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一ノ瀬兄妹(に)は伝えたいことがある  作者: 久川梓紗
彼等の幼少時代
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36『空気のおもさ』

 それから俺は晄杜と一緒に櫻井がいる病院へむかった。

 病院までの道のりで俺らが会話を交わすことは無かったが気まずくはなかった。

 俺は晄杜に対して結局何もしてあげられなかったけれどまたこいつが同じ過ちを侵さないように見守るんだと心の中で誓った。




「入るぞ」


 俺は病室の扉を静かに開ける。櫻井がいる病室は個室ではないから他の患者さんに迷惑がかからないように配慮をしなくてはいけない。病院なんてそんなに来ないからマナーはよくわからないけれどとりあえず携帯の電源は切っといた。


「おー、橋川に桐生」


 櫻井が本を閉じて俺らに挙げた。

 昨日何事も無かったかのように接してくれる櫻井は流石だと思う。こういう性格の彼だから晄杜が一緒にいるのも納得出来る。


「調子はどうだ?」


 話を切り出したのは俺だ。

 晄杜はどうしようと困惑の瞳をしているから当分ちゃんと話せそうにない。昔の俺だったから晄杜の手を握って落ち着かせようとしたかもしれないが、今もうそんなことは出来ない。


「おう。昨日より良いよ」

「そうか。それは良かった」


 まだ辛いはずなのに笑顔で答える櫻井に俺は尊敬する。

 俺はどんな年月を過ごしても彼にはなれない。彼のように振る舞える自信はない。そんなの、どうでもいいんだろうけど、人それぞれだ、で片付けられるんだろうけれど、俺のせいでこうなってしまった彼にはこう思ってはいられない。


 晄杜が昔みたいに俺に頼れる関係なら櫻井はこうならなかった。でもその関係を崩したのは俺からで、晄杜を攻める理由は俺にはない。

 晄杜は俺に叱って欲しかったらしいけれど、どちらかと言うとそれは俺の方だ。何であの時裏切ったんだ、と俺を罵ってもらいたい。


「桐生」


 櫻井が晄杜を見て言う。

 晄杜は櫻井の方を見て今にも泣きそうな顔をした。


「ちょっとこっちに来い」


 言われるがまま、晄杜は櫻井に近寄る。


「もうちょっと近くに」


 晄杜が櫻井と同じ視線の高さになった時“パチンっ”と甲高い音が病室に鳴り響いた。

 俺は何が起きたのかよく分からなくてどちらかの声を待った。

 けれど、俺が予想していた方とは違う人物から想像していた言葉が出た。


「痛てぇ」


 晄杜と俺は何が起きたんだと呆然としていた。

 櫻井だけが「痛てぇ」と手をひらひらさせている。


「……櫻井」


 やっと晄杜が喋り出した。

 それが嬉しかったのか櫻井の手をひらひらさせる動きは止まって晄杜を見上げている。


「俺、お前を傷つけることしたくないからさ」


 ニカッと笑っている姿が見える。そして彼は続けた。


「桐生。俺さ、お前を死なせることがなくて心底よかったって思ってるんだ。それが果たせただけで俺は嬉しいんだ。だからそんな顔するな。もしお前は俺に傷つけて欲しいと願っていたならそれは無理だ。そんなことを言ったらお前は昨日のことより俺の事を傷つけたことになるからな」


「櫻井……」


 ここから晄杜の顔は見えないけれど、今すぐにでも涙を流してしまいそうな顔をしていることぐらいはわかった。涙をいっぱい瞳の中に溜めて泣くことを堪えて堪えて、唇を噛み締めてきっと櫻井を見つめている。


 そしてきっと晄杜の背中に隠れて見えない櫻井は優しく微笑んでいる。俺が、女だったら絶対彼に惚れていると思う。男だったらガツンと1発!とか男らしく!とかそんなものは実際やられたら煩いだけだ。


「泣くなよ」


 とうとう堪えきれなくなった晄杜が涙を流したのだろうか。櫻井の暖かく包み込んでくれるような声が俺の耳にも届いてくる。それに安心したのか晄杜はわっと泣き声をあげた。


 他の患者さん達がなんだなんだとこちらを見ている。

 俺は少し恥ずかしくなって「ははは……なんでもないんですよ」と興味本位で覗いてくるおばあさんに言った。「そうかい。それなら良かったよ」と綺麗に白に染った白髪を持つおばあさんは目にしわくちゃの皺を寄せて微笑んだ。


 そのおばあさんの優しい声と顔に安堵感を覚えて俺は、おばあさんに微笑み返した。


 おばあさんはそれから隣のベットが設置されている方へ向かっていった。彼女はお見舞いに来た方の人らしい。それもそうかもしれない。背筋も顔色も白髪から見える年齢よりもしっかりして見えたから。


 仕切りのカーテンで見えなくなったおばあさんの声が小さく聞こえてきた。


「なんでもないみたいだよ」


「そっか。それなら良かった」


 おばあさんの後に聞こえてきた声はまだ高いけれど男の子の声だと思う。俺たちと同じくらいか、もしくは少し幼いぐらいか。きっと彼が俺たちの声を聞いて心配したのだろう。そしてその様子を見ていたおばあさんが代わりに俺たちを見に来た、きっとこんな感じだ。


「俺ちょっと席外すな」


 俺はこの場所から逃げることにした。この雰囲気から、このなんとも言えない気分から。


 櫻井と晄杜の返事も聞かず俺は病室を出た。


 病室から1歩でただけで大分空気が違っているように感じた。病室内になる空気に比べて軽い。何故だろう。あっちの方が人口密度が高いからだろうか。けれど、またそれとも違う気もする。答えはすぐに出てこなく、とりあえず屋上に行くとにした。本当は1階にでも行きたいところだが、それはやめた。


 病院にも憩いの場所があれば良いと思う。病院の敷地内にある庭とはまた違う。喫煙スペースとかそういう所ではないけれど自分の好きなことが出来る場所。誰にも気を使わず誰にも観察されない場所。病院というものは白が基調で一見和やかそうで落ち着きそうなとこだけれど実際のところ監視の嵐がいつも飽きずに巻き起こっている場所だ。セキュリティも人材も一等品のものが溢れていて下手したら牢屋よりも息苦しいところではないかと思う。


 そんな所に監視も何も無い部屋があれば患者はどれだけ気が休むのだろう。患者ではない人達もだ。ここにずっと居たら俺はきっとどうにかなってしまう。発狂して暴れまくって警察にでも捕まるんじゃないかって。嘘じゃない。本気だ。

 それほど病院というものは親しみのない俺からしたらとても息が詰まる場所なんだ。


 もし本当にこの場所にそんなのがあったら、病院は責任を取れないと言ってその部屋を患者たちに手渡したら……きっとクレームの嵐だ。「どうしてちゃんと見てくれなかったんだ」「どうして目を離すんだ」と。


 俺は今、答えにたどり着いたような気がした。

 一瞬のうちに水蒸気として見えなくなったものが集まり、固まって氷となって目の前にいきなり現れたかのように。さっきの答えが、突如現れた。

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