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シーリーコート伝承  作者: 陸 理明
第六話 川澄アキナの撞球決戦
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アキナ、ベガスに立つ

 ラスベガスの空港に降り立ったアキナは、そのまま南側のTAXI乗り場に向かった。

 わずかな荷物とキューケースだけをひっさげた、黒いブラウスとジーンズだけのラフな格好は日本からの観光客のようには見えない。

 どこかに旅行に出かけていた住人の帰郷のようだった。

 ラスベガスにくる他の観光客とは別の人の少ないタクシー乗り場で一台に乗り込む。

 観光客の団体に巻き込まれることを嫌がる地元のものたちが利用する場所なので、彼女以外はほとんど軽装のままだ。

 運転手は目的地も聞かずに出発した。

 どうせ地元の住民だから、行き先はわかっていると言わんばかりの態度だ。

 防弾仕様の仕切りがあるところがいかにもアメリカだったが、アキナはまったく気にしない。

 ブロークンな英語で、目的地を「〈923club〉」とだけ伝える。

 すると、運転手が陽気に話しかけてきた。


「帰ってくるなりプールバーかい? お盛んだな、姉ちゃん。俺も若い頃はナオンとよく行ったもんだ。ナオンが女房になってからはとんとご無沙汰だがよ」

「……残念だけど、あたし、米国(ここ)の人間じゃないんだ。だから、おじさんはあたしにまずwelcomeというべきね」

「わお、マジかよ。それだけ喋れてアメリカ人じゃねえのか。チャイナ……いや顔つきからしてジャパンか?」

「うん、日本人。それにラスベガスへの旅行は初めて」

「ようこそラスベガスへ、別嬪さん。あんなところで待っているからてっきりジモティだと思っていたぜ。ちょい早口でも問題ねえよな。あんたの米語はヒラリーより聞き取りやすいからよ」

「ええ、もしかしたらおじさんよりもペラペラだから任せて」

「オッケーオッケー、だったら〈923club〉まで陽気におしゃべりしてくれよ。なんでも話してやっからさ」


 アキナはそつなく米語で受け答えをした。

 女の一人旅だと思ってつけこまれないように、話す内容には注意をしていた。

 無理やり道中のモーテルに連れ込まれたりしたら目も当てられない。

 ここは日本ではない。寝ていても都内まで連れて行ってくれる成田のタクシーとは違うのだ。


「……そういや、あんたキューケースを持っていたな。やっぱりビリヤードをやるのか?」

「うん、ハスラー」

「ハスラー! 大きく出たな、おい。ベガスじゃ、ハスラーを名乗っていいのは本物のプレイヤーだけだと決まっているのをもしかして知らないのか? ここは腕利きぞろいなんたぜ。あんたぐらいの小娘じゃあ、さっさと尻の毛までカモられて終わりさ。悪いことは言わねえ、プレイするだけならともかくハスラーを名乗るのはやめときなって」

「そうはいかないね。これを見てよ」


 脇に大切に抱えていたキューケースを運転手に見せる。

 ミラー越しでもわかるはずだ。

 アキナはあえてケースに描いたデザインを見せることで、自分の意思表示に代えた。


(シャーク)(アート)……。あんた、それが何を意味してんのか、わかってんのかよ」

「ええ、当然。おじさんが気の利く人で運が良かったわ」

「なんてこった」


 ケースに彼女自身が書き込んだのは、ビリヤードの黄色い手玉を顎に収めた鮫をデフォルメしたイラストだった。

 可愛らしい絵ヅラだが、そこに込められたメッセージは明白だ。

 ビリヤードの世界において鮫というのは、ハスラーを意味する。

 日本においてハスラーとは、かつて大人気となったポール・ニューマンの映画の影響からビリヤードファンを意味すると考えられているが、世界的に見るとそれらのファンは普通にプレイヤーと呼ばれる。

 ハスラーとは金をかけて勝負をする賭博師や、酷い場合には詐欺師を意味する言葉なのである。

 それを敢えて名乗るとしたら、馬鹿かそれ以上に腕前に自信があるとしかいえない。

 運転手は改めて、自分の客となった日本人をミラーで観察してみた。

 今まではただの客でしかなかったが、気が変わった。

 少し客という枠を越えて、人間としての興味が湧いたのだ。


(日本人ってのは若く見えるもんだが、物腰からすると二十は越えているよな。立ち居振る舞いはかなりしっとりしているから、いいところのお嬢ちゃんのようだけど、喋りのセンスは俺みたいな下町育ちの臭いがしやがる。顔はかなり美形だ。ハリウッドにでも芝居しに行けばうまくいきゃ端役はもらえんだろ。だけど化粧っけがねえから、あんま自分の顔には執着がねえタイプとみた。ハスラー名乗る程のガラの悪さは感じねえし、おやおや俺としたことが、こいつがどんなやつなのかさっぱり読み取れねえぜ)


 アメリカのタクシードライバーは、客の素性を読み取れないと痛い目を見る。

 乗せた客がどんな危険人物かわからないのに、運転手は背中を向けて座らなければならないのだから、それも当然。

 ラスベガスだって、華やかな外面の裏では強盗・殺人なんて頻繁に起こりまくる危険な場所である。

 そこで生きる以上、関わった相手の「やばさ」に敏感でないやつはいつかは殺される。

 そして、運転手はタクシーの運転手を二十年間続けられるだけの観察眼を持っていたのだ。

 なのに、この日本人の女については何一つとして読めない。

 ぶっちゃけた話、足の組み方、喉の鳴らし方で、男性体験の有無や週のセックス回数まで推測できる彼にしては珍しい話だった。

 仕方ないので、自分から話を振りつつ聞き出してみることに決めた。


「じゃあ、ハスラーの姉ちゃんは、〈923club〉に金を稼ぎに行くのかい? その鮫のキューをひっさげて」

「そうじゃない」

「そりゃあ、良かった。あそこはベガスらしい乱暴さはねえが、紳士淑女のたまり場ってわけじゃあねえからよ。小娘に荒らされたらなにをしてくるか、わかんねえぞ。まあ、あそこで楽しむだけなら無害だから問題ねえけどさ」


 これは地元の住民としての忠告だった。

 観光客が観光客らしく振舞わずに、それに乗じた犯罪が起きて迷惑するのは一般の市民だ。

 最初に観光客に接するであろうタクシー運転手が、まず注意を促す役割を果たすのは、理にかなっている。

 だが、日本人の女の答えはまったく想定外のものだった。


「あたし、ミスター・アンシーリーコートを退治しに来たの」

「……は?」


 運転手は仰天した。

 日本人の女の言っていることが理解できなかったのだ。

 最初は空耳かと思ったほどだが、真剣にこちらを見つめる顔を見て事実だと悟った。

 だが、まさかあの……悪魔と……


「おいおい、姉ちゃん、マジで言ってんのかよ。そりゃあ、ハスラー云々の話どころじゃねえぜ。あの、あの、アン……」

「アンシーリーコートでしょ。わかっているわよ、あのキ(じるし)のことは」

「クレイジーなんてもんじゃねえよ、やつは。マジでいかれてんだぜ! しかも、悪い噂がコーラとフライドポテト並にセットになっていやがるんだ! 野郎に挑戦(チャレンジ)してくたばっちまったやつはたんといる。今じゃあ、きっとあの世で行列待ちしてる頃だぜ。あんた、その行列に混ざりたいってのかよ!」

「大丈夫よ、あたしが勝つから」

「馬鹿言うんじゃねえ! あの悪魔はホンモノなんだぞ! ちょっと車を止めるわ、今すぐベガスから出てけ!」

「そうはいかないね」


 敷居の防弾ガラスにべったりと女の手が張り付く。

 額までくっつけたまま、日本人の女は囁いた。


「あたしはね、あいつに挑まれたからここにきたんだ。だから、どうしてもあいつと戦って打ちのめさないとならない。わかる。おじさんが何を言ったって無駄だよ。あたしはどんな手を使ってもあいつのところまで辿り着いて、あいつを叩きのめすの……ビリヤードでね」

「だから、あの悪魔の強さは……」

「もう議論はしないよ。例えあいつが黙示録の四騎士だろうと、喇叭(ラッパ)が鳴らされた以上、あたしが逃げるという選択肢はないんだ」


 運転手は口を閉ざした。

 説得が無駄であることを悟ったからだ。

 ただ、この日本人の女が挑むと豪語している相手がどれだけ恐ろしい相手かということは伝えねばならないと考えた。

 止められないとわかったのならば、目をつむって見捨ててもいいのだが、なぜか肩入れしたくなっていた。

 ラスベガス中のビリヤードプレイヤーが忌避している相手に果敢に挑もうとしている女の蛮勇に、惹かれたからかもしれない。


「じゃあいい。あんたがあいつと試合してえっていうんならもう止めない」

「ありがと、おじさん」

「だが、俺が知っている情報はみんな教えてやるよ。それを聞いてまだやる気があるってんなら、あいつと戦えばいい。それでいいか、姉ちゃん」

「……ありがとね」


 ベガスの中心地に辿り着く前の短い時間、アキナはネットでは仕入れることができなかった生の情報をできる限り仕入れた。

 そして、この情報は後の彼女の戦いに大きな手助けとなるのである。

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