第94話 Schwan(その1)
「よし、よし、よし……! よしよしよしよしよし、ようし! よおおおおし!」
オーゼス本拠地の一区画、メテオメイル用の製造工場として作られた、広大な空間。
その扉を潜った矢先。
エンベロープの男――――白髭は、感奮興起のあまり、歓声とも奇声ともつかない叫びを上げた。
そして、一周四百メートルはある長大なキャットウォークを破顔しながら駆け回る。
そこに、普段見せる齢五十の貫禄はない。
瞳を爛々と輝かせ、心と息を弾ませて。
押さえきれない喜びの感情を、ただひたすら、運動エネルギーという形で発散する。
まるで、誕生日に高価な玩具を買って貰った子供のように。
実際、状況としては限りなくそれに近い。
キャットウォークの内側にて、幾つもの固定用アームに支えられて眠る、巨大な鋼鉄の鳥。
それは白髭のために用意された、新造のメテオメイルなのだから。
「どうです、エンベロープBの出来栄えは」
灰色のツナギを着た男が、ようやく落ち着きを取り戻した白髭に、脇から訪ねてくる。
彼は、“オーゼスに所属するメカニックの一人”であり、そうとしか形容のできない人物だ。
なぜなら彼は――――否、彼らは、自分の名前を捨ててしまっているからだ。
白髭の知る限り、オーゼスに在籍しているメカニックは二十名ほど。
その誰もが、頭部をすっぽりと覆い隠すゴーグル一体型のヘルメットを常時着用しており、存在を画一化していた。
あくまで彼らは、舞台裏の人間としてメテオメイルの設計・開発をこなし続ける“機能”なのだ。
話を聞く限りでは、ほぼ全員が、納得ずくで個性を塗り潰しているらしい。
そのため、オーゼスのパイロットは誰も、彼らの素性を詮索したことがなかった。
「控えめに言って、百点満点中、二百点といったところかな。ああ、実に素晴らしい……これこそ、私が真に求めていたモノだ。私自身の魂の形が、そのまま削り出されたと言っても過言ではない。君達には、感謝してもしきれないな」
白髭は、うっすらと目尻に滲んだ感涙を拭いつつ、そう答えた。
本来なら、まだ評価や賛辞を並べるには早い段階だ。
いかに外見がパイロットの期待に添っているとはいっても、性能が伴わなければ意味がない。
だがオーゼスにおいて、その常識は百八十度反転している。
何者をも凌駕する戦闘能力を獲得していようと、外見が無様であれば意味がないのだ。
その気風を重々に理解しているからこそ、メカニックは、まだ機体を見せただけであるにも関わらず出来栄えという単語を用いたのだ。
とはいえ、彼の自信に満ちた物言いには、性能を犠牲にしている風な弱々しさは含まれていなかったが。
「随分長いことお預けを食らった分、感慨も一入だよ。開発がスタートしてから、もう一年……いや、それ以上だものな」
約五ヶ月前――――初のメテオメイル同士による戦闘を行った機体、OMM-07エンベロープは、当時はまだ完成と呼ぶには程遠い状態であった。
それは交戦相手であるセイファートにも言えることだが、エンベロープの場合はボディの半分も出来上がっていなかったのだ。
以前に出撃した、高機動戦闘を得意とする、航空機的フォルムを持った人型機体。
それはあくまで、エンベロープを構成するモジュールの一部に過ぎない。
全幅百八メートルにも及ぶ、白鳥の如き超大型空戦装備“シュヴァン・ユニット”の中に収まる、中枢ブロック兼脱出ポッドでしかないのだ。
そして今。
そのシュヴァン・ユニットとエンベロープは接続を果たされ、白髭が元々要求したとおりの機体として仕上がっていた。
他の機体とは異なり、厳密には強化形態という位置づけではないのだ。
とはいえ、敵である連合から見れば事実上の強化に他ならなかったし、同輩達と並び立つためにも、白髭は本形態に、彼らと同様Bの一文字を付け加えていた。
Blazer――――“輝ける者”という意味を。
自分こそが、このゲームの趣旨に最も沿った存在であるという、遠回しな主張である。
「B4、ジェルミ君、十輪寺君、サミュエル君、エラルド君、グレゴール君、スラッシュ君に霧島君。中々個性的な面子が揃った、このオーゼスだが……私は、その誰よりもゲームを満喫しているという自負がある。最も純粋に楽しめているという確信もある」
「楽しんだもの勝ちという意味では、確かにあなたは勝者であり、頂点だ。“あの御方”の在り方に、最も近いといっていい」
「しかし、だからこそ寂しさを感じるときもあるのさ。私のように、遊ぶこと自体を目的として生きている人間は、思いのほか少ない。最初は誰でもそうであれど、社会という名の呪縛によって、いつしか心の輝きを失っていく。私自身もそうだったから、よくわかる」
白髭は苦々しい顔つきで、かつて全てを掴んだことがある、自分の掌を眺めた。
もっとも、その全てというのは、模範的な社会の一員としての全てだ。
手にすることが義務とされているもの。
手にしておけば評価されるもの。
手にしなければ不適合者として扱われるもの。
白髭は、それらを揃えた先に絶対の幸福があると信じ、誰しもからまともと呼ばれる、あらゆる条件を満たした。
文句なしの、立派な大人の男になることができたのだ。
だが、待っていたのは幸福どころか、地獄のような息苦しさだけだ。
持てる時間の全てが現状維持のために消費され、虚無感だけが蓄積されていく日々。
良き人間であろうとするからこその窒息。
揃えすぎたからこその圧迫。
他者の願いを叶えようとするからこその疲弊。
そんな苦しみだらけの人生に嫌気がさしたからこそ、白髭は、何もかもを手放したのだ。
地位、名誉、十分な蓄え、そして■■――――
惜しむ気持ちは微塵もなかった。
身軽な体を手にしたことによる、天にも昇るような高揚感が、先のことも忘れさせてくれた。
メカニックが言うとおり、白髭は勝ったのだ。
多くのものに雁字搦めにされ、欲求を押し殺した万人にも。
運命にも。
「だから欲しいと思ったのだよ。鳥のように、天を駆ける翼を。誰にも捕まることのない、究極のスピードを。そして今ここに、そんな私の理想を体現したものが物理的に存在している。どうして興奮せずにいられようかという話さ……!」
「無論、性能面でもご満足いただけるかと思います。“あの御方”よりもたらされた最新の技術を投入し、速度と火力を徹底的に強化しておりますので」
「ほう。それは楽しみだ。実に楽しみだ……! すぐにでも飛び出したい気分だよ」
メカニックの補足を聞いて、白髭はまたも大きく唸る。
防御を捨て去り、一撃離脱戦法に能力を偏重させた高機動メテオメイル――――元々そういったコンセプトで開発が進められていたエンベロープだが、白髭達はのっけからとんでもないものと遭遇し、プライドを傷つけられることになった。
「今度こそ驚いてもらえるだろうか、彼に」
白髭は、あの図太く、鋭く、口が悪い、若々しさの塊のようなパイロットに思いを馳せる。
彼と白髭との関係性は、たった一戦、ほんの数分言葉を交わしただけの相手という淡白なものだ。
にも関わらず、白髭の中において、彼は仇敵であり好敵手であり親友であった。
自らの人生において、誰よりも自分の胸を熱くさせてくれた尊く得難い存在なのだ。
そして、彼の乗るセイファートが、エンベロープよりなおも馬鹿げた機体であるという事実が白髭の執心に拍車をかけている。
主武装は実体剣、火器は内蔵のバルカン砲のみに留め、全エネルギーを推力上昇にのみ割いた空戦対応型機体。
空中を自在に飛び回る超常の機動性を手にした反面、武装は貧弱で、かつ当てづらいという致命的な欠陥を持ったキワモノ。
そんなものと比べれば、適度に避けて適度に当てることのできるエンベロープなどは、お行儀が良すぎると言わざるをえない。
戦闘自体は引き分けに終わったが、見せびらかし合いという名の勝負では負けていたのだ。
まだコアユニット単体の運用、かつそれを設計したのは他人なのだが、その状態で大いに満足していた白髭も同じくらいに衝撃を受けたのだ。
「ようやく回り回ってきた順番だ、戦うならば彼がいい……いや、是非とも彼と戦いたい」
「しかし、セイファートは既に一戦を退き、そのパイロットは新型機に乗り換えているようですが」
メカニックは、少しだけ言いよどんだ。
白髭の喜びに水を差すのを躊躇ったのか、あるいは、グレゴールを圧倒したゲルトルートの無粋さを疎んじているのか。
白髭とて、それは承知済みだ。
セイファートの後継機としてゲルトルートが用意され、どちらも同じパイロットが操縦していることは、大々的に報道されている。
セイファートと再び相まみえることは、もう叶わない夢なのだ。
「それでも構わないさ。グレゴール君のシンクロトロンBを破った、あの機体にも興味はある」
別の機体と戦うのも悪くはない、白髭は薄く笑って、それからもう一度エンベロープBを見上げた。
馬上槍のように長く伸びた円錐状の機首。
左右の翼に一定間隔で三基ずつ配置された予備エンジン。
後方へ伸びた、一対の補助翼。
下部から突き出した、格闘戦用の大型クロー。
サイズこそ数回りも大きいが、全体の構成としては戦闘機と非常に似通っている。
空力特性を得るため、部分的に航空機的パーツを採用していたエンベロープから、更に振りきった姿形になったといえる。
そのエンベロープもまた、胴体裏面の装甲内に格納されており、必要とあれば瞬時に分離することが可能だ。
どこまでも望んだとおりに、だが実用性も大きく損なうことなく。
両者が芸術的なバランスで共存している、至高の一品。
白髭は、この機体の最終調整が完了し次第、即座に出撃を果たすつもりでいた。
慣らし運転のための猶予期間も設けられているのだが、戦いたくてしようがないのだ。
「私は、まだ仕上がっていないのだよ。まだ心の何処かに、体裁を取り繕おうとする弱さが残っている。“大人であれ”という呪いが、純真の境地に至ることを躊躇っている。だがそれも、あと少しのカタルシスが得られれば解決に至る……!」
全力で臨んでいるのに、本気にはなれていない。
そんな、気にしなければそれでも構わないという程度の微かな胸焼けに、白髭はずっと苛まれてきた。
他の誰ともある程度話の通じる、メンバー内のご意見番的な現在のポジション。
それは言い換えてしまえば、自身のキャラクターが不完全であることの証明である。
それぞれが究極絶対永遠不変の世界を持ち、他者とのコミュニケーションを求めない――――そんな他のメンバーと比べれば、どこか一歩劣るところがあるのだ。
少なくとも白髭自身は、そう断定する。
結局のところ、“輝ける者”などという命名は、彼らに対する羨望や強がりの発露でしかないのだ。
しかし、次の戦いを以て、その強がりも本物の強さへと変わる。
変えなければならなかった。
「私は絶対に、辿り着いてみせる。本当の私が待つ、大空の彼方に」
新たな半身を前に、白髭は改めて宣誓した。




