第95話 Schwan(その2)
メアラ・ゼーベイアの初陣は、ひどく無様な結果に終わった。
決着がついたのは、出撃を果たしてから、わずか数十秒後のことだ。
「……あっては、ならないことなんです」
澄み切った夜空を照らす、黄金色の満月。
しかし、ベランダに立つメアラの視線は、それの浮かぶ場所とは真逆を向いていた。
メアラがヴァルクスに入隊し、予備パイロットとして訓練を受けるようになってから、既に一ヶ月半。
機体の操縦に関する基礎知識は、ともすれば現役パイロット以上と言わしめるほどに蓄えてきた。
最近になって開始したシミュレーター訓練でも、大きなミスをしでかしたことはない。
だが実際には、激しい緊張と動揺のあまり、何の役にも立てないまま敗北を喫してしまった。
「私は、運命に選ばれた存在だというのに……。なのに、あんなみっともない姿を……」
あの鉛色のメテオメイル――――ヴェンデリーネに備わったステルス能力は、ヴィグディスほど極まったものではない。
高度であることには変わりないが、せいぜいヴァルプルガと同等。
現に、島から十数キロも手前の地点で、ラニアケアのレーダーは接近する機影の捕捉に成功していた。
正直なところ、撃退することは不可能ではなかったのだ。
しかし、迎撃のために放ったガトリングレーザー砲は、ただの一発もヴェンデリーネの装甲を掠めることはなかった。
身重な機体で、防ぐこともせず、ただ右に左にと流れて。
ヴェンデリーネは、オルトクラウドが間断なく撃ち出す数百発もの光条を全て躱しきったのだ。
そして、呆気なく肉薄。
左腕のバリオンバスターと右脚を相次いで宝戟によって刺し貫き、オルトクラウドを戦闘不能に追いやったというわけである。
無様に転倒する機体の中で、メアラは衝撃による痛みとは別の理由で哀哭した。
(負けだなんて思わなくていいよ、メアラ・ゼーベイア。それ以前の問題だものな)
ヴェンデリーネを操る、篝火のような笑いを喉に飼っている青年、ギルタブの声を最初に聞いたのもメアラだ。
彼の入れてきたそんなフォローは、余計にメアラの涙量を増やすだけだった。
軍の提示する能力基準値に満たない、あくまで臨時登用の身分であることは、弁えている。
元より瞬達と比肩する活躍ができるなどとは思ってもいない。
ただ純粋に、相手にされていないという現実それだけが、悔しかったのだ。
「また、見捨てられた……また……」
思い返して、メアラの全身に震えが走った。
敗北も、死も。
それらが自分という存在を際立たせるための装飾になるというのなら、受け入れることも吝かではない。
誰からも見向きされない安穏な人生の方が、遙かに恐怖なのである。
こんな立場で傷口が開くとは思っていなかっただけに、反動もまた大きい。
「まだ足りないというんですか、私の運命強度は……!」
メアラは柵を掴んだまま、膝をついた。
連合がたった数機しか保有していない、オーゼス壊滅の切り札――――英雄的な力の象徴、メテオメイル。
そのパイロットともなれば、閑却から完全に逃れられるはずだった。
期待、羨望、憧憬、信頼、注目――――
それら全てを眼下の人間から吸い上げるがごとく君臨する、神話の登場人物の一人になったはずなのだ。
だが、現実は無慈悲にして残酷であった。
“自分の英雄”であることを求めた瞬にも見放され、倒すべき敵であるギルタブからも相手にされず。
これでは、何も変わらない。
自慢の父親が、ある日突然、自分と母を捨てて失踪したときと。
『Gehen Sie zu beobachten den Himmel(空を見に行ってくる)』
三年前の、クリスマスの朝。
枕元へ置かれたメッセージカードには、そんな書き置きが残されていた。
あの時以来、メアラの魂はずっと軋んだ音を立てている。
「あーあ、初っ端から引き当てられちゃったよ。発生確率0.000000001%くらいのレアケースを。このとんでもない奇運、流石はオーゼスってところかな」
ケルケイムの執務室に乗り込んできたギルタブは、呆れ口調で、そんな報告を寄越してきた。
いつもなら不自然さしか感じない、飾り付けのような安い笑みも、今回ばかりは態度と一致している。
「困ったもんだ。これじゃあ、無視を決め込むわけにもいかない」
「何があった」
「いやさ……奴らの次の侵略目標が、ラニアケアに決まっちゃったんだ」
「ラニアケアに……!?」
床を指してみせるギルタブに、ケルケイムは思わず執務机から立ち上がって聞き返した。
既にラニアケアは、組織外のメテオメイルが上陸することを何度か許してしまっている。
井原崎の護送目的で訪れたガンマドラコニス。
セリアを拉致するために侵入してきたヴィグディス。
そしてヴァルクスの活動に制限を加えるために今なお居座るヴェンデリーネ。
だが、純粋な破壊を目的として狙われるのは、今回が初めてのことだった。
「機体を積み込んだ輸送機が、もう間もなく本拠地を出るってさ。あれの速度なら、北半球まで三、四時間くらいかな」
「オーゼスの狙いは、世界中の陸地を掌中に収めることではないのか」
「だから、ここもそうだろ?」
ギルタブは、まあまあと、両手で押さえるようなジェスチャーを用いてケルケイムに着席を促した。
「島の総面積はざっと三平方キロメートル。攻め落とす対象としては十分な広さだ」
「それはそうだが、ラニアケアのような人工島も候補地の中に含まれているとはな」
「含まれてるってのとは、少し違うな。オーゼスは次にどこを攻めるか、その都度ダーツで決めてるんだよ。世界地図にぶん投げてな」
「そんな下らない方法で……」
「それで、今回刺さった場所を最新の衛星写真に照らし合わせて拡大したらさ、どんぴしゃラニアケアの現在位置だったらしい」
軍の戦略研究部門は、隠された法則性を見出そうと、今でも必死に侵略目標地点の分析を続けている。
彼らの努力をあざ笑うようなこのシステムを、一体どう説明すればいいのか――――多大な心労が、今からケルケイムの胃を締め付ける。
だが、今はそちらに意識を傾けている場合ではない。
「今回の一件で、オーゼスは攻め入る場所を“命中した座標”じゃなく“地点”と再定義した。つまり、ラニアケアが移動したところで、そこを狙ってくるってことだ」
享楽的なオーゼスのやりそうなことだった。
わざわざこちらのメテオメイルと勝負するために方針を変更してきた前例もあるのだから、自分達にとって都合のいい解釈をすることは不思議でも何でもない。
しかしそうなってくると、ギルタブがヴァルクスに課した条件を遵守する上で、幾つかの問題が生じてくる。
「どうなるのだ、この場合は」
ケルケイムは単刀直入に尋ねた。
主題は無論、オーゼスとの交戦禁止令についてだ。
これは、ある一定のレベルまで犠牲者を増やすことを目的として、彼らが出してきた条件である。
が、今回狙われることになったのは、ヴァルクスの本拠地であるラニアケアだ。
エウドクソスは、最終的には連合が勝利するシナリオを描いているのだから、そのために必要な戦力であるヴァルクスが失われてしまっては元も子もない。
「……特例で、出てもいいってさ」
「当然だな」
「以前に、いよいよとなれば裏工作で奴らを潰せるとは言ったけど、あれは最後までスパイが健在ならの話だからな。お前達が生きててくれる方が、断然いいに決まってる」
「では、どの機体が出てくるのかを教えて貰おうか」
ケルケイムは、居丈高に言い放った。
あくまで表向きの話だが、現在のヴァルクスは、ギルタブから与えられた指示を一つの違反もなく守っている。
今後現れる敵機の情報は、元より与えられることが決まっていた対価なのだから、要求することに対して遠慮は無用だった。
拠点が狙われているという危機的状況ではあるが、エウドクソスとのやり取りに関してだけは、現状かなりの得をしているといえる。
「まあ、仕方ないか。そういう約束だし」
言って、ギルタブは一際大きな笑声を漏らす。
それを、やむを得ずという状況に対してのものとケルケイムは受け取った。
しかし、ケルケイムの気分はますます重くなるばかりだった。
直後に提供された情報が、事前に把握したところで有効な対策を打てるものではなかったからだ。
「今回の相手は、お前達が最初に交戦した機体………エンベロープの強化型だよ。本体が丸ごと収まるほどの巨大な追加装備のせいで、サイズは以前の倍以上。火力も機動力も増強されている。風岩瞬も出払ってるみたいだし、今の戦力でこいつの相手をするのは、結構きついんじゃないのか?」
「こんな時に、あの機体か……」
他人事のようなギルタブの報告に、ケルケイムは視線を落とす。
オーゼス製メテオメイルの七号機、エンベロープ。
数少ない空戦特化型の機体であり、ただ一度の交戦記録には、並のメテオメイルでは追随できない超常的な空戦機動を行う姿が残されている。
地上戦なら極めて強力なゲルトルートやバウショックも、遥か上空の相手に対しては、ほとんどお手上げに近い状態だ。
戦える機体は、自ずと一つに絞られた。
「……頼みの綱は、オルトクラウドか」
「なってくれるのか? あれが、綱なんかに」
「運用方法次第だ」
司令官という立場上、ケルケイムは脳裏に浮かんだ言葉を噛み殺して、そう返答せざるを得なかった。
ゾディアックキャノンがガトリングレーザー砲に置き換わったとはいえ、それでもオルトクラウドの火力は最高クラス。
長射程の武装を幾つも有している。
濃密な弾幕を展開すれば、超音速で飛行するエンベロープにも十分対抗はできるだろう。
問題は、パイロットのメアラである。
先日の戦闘で全く活躍ができなかったせいか、この十日ほどは、すっかり意気消沈してしまっているのだ。
その上、シミュレーター訓練の成績も目に見えて落ちている。
連奈に次ぐSWS値を誇るために、精神力が弱っていようとも、瞬や轟の平均値レベルのエンジン出力を維持できるのは救いだ。
しかし、その程度では、オルトクラウドのポテンシャルは発揮できない。
「もう一度、確認する。出てくるのはエンベロープ一機だけで間違いないな?」
「俺達エウドクソスの生徒は、嘘はつけないよ。つけと言われない限りはな」
ヴァルクスの戦力が大幅に低下していることを――――正しくは、一人の欠けも許されない最小の人数で部隊が成り立っていることを、ケルケイムは改めて痛感させられる。
連奈が残っていれば、どれほど優位に戦えるだろうか。
セリアの的確な補佐があれば、どれだけ無駄のない立ち回りができるだろうか。
たった一機を相手にするだけでも容易に詰みかねない今のヴァルクスは、ひどく脆弱な集団であるといえた。
「まあ、実はスパイを送り込んでたのが筒抜けで、裏で別働隊が動いてましたって展開なら謝るよ」
「貴様はどうするつもりだ。ラニアケアが狙われているのなら、貴様とて無事では済むまい」
「ヴェンデリーネに乗り込んで待機するさ。ラニアケアが沈むまではその場を離れず、自衛に専念しろって言われたしな。そういうわけで、俺は戦力にカウントしないでくれよ」
ヴェンデリーネにどれだけの耐久性があるのかは不明だが、相手も最新鋭のメテオメイルだ。
動かずに攻撃を受け続けるだけでは、持ちこたえられる時間などたかが知れている。
それでもギルタブは、ヴァルクスを脅迫する爆薬としての役割を全うすべく、ラニアケアに居座り続けるらしい。
瞬達から聞き及んだ、アクラブ、ジュバの機械的な性格と比較して、ギルタブはだいぶ融通が利くというのがケルケイムのこれまでの印象だった。
だが、やはり根は同じ“生徒”――――“先生”とやらの命令を忠実に実行するだけの人形でしかないようだ。
「用が済んだのなら、早々に立ち去れ。貴様に作戦準備の様子を見せてやるほどサービスは良くない」
「通信の傍受はさせてもらってるじゃないか、変なところでケチだな」
「それがお前達の限界か」
「……? まあいいか」
小首をかしげつつも、ギルタブは追って質問を飛ばすこともなく、のそのそと退室していく。
その様子を見届けた後、ケルケイムは大至急、方々への連絡を取り始めた。
その中に連合の上層部は含まれておらず、内容も、これから始まる戦闘と直接関係のない案件ばかりだ。
だが、ケルケイムの意図を理解している者にとっては、大きな意味を持つ。
勿論、上層部にも通達はするが、順番は最後だった。
「打てる手は全て打った。……あとは、あの機体が到着するまで、我々が持ちこたえられるかどうかだな」
自分の采配次第では、今日がヴァルクス最後の日となる――――ケルケイムの背中には、今までにないほどの重圧がのしかかっていた。




