第9話 パッチワーク
「そんなにひどいのか……」
ケルケイムの執務室に呼び出された瞬は、遅れてやってきた白衣の男からセイファートの破損状況を聞いて、落胆する。
男の名は、ミディール・ヒルシュ。
連合軍技術開発部の所属で、セイファート、バウショック、オルトクラウドの基礎設計を担当した優秀なマシンデザイナーである。
彼の図抜けて優秀な頭脳があったからこそ、僅か一年ほどの短期間で、どの機体もある程度の形になるところまでこぎつけられたのだ。
しかし、個人の独創的なアイデアで生み出されたがゆえの弊害もあった。
いずれの機体も革新的な技術の塊であるため、構造を把握できている技術者が未だに少ないのだ。
現状、ミディールの意見がなければ、どの新規プロジェクトも動けないといった具合である。
そのため、常に幾つかの研究施設を飛び回っている、極めて多忙な身であった。
瞬も、実際に会うのはこれが二度目である。
ろくに手入れもされていない伸ばしっぱなしの黒髪と無精髭は、相変わらずであった。
「装甲の取り替えどころの話ではない。全身の内部フレームが満遍なく、微弱に歪んでしまっている。再利用可能なパーツがほとんどない分、最悪の壊れ方といってもいい。修理するよりも、新しいフレームを使った方が安上がりだ」
「あいつのせいだぜ、あのシンクロトロンとかいう……。無茶な戦い方をしたオレにも一割ぐらい責任はあるけど、ああでもしなけりゃ懐に入れなかったんだ」
瞬は、奥に座るケルケイムに弁明してみせる。
二日前、シンガポール基地の南方で行われた、瞬のセイファートとグレゴールのシンクロトロンとの激しい戦闘。
その戦いで、シンクロトロンは浮遊する巨大な掌によってセイファートを圧殺しようとした。
結果的に、完全に押し潰されることはなかったものの、セイファートが再び元の姿を取り戻すための費用を考えれば、ほとんど同じ事だ。
セイファートと瞬は昨日一日をシンガポール基地で過ごしてから、台湾近くまで南下してきたラニアケアに帰投、そして先程セイファートの損傷度確認が行われたというわけである。
「あの戦闘で幾つもの新機能を披露したシンクロトロンを相手に、あそこまで善戦できた事は評価する。お前が戦場に到達してからの人的被害がゼロという点を含めて、成果としても申し分ない。だが、空戦も可能というセイファートの機体コンセプトを上手く活かせていないなど、改善すべき点も多く見受けられた。エンベロープ戦と同様、後で当該部分をリスト化して、シミュレーターマシンに特別訓練プログラムという形で用意させる」
「了解……。前半も前半で色々と面食らいすぎてヘマした自覚あるし、戦闘の内容全般に全然納得いってないんだよな。だから、復讐はきっちりやらなきゃな」
グレゴールの奇癖と、それを不必要なまでに反映したシンクロトロンというふざけた機体。
しかし、基本形からかけ離れた独特すぎるマシンコンセプト故に、どう攻略したものか勝手がわからず戸惑ってしまったのは事実だった。
比較してみて、エンベロープは随分と堅実な兵器として作られていたものだと瞬は思う。
「それで、あのおっさんについては、何かわかったのかよ」
「グレゴール・バルヒェットの事か。……情報部からの報告によれば、過去にドイツの有名な工科大学を卒業しているそうだ。だが、就職先は地元のドレスデンにある小さな陶器工房だったという」
「あの性格じゃ、まともな会社は無理だろ」
それに、そういった仕事の方がグレゴール向きな気はした。
どころか、寸分狂わぬ左右対称の陶器を作るために、大学で専門知識を学んだ可能性すらある。
拘りのためなら、努力を惜しまない人物なのだ。
「だけど、そこからどうやってオーゼスに?」
「大型作業用ロボット工学という専攻からして、おそらく学生自体から、当時でいう“裏”のオーゼスと関わりがあったのだろう。あるいは、一方的に目をつけられていたかだな」
「しかしまあ、なんというか……。最近のあいつらは、自分達の方から情報をボロボロ漏らしていくよな。ここ五年ぐらいの徹底した秘密主義はなんだったんだ」
「全くだ。方針変更の旨を伝えてきた井原崎、わざわざ戦闘中に通信を試みてくるパイロット。よほど気に入られたらしいな、連中に拮抗する力を持った我々は」
言って、ケルケイムは深く嘆息する。
しかし、そんな子供じみた心変わりによって、戦略的にはだいぶ楽になったといえる。
街の破壊よりも自分達の撃破を優先してくれるのなら、少しでも被害を減らしたい瞬達にとって、これほどありがたいことはなかった。
「また近い内に攻めてくるだろうな。多分、この前の戦いみたいに二週間も空かないと思うぜ。あいつらの事だ、二人続けて撃退されたとなっちゃ、逆にやる気になるに決まってる」
「そうだな……。だが、セイファートの修理は人員をフル投入しても、最短でも十日以上はかかる見通しだ」
「おいおいおい……じゃあどうすんだよ、次の戦いは」
「他の機体を出す。そもそも、こういった事態を想定しての三機体制だからな」
ケルケイムがそう答えるのを聞いた瞬は、無自覚に歯噛みしている自分に気付かない。
オーゼスメンバーへの怒り以上に、自分の存在証明のための成果を欲して戦いに身を投じた瞬にとっては、言い換えればここまでの二引き分けは、二度のチャンスを逃した事に等しい。
撃墜というわかりやすい勝利を得ずとも、セイファートの健闘を賞賛する声は世界中で過度なくらいに上がっているが、防衛はあくまで最低限果たすべきノルマであって、瞬が自分を評価する材料にはなり得なかった。
それに、今は良くとも、勝てなければいずれは市民の期待もなくなっていくだけだ。
セイファートの英雄的ポジションを不動のものとするには、やはりメテオメイルを倒してみせる必要があるといえた。
だが、自分が手をこまねいていたせいで、他の二機もとうとう実戦投入が決定することになってしまった。
その後悔が、瞬の心中で静かに波打つ。
「午後から行われる軍上層部とのオンライン会議の結果次第で最終的な決定が下ることになるが……」
「バウショックで確定だ。歩行は依然として不可能だが、各種武装と機能は完成しているからな。独自の攻撃手段がなく、汎用兵装しか装備できない今のオルトクラウドよりは役に立つ」
「え、逆だろ? 歩けないって、とんでもない欠陥じゃないのかよ」
ケルケイムの言葉を遮り断言するミディールに、瞬は意見する。
歩行が出来ない人型兵器など、戦場では他の小型兵器や兵員を守る盾としての役割すら満足に果たせないからだ。
そこまでの戦略的価値はさておいて、ただ動けないというだけでも、機動兵器としてどれ程の問題であるか、瞬にも理解できる。
「それならば心配は無用だ。歩行は不可能と言ったが、移動は不可能ではなくなった。風岩特別隊員、お前のおかげだ」
「オレの……?」
「先日ヴァルクスが回収したあれを、早速こちら側の支援兵装として転用させてもらう事にした」
ミディールは、ちょうどケルケイムに“それ”の仕様を提出しに来たところであり、執務机の上に一度は置いた紙資料の束を取り上げて、瞬に寄越した。
英語表記であるため、説明文は読み解く事が出来なかったが、どうやら簡易化された設計書の類であるというのはの三枚目以降の細密に書き込まれた全体図を見れば明らかであった。
「これは……!」
瞬は、成程と納得する。
図の中では、側面から見たバウショックの後方に、その胴体部半ばまでの全高を持つ巨大な球体が大型のアームユニットによって接続されていた。
その球体が何であるのかは、瞬にとっては一目瞭然である。
「シンクロトロンの下部を構成していた、球体型不整地走破用モジュール。これを左右から半球状のキャッチャーで挟み込み、バウショックの陸地での移動を補助するユニットへと変える。解体を試みたシンガポール基地からの報告によれば、こちらより幾らか進んだ技術が使われているが、原理そのものはジャイロスコープを利用したシンプルな構造とのことだ。本来の接続部位から回路構成を解析して外部から稼動できるようにしてやれば、前後だけではなく自在な回転ができるようになるはずだ。代替できない部品が含まれている以上、このままいつまでも使えるというわけにはいかないが、破損さえしなければセイファートの再配備が完了するくらいまでは保たせられるだろう」
幸いにして損耗度も少ないしな――――そう言って、ミディールは説明を締めくくる。
一気に捲し立てられ困惑する瞬であったが、ともかくバウショックのデメリットは変則的な形で解決をみたようであった。
「作業は、どのくらいで?」
「アームユニットはお蔵入りになった既存部品を利用して、明日にでもといったところだ。モジュールはこちらに到着するのが明日の夕方で、そこから回路構成の解析に入る。具体的にどの程度かかるかは不明だが、それも四日以内には完了させるつもりではいる」
「セイファートが現れてからは、オーゼスの侵攻頻度も多少は延びている。その間に攻撃がないことを祈るばかりだが……」
ケルケイムが険しい目つきになる。
連合とて、ここまでメテオメイル無しでオーゼスの攻撃にどうにか耐えてきてはいるが、メテオメイルが投入された場合の被害は桁違いに少なくなることが瞬の活躍によって示されている。
これからの反撃を見越せば通常戦力にしても手数は多いに越した事はないため、各基地の防衛は必務、メテオメイルのために犠牲になっていいということはない。
――――そこまで言い終えて、ケルケイムはようやく、瞬の隣に立つ少年へと厳しい視線を向けた。
「……そういうわけだ、北沢轟。やれるな?」
「当然……!」
口元を大きく歪めながら、猫背のままの轟が言い放つ。
いよいよ訪れた自分の出番に対する歓喜を抑えきれず、轟はずっと、喉を鳴らしながらここまでの会話に耳を通していた。
そして今、ケルケイムから改めて名指しされることで、檻から解き放たれた猛獣を彷彿とさせる危険な空気がどんどん室内に充満していく。
同じ人間であることすら疑わしくなるほどの純然たる野生の荒々しさを、瞬の肌は感じ取った。
「中々不格好だが、戦場に出してさえくれれば文句は言わねーよ。前にも言ったが、俺は理不尽上等が信条なんでな。どんな状態だろうが関係無しに勝ってやる。だから、その改造をとっとと仕上げやがれよ」
「無論だ、スタッフを総動員して各種調整を急がせる」
「待ち遠しすぎてどうにかなっちまいそうだ……! 誰でもいいから早く来やがれってんだ」
早く、という部分にケルケイムは眉を顰めるが、しかし轟の機嫌がいい内に早く話を終わらせたいという意図があるのか、特に何も言及はしないようであった。
バウショックの臨時改修作業が完了するまでの期間の、轟がやるべき作業をざっくりと説明し、それから瞬の方を見遣る。
「話は以上だ。……そういうわけだ、瞬。今日からしばらくは、バウショックの実戦投入へ向けて、操縦訓練時に轟へのアドバイスを頼めるか」
「オレはいいけど、こいつが聞くと思うか?」
「わかってきたじゃねーか。大体、敵を倒せずじまいのザコの助言なんて役に立つわけねー」
ケルケイムの頼みに連動して頭の中に浮かんできたものと、一字一句同じ台詞が飛び出してきて、瞬は怒るよりも前に苦笑するしかなかった。
勿論、嘲りを多分に含んだ上で。
「まだメテオメイルで戦った事のないお前が、どんな基準でオレを雑魚だと決めつけるんだよ。言っとくけどな、オーゼスの連中は既に出てきた奴であろうと、初陣でどうこうできる相手じゃないぜ。……ああ、これ経験者から素人への有り難いアドバイスな」
轟を相手に挑発をするということが、どういう事かはわかっているが、生憎と瞬の口には本音をしまい込むスペースがなかった。
頭は多少回らないでもないが、結局トラブルを避けられないタイプなのだ。
案の定、轟は詰め寄ってきて瞬の胸倉を掴み上げる。
あまりにも簡単に自分の体が浮くのを見て、瞬は数カ所の骨折は覚悟しつつも、せめてもの抵抗としてどこに一撃をくれてやるのが最適かということを考え始める。
「テメーこそ、自分の基準に俺を当てはめてんじゃねーよ。俺は勝つ。いつでも、どこでもな……!」
言って、轟は何ら躊躇なく腕を振り払って瞬の体を投げ飛ばす。
宙を漂い、後方に三メートルほど送られたであろうか。
しかし瞬はどうにか片膝をつくような体勢で着地に成功する。
それは風岩流で会得する受け身の類ではなく、まったく偶発的なものであったが、ここで前者のように振る舞う機転があるのが瞬であった。
「殴ってくるくらいは考えてたが……」
「ザコを相手にムキになっても仕方がねーだろーが。ザコから得るものは何もねー」
つまらない話は終わりだという風に、轟はそのまま執務室を出て行く。
その背中を見送りながら、瞬は懲りずに轟へと嫌味を放った。
「オレも次の戦いが待ち遠しいぜ。終わったときにお前がどんな顔をしてやがるのか気になってな……!」
自分や轟のそんな様を見て、後ろでケルケイムがどのような顔をしているかは、敢えて思考から外すことにしつつも。
「……てな事があったわけよ。あいつマジでやりづらいわ」
ラニアケア中央タワーの一階にあるカフェテリア形式の食堂、そのボックス席で、瞬は同席する連奈とセリアに愚痴をこぼす。
広さ自体は相当なものがあるが、ヴァルクスが前倒しで活動を開始している関係で、まだ椅子やテーブル等の備品があまり搬入されておらず、現状は備え付けの三十席ほどを使うしかなかった。
そのため混雑時は見知らぬ人間との相席を余儀なくされ、そうでなければ外のウッドデッキで不格好な体勢で食べるかの困った二択であった。
昔から大勢での食事を好まない連奈が、隣にセリア、向かいに瞬を置くことをよしとしているのは、同年代の知り合いだけで仕切りのあるボックス席を占有できるからに他ならない。
瞬や連奈がメテオメイルの操縦者であるという事は公の場では明らかにされていないが、さすがにラニアケアの中では周知の事実となっているため、興味本位で話しかけてくる者も後を絶たないのだ。
「今の話を聞く限り、君の減らず口も少なからず影響してるんじゃないかなと私は思うよ」
「ま、まあ、それもあるかもしれないけどさ……でもああいう奴に調子乗らせたままにしとくのもオレの心情的に許せないっつーかなんつーか」
「相変わらず人としての器が小さいのね」
「うるせえよ……!」
連奈に指摘されて、瞬は苦い顔をする。
連奈は退屈をこの上なく嫌い、この上なく刺激を求める不感症こそ悪目立ちするが、かといって常識を身に付けていないわけではなく、むしろ行儀においては瞬など比較にならないレベルで会得していた。
洋食のセットもデザートのプリンも、ごく自然に背筋を伸ばしたまま丁寧に口へと運んでいく。
見る者の目を引く理由は、整った外見よりも不作法さの欠片も窺えない立ち振る舞いの方にあるのでは、と瞬は思う。
「相変わらずって事は、風岩君は昔からそうだったのかい?」
「おいセリア……!」
「ええ。能力はない癖に大の負けず嫌い、正面から勝てない相手には嫌がらせも辞さない小者中の小者だったわ。ついでに承認欲求の塊。ずっとあの人にこだわってる」
興味本位で尋ねたセリアに、連奈は得意げにそう説明する。
つまらない会話はしないと豪語する割に、他人をこき下ろす時には口数が多いのだ。
その性根の悪さこそ相変わらずではないかと、瞬は頭の中で反論する。
言葉にできなかったのは、ぐうの音も出ない正論を前に、そうする気分を削がれたからだ。
「この戦いが終わる頃には、兄貴との立場は逆転してるさ。大体、何にもこだわってすらいないお前に色々と言われたくねえよ」
「そんな事ないわよ。己の美を保つことに関してだけは最大の努力を払っているわ」
「そういうんじゃなくて、向上心的な意味でな……」
「悪いけど、私は誰かに勝ちたいとか負けたいとか、そういった事に関しては全く興味が無いから。パイロットになることを選んだのだって、メテオメイルという最強の兵器を自分の手で操る刺激が欲しかったからだし」
「そういや、お前の“辛党”もいつからだっけか。小さい頃からそんなんじゃなかったような気がするぜ」
「そうかしら? 物心ついたときからこうだったと記憶しているけど」
コーヒーを啜る連奈は、一度神妙そうな面持ちになったが、すぐにいつものすまし顔に戻った。
なんとなく記憶の片隅に引っかかるものがあって瞬は言ってみたが、本人にあまり心当たりはなさそうで、自分の勘違いを疑う。
「ともかく……あなたがどうなろうと私の知った事ではないし、それはそっちも同じでしょうけど、あくまで個人の意見を言わせてもらうと、他人と自分を比較したって意味なんてないわよ」
「オレが自分からやってるんじゃない。みんなが比較してくるからオレまで気になってくるんだ。だからオレはそれを覆すためにだな……」
「本当に、そうかしら?」
この瞬間だけ、連奈は真面目な表情になって瞬を見据える。
今度は自分の方が、考えを改めるだけの材料がなく、困惑する番だった。
全ては事実で、だからこそ本気で家族を見返そうとセイファートに乗っているのだ。
「そうさ。一族の集まりの時だって、いつだってそういう話題だろうがよ」
「まあいいわ、何を言われたって変われないのは私も同じ事。お互い何の得にもならない会話だったわね」
「私だけかな、収穫があったのは。二人のことが色々とわかってきた気がするよ」
「そりゃよかったな。オレにはどうせ連奈とも轟ともわかり合えないって事が改めてわかったよ」
瞬はガラス窓の向こうに広がる、間の抜けるような青い空を見遣りながら大きな溜息を吐いた。