23話 予兆
翌日、レンは学校を休んだ。
あの状態なら当然のことだと思う。
例えレンが行くと言っても俺が休ませただろう。
俺は一つの決意をしていた。
実行するに当たって、レンの休みは好都合だった。
休んでいなかったら今からやろうとすることを止められるからだ。
怒りで震える拳を握りしめ、昼休みの体育館裏で人を待っていた。
「俺を呼び出すとは良い度胸じゃねえか」
第一声がこれである。
明らかに相手を見下した口調。
村田は獰猛で不適な笑みを浮かべる。
俺は怯むことなく、逆に村田を睨み付け威嚇した。
「まさか、来てくれるとは思わなかった。てっきり逃げ出すと思っていたからな」
「あぁ?」
俺の挑発的な態度に、村田は眼光を光らせた。
もう、限界だった。
やつを殴り飛ばしたい。
「昨日はレンが世話になったな」
俺は拳を握りしめ構えた。
空手や合気道、ましてやケンカなどしたことがない素人の構え。
だが、目に宿る覚悟だけは本物だった。
「仕返しさせてもらうぞ!」
雄叫びを上げ、地面を蹴る。
村田との距離は五メートル。
俺が暴行を加えるにしては、村田は十分に対応できる距離だ。
俺は右手で殴りかかる。
村田は余裕をもって俺の打撃をかわして、足を引っかけてきた。
俺は無様に地面に転がった。
クソッ!
内面で毒づきながらも再度トライしようと立ち上がろうとするが阻止される。
「おらっ!」
荒々しい声と共に、俺は蹴られた。
今度は転がることはなかった。
代わりに背中を強く打つ。
村田は更に追い討ちをかけてきた。
腹を踏みつけてきたのだ。
「どうした威勢が良いのは口だけか?」
動きを封じられた俺を見下ろしながら、村田は嘲笑った。
「てめぇにやられたことは今でも覚えてるぜ。不意討ちとはいえ俺を殴ったんだからな」
腹を更に強く踏みつける。
苦痛が声となって漏れる。
「あの時の仕返しもしてやんねえと」
村田は「そうだな」と付け加えると、顎を撫でながら考える。
数秒の思考の後、ニヤリと笑みを浮かべおぞましい提案をしてきた。
「そうだ。裸にしてその姿をネットに晒そう」
「クズがぁ……!」
俺は生理的恐怖を感じながらも、顔には出さない。
本心を見破ったのか村田はお気に召したように笑う。
「決まりだな」
村田は足を退けると馬乗りになり、ワイシャツに手を伸ばした。
抵抗を試みるも、片手で両手を拘束される。
最初から心のどこかで分かっていた。
俺は村田にケンカで勝てない。
だからといって、友人を傷つけた村田を許すことは出来なかった。
そして、結果がこの様だ。
無様すぎる。
自分の情けなさに涙が出てきた。
視界に靄がかかり、現実味が薄れていく。
もう、だめなのか……!
そう諦めた時だった。
突如、村田が視界から消えた。
「酷い有り様だな。泉」
村田が視界から消えた代わりに、野田が立っていた。
「えっ……野田?」
呆然と名前を呼ぶと、野田は子供のような笑みを浮かべた。
「手伝いにきたぜ」
ニュアンスが違う気がするが、助けに来てくれたということだろう。
ありがたい。
「ほら、立てよ」
野田は俺に手を差し伸べた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
野田の手をとり立ち上がる。
少しの沈黙の後、近くから恐怖を感じさせる声が聞こえた。
「てめぇ」
野田に吹っ飛ばされたであろう、村田が俺と野田を睨み付けてきた。
「野田……見逃してやったからって調子乗りやがって! ただで済むと思ってんのかっ!」
怒りを表に出した村田に野田は飄々と応じた。
「思ってない。そして、俺もただで済ます気はない」
「ただで済ます気がないだと?」
「ああ、そうだ!」
そう言うと、野田は勝利宣言をするかのように右の拳を村田に合わせた。
そして、宣言する。
「お前を殴る!」
実に男前の言葉だ。
しかし、まだ続きがあった。
「泉がな!」
なさけない!
そう思ったが声には出さない。
しかし、村田は声に出した。
「……そうか、自分で殴る勇気がないからそこのやつに、代わりに殴ってもらおうていう魂胆か」
「違う!」
即答の迷いなき否定。
「これは泉の仕返しだ。あくまで俺はそのための手助けするだけだ」
すまない。
どうやら、俺は誤解をしていたようだ。
「そうか、手助けか。だが、俺には関係ねえ! どっちもボコボコにするだけだ!」
村田は構えた。
俺も構えようとするが、野田が声を潜めた。
「泉」
「なんだ?」
村田に目をやりながら答える。
「合図をしたら息を止めて突っ込め」
「……わかった」
少し考えた後、俺は頷いた。
どんなことをするかはわからないが、俺にはもう策はない。
だが、野田には策がある。
だったら、乗ってみるのも良いだろう。
「!」
村田が動いた。
前姿勢になりながら、突っ込んでくる。
しかし、その前に野田が、
「今だ!」
合図した。
同時に俺は息を止めて、動く。
すると、野田が投げたのだろうか隣がなにかが通った。
それは村田に向かい、村田は腕でそれを防ぐ。
そして、爆発。
砂のような粉が村田を覆った。
「ゲホッ、ゲホッ!」
村田は咳き込み、動きが止まる。
俺はその隙に一気に距離を詰めた。
レンの仇だ!
心で叫びながら、俺の拳は村田の顔面に叩き込まれた。
村田は吹っ飛び、呻き声を上げた後、動かなくなった。
「やった……」
言葉が自然に出た。
達成感が沸きだしてくる。
しかし、言葉を続けようとした時だった。
「ゲホッ、ゲホッ!」
咳き込んだ。
俺はここにきてようやく野田の投げたものがなにか確認できた。
それは胡椒。
近くに、胡椒と書かれたからの容器が転がっていた。
苦しい……!
そう思い、野田に助けを求めるために振り返ると、野田も苦しそうだ。
きっと、風に乗っていったんだろう。
自分の罠に引っ掛かるとは間抜けなやつだ。
そう思いながら俺はまた咳き込んだ。
古風でいうと滑稽な、現代でいうとウケる光景を披露していた俺ら三人は風紀委員室に連れてこられた。
あの現場を見ていた第三者が風紀委員に通報したみたいだ。
「会長どうしますか?」
風紀委員が俺ら三人の処遇について会長に訊ねた。
この部屋には現在、俺ら三人の他に俺らを囲むように風紀委員三名と会長がいる。
会長は俺を一瞥して、答えた。
「停学一週間かしら」
「わかりました」
それを聞いた風紀委員は、こちらを向き一歩前に出た。
「聞いたとは思うが、君たちの処分は停学一週間だ。……なにか質問はあるか?」
風紀委員は俺ら三人を見回した。
俺も野田も質問はなかった。
こうなることを知っていたからだ。
それは野田も同じであろう。
ただ、そう分かっていても認められないやつが一人いた。
「ふざけんなっ!」
村田は勢いよく立ち上がると、目の前の風紀委員を怒鳴り付けた。
風紀委員は冷血な目で村田を見据えた。
「先にケンカを吹っ掛けてきたのはあっちだろうがっ!」
子供のような意見である。
更に言えば、先に手を出したのは村田のほうだ。
「そんなことは関係ありません」
「あぁ?」
「重要なのはケンカをしたという事実です」
「てめぇ……!」
風紀委員の冷酷な態度に、村田は苛立ちを見せて、風紀委員に掴み掛かろうとした。
その瞬間。
「黙りなさい」
会長の声が響いた。
いつものお嬢様風の口調ではなく、凛とした冷たい印象を受ける声。
「村田さん。あなたが海道さんに暴力を振るったことは知っています」
会長は感情を忘れたような無表情で淡々と言った。
その様子を肌で感じ、俺は恐怖した。
淡々と事務的に言っている会長の裏を悟らされたからだ。
会長は烈火の如く怒っているということを。
衝撃の告白にではなく、村田は会長に畏怖を感じて狼狽した。
「な、何いってんだ……。し、証拠はあるのか、証拠はっ!?」
「ええ、証拠はありません。ですが、証拠が必要ですか?」
犯罪を犯した犯人を捕まえるには証拠が必要である。
これは、常識だ。
しかし、会長がそれを問いかけているのではないことはこの場にいる全員が本能的にわかっていた。
結果的に会長の意見に異議を唱えるものはいない。
「他に質問はありませんか?」
当然、誰も質問はしなかった。
俺は会長の本質を垣間見た気がした。
〈会長視点〉
ノックが生徒会室のドアを叩いた。
「どうぞ」
「失礼します」
ドアを開けて、風紀委員の田辺千尋が入ってきた。
「で、今の状況はどう?」
わたしは前置きもなしにそう問いかける。
「現在は七十パーセント、目標まで残り十パーセントです。予測ですと、後、一ヶ月もあれば目標に達します」
「……許容範囲ね」
「会長?」
「田辺さん。作戦を実行に移します」
田辺さんは少し驚いた様子を見せた。
しかし、それは一瞬のことだ。
「会長、冷静に考え直して下さい」
「冷静よ。その上で決断したの」
「……」
「……」
静寂に包まれる生徒会室。
わたしは目を閉じながら、田辺さんはわたしを見つめ、時間が過ぎていく。
しかし、それは長くは続かなかった。
「では、せめて三日待ってください」
折れたのは田辺さん。
だが、ただでは折れなかったようだ。
三日ね……。
そのくらいなら……。
「……わかりました。三日待ちましょう」
「賢明な判断です。では、わたしはこれで」
田辺さんはそう言って、生徒会室を出ていく。
それを確認すると、わたしはソファに身体を預けた。
わたしは田辺さんの言う通り慌てていたのかもしれない。
しかし、それを認めたところで結論は変わらないだろう。
「……レン」
わたしの呟きが、小さく響き消えた。
〈菜月視点〉
放課後の教室。
わたしはケータイを眺めながら、ボーとした様子で座っていた。
凪沙くんが停学処分にされたことを知ったのは、会長からのメールであった。
そこには、海道くんが暴力を振るわれたことも記してあった。
当然、心配に思った。
それと、同時に罪悪感が襲ってきた。
凪沙くんがケンカをしたのは、凪沙くんの勝手な行動のせいだ。
わたしは鼻で笑ってもいいだろう。
しかし、その勝手で凪沙くんに守られているのも事実だ。
凪沙くんばかりが酷い思いをして、わたしは守られているだけでいいの……。
わたしが悩んでいると、
「あれ? 菜月まだいたの?」
「未来」
ジャージ姿の未来がドアの隣にいた。
未来は近くに来てわたしの前の席に座る。
「部活はいいの?」
「今は休憩時間だから大丈夫だ」
「そう」
それだけ、交わすと会話がなくなった。
わたしの態度から未来が察してくれたかもしれない。
それでも、ここにいるということは、励ましの言葉でも考えているのだろうか。
やがて、未来はわたしと目を合わせないように、言った。
「泉のこと聞いた。ケンカだって」
想定外の内容に、驚いたがそれは少しの間だけだった。
「うん」
わたしは頷いた。
そして、重々しい沈黙。
その沈黙がわたしを責めているように感じた。
この時のわたしは精神的にかなり参っていたのだろう。
だから、誰でも良いから話したかったのかもしれない。
それに、未来は同類である。
気がつけば、わたしは真実を話していた。
「ただのケンカじゃないよ」
「えっ?」
「実は――」
「えっ!? じゃあ、本当は泉は海道と付き合ってるんじゃなくて……」
「そう、わたしと付き合ってるの」
「そうなんだ」
一通り話を聞いた未来は、驚いた様子を見せた。
しかし、その表情には軽蔑の色はなかった。
「どうすれば凪沙くんを助けられる?」
「そうだな……」
そんなことを聞かれても答えられないのは分かっていた。
それでも、僅かな期待はあった。
しかし、期待の答えは未来からではなく、第三者から返ってきた。
「わたしに良い考えがあるわ」
「か、会長!?」
開けっ放しにされたドアの横に会長が立っていた。
会長は優雅な姿勢を維持して、わたしと未来の元に歩み寄った。
そして、真剣な顔で言った。
「黒川さん、日向さん。二人に協力して貰いたいことがあるわ」
その後、会長から詳しく話を聞いたわたしと未来は、協力することになった。




