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シーリーコート伝承  作者: 陸 理明
第五話 シーリーコート
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不思議な救い主たち

 勢い良くガラスを撒き散らしながら、小人は覆われたブラインドごと居間に飛び込んできた。千夏子は逃げだそうとしたが、両脚が長時間の座りこみによって痺れきっていて、意に反してすぐには動いてくれなかった。

 尻餅をついた彼女をあざ笑うかのごとく、赤帽子の小人は、手斧をぶんぶん振り回し、乾ききることのなさそうなほど切断面に滴っている血飛沫を部 屋中に飛ばした。

 壁や床に赤い斑点が生じていく。


「シーリーコートはどこだ?」


 雨にぬかるむ泥のように粘ついた害意に満ちた声を、赤い獰猛な小人が洩らした。

 言葉の内容は不明だったが、バケモノが口を利いたというだけで、千夏子の内部の恐怖のメーターが一気に振り切れてしまった。


「嫌、寄らないでよ!この、オタンコナス!あんたなんて、家に招待した覚えはないわよ!」


 その通りだったが、道理には叶ってはいても、通じないことはある。

 赤帽子の小人は、そんな些細なことを気にしてはいないらしく、すぅっと斧を振り上げた。

 黄色く濁った白目を持った邪眼には、愉快そのものといった感情が湧いていた。

 こいつは、明らかに殺人を喜んでいる。そして、その狂気の愉悦の犠牲になるのは、このあたしなのだ。


「ばかあ!」

 

 この時点では、まだ彼女は幸運の女神に好かれていた。焼けくそになって放り投げたタオルケットが、小柄な体躯を投網のように覆いかぶしたのだ。タオルケットの中でもがき続ける小人の近くから、千夏子はさっと身を翻した。

 だが、幸運はそこまでだった。

 居間から抜け出そうとノブに手を掛けた瞬間、動きが鈍くなったかと思うと、粘つく水の中に頭まで浸かったように身体の自由が効かなくなったのであった。金縛りにあったのと等しい感覚だった。

 戦慄が走った。

 右手に小さな毛むくじゃらの矮手がかかっていたのだ。

 タオルケットから出ようと奮闘する声はまだ聞こえているのに。自分を呪縛していると手の主は別のものだった。千夏子は理解した。小人は二匹いたのだ。

 獲物を完全に手中に収めたことで余裕を持ったのか、もう一匹の小人は小躍りしそうな顔をして、頭上の赤帽子を叩いた。

 斧の刃の冷たい感触が、千夏の背中の表面を上下に撫でた。

 服と下着が斬り裂かれ、白い肌が顕わになり、奇怪な小人の前に晒された。全身に張り巡らされた神経を伝わって、屈辱と恐怖が、灼熱の炎を発し始めていた。身動き一つとれないのも、それを激しく助長していく。

 ぴくり、と千夏子は悶えた。

 小人の挙が剥き出しの素肌に触れたのだ。ざらざらとして鑢のような皮膚だった。嫌悪感がざっと広がっていった。

 掌の感触は、徐々に背の辺りから下方へと落ちていき、腿への愛撫へと変わっていった。悪寒がする。

 もし振り向けたのなら、千夏子は小人の眼に新たに浮かんだ感情を見ることが出来たに違いない。その欲情の色を。

 怪物は、彼女を女として意識していたのであった。

 これ以上、赤帽子のなすがままに任せていたら、彼女の運命は最悪の方向へと進んでいただろう。


「千夏子ちゃん!」


 弾かれたように、千夏子は赤帽子からその声の主の下へ駆け寄った。

 居間に続くもう一つの扉からケイヤが顔を出していた。そして、室内の奇怪な光景と姪の危機に思わず声を上げてしまったのだ。

 千夏子は無意識のうちに行動していた。

 自分ひとりならどうということはなくとも、彼女はこの世間知らずで病弱な叔父を庇うべき立場にあるのだ。

 恐怖に戦いている暇はない。

 急いで、ケイヤの手をとり、彼が現れた戸を閉める。

 一瞬遅れて、小人の手斧が扉を殴りつけた。

 古い頑丈な木の板はそのぐらいではびくともしない。

 普段は力のないケイヤのために開けっ放しなのだが、今回ばかりは締め切らざるを得ない。


「千夏子ちゃん、あれは……」

「よくわかんないけど怪物よ。逃げないと殺されちゃう」

「えっ」

「走って! すぐに家から出るわ」

「走るって、歩くをより能動的に行う動作のことでしょ。概念としては知っているけど、僕は試したことがないんだ」

「あにー!」


 この期に及んで訳のわからないことを言い出した叔父を放っておくわけにもいかず、一瞬思案した千夏子はすぐ目の前にあった部屋に移動する事にした。

 そして、また鍵をかける。

 どうすればいいかはわからないが、ケイヤを伴って逃げるということは難しいと判断したのだ。

 逃げ込んだ部屋は、母が寝室として使っている部屋だった。

 昔、彼女がここに住んでいたときは、別の人物が住んでいたのだが、あらたに戻ってきたときに昔のものを移植したらしい。

 ベッドとハメ殺しの窓があるだけの部屋だが、換気用の小窓がある。あれから中に入るのは容易だろう。


「あれ、もしかしてレッドキャップ?」

「わかるの、正体が?」

「うん、境界地方とはいえ英国の妖精だからね。なんで、ロンドンにいるかは知らないけど」


 意外とうんちく好きの彼は、必死でバリケードを積み重ねる千夏子に説明を始めた。

 レッド・キャップは、邪恵なゴブリンの一種である。ゴブリンとは妖精族のうちでは泥棒や悪党にカテゴライズされる、浅黒く小型の、着意そのもののような存在だが、鉱夫たちにとっては鉱脈を示してくれる親切な『ノッカー』と呼ばれていることでも知られている種族である。

 邪悪なくせに、どこかでお調子ものな印象が高い種族である。だが、レッド・キャップはその中で最も邪悪極まりない、悪鬼に等しい妖精なのだった。おもとして城や砦の廃虚に住みつくのだが、忌まわしいことに、彼らは過去において不穏な事件の発生した呪われた土地を好むのだ。

 その一見ユーモラスな名の由来もまことに忌まわしい。

 彼らは手にした手斧で、通行人の首を切断して、その内臓をひきずりだして戦利品とでも呼べる相手の血潮で、これだけは上質の自分の帽子を染め上げる。

 しばらくして色が褪せると、また通りすがった人々を殺し、鮮血で染めかえす。

 故に赤帽子レッド・キャップなのである。


「まさか、妖精なんてものが現実に存在するとは思わなかったわよ。さすがに外国は違うわね」

「英国人だってそうじゃないかな。でも、会いたいとは思っているみたいだよ。その昔、コティングリー妖精事件ってのがあってね……」

「ちょっと、状況を考えなさい。うんちくは結構よ。それより、ここから逃げる手段を考えないと。あいつが窓から入ってこないようにバリケードで塞がないとならないし、やることはいっぱいあるわ」

「窓は大丈夫だよ」

「なんでわかんの?」

「妖精避けのおまじないがしてあるもん」

「へっ」

「あのデイジーの花輪だよ」


 ケイヤが指差した先には、確かに、窓枠に綺麗な花を編んだ手作りの輪がかけられていた。記憶を辿ると、家の窓のほとんどにあれに類似していた品が飾ってあったように思う。

 つまりは大分前から、この家には妖精除けの仕掛けがなされていたということだ。

 いったい、それはどういうことだろう。


「……ってことは、もしかしてあたしが玄関のアレを外しちゃったから、中にあの怪物が入ってきたってこと?」

「そうだと思うよ」


 あまりのことに眼が眩みそうになった。

 まさか、あんな逆ギレめいた自分の行動のせいでこんな目に会うことになろうとは。

 人生というものは何が凶とでるか、さっぱりわからない。

 コンコンと扉が叩かれた。

 小人達が中に入ってこようとしているらしい。

 どうすればいいのか。

 そのとき、外から何かが暴れる音が聞こえてきた。


「ママ!」


 ようやく千夏子は自分の母のことを思い出した。

 買い物に行くといって出掛けた母が帰ってきたときに、あのバケモノと遭遇したらいったいどうなるのか、それは火をみるより明らかだ。

 頭から血の気が完全に引いていく。


「……雪江さんが帰ってきたら大変だ!」

「そうよ。仕方ない、あたしが外に出る。……ケイヤ、あんたはここに残りなさい。言っている意味わかるわよね、あんたは足手まといなの」

「うん、わかっているよ。千夏子ちゃん、がんばって」

「ええ」


 少し、納得できないやりとりのようにも思えたが、いちいち文句を言っていたら埒があかない。それに、ケイヤという少年は、誰にでも優しい反面、妙に冷静な判断を下すタイプだと理解していたので無理にでも納得するしかない。

 実際問題、外に出られるのは彼女だけなのだから。

 覚悟を決めて、宣言通りにせっかく造ったバリケードを崩そうとすると、外から誰かが声をかけてきた。


「あのー、中にいる方々ぁ、大丈夫ですか?」

「……あなた、誰?」


 全く聞いた覚えのない渋くて低い声だった。

 もしかして助けが来たのかと思ったが、まだ警察には電話もかけていないので、その可能性はない。

 では、誰なのだ?

 果たして、この声のぬしがさっきの邪妖精ではないと言い切れるのだろうか。

 千夏子が逡巡していると、


「私はあなたがたの味方です。あなたがたを襲っていた赤帽子(レッドキャップ)どもは私達の仲間であるギルデンスターンが始末しました。したがって、邸内は完全に安全となりましたので、ここを開けて出てきていただけるととても助かります」

「……悪いけど、信じられない。あの化け物どもを始末したって、どうやったのよ? それに他人の家に勝手に入り込んだ人を無条件に信じるなんてことはできないわ」

「では、私の身分を証明することにいたしましょう。よろしいですか。私の名前はパックです。この名を聞けば、きっとわかっていただけるでしょう。そこにおられる黒髪の方になら」


 千夏子は絶句した。

 パックだと?

 おいおい、まるで蝶の羽根をつけた小さくてイタズラ好きの妖精みたいな名前じゃないか。

 どう聞いてもさっきから話している渋めのダンディーな物言いの人物についている名前とは思えない。


「ちょっと待って。……あなた、さっき、ギルデンスターンと言いましたね」


 今まで黙っていたケイヤが口を挟んできた。

 いきなりだったので、文句を言おうとしたが、その眼の中にある真剣すぎる光に気圧される感じで結局は譲った。


「相棒の名前は?」

「ローゼンクランツです」

「……開けていいよ、千夏子ちゃん。多分、僕の勘だけど大丈夫だから」


 ケイヤの多分といいながらも自信たっぷりな言い方に、千夏子は多少の疑いを持ちながらも従うことにした。

 せっかく苦労して築いたバリケードを崩して開いた扉の先には、茶色の髪をオールバックに撫で付け、嫌味にならない程度にエレガントな口ひげをたたえた均整の取れた体格のジョンブルがいた。

 グレーのベストとパンツ、眩しい白のシャツに蝶ネクタイという、パーティーでのボーイ役を買って出たホストの貴族という感じだ。

 そのくせ、口元には陽気でいたずらそうな笑みを浮かべ、相手をくつろがせる雰囲気も持ち合わせている。

 ただ問題は、千夏子にはこの人物にやはり見覚えがないということだ。

 直感的に敵ではなさそうだと感じたが、怪しい人物であることには変わりはない。


「あなた、誰ですか?」


 と言おうとした矢先、怪鳥のような奇声が轟いた。

 反射的に向いた千夏子の視界の端に、一匹の小人が映る。

 それは手斧を引っさげて、自分たちではない別の誰かに襲い掛かるところだった。

 だが、その攻撃は効果がなかった。

 襲い掛かられた犠牲者が、そちらを見ようともせずに薙いだ細身の剣の一撃が、小人の胴体を真っ二つに切り裂いたからだ。

 小人の胴体は二つに断たれたが、血は一切飛散らなかった。

 その代わりに灰の様に霧散して消えていった。

 切られたものが、決して生物ではないことの証左だった。

 小人を簡単に屠ったのは、金髪の長身の男性だった。

 白地に赤く大きな十字の書かれた時代がかった服を無造作に着ている。パックと名乗るオールバックの男性よりは野卑な感じがするが、荒々しい野生という感じを持ち決して下品ではなかった。

 何より腰から下げた細身の剣が目立ちすぎている。

 時代錯誤な鎧を着ていない騎士という風体だった。


「終わりましたか、ギルデンスターン?」

「ああ、俺のほうはな。玄関あたりから庭にたまっていた奴らは、もうローゼンクランツが始末をつけている頃だろう」


 パックは満足そうにうなずいた。

 連れの仕事に満足しているのだろう。

 そして、パックは千夏子の肩越しに立つ、ケイヤに向けて、


「お待たせしました、オーベロンさま」


 と、恭しく声をかけるのだった。

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