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第104話 渇水と湧水(その1)

 まるで砂漠。

 ジェルミ・アバーテは、己の内なる世界こころをそう例えることがある。

 どれほど心踊るような出来事が起ころうと、潤いは一瞬。

 驚くほど充実感が持続しない。

 満たされた直後――――どころか、もはや満たしている最中にさえ、恐るべき速さで乾きが始まっていく。

 言うなれば、穴の空いたかめに水を注ぎ続けているようなものだ。

 だがジェルミは、自分にそんな欠陥を与えてくれた神に、環境に、あらゆるものに感謝する。


「いつでも飢えていられること以上に、人間にとって幸福なことがあるだろうか。塞ぐことのできない亀裂は、絶望ではなく希望の証明。退屈なく一生を駆け抜けられることの保証。……ああ、そうだとも。だからワタシに、敗北はない」


 スペイン南部、バルデバケロス。

 ジブラルタル海峡に面した、その自然豊かな街に、ジェルミの所有する隠れ家はあった。

 少し年季は入っているが、豪邸と呼ぶに相応しい敷地面積と部屋数を持つ。

 なお、この隠れ家は、B4のように無断占拠などという無作法な方法で手に入れたものではない。

 軍に在籍していた頃の知り合いを奪ったものだ。

 その人物は、ジェルミを売ったところで帳消しにならないほどの悪事に手を染めている。

 彼が今の立場に就いている限り、ここの安全は確かであるといえた。


「とはいえ、しかし……最近は、器の出来を評価されるばかりでつまらんな。ワタシが求めているのは、その内側だというのに」


 昼間だというのにカーテンが締め切られた、薄暗い部屋の中。

 やや旧式のパソコンを操り、該当の記事を幾つか眺めた後、ジェルミは深く嘆息する。

 ジェルミは定期的にここを訪れ、禁じ手とされている、軍内部の動きに関する情報収集を行っていた。

 もっとも、ジェルミが欲している情報は、それに付随するケルケイム・クシナダ個人の近況だ。

 連合にとっては実に皮肉なことだが、“隠すまでもない部分”でジェルミは昂ぶるのである。

 とはいえ、実用性のある情報の収穫は厳しいものがある。

 名誉、功績、コネクション。

 ヴァルクス設立に際しても、本格的に活動を開始してからも、ケルケイムは数多くのものを手に入れている。

 だがそれらは、ケルケイムにとって、“けして失ってはならない大切なもの”ではない。

 誰かを救うためなら、ケルケイムは、何の葛藤もなくそれらを投げ捨てるだろう。

 あの強固な意志に揺さぶりをかけるには、あまりにも物足りないといえた。

 そう考えると、やはり両親や弟など、実の家族を先に奪ってしまったことは悪手のように思える。

 今更、それ以外のものを剥ぎ取ろうとしたところで、大きな動揺を誘えないのだ。

 しかし、ああまでのことをしなければ満足できない性分なのも、また事実だった。


「近日中に、彼を嘆かせるような新しい何かざいりょうが見つけられなければ、残念だが今回は妥協だ。B4からあの少女を奪い、ニーヴル君と同じく、遊びの道具として使わせてもらおう」


 現在、B4の所有する別荘で三風連奈が匿われていることも、ジェルミは把握済みだった。

 彼女はケルケイムの部下にして、あのオルトクラウドの操縦者だ。

 本人はすっかり戦うことに興味をなくしているようだが、しかし、ケルケイムにとっての重要性は変わらない。

 人質に取れば、それなりには苦しんでくれることだろう。

 だが、その策略も策略で、また別の問題を抱えている。

 メテオメイルの戦闘力以外の要素を利用して侵略を進めることは、“ゲーム”の趣旨から完全に外れた行為だからだ。

 ジェルミは前回も、そのことで、組織の中核たる男から大目玉を食らっていた。

 また同じルール違反をしでかせば――――或いは、こうして秘密裏に軍事関係の情報を漁っていることが発覚すれば、今度こそオーゼスからの除名もあり得る。

 もっとも、そうと弁えていても、ジェルミが臆することはない。

 ジェルミが願ってやまないのは、あくまでケルケイムの手中にあるものを奪うことであり、彼の正しさをより一層際だたせることだ。

 オーゼスはあくまで、現時点でそれを最も実行に移しやすい環境だから居着いているというだけである。

 機嫌を取ってでもしがみつこうとは、毛ほども思っていない。


「全く、恐れ入るよ。オーゼスという組織においてすら正しさを示せないなどと。……君は筋金入りの、間違った存在だ」

「デリバリーは頼んでいないはずだがな」


 背後に立つ男に対し、ジェルミは振り向くことも、動じることもせずに答えた。

 向こうとしては、完璧に気配を殺して近づき、いつの間にかそこにいた風を装いたかったらしい。

 しかし残念なことに、邸内の玄関、及び各部屋の入り口の床下には、重量感知式のセンサーが設けられている。

 彼の侵入は、上着に忍ばせた端末が、とっくに振動バイブレーションで報せてくれていたのだ。

 なのに数分と放置していた理由は二つ。

 一つは、彼が懐にどんな武器を忍ばせていようが御しきれるという、白兵戦への自信。

 もう一つは、彼がここを訪れたことへの好奇心。

 大体、拘束する気ならば、のこのこと一人で入ってくるわけがない。


「そう言わずに、受け取ってくれたまえ。きっと、君の気に召す情報だと思うよ」


 男はジェルミのすぐ傍まで寄ると、メモリースティックを一つ、机の上に置く。

 直接渡しに来るようなものに、コンピューターウイルスが仕込まれているとも考えにくい。

 どのみち、ここに設置されたパソコンには、破損して困るような大層なデータは入っていない。

 故にジェルミは、即座にそれを本体の端子に挿入。

 ろくにチェックを行うこともなく、内部に格納されていたファイルを開いた。

 そして――――たちまち、その紳士然とした表情を、ねじ切れんばかりに歪ませる。

 気をやってしまいかねないほどの、極上の愉悦でだ。


「ふはっ……!」

「どうだろうか」

「いやはや、にわかには信じがたいな。あのケルケイム君が……あのケルケイム・クシナダが、こんなものを得ていたなど。これは、職務をこなすことしか知らない彼からは、もっとも縁遠いもののはずだ。これが真実であれば、実に面白い報せだが……!?」


 ジェルミは机に両手をつき、体の震えを鎮めることに努めながら、どうにか言葉を紡ぐ。

 今、体の奥底からこみ上げているのは、笑気ではなく狂気。

 血走っていることを自覚できるほど、ジェルミの眼には激しい熱と痛みが走っている。


「わざわざ危ない橋を渡って届けに来た情報を、疑っているのかね」

「内容が内容だ、仕方がないだろう……!」


 三風連奈などよりも――――どころか、ともすれば家族以上に、それはケルケイムの正しさを試すおもりとして相応しい。

 果たしてケルケイムは、それさえもを捨てることができるのか。

 その際の、苦悩する姿を想起するだけでも快楽が全身に充溢する。


「では、もうしばらく待っていたまえ。その話題が公のものになるほど事態が進行すれば、君も信じざるを得まい」

「悪魔めが。まさかこれほどの……いや、そんな人間だったというところから、驚きだ。何故ワタシに手を貸す? こうすることで、キミは何を得るというのかな。ワタシと同じ悪癖しゅみの持ち主でない限り、直接の益になるとは、到底思えないが」

「全ての人間が、益を求めて生きているわけではないさ」

「……まあ、そちらの思惑などはどうでもいい。肝心なのは、ワタシが楽しめるかどうかなのだからな」

「そうとも。君達はそういう生き方しかできない。俯瞰でものを見る必要はないのさ、些かもね」


 和やかで、諭すような。

 まるで“先生”のような口調で、男はジェルミに語りかける。

 もっとも――――会話を続けながらも、既にジェルミの意識から、その男の存在は完全に閉め出されていた。

 ジェルミが見ているのは、自ら作り上げた空想の世界で、底なしの絶望に悶え苦しむケルケイムの姿だけだ。

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