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第96話 Schwan(その3)

 レーダーや監視衛星で捕捉できていないどころか、そもそも本当に侵攻してくるかどうかさえ疑わしい敵機に対して本格的な迎撃準備を行うという、奇妙な事態に陥っているヴァルクス。

 それでも隊員たちの緊張感が薄らぐことはなく、あらゆる作業が迅速に進められていた。

 メテオメイルが多数配備されたラニアケアがそうそう落とされるわけがない――――そんな慢心は、エウドクソスのおかげで完全に払拭されているからである。

 その一点に関してのみは、隊員の誰もが感謝するところであった。


「おい後輩女」


 キャットウォークを渡ってオルトクラウドの元へ向かうメアラを、その途中で待ち構えていた轟が呼び止める。

 メアラがする限り、轟の側から話しかけてくるのは初めての経験だった。


「なんですか、セリア先輩に逃げられた北沢先輩」


 嫌味ではなく、失言だった。

 今のメアラには、意図して他人を不快な気持ちにさせようという気力さえもない。

 ただ、自分の心情がどうであろうと、言葉そのものの攻撃性は変わらない。

 さすがに酷い返事だと思ったので、メアラは轟お得意の暴力を甘んじて受けようとする。

 が、気力が足りていないのは向こうも同じのようだった。

 メアラの予想に反し、威圧感のこもった瞳で数秒睨まれるだけに留まる。


「テメーは動くな。最初の持ち場でひたすら火器をブッ放してろ」

「余計な真似はするなと?」

「そうだ。オルトクラウドの攻撃を背中から浴びたくはねーんでな」


 要するに、危うい動きをする味方に気を取られながら戦うのは勘弁だということだ。

 どうやら自分は、まだ轟にとって信頼に足る存在ではないらしい。

 実戦経験の少なさもだが、初陣での醜態も、そう思わせてしまった一因だろう。

 前任の連奈などは、初の実戦で敵機を撃墜しているのだから、対比として余計頼りなく見えるに違いない。

 ただ、そう言われて引き下がるわけにもいかなかった。

 他者の評価も、そして何より自己評価も、この戦いで挽回してみせる必要がある。

 ヴェンデリーネとの戦闘では、実力の半分も発揮できていなかったことを証明するためにも。


「誤射をするつもりはありません」

「つもりがねーならミスも起きねーのかよ」

「それは……!」


 メアラはしばし、解答に窮する。

 ただ、下手を打つことを前提で話をされても困るというのは確かだった。

 繰り上がりの起用はいえ、パイロットとして最低限の基準は満たしているという、ケルケイムやロベルトらの判断もあって戦場に出ているのだから。


「しかし、だからといって動くなというのは……!」

「バウショックは飛ぶどころか、滞空もできねー。空を飛ぶ奴が相手なら、攻撃の機会は限られてる。テメーの茶々でタイミングを見逃すのは御免なんだよ」

「戦術的には、攻撃の要は私ですよ。北沢先輩の役割は、オルトクラウドの護衛のはずです」

「そうした方が効率的だってのは、テメーが十全に動けたらの話だ」


 轟は、メアラの反論を待たずして、自機の元へと向かっていく。

 反論したくはあったが、現状幾ら言葉を連ねたところで、説得力に欠けている。

 悔しさを噛み締めながら、メアラはオルトクラウドのコックピットへと潜り込んだ。



「ひぃーっ、はぁーっ!」


 歓喜の雄叫びを上げながら、白髭は全身に襲いかかる加重を味わっていた。

 レイ・ヴェールの光子変換による衝撃拡散効果と、外周部が粘性薬液に満たされたコックピット。

 その二段構えを以てしても負荷を軽減しきれないほど、エンベロープBの加速は超常的であった。


「いいぞいいぞいいぞ……! この暴力的なG! 血流低下による痛みも痺れも心地が良い! 殴りつける風が、私の心にこびりついた何もかもを吹き飛ばしてくれる!」


 現在の速度は、実にマッハ6.1。

 旧エンベロープの最高時速を倍近く上回る速さである。

 これでまだ、エンジン出力は八十パーセント前後というところだった。

 白髭の肉体が耐えられるかどうかはともかく、更に先の領域があるということだ。

 まだまだ挑戦の余地が残されている事実に、たまらず白髭は破顔する。


「人生というものは、こうでなくてはいけない! 未来は、開けた方向に進まねば!」


 世の航空機、あるいはそれに類する全ての前に立ちはだかる、音の壁(マッハ1)と熱の壁(マッハ3)。

 その双方を乗り越え、そして遠く彼方に置き去りにし、エンベロープBは雲上の世界を飛ぶ。

 白髭が本来の目的を思い出したのは、アルギルベイスンを発艦してから十数分後のことだ。

 純粋な飛行を楽しむために、当初の出撃ポイントから千キロメートルも手前の地点で発進したのだが、もうとっくにそのラインを越えてしまっている。

 連合の監視網にも引っかかっている頃だ。

 だが、このエンベロープBにとって、レーダーに感知されることは何の問題でもない。

 いるとわかったところで、視認することも、追従することも不可能なのだから。


「さて、あともう十数分も進めば大陸に到達するが――――」


 オーゼスは独自に小型の偵察用人工衛星を所有しているものの、その用途は、侵略目的地を決める際の照合のみに限られる。

 連合が展開する防衛戦力の配備状況などは確認しないというルールなので、ラニアケアの現在地はオーゼス側には不明のままだ。

 照合のための撮影を行ってから、既に三日。

 当時は香港の連合軍基地に停泊していたが、ともすればどこか遠くの海域に向かっている可能性もあった。

 移動する人工島を狙うという特異なケースだからこそ起こりうる事態だ。

 機体か白髭、どちらかの稼働時間が限界を迎えるまでに発見できなかった場合は、今回の挑戦は失敗としてカウントされる。

 失敗したところでペナルティが課されるわけではないが、此度舞い込んだのは、ヴァルクスの根城を直接攻められるという天文学的確率で訪れた好機。

 棒に振ってなるものかと、白髭は血眼になって大海原に視線を走らせた。

 それから、ほんの数十秒後のことだ。


「おや、おやおやおや……これはどういうことなのだろうか」


 白髭は僅かにエンベロープBを減速させながら、モニターに表示された警告内容に目を通す。

 機体に搭載されている高性能複合レーダーが、十キロメートルほど先の座標に異常を検知したというのだ。

 画面を操作し、更なる詳細情報を展開すると、一目瞭然だった。

 事前に登録されているものと、今現在のもの――――二つの地形データに、大きな差異が生じている。


「大海原の真ん中で、わざわざパイロットへの通達を要するほどの……?」


 白髭は、そこに自分が望んだ通りの光景が広がっていることを期待し、加速用のフットペダルを再度踏み込んだ。

 推察は、的中していた。



 突然の音速衝撃波ソニックブームが、ラニアケアの全土を荒らし尽くす。

 それでようやく、轟はエンベロープBが自分達の頭上を通過したことを知る。

 機体の接近は感知できていたが、肉眼で捉えることはできなかった。

 視界の外から、視界の外へ。

 エンベロープBは、一瞬でレーダーの上端から下端まで駆け抜けていったのだ。

 元より高機動タイプという認識はあったものの、予想を遙かに上回る速度だった。


「あれか……!? あれが鳥野郎だってのかよ!」


 轟は大急ぎでバウショックを反転させながら、エンベロープBの、次の飛来に備える。

 今の暴風だけで、ほんの二十秒前まで周囲に広がっていた整然たる光景は、剥がれ落ちたコンクリート片と巻き上げられた土砂が散乱する惨たらしいものへと変わり果てていた。

 中央タワーなど一部の最重要施設は、地下ブロックからせり出した複層シャッターによって守られており、無傷だ。

 だが、その他の施設――――宿舎やエアポートの航空機用格納庫は、既に一部分が倒壊してしまっている。

 このまま何度もラニアケアの上空を往復するだけで、エンベロープBは戦略的勝利を手にすることができるというわけだ。

 もしギルタブからの情報がもたらされていなければ、どれだけの人的・物的被害が出ていたことか。

 殺したいほど憎い相手が何百人もの隊員を救っているという現実に、轟は歯噛みする。


「ふざけてんじゃねーぞ……」


 もはやクリムゾンショットの投擲は、万が一タイミングが合っていたとしても無駄玉だ。

 あの超音速が生み出す風圧の前では、数千度の火球も一瞬で熱量を拡散されてしまう。

 ソルゲイズをにしても、それはいよいよとなったときの最終手段だ。

 例えエンベロープBは倒せても、ラニアケアが保たない。


「はっはっはっは……どうかな、ラニアケアの諸君。新たな翼を得たエンベロープの圧倒的スピードは。まさに、目にも留まらぬというやつだ」


 通信装置を介して聞こえてきた男の声は、その向こうで、満悦の笑みを浮かべていることを容易に想起させるものであった。


「……聞いてた話とは違うな、別人かよ」


 轟は率直な感想を述べる。

 あまりのスピードのせいか、あるいは航空機的フォルムが電磁波の干渉を妨げているのか、聞こえてくる声には多大なノイズが混じっている。

 だが、轟に疑問を抱かせたのはその部分ではない。

 唯一エンベロープと交戦経験のある瞬曰く、そのパイロットはもっと飄々としており、どこか一歩引いた目線で物事を見ているような人物だという。

 だが――――


「ひゃあああああっ、ほおおおおおうっ!」


 水平線の彼方で海面が弾けるや否や、再びソニックブームの嵐がラニアケアを襲う。

 今度はより低空を通過したのか、更に衝撃は強力なものとなっていた。

 削り取られたアスファルトや金属が視界を埋め尽くすほどに飛散し、エアポートに停められていたメテオメイル運搬用の大型トレーラーすらも地面を滑っていく。


「ちいっ、また!」

「正真正銘の同一人物さ。以前と大きく違うところがあるとするなら、テンションだろうな。あのときは浮かれ具合が足りなかった、深く反省しているよ」

「俺にとっちゃ、どっちでもいいんだがよ!」

「こんな卑怯なやり方で君達を痛めつけても、何の感慨も湧きはしない。だが申し訳ない。あともう一度、もう一度だけ、この大波を味わってくれたまえ。見せつけたくて堪らないのだよ、エンベロープBの機動性を!」


 三度、エンベロープBが生み出すソニックブームがラニアケアの全土を揺らす。

 視界が開けたとき、防護シャッターに守られていない建造物は、もうほとんどが原型を留めていなかった。

 皮肉なことに、リニアカタパルトの加速用リングや先端レール部は島の内部に格納されている。

 どうせなら野晒しにしておいてくれれば、ギルタブに尻尾を振る理由もなくなるのだがと轟は舌打ちする。

 そう考えた矢先、エンベロープBのパイロットも、敷地の中で佇むヴェンデリーネについて触れる。


「さっきからそこでだんまりを決め込んでいるのは新型かね? 十輪寺君を倒した機体と似通っているようだが!?」

「勝手に乗り込んできたタダ飯食らいだ! どうしようがテメーらの自由だぜ!」

「残念だが、私は純粋にゲームを楽しみたいのでね! 戦う意思のないものは、貰うことも狙うこともしない!」

「基地をブッ壊した奴の、言うことかよ!」

こちらにとって都合の悪い解釈をする男に、轟は声を荒げた。


(深く考えずに攻撃すりゃあいいものを……!)


 轟が心中で毒づくのと前後して、エンベロープBは速度を緩め、ラニアケアの周囲を旋回し始める。

 それでようやく、異様に長い機首と幅広の両翼――――白鳥のようなフォルムが明らかになる。

 本人の宣言通り、望みはあくまで勝負による決着なのだろう。

 逆を言えば、全力で飛び回っている間はまるで勝負にはならないと舐められているわけだ。

 悔しいことに、現時点では反論しようのない事実である。


「いい気になってんじゃねーぞ!」


 轟は、バウショックを全力疾走させ、ラニアケアの外周部を疾走しながらクリムゾンショットを連続投擲する。

 連続とはいっても、一投ごとにギガントアームの冷却を要するために、散発的な攻撃にならざるを得ない。

 そもそも、射程距離にしても届くかどうかは怪しいところだった。

 だが、少しでもエンベロープBの速度を落とせれば儲けものだ。


「おっと、高度を下げすぎたかな!」


 その瞬間を、メアラのオルトクラウドが――――


「今だ、後輩女! かましてやれ!」


 狙い、撃って――――


「えっ、あっ……」


 くれない。

 どころか、集中砲火を叩き込むべきポイントとはまるで見当違いの方向を向いてしまっている。

 その隙に、エンベロープBの胴体から放たれた十数発の小型ミサイルが二機に向かって降り注ぐ。


「おい後輩女! 何をボサッとしてやがる!」

「すいません……! しかし、照準が」

「合うものかよ! だから出撃前に言っただろうが、ブッ放せってよ!」

「でも、その後に誤射がどうのこうのと」

「俺が射線上にいなきゃ誤射もクソもねえだろ!」


 素人は素人なりに、多少は役に立つものと思っていたが、論外だった。

 狼狽するメアラの受け答えは、極めてマニュアル的なものだ。

 何もかもを手順通りにやろうとしすぎていて、柔軟性の欠片もない。

 下手を打てば状況が悪い方向に流れていくのは確かだが、かといって遠慮していては完全な役立たずになるだけだ。

 その辺りのバランス感覚をメアラに求めるのは酷のような気もするが、戦場に出てきた以上は、やってもらうしかない。

 できなければ、死ぬだけなのだ。


「バラ撒いて、少しでも奴の装甲を削っていけ! 翼に当てようだなんて思うな!」

「りょ、了解です……!」


 メアラが自分の予想以上に仕上がっていようものならメインアタッカーを任せる気もあったのだが、やはり本来の方向性で立ち回らねばならないようだった。

 エンベロープBが間断なく撃ち放ってくるレーザー機銃を躱しつつ、轟は意識を集中して、その挙動を注視する。


「俺の合図で撃て、後輩女!」


 まさに轟自身が今、利き腕の方向に飛んで回避したように。

 瞬が攻撃を終えるたび、理想的な相対距離のリセットから何歩か多めに後退するように。

 誰しもに、操縦の癖というものがある。

 上空をひたすら旋回し続けているエンベロープBは、同じ動作が連続している分、その見極めをするのにうってつけだった。


「今だ!」


 轟が叫んだ直後――――メアラは、馬鹿正直にというか、オルトクラウドの全武装を用いた一斉射撃を空中に放つ。

 ガトリングレーザー、脚部レーザー、自己鍛造弾、二種弾頭複合ガトリング砲、プラズマ砲、マイクロミサイル、バリオンバスター。

 七種の火器が生み出す破滅の豪雨が、真昼の空を赤黒く染め上げる。

 さしものエンベロープBも、その全てを回避することはできず、数発の被弾を許した。


「当たった!」

「手を止めるな、まだまだ撃ち込め!」


 轟は声を張り上げながら、クリムゾンショットの次弾エネルギーチャージを開始する。

 エンベロープBの機動性は確かに驚異的だ。

 速度を大きく落とした現在ですらも、体感で時速三、四百キロは出ている。

 オルトクラウドのような弾幕ならともかく、単発の攻撃を命中させるには、あまりにも厳しいといえた。

 ――――必ずそこを通過するというポイント以外では。


(奴の動きは綺麗な円軌道じゃねえ、六角形だ。四回大きめにカーブしていやがる)


 エンベロープBが現在の軌道を取ってから、約二分。

 これまでの八周全てに共通する特徴を、轟は見つけ出すことに成功していた。

 固有の癖というわけではないが、一定のパターンという意味では同じだ。


(カクつく理由は一つ。あのオッサンが、まだ機体を乗りこなせてねー証拠だ)


 人並み外れた動体視力を持つ自分ですらも唖然とするほどの驚異的なスピードなのだ。

 同様に、機体を操る当人もまた翻弄されている可能性は、最初から考えて然るべきだったのだ。

 そして、その不慣れな操作こそが付け入る隙となる。


「俺達の対応に夢中で、同じ動きしかしてねーんだよ!」


 轟は、ギガントアームの掌中に生まれ出た超高熱エネルギーの圧縮体を、遥か彼方の海上に向けて投げつける。

 そこは、エンベロープBの現在位置よりも、何百メートルと手前の空間だ。

 だが、その二秒後―――――エンベロープBは、吸い寄せられるように火球へと飛び込んでいく。

 風圧のバリアを以てしても軽減しきれない灼熱が、純白の装甲に痛々しい漆黒の染みを作っていく。


「くうっ!?」


 まさかの命中に、驚愕と悔しさが入り混じった苦悶が、男の口から漏れる。

 相手は、メアラとは異なり、基本的な戦闘訓練は積んでいる。

 毎度、寸分違わず同じ位置座標を通るという愚は犯さない。

 それでも轟がクリムゾンショットを命中させられたのは、どの周回も、必ず等間隔のタイミングで方向転換が行われていることを把握していたからだ。

 そこから、次に曲がる時間と地点を逆算できるというわけだ。


「避けられるわけねーよな……そんな機敏さは、テメーにはねーんだからよ」


 轟は、あわや海面に衝突するというところまで高度を落としたエンベロープBに向けて言い放つ。

 エンベロープBの全長は、バウショックやオルトクラウドの倍近い。

 換算できる質量的に、咄嗟の回避はまず不可能なのだ。


「北沢先輩、まさか予測射撃を……? 機体を走らせながら、投擲方向と角度の計算を行うだなんて……」

「そんな上等なモンじゃねー。勘で合わせただけだ」


 自慢のつもりも謙遜のつもりもなかった。

 エンベロープBの挙動を真面目に数値で算出したところで、そのデータを反映して攻撃を行うことなど、轟には到底できない。

 だから、多少の誤差は認めて感覚的に動くという、一次元下の対応を取ったのだ。


「ところで北沢先輩、オーゼス機との専用回線の開き方はどうするのですか。さっきから私だけが相手との交信ができていないのですが……」

「ああ!? そんなのはオペレーターに聞け! バウショックだって、あの通信女に設定してもらって、それっきりなんだよ」


 まだエンベロープBの損傷は軽微も軽微、気を緩めていい状況ではない。

 全身のバーニアを吹かしながら体勢を立て直す様を見ながら、轟はもう一度、ギガントアームにクリムゾンショットのエネルギーを充填させる。

 今の速度なら飛び道具を当てられると証明してしまった以上、もう相手にも油断はない。

 ここからは、最初に見せたような全力の音速機動と、まだ見ぬ奥の手が襲い掛かってくるのだ。


「……所詮は陸戦用機体と侮って悪かった。パイロットは流石の腕前だ、ここまで戦い抜いてきだけはあるということか」


 まだ名も知らぬ男は、謙虚に謝罪の意を述べる。

 否、その言葉に乗せられた感情は、紛うことなき歓喜。

 ギルタブのような飾り付けの笑みではない、心の底から湧き上がってきたものだという力強さが表れている。

 謝辞の方が、表現としては正確であった。

 全身のスラスターを吹かして空中で体勢を立て直すエンベロープBも、そんな男の昂りに連動してか、機首上部に設けられた一対のメインカメラを一層強く輝かせる。


「私の動きを完全に読み切り、ただの一投で直撃……随分と格好のいいことをしてくれるじゃないか。その卓越した戦闘センスが羨ましいよ。私などとは比べ物にならない」

「そうかい……!」

「だから嬉しくて堪らないよ。そんな素晴らしい相手を、私はこれから越えていけるのだから!」

「ぬかせ!」


 必殺の一撃が来ることを確信し、コンマ数秒先の事態にも対応できるように、神経を極限まで尖らせる。

 ギルタブとやり合ったときのように、力は入りすぎていない。

 あくまで自然に、無駄なく。

 知覚した動作に対して機械的に反応し、捌き切る。

 それだけを意識して、バウショックの腰を落とす。

 自認できるほどの、万全の構えだった。

 強靭なる肉体を備えた紅き闘士と、陽光を受けて煌めく美しき凶鳥。

 約六百メートルの距離を開けて対峙する二機のメテオメイルは、互いの集中力が崩れる一瞬を待つ。


 そして、唸り声にも似た音を立てる横風が、何の前触れもなく吹き抜けた時。

 弾けるようにして、神速の白が戦場を駆け抜けた。



「北沢先輩!?」


 果たして、その瞬間に何が起こったのか。

 メアラには、全く理解が追いつかなかった。

 エンベロープBが、周囲が揺らいで見えるほどの熱風を両翼から吐き出し、機体全体を前方に傾けた直後――――相対する二機ともが、メアラの視界から消失した。

 オルトクラウドだけが、その場に取り残されたのだ。

 そして直後、メテオメイルでさえ転倒しかねないほどの突風が周囲に吹き荒れる。


「うっ……くっ!」


 直後、遥か後方の海上にて大きな飛沫が上がる。

 しばらくして、ゆっくりと海面から浮かび上がってきた機体の装甲色は、紅。

 そこで初めて、メアラはバウショックが敗北したことを悟った。

 あの重量級機体であるバウショックを、ああも遠くまで吹き飛ばすなど、到底信じがたい事態だった。

 どうやら、自分が視線を海の側へ移そうとした刹那の時間に、想像を絶する攻撃が繰り出されたらしい。

 メアラが唯一知覚できたのは、機体の中にいなければ間違いなく鼓膜が破壊されていたであろう轟音だけである。

 それ以外のことは、何もわからない。

 だが、いつまでも狼狽しているだけではヴェンデリーネ戦の二の舞いだ。

 蓄えた知識の中から、メアラはバウショックがいかなる手段でラニアケアから叩き落されたのか、可能性を列挙してみせる。

 そうすることで、精神の安定化を図る目論見もあった。


「考えられる手段は三つ。機体そのものによる突撃。風圧を利用した攻撃。その他、人為的に発生させた物理現象の作用……」

「正解だ。動きは固いが、全くの素人というわけではないらしいな」

「――――――――え?」


 しかし、そんなメアラの努力を嘲笑うかのように、事態は最悪の方向へと急転した。

 突如としてコックピット内に響いた男の声に、メアラは全身を硬直させる。

 つい今しがた、専用回線が開かれたことは把握済みだ。

 先程の轟との通信を聞いたオペレーターが、気を利かせて、所定の操作を外部から行ってくれたのだ。

 エンベロープBの現在位置にしても、上空から減速降下してくるという堂々とした登場のおかげで、探す手間さえなくなっている。

 唐突に話しかけられたくらいでは、驚きはしないのだ。

 そんなことでは。


「私が今やってみせたのは、その全てを組み合わせた複合攻撃。一夜漬けで習得してきた必殺技スペシャルマニューバさ。いやあ、無事に決まってよかったよ。しかし、あまりにも速すぎるのは難点だな。説明しなければ、この技の凄さを誰もわかってくれない」

「あなたは……」

「おおっと、少し喋りすぎたかな。話し足りないのは確かだが、ゲームは参加者全員が盛り上がってこそだ。経験者の鬱陶しい語りで新参を興醒めさせてしまうのは、一番やってはいけないことだな」


 メアラは生まれてこの方、一度も聞いたことがなかった。

 男がそんな風に、饒舌に話すのを。

 離別するまでの九年。

 見聞きしてきた男の言動にはずっと、重々しい憂いが付きまとっていた。

 メアラは、それこそが男にとっての自然体だと思っていたし、数々の苦難を乗り越えてきた英雄の証明と考えてきた。

 しかし男は、そう在らねばならない人生に別れを告げた。

 もしもこれが男の本性だというのなら、自分が見続けてきたものは果たして何だったのか。

 大事にしまってきた過去、その始点から終点までを、一筋の大きな亀裂が駆け抜けていく気分だった。

 

「だが待ってくれたまえ。B4が預かっているという“あのお嬢さん”に代わってオルトクラウドを任された、四人目のパイロット……君のことを聞く前に、まずは私から名乗らればならなかった。君達とのファーストコンタクトのときは、流石にまずかろうと思って素性を伏せておいたのでね。だが、そんなことを気にしていたのは私だけだった。何とも滑稽な話だ」


 高揚で弾む声が、メアラを落胆させる。

 抑えきれない興奮を如実に表す息の荒さが、メアラを脱力させる。

 メアラが作り上げてきた広大にして深遠なる幻想せかいは、突きつけられた地獄のような現実を前に、呆気なく崩れていった。

 だがそれでも、メアラは必死にしがみつこうとする。

 メアラの生きる場所は、そこにしかないのだから。


「やっと言えるときが来たよ。私の名前は――――」

「――――アダイン・ゼーベイア。知っているに、決まってるじゃないですか」

「うむ…………?」


 その素っ頓狂な反応は、最後に残った希望の一欠片さえも、滑らかな砂粒へと変えた。

 もはやメアラの心中は、掴んだ全てが掌からこぼれ落ちていく虚無の空間も同然だった。

 これほどに残酷極まる仕打ちがあってたまるだろうか――――

 悲しみに暮れるメアラは、嗚咽の混じった悲嘆の声を、通信装置のマイクの中へとねじ込んだ。

 それくらいしか、今のメアラにできることはなかった。


「実の娘の声さえ忘れてしまったんですか、あなたは……! 私は、すぐにわかったのに……!」


 期待と信頼、愛情。

 メアラが抱いていた好意の何もかもを裏切り、エンベロープという名の翼を手にした父親――――アダイン。

 どんな願いも叶えてしまう“英雄”は、皮肉なことに、最後に残した一言さえも実現してしまっていた。

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