の一件で力を貸してもらったノルンに対し、直接感謝の意を述べなければと考えていた。

 が、多忙極まるケルケイムにラニアケアを離れることは難しく、それならばとノルンの側がこちらに赴いたわけである。

 足労の観点からはおかしな話になるが、ノルンの側からの提案なので、少なくともそこは他人がとやかく言うことではない。

 そこだけは。


「お好きですの? カトゥーラが」

「いえ、目についたものを注文しただけです。豆のことは、あまり……」

「中々に渋みの強い品種ですので、お口に合えばよろしいのですが」

「お気遣いなく。味の違いがわかるほど、私の味覚は上等なものではありませんので」

「では、紅茶の方は……」

「そちらについても、特別の拘りはありません。むしろ、コーヒー以上に理解の薄い分野で……」


「……ひどいですね」

「ひどいだろ?」


 遠くの席から様子を伺っていた瞬とメアラは、ケルケイムの壊滅的なトークスキルに対し、深く嘆息する。

 それからもうしばらく。

 ノルンは注文したコーヒーが届くまでの間をもたせようと、立て続けに話題を振るが、結果は散々なものだった。

 ケルケイムは全く空気を読まず、その全てを、一言二言で即座に終了させていく。


「これじゃあ、キャッチボールじゃなくてバッティング練習ですよ」


 瞬が思わず感心してしまうほど、わかりやすい例えだった。

 そしてそれからすぐ、メアラの唸り声は一段と大きいものになる。


「しかも! 腕時計をちらちら見るの、女性と同席している場においては最悪にして最低の行為ですよ! ここまでマナーがなってない人だとは思いませんでしたよ!」

「なんつうかな、あの人は“仕事じゃないこと”全般がド素人なんだよ。休むってことを知らねえから」


 瞬は呆れ混じりに、そう呟く。

 ケルケイムは、業務で定められた報告や連絡に関しては、文句のつけようがないほど完璧にこなしてみせる。

 だが、ただの雑談―――――ごくごく普通のコミュニケーションに関しては、この有様だ。

 不器用以前に、そもそも経験を積んでいなさすぎる。

 おかげで瞬も、その為人ひととなりを計りかねて、信用を置くまでにだいぶ時間がかかったものだ。


「お見苦しいところがありましたら、申し訳ありません。最近は殊に、行儀作法の求められる場所でお茶を頂く機会が少なくなっているもので」

「気になさらないで下さい。私程度の教養では、些細な粗相などは、気が付くこともできませんので」

「そうですか……では、頂きます」


 運ばれてきたコーヒーカップを、ノルンは言葉とは裏腹な優雅な手付きで手に取る。

 ただ品がいいというだけなら、瞬の母や祖母、それに連奈もそうだが、そんな面々とは比べ物にならない風格がノルンにはあった。

 躾が厳しいだけの中流階級と、本物の上流階級とでは、ものが違うというわけだ。

 そしてケルケイムは当然、その洗練された所作を褒めることも、味加減などを尋ねたりすることもしない。

 ただ黙々と、数口ずつコーヒーを飲み続けるだけだ。

 おそらくは、飲み終えるまで本題に入らないつもりなのだろう。

 予感というよりは、確信に近い。

 また数分間、微妙な空気が流れるのかと、瞬はいよいよ肩を落とした。

 ただしメアラは、その限りではない。


「もう我慢なりません、行きましょう先輩!」


 ひどく憤慨しながら、ケルケイム達の座る席に向かってメアラが突撃を開始する。

 その正義感や行動力は、薄情な自覚のある瞬にとっては好ましいものだ。

 制止することも、放置することもせず、瞬は苦笑を交えながらのんびりとメアラの後を追った。

 このくらいの手助けなら、自分が請け負った二割の範疇の内だ。


「司令! 少しはご自身から話しかけるくらいはやってくださいよ! ノルンさんが可哀想です!」

「メアラ!? それに瞬も……?」

「あら、あなた達は……」

「あ、どうも……この間ぶりです」


 司令官の不甲斐なさを見過ごすことができず、年端もいかない少女が物申しに現れる――――そんな珍妙な事態に面食らっているのは、ケルケイムだけだった。

 ノルンは特に驚いた様子もなく、瞬とメアラへ交互に視線を向ける。

 何の事前連絡もなしに協力依頼の書簡を渡したときも、落ち着いた対応をしてくれたため、瞬にとってその反応は意外ではない。

 とにかく、肝が座っている女性なのだ。


「お前達……」

「一体何をというのは、こちらの台詞ですよ。その北沢先輩にも劣る女性とのコミュニケーション能力。とても見られたものではありません。なので、ご指導のために参りました」

「オレはこいつほどの熱意はないけど、もうちょっと気の利いたことを言ってくれってところは、同意見かな」

「そうまで、だったのか……? いや、そうだとしても、しかしだな……。忠告はありがたいが、ならばもう……」


 立ち去らず、そのまま真横のテーブル席へ腰を下ろした瞬とメアラに、ケルケイムは何を言ったものかと思い悩む。

 だが、ノルンの「いいではないですか」という一言で、少なくとも問答無用で叩き出すという選択肢は失われたようだった。

 表情こそ穏やかさを保っていたが、その言葉が許容ではなく賛同の意を示していることは、僅かに強まった語気から察することができた。

 ケルケイムという人間の在り方に惹かれ、強く信奉するノルンではあったが、さすがにこの件について思うところはあったらしい。


「んで、ほら、言うんだろ」

「ああ……」


 お互い人づてに話を聞いているだけの関係であるため、改めて名乗り合うメアラとノルン。

 その光景を悠長に眺めているケルケイムを、瞬がせっつく。

 残念なことに、例え配慮のなさという問題をクリアできても、自分から話を切り出すタイミングがよくわからないという第二関門が待ち受けているようだ。


「ノルンさん……先日の件については、本当に、ありがとうございました。あなたの協力がなければ、我々は、多くのものを失っていた。ヴァルクスの全隊員を代表して、礼を述べさせていただきます」


 そう言って、ケルケイムは深くこうべを垂れた。

 ケルケイム曰く、極秘裏にセイファートを受領するだけなら、他にも幾つか方法があったという。

 しかしいずれも、要する期間は数週間、ともすれば数ヶ月のレベル。

 ノルンに頼る最短のルートを用いなければエンベロープBの迎撃には間に合っていなかった。

 結果論ではあるが、ケルケイムの言うとおり、これは部隊の誰しもが感謝しなければならないことなのだ。


「そして同時に、あのように不躾なやり方で要請をしたことについて、詫びておかなければなりません」

「詫び……ですか?」

「当然でしょう。民間の人間に対し、正式な手続きも踏まず、何の相談もなしに協力を強いるなど、本来は許されないことです。二度あなたの手を煩わせることがないよう、尽力いたします」

「どう手を尽くしたところで、軍規を遵守する限り解決の見込めない問題は発生するものです。私のことは、今回のように、そうした状況に陥った際の選択肢の一つとお考え下さい」


 ノルンは淀みない口調で言い切る。

 他人に迷惑をかけたことを、ひどく気に病む癖のあるケルケイムにとって、それは最も気が楽になる返答だろう。


「ケルケイムさんの望みとあれば、内容の如何に関わらず全力を以てお手伝いさせていただくことは、以前から申し上げています。必要とあれば、ご遠慮なさらずに、今後も何なりと」


 瞬の違法な渡航に手を貸したことについては、ロベルトが便宜を図ってくれたおかげで、今回だけは特別の咎めもなく済んだらしい。

 ただ、例えその計らいがなかったとしても、ノルンは全く同じ返答をケルケイムに寄越していたに違いない。

 あるいは、ケルケイムならどんなに切羽詰まっていても、巻き込んでしまった人間の庇護を怠らないという絶対の信頼があるのか。

 どちらにせよ、ノルンからは、かつてのメアラのような重苦しさを全く感じない。

 本人にとっての負荷とならない、適度なラインを見極めている。

 ロベルトと同等か、もしくはそれ以上に、ケルケイムの扱い方を心得ているといえた。


「ですが……人は、他人の厚意に甘えてしまう生き物です。コネクションに頼れば頼るほど、それを当然のものと考えるようになり、正しい道から外れて……」

「素直に喜んどきゃいいじゃんかよ。ノルンさんは、司令がそんなたるんだ根性はしてないって、わかった上で言ってんだからさ」

「そうですそうです! 司令はむしろ、甘え足りないくらいです! もう他人に少し甘えるくらいが普通です!」

「同意するポイントが違うし、しかも論点がずれてるぞ……」


 せっかく適切なフォローをしたつもりだったのに、そうすることを強く望んでいたメアラの方が脱線するという事態に、瞬は大きくため息をつく。

 それに、ノルンの方は小さなお辞儀で応えてくれたが、ケルケイムは未だに納得ができていないようだった。

 本当に世話が焼けると、瞬はぼりぼりと頭を掻きながら、ケルケイムを見やる。


「だから……司令がそういう奴だから、ノルンさんは無条件で何でも手伝うって言ってんだよ。ええと、つまりさ……」

「ケルケイムさんは、それが最良の方法であるときにしか、私の助力を必要としない方であるということです。」

「私の為すことが、手放しで正しいなどと……。あなたは私の能力を……いえ、私という人間そのものの格を、高く見積もりすぎです。間違いなど、探せば幾らでも……」

「そうでしょうか。私はケルケイムさんのことを、いかなる状況においても、常に正しい判断を下せる強さを持った方だと思っておりますが」


 正しい判断を下せる強さ――――普通の人間には到底選べないことですら、最終的には選んでしまえる鋼の精神力。

 ケルケイムという男の特徴を端的に表した一言だった。

 だがケルケイム自身は、その強さを、自分自身のものと見なしていない節がある。

 決断の的確さを称賛されるとき、ケルケイムの表情に浮かび出るのは、いつも困惑なのだ。

 

「どうか、得難い才能を持った存在であるという、その自覚と誇りをお持ち下さい。ケルケイムさん自身の、幸福のためにも」

「そう思っていないことをそう思えというのは、些か難しい話です。ですが、自分の器の総量を正しく測ることについては、努力してみます」

「ほんっとに頭が固えんだな……。これからもよろしくお願いしますって答えときゃ、それで済むものを」


 瞬は、ノルンの気を害さないよう、あくまでもこじれた会話をリセットする風に言い放つ。

 実際、返事としては社交辞令それだけでも十分に及第点だ。

 しかし、適当に会話を流すことができないのが、ケルケイムなのだ。

 ただただ愚直に、本音を述べ続けて、会話を気まずいものとしてしまう。

 だが――――今日に限っては、言葉の端々に、単なる不器用以上のものが見え隠れしていた。

 ノルンを外部協力者というポジションに置くことを認めるだけのことに、何故ああまで抵抗感を露わにするのか。

 瞬にとっては甚だ疑問だった。

 引っかかる言動は、色々とあったような気がするのだが。


(まさか……ずれてたのは、メアラじゃなくてオレの方か……?)


 そう思い至り、瞬は隣に視線を向ける。

 だが、数秒ぼさっとしている間に、メアラは使っている化粧品やら香水やらについてノルンへの質問攻めを開始していた。

 答え合わせをするには、まだもうしばらくの時間が必要だった。



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