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シーリーコート伝承  作者: 陸 理明
第五話 シーリーコート
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リトル・ヨコハマ妖精譚

 リトル・ヨコハマはロンドンの一角にある、約千人の人口が集うストリートの呼称である。

 居住者のほとんどが、数ヶ月から数年の単位でロンドンに滞在する日本人とその家族であるため、日本本国での生活リズムと外れすぎないように、四月から一年度とする学校があったり、日本食レストランや食材店があったり、珍しい外務省の出張窓口があったり、ここだけで本国とほぼ変わらない生活が出来るようにできていた。

 ケイヤの両親であり、千夏子の祖父母に当たる相原夫妻は、すでに四十年ほど前から―――リトル・ヨコハマの名前が付く前から―――ここに住んでいた。

千夏子の母、雪江もここで産まれ、ミドルティーンになるまでここで育ったのだ。

 元々、外務省の職員だった祖父と、その知り合いたちの集まりが一種のコミュニティー化していったのがリトル・ヨコハマの元祖に当たるらしい。

そのような環境であるため、歩いて数分で家に着く。

 相原家は、ストリートの中でほぼ唯一といっていい一軒家で、比較的大きなお屋敷でもある。その他の住居はロンドンの街並みに似合いの石造りのアパートメントばかりなので特に異彩を放っていた。

 千夏子の細い眉がよった。

 屋敷の門の一角に見慣れないものを発見したからだ。


「何よ、コレ」


 手を伸ばして触れてみると、どうやら植物の葉っぱを枝ごと束ね、それをところどころに刺しこんで作られた品物だった。

 既存のものでなく、手作りのものとわかる。

 だが、なんのためのものかは皆目見当がつかない。

 不思議がっていると、唐突にケイヤが口を開いた。


「トネリコの葉を使ったお守りだね」

「―――何、それ?」

「一種のタリスマン―――日本語で言うと『魔よけ』にあたるのかな。いたずらをする妖精が敷地内に入ってこないように。ロンドンではあまり見かけないと思うけど、ちょっと郊外に出ると結構目につくんじゃないかな」

「妖精?」


 我知らずにジト目になる。

 千夏子の眼は、確実に「マンガや映画じゃないんだから」と訴えていた。

 確かにロンドンは旧い町並みあるが、それは石と煙のものであって、妖精などというふわふわしたファンタジーが似合う場所ではない。

 一言で言うのなら、時代錯誤というわけである。

 しかし、そんなことをケイヤは気にしないで知識としても持っているうんちくを語り続ける。


「トネリコの葉は妖精が嫌うからね。他にも、ほら、あそこやあそこにある木の枝も同様の効果がある。プリムローズ、四葉のシャムロック、マリーゴールド、オトギリ草どれもこれもそうだね。よく集めたなぁ」


 感嘆したように呻く。

 その指の先には、千夏子のみたことのないような植物のドライフラワーや生木が紐で結びつけてあったり、隙間にさしこまれていたりしている。

 今日の朝、登校するときにはまったく気づかなかった我が家の変化だった。

 一目でそれを見破り、種類まで看破するケイヤも凄いとは感じたが、それよりも違和感の方が先に立つ。


「朝はなかったと思うけど……」

「僕たちが出かけてから、誰かがつけたんだろうね」

「お婆ちゃんは入院しているから、家に居るのはママだけよね。だったら、これはママの仕業なの? 何を子供っぽいことをしているのかしら。……あとで、とっちめてあげなくちゃ」

「雪江さんなら、そこにいるけど」


 次にケイヤが指し示した先には雪江がいた。

 丁度玄関を出て鍵をかけようとしているところだった。

 日本にいたときはバリバリのキャリアウーマンであったが、今は値段の高いスーツを着ることもなく普通の主婦のように見える。

 しかし、なんでもない仕草の端々から実の娘の千夏子にさえ感じ取れる女の色気が漂う点などは、どう見ても普通ではない。

 横浜にいた時も、会社や近所の男性から常に言い寄られ続け、二人っきりで男性とデートをすることも頻繁なモテる女なのである。

 離婚している以上、母が誰と付き合おうが知ったことではないが、あまり男に高級品を貢がせたりはしないで欲しいものである。


「ちょっと、ママ!」

「何を起こっているのよ、あなたは。変な子ね? ……私はちょっと買い物に行って来るから留守をよろしくね。……ケイヤさんも、お願いします」


 二人の視線から逃がれるように門を潜っていく母を、娘は疑問に満ちた顔で見送った。

 微妙な様子がおかしい。

 落ち着きがないなんて、あの母にしては珍しいことがあったものである。

 それに、ケイヤへの視線がいつもよりもよそよそしいような……


「ケイヤって、ママの実の弟だよね。それにしてはよそよそしくないかな。前からちょっとだけ思っていたんだけど。前に何かあったの?」

「……うーん、知らないなあ。僕が産まれた頃には、雪江さんは日本に帰っちゃっていたからね。たぶん、そのせいじゃないかな? 僕だって、この間初めて会ったんだし、大人になって初めて弟に会うことになったら、結構ぎくしゃくするものじゃないのかな。意外と感動の再会とはいかないものなんだよ」


 と、やけに悟ったことを言う。

 人間関係というものにまだ慣れていないのか、もともとドライな性格なのか。

 この一つ上の叔父は、時折なかなかにとらえどころがないことを口にする。


「……そうよね。年が十八も離れた弟なんて、逆にどういう風に接すればいいのか普通はわからないか。それならママの気持ちもわかるかな」

「僕には雪江さんの上にも、一人、兄さんがいるんだけど、僕が産まれる前に行方不明になっちゃったらしいからなおさらじゃないのかな。……男の兄弟については割り切れないものがあるのかもしれないしね」


 行方不明になった伯父の話は、千夏子も聞いている。

 何でも、母が六・七歳の頃の家族旅行中、森の奥に消えてしまったという話だ。

 それは迷子になった母を探しに行った結果ということだから、もしかしてそのときのことでトラウマのようなものを抱いているのかもしれない。

 母が酒に酔って愚痴をこぼしているときに、よくその伯父の話をしていた。

 男の人と接すると、いつまでたっても伯父のことを思い出してしまうらしい。

 自分が迷子になったせいという子供の頃の罪を忘れることが出来ず、今でも引きずっているのならば、父との短い結婚生活がうまくいかなかった原因もそのあたりにあるのかもしれない。

 そうであれば、母の人生は不憫なものとしかいえない。


「あ、この訳のわかんないお守りの意味を聞くの忘れた。……うーん、なんか気にいらないな」

「どうしてなの?」

「こういう迷信じみた事が好きじゃないのよね、あたし。えーい、とっちゃえ」

「あ、止めた方がいいよ」

「うるさい。気にいらんものは気にいらんのだ」


 ケイヤが止めるまもなく、千夏子は電光石火の動きでそれらをすべて根こそぎ取り去っていく。

 足元に散らばったそれらを庭掃除用の紙袋にぶち込み、適当に放り捨てた。

 よい仕事をしたので、流れる汗も心地よい。

 叔父は心配そうな目でそれを見ている。

 力仕事では姪に勝てない以上、ケイヤには本当の意味でなすすべがない。


「何かあってから怒られても、僕はしらないよ」

「ケイヤはうるさいの」


 僕は関係ないとばかりに責任回避を続けるケイヤを自分勝手に叱り付けながら、二人は屋敷の中に入っていく。

 しばらくして、千夏子が居間で紅茶を飲んでいると、テーブルの上に極めて乱雑に読み捨てられた新聞が転がっているのに気がついた。

 あの几帳面な母親にしては珍しいと思い、片付けようとした千夏子だったが、彼女の貧しい英語力でもはっきりわかる語句が見出しに書かれていたので手を止める。

 普段は新聞などは日本のものでも読まないのだが、妙に気を引かれたのだ。

 見出しには、『レッド・キャップ!?』と書かれていて、その下には『murder case』の文字が躍っていた。

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