21話 昼休みの訪問者
翌朝。
いつもの登校ルートからはずれて、レンとの待ち合わせ場所に向かう。
昨日、偽物の恋人を演じるに従い、詳細がメールで送られてきた。
その一つに、一緒に登校するがあった。
その他にも色々な項目があったが、ここでは割愛しよう。
人気のない道を、メールに添付された地図を元に進む。
ここだな……。
着いた場所は、住宅地に隠れたようにあった公園。
中に入ると一人ベンチに座りながら本を読む幼女、もとい、レンがいた。
俺は近づき声を掛ける。
「おはよう、レン」
「おはよう、凪沙」
挨拶をすると、レンは俺を見上げて挨拶を返した。
レンは少しの間考え、言った。
「……早かったな」
「ああ、一応時間にはそれなりに余裕を持ってきたしな」
「そうか……」
「……」
「……」
沈黙。
重々しい空気が二人の間に流れる。
原因は俺がキスして泣いたこと……だろうな。
時間のことを話題にしたのも、思いつき、及び社交辞令の一環だろう。
「……昨日は……その……」
レンは目を伏せて、言い淀んだ。
物事をはっきり言うタイプのレンにとってはあり得ない行為だ。
そして、そのことがレンの罪悪感の大きさを裏付けている。
「気にするな」
俺は元気付けるつもりで、言った。
しかし、そう言われてもレンは気にするだろう。
圧倒的な言葉不足だ。
なので、補おうと、続ける。
「俺は例え自分が傷つくとわかっていても、菜月を守るためにレンとキスしたと思う。だから、結局俺が傷つくことは変わらない。そして、それは俺の身勝手だ。だから、レン……。おまえは気にしなくていい。頼むよ」
それは請願だった。
思い浮かぶのは、昨日見たレンの悲しげな表情。
身勝手に傷ついた俺のせいで、自分を犠牲にして協力してくれている友を苦しめたかの思うと、自分自身に腹が立った。
ゆえに、レンを励ますというよりも、気にしないでほしいという、俺の切実な願いであった。
その願いは通じたかはわからない。
レンは微かに笑って頷いた。
「……わかった」
暗い空気から一転、とはいかないが俺とレンは共に肩を並べ登校する。
友達同士なら普通の行為だ。
ただ、ある一点を除いては。
「やっぱ恥ずかしいな」
俺は顔を赤くしていた。
レンも俺同様に顔を赤くして、忌々しく俺を睨み付ける。
「それを言うな。意識しないようにしてたのに……」
「だって、うっ、周りの視線が……」
文句を言おうとしたが、意識が高まり、周りを気にしてしまった。
レンは諦めたかのように、言った。
「それは仕方ない。視線を集めることが目的なんだから……」
「そ、そうだな……」
俺は首肯し、頷いた。
現在、俺とレンは注目の的だった。
良い意味ではない。
悪い意味でのだ。
だけど、注目される側の俺とレンに取っては狙い通りだった。
おかげで、恥ずかしくて仕方ないのだが……。
俺はその元凶といえるものを見つめた。
それは、繋がれた手。
しかも、恋人同士がするような指を絡めたものだ。
周りの視線を悪い意味で釘付けにし、ようやく学校に着いた。
下駄箱から上履きを取り出そうと、金属扉を開けた瞬間。
中の光景を見て、恥ずかしさが消え、絶句した。
そして、苦笑。
「レン」
「なんだ?」
おそらく、俺と同じ状況になっているレンに冗談混じりに呟く。
「これって、ラブレターの山か?」
「いや、不幸の手紙だろ」
レンは鼻で笑って、俺と同じ情況になっている自分の下駄箱の中から一通の手紙を手に取る。
俺も見習い、自分の下駄箱から一通の手紙を取る。
目を通して見ると、中身は当然ラブレターなどの甘いものではなく、不幸の手紙よりも酷いものだった。
言葉の暴力、という言葉が頭を過る。
同時に、成功したという安堵と喜びが沸いてきた。
「資源の無駄遣いだな」
「同感だ」
「で、どうするよ。これ」
もちろん、手紙の山のことである。
「捨てればいい」
レンはそう吐き捨てると、いつの間にか、両手いっぱいに下駄箱から回収した手紙の山を持っていた。
それを下駄箱に隣接してある、ゴミ箱に捨てる。
「そうだな」
レン同様に俺も手紙を捨てた。
そして、気づいた。
正確には、手紙を回収してる間に気づいた。
「なあ、レン」
「どうした?」
「上履きがない」
「だな」
レンも全く同じ情況みたいだ。
さて、どうしようか……。
上履きがないということで、職員室で適当に理由をつけ、スリッパを借りた。
先生によると、スリッパは帰る際に返せばいいみたいだ。
慣れないスリッパで階段を上り、教室に向かう。
もちろん、ここでも手を繋いで視線を集めることを忘れない。
そして、俺とレンが教室に入った瞬間、手厚い歓迎が待っていた。
まずは、静まり返す教室。
次に、意思の籠った視線。
もちろん、良い意思ではない。
そして、間接的な罵倒。
「なんかきたぁ」
「学校来なくていいのにねぇ」
「気持ち悪い」
ご丁寧に皆に聞こえるような大声で、友達同士で話しているクラスメート。
しかし、視線が友達ではなく、俺とレンの方に向き、邪悪な笑みを浮かべていた。
教室にクスクスと笑い声が響いた。
それが悪意ある行為であることは俺とレンは理解していた。
その言葉が友達に聞かせるためではなく、俺とレンに発せられていることを。
想像以上にきついな、これ……。
俺は俯いて顔を隠した後、レンと手を繋いだまま、席に向かう。
一応、確認してみたが、机やイスにはなにもされてなかった。
すんなりと席についたレンも同様だろう。
席につくと、視線や嘲笑うかのような声が酷くなった。
居心地悪いな……。
だけど、まだ、直接的ないじめを受けていないのが唯一の救いだな。
まあ、時間の問題だと思うが……。
そんなことを考えながら、俺は午前中を乗りきった。
〈菜月視点〉
朝。
教室につくと、クラスがいつもより騒然としていることに気がついた。
なにかあったのかな……。
そう思い、クラスメートの会話に耳を澄ませてみる。
「ねえ、海道さんと泉さんて付き合ってるんだって」
「ええ、マジ?」
「本当、本当。ほら、このサイトに」
衝撃の情報が耳に入ってきた。
どういうこと……。
自問して。
まさか、勝手にやったの……。
ある可能性が浮上し、怒りがこみ上げてきた。
だが、次の瞬間、怒りは不安に変わった。
「気持ち悪いよねぇ」
気持ち悪い……。
クラスメートが言った何気ない一言。
だけど、その後起こる展開が容易に予想ができた。
「いじめる?」
「そうだね、そうしよう」
「じゃあ、机に悪戯しようぜ」
「いいね」
「賛成」
と、三人組が凪沙くんの机に向かっていく。
やめさせなきゃ!
わたしは、凪沙くんの机を守るように、三人組の前に立ちはだかった。
「えーと、黒川さん?」
三人組の一人がわたしを怪訝な表情で見据えた。
わたしは毅然な態度をとる。
「やめなさい」
「えーと、何を?」
なにを惚けたことを!
「あなた達がしようとしていることです」
惚けようとした一人に、きつく口調で叱咤する。
するとその人は、苛立つ様子を見せた。
「……黒川さんには、関係ないことでしょ?」
冗談じゃない。
大いに関係あることだ。
凪沙くんは大切な人なんだから。
けれど、そんなことは当然言えるわけがない。
「関係あります。わたしは生徒会役員です。いじめが起ころうとしている現場を見過ごす訳にはいきません」
と、いかにも有りそうな理由がすんなりと口から出た。
生徒会役員て肩書き便利ね……と、わたしは呑気に思った。
それから、数分睨み合いは続いた。
当然、わたしは屈しなかった。
「……チッ、おい、行くぞ」
最後には相手が折れて、踵を返した。
わたしは安堵して、ため息をついた。
そして、ようやく周りの気配に気がついた。
静寂に包まれる教室、わたしに向けられた視線の数々。
どうやら、今のことを一部始終注目されていたみたいだ。
うわ……、居心地悪いな……。
そう思いながら、わたしは席についた。
〈凪沙視点〉
ようやく、昼休みになった。
……長かった。
つまらない時間は長く感じるというが、あれは本当だな。
まあ、つまらない時間ではなく、息が詰まるようなつらい時間だったが。
俺はそんなことを考えつつ、片手に自作弁当、もう一方はレンに手を引かれ、歩く。
自作弁当は、今朝頑張って作ったものだ。
そして、ついた場所は空教室だった。
「ここだ」
「ここって……、でも」
俺はドアに手をかける。
返ってきた反応はやはりと言うべきか、ドアにはカギがかかっていた。
「カギがかかってるぞ」
「心配ない。カギは持ってる」
と、カギを開けるレン。
「なんで、持ってんだ。確か、カギは職員室で管理されているはずだが」
「そんな些細なことを気にするな」
些細なことか……?
レンはドアを開けて空教室に入っていく、俺も後に続いた。
空教室の広さは教室と同じくらいだろう。
半分は重ねられた机とイスが、もう半分はなにもない。
レンは机を取ろうとした。
だけど、うまくいかずに苦戦しているようだ。
やれやれ、無茶しやがって。
「俺がやる」
「……すまない、助かる」
レンは寂しそうな表情を浮かべた。
俺はその訳を知っていた。
レンは今の現状と男の時の差にコンプレックスを持っている。
男の時と比べて、あまりにも筋力が落ちた。
しかし、それは当然のことだ。
体型はどっから見ても小学生並み。
それで、筋力を求めるのは酷というものだろう。
それでも、レンは悩んだ。
だけど、現状はまともに机一つ持てない。
そんなレンに俺がやってやれることは、レンの代わりに力仕事をやってあげることだろう。
俺は机とイスをセッティングして、レンに勧める。
レンは礼を言い、座った。
俺もレンの対面に座る。
そして、昼食。
俺は自作弁当を開ける。
中身は塩のおにぎり、焼いたウインナー、玉子焼きだ。
「三十迎えたおっさんが妻に逃げられて、初めて作った弁当て感じだな」
「どんな弁当だよ。てか、今はおっさんなんていねえだろうが」
レンの冗談だとはわかっているが、苦難の末に作った弁当を馬鹿にされるのは癪に障る。
「すまん。冗談だ」
レンは謝ってきた。
まあ、冗談だとわかっていたが、冗談だと。
それから、他愛ない会話をして、弁当を半分くらい食べ終えた時だった。
突然、一人の訪問者がやってきた。
「菜月っ!?」
なんで、ここにっ!?
その訪問者を見て、俺は目を丸くした。
菜月は俺を睨み付けた後、周りを見て、イスを取って座った。
なぜか、背中を向けて。
「……」
この状況どうすれば……。
冷や汗を垂らしていると、ケータイが震えた。
確認してみると、メールだ。
しかも、菜月から。
『どうして、勝手にやったの?』
もちろん、俺とレンの偽恋人のことだろう。
だけどな……、普通に声だして聞けよな……。
だが、今の菜月にそのことを求めるのは不可能だ。
やれやれ、付き合ってやるか。
決断すると、俺は悠長にメールを返した。
『それが良いと思ったからだ』
『わたしはそれが良いとは思ってない』
『だったら、どうしろていうんだよ。他に良い考えがあったのか?』
『なかった。でも、凪沙くんだけ傷つくのは間違ってる』
『菜月。彼氏が彼女を守ることは当然のことなんだ』
『当然じゃない。だって、凪沙くん。今は』
不自然なメールを最後に菜月は教室を出ていく。
レンは見送り、俺はケータイの画面を見詰める。
最後に送られてきたメールの続きを推測した。
おそらくだけど……。
菜月は、今は俺のことは女の子だ、て言いたかったんだろうな……。
レンはメールの内容を聞いてこなかった。
薄情かもしれないが、聞かれなかった俺としては有難い。
この問題だけは俺と菜月で解決しなければならないと思った。
すでに、レンを巻き込んでいるが。
そして、次の訪問者がやってきた。
「よっ、泉と海道」
「こんにちは、泉先輩と海道先輩」
と、入ってきたのは日向と宮塚さんだ。
「こんにちは。よく、ここがわかったな」
俺は挨拶を返し、気になっていたことを訊ねた。
日向はケータイを見せつけて、答えた。
「海道がメールで教えてくれた」
レンが……、いつの間に。
まあ、そんなことはどうでもいいか。
それに、今はこっちのほうが重要だ。
「で、なにかようか?」
「ああ」
日向は頷く。
そして、躊躇いがちに言った。
「……泉と海道、朝なんかあったか?」
「なんか、て?」
「いや、その……」
いつも物事をはっきり言う、日向が珍しく口を閉ざした。
それほど、言い難いことなんだろう。
想像はつくが……。
「未来先輩、わたしが言います!」
まどろっこしいと感じたのか、宮塚さんが名乗りを揚げた。
日向は自分で言いたいのか、止めようとしたが、その前に宮塚さんが訊ねてきた。
「泉先輩と海道先輩はいじめを受けていますか?」
実に飾りのないストレートな言葉だ。
さて、どう答えたらいいか……。
俺が考えていると、その僅かな沈黙を日向は肯定として受け取った。
「いじめを受けてるんだな。やったやつは誰だっ!? ぶっ飛ばしてやるっ!」
声を荒げて、物騒なことを言い出す日向。
「いや、まだあれは……」
予想外のことに、混乱を覚えた。
あのレベルのことはいじめと受け取っていいんだろうか……。
そもそも、いじめの定義てなんだろう。
なんて、哲学に走り出していると、
「落ち着け、日向さん」
レンが静かな声で、日向を宥めた。
俺はその、ものに動じないレンの態度は素直に感心する。
「落ち着いていられるかっ!」
いや、落ち着けよ。
「今すぐ殴り飛ばしてくるっ!」
日向は立ち上がり、教室を飛び出していこうとする。
やばい、止めないと。
このままでは、暴力沙汰になってしまう。
だが、俺が止めようと声をかけるより先にレンは日向の背中に問いかけた。
「誰が犯人かわかるのか?」
至極真っ当な問題であった。
犯人がわからなけば殴れないからな……。
そのことに気がついたのか、日向はドアに手をかけた状態で静止した。
なおも、レンは落ち着いた口調で続けた。
「それに、日向さんがやろうとしていることは、暴行という立派な犯罪だ」
「だが、いじめも犯罪だ」
「それがどうした? まさか、日向さんは犯罪行為をやられたら、犯罪行為でやり返していいなんていう、稚拙な考えなのか?」
「……」
日向は黙りこんだ。
無言の背中を、俺、レン、宮塚さんが見守る。
二、三分が過ぎ、後少しで五分になろうとした時。
日向はゆっくりとドアにかけた手をおろした。
日向の示した答えに満足したレンは優しい口調で促した。
「わかればいい。さあ、掛けてくれ」
レンがイスを勧め、しょんぼりとした様子で座る日向。
さりげなく宮塚さんが、日向の肩を抱き寄せた。
それから、何分か話して、日向が「力になれることがあったら言ってくれ」と、最後にそう言い残し、立ち上がった。
宮塚さんも立ち上がり、軽く頭を下げた。
「ああ、そうだ」
日向はドアに手をかけたまま、なにかを思い出したかのように言った。
「菜月のことも気にかけてやれよな」
その言葉を最後に日向と宮塚さんは教室を出ていく。
俺は日向の背中を見送り、話しかけた。
「なあ、レン」
「なんだ?」
「もしかして、日向に俺達が偽の恋人だてことバレてたかな?」
俺が隣の友人に問いかけると、友人は笑ってこう答えた。
「さあな」
日向と宮塚さんが去り、さすがにもう誰も来ないだろうと思っていた。
俺とレンの知り合いは多いとは言えないし、なによりここは滅多に人が寄り付かない。
だが、俺の予想と反して人はきた。
数えてみると、五人。
しかも、全員知らない顔だ。
では、なにをしに来たかとなると、俺は容易に想像がついた。
俺は咄嗟にレンを守るように前へ出た。
「なんかようか?」
睨みを利かせ、威圧的な物腰で対応する。
しかし、返ってきた反応は見当違いのものであった。
「私達、泉さんと海道さんのこと応援してます!」
一人が両手を握りしめ、そう宣言してきた。
俺はなにを言われたのか理解できず、呆然と立ちつくす。
「だから、頑張ってください!」
一人がエールを送ると、それを皮切りに他の四人もエールを送る。
俺は目の前の光景が幻想ではなく、現実であることがようやく理解できてきた。
「えーと……」
こういう場合なんて言えばいいんだ?
まあ、一応……礼は言っとくか。
「ありがとう」
それを聞いた、一番最初にエールを送ってきた子が目を輝かせた。
「はいっ!」
そう返事をした笑顔は、屈託のないものであった。
そして、用がすんだのか、
「では、私達はこれで」
一人がお辞儀して、四人も続く。
俺も慌てて頭を下げた。
そして、五人は背を向けて、教室を出ていく。
それから、少し間があった。
「なあ、レン」
「なんだ?」
レンは聞かれると知っていたかのような素振りだった。
「あれは、なんだったんだろうな」
問いかけではなく、同意を求めて聞いた。
レンはやはりというべきか、こう答えた。
「さあな」




