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シーリーコート伝承  作者: 陸 理明
第四話 チェンジリング
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勝者さえも笑わない

 妖精のカートは人間として暮らした歳月の中で、一度たりとも弓を扱ったことはないが、自分の技量に一片たりとも疑いを持ってはいなかった。チャンスさえあれば、的を外すことはないという強い確信まで抱いていた。

 妖精の持つ基本的な能力のようなものが、彼にも芽生えていたのだろうか。

 人間のカートも短弓の扱いについては同様だったが、こっちは『妖精界』でわずかに修行してきている。

 結論として、二人は弓の技量的な部分ではまったくの互角と言えた。

 問題は、戦術と機転と運だけだ。

 それぞれの緊張が頂点まで飽和したとき、二人の間に、天から飛来した一本の矢が突き刺さった。

 白い布を巻いた鏑矢であった。それを合図に死闘の幕が斬って落とされる。

 妖精のカートは平地の不利を知り尽くしていたので、危険を承知で背中を向けて左の林の中へ逃げ出した。

 このあたりの思い切りの良さはロバートゆずりであったろうか。

 いきなりの脱兎のごとき逃走に対処しえず、しかたなく、人間のカートは無防備にそれを追った。

 一応、決戦場の下見はしてあるが、精通しているとまでは言いがたい彼としては、あまり地の利のない林での戦いは望むものではなかったが、誘われたのなら乗らねばなるまい。

 これはすべてを賭けた決闘なのだ。

 何かが風を裂いて人間のカートの足元を抉った。咄嗟に退いたが、それはただの小石だった。

 同時に凄まじい勢いで横合いから矢が唸る。

 間一髪でかわし、すかさず射出地点に対して応戦するが、手応えはやはりなかった。


「いつまでも同じ所にいるほど甘くはないよね」


 楽しそうな微笑みがその顔をほころばす。

 なかなか、どうして、やるじゃないか、僕の兄弟は!

 一方で、まったく変わらぬ感想を妖精のカートも洩らしていた。


「さすがに鹿や熊とは比べられないな」


 鹿や熊と戦ったこともないくせに、そう解説すると、再び一目散に移動を始める。相手が、『妖精界』で育った妖精の能力を駆使するかどうかは取り決めていない。


(使われたら不利だよな)


 自分の方こそ本物の妖精なのに、その力を使おうとは夢にも思わない彼であった。

 だが、次に守勢に回ることになったのは、腐った木の葉の沈んだ水たまりに足をとられてしまったせいだった。

 一瞬だが、敵の動きの停滞を見逃すほどには、人間のカートは愚かでもなく、また甘くもなかった。

 同時に二本の矢を放ち、退路と命の二つを絶とうとする。

 ぬかるみに足がさらわれた状態では、飛びすさって避けることは難しい。

 だが、一歩だけならば動ける!

 そう判断した妖精のカートは、無茶を承知で前へと転がった。

 それによって急所を狙っていたはずの矢は結果的に逸れることになり、その右脇腹をざっくりと傷つけるのみに終わった。

 あまりの無茶区茶さ加減に驚き、移動が遅れた相手に向かって、妖精のカートは全速力で突っ込む。こちらに対して短弓が構えられて、矢が番えられるよりもわずかに早く、彼の蹴りが腹部へと放たれた。

 もとが妖精であることと、百姓によってその身体が鍛えられたおかげであったろう。

 接近しての純粋な身体の動きは人間のカートをはるかに上回っていた。


「ちっ!」


 なんとか斜め後ろに跳びすさる宿敵目掛け、次は追撃の右拳が撃たれた。捻りの利いた重い一撃だった。

 今度は見事に決まる。

 後方の樹木に激突してもおかしくないタイミングと力ではあったが、そうはならなかった。

 吹き飛ぶはずの人間のカートは、ありえないバランス感覚を発揮してそびえる樹木の枝上に立ったのだ。

 妖精のカートはまっすぐに相手を見ているのに、人間のカートは上を見ていた。木の幹に対して直角に立つ敵を、カートはおかしな表情で見つめていた。これほど奇怪な睨み合いは、人と人の争いでは決して起きえないであろう。


「……おもしろい芸だな」

「君こそすごい攻撃だよ。まさかそんなに喧嘩と力が強いとは思わなかった。おかげで頬がものすごく痛い」

「我慢しろ、俺だって脇腹が痛いんだ」


 双方共にまた苦笑が洩れたが、先に動いたのは、妖精のカートであった。

 だが、反応速度では人のカートに軍配があがった。ほとんど数瞬の差もなく互いに、石英の矢を射合った二人は、どちらも間違いなく命中したと判断した。

 両者が互いに誤っていたと理解したのは、それからすぐであった。

 いつのまにか、立ち尽くす二人の間に白いコートの温和そうな顔つきの青年が割って入っていた。そのダンスでもしているかのごとく、さりげなく広げた掌の中に握られているのは、彼らの弓の矢であった。

 彼らの認識よりも早く、その間に侵入すると、互いの必殺のはずの矢を受け止めて相討ちになる事態を防いだのだ。

 そうとしか思えなかった。

 結果として相討ちを免れてカート達はうかつにも安堵した。

 だが、その握り方を見て戦慄が走る。

 最初は、青年の位置からして、飛んでくる矢を受け止めたと思っていたのに、鏃の先端の向き、角度からして、彼らの矢は飛んできた所を受け止められたのではなく、飛び去っていくところを掴まれたとわかったからであった。

 自分に向かってくる矢を捕捉することは難しいが、不可能な仕事ではない。

 しかし、互いに交差して飛び去っていく矢を、一人が捉えることは奇跡以外のなにものでもないだろう。


「シーリーコート」


 人間であるカートの唇からこぼれた名前に、妖精のカートも聞き覚えがあった。


「どうして邪魔をするんだい?君はただの見張り役だろ」


 手にした矢を懐にしまいこみ、白い帽子のふちをいじりながら、大妖精はあらぬ方向へ視線を向けていた。もう一度、二人に強い口調で問い詰められてから、やっと渋々といった感じで口を開いた。


「今のタイミングだと、相討ちになっていた。だから、止めたんだけど」

「なんだって」

「僕は君達二人に死んでほしくない。どうせ、君等も僕も掟に逆らえないなら、二人死ぬより一人の方がいいだろうと思ったんだけどね」


 とんでもない台詞だったが、二人のカートは抵抗なくそれを受け入れることにした。今の彼らには、少しでも長く生きなければならない理由があるからだ。

 まだ眠っているはずの年老いた夫婦のことを心配し、カートは弓を手にした。

 胸に心地よい安らぎを与えてくれた農家の娘を想い、カートは矢を引き出した。

 いつのまにか、現われたときと同様に、見届け人は風のようにどこかへ消え去っていた。


「もう、矢は一本しかないよね」

「ああ、そうさ」

「じゃあ、僕の勝ちだ」

「二度も言わせるなよ、兄弟」


 一方が林の中へ消えた。

 残ったのは妖精のカートの方であった。

 彼の武器は申告どおりならもう一本しかない。それを外したら、そこで終わりだ。

 だからこそ、彼は待つことに決めた。相手が攻撃を仕掛け、それを避けきったときに反撃しよう。

 できなかったら、それまでだ。

 音はすでに聞こえなかった。

 どこかで人の眼には止まらないスピードで、もう一人の自分が動いているのだろうか?

 頭上で木の葉が舞った。

 何枚もの葉が、一気に落ちてくる。

 カートは弓を極限まで引き絞った。

 どちらから、来る?

 頭上の枝がしなった。

 反射的に天を見上げる格好になったカートの視界に、すぐ傍の薮に潜むもう一人のカートの姿が映った。

 魔術を使って枝を操ったのだ。

 人間のカートは、最後の渾身のカをこめた矢がもう一人の自分の顔面を裂いたのを目撃した。確実に当たった。

 しかも、突き刺さった!

 あの夥しい流血は、眼か口か、とにかくどこか大事な器官へ致命傷を負わせたらしいことが明らかだった。

 勝った。

 ケイトの勝ち気な笑顔が脳裏に浮かんだ。

 突然、眼の前を黒いものが遮った.

 自分を即死させた矢が何処から放たれたものか、結局人でありながら妖精に育てられたカートが知ることはなかった。

 加害者はのっそりと起き上がり、自らの矢によって背にした樫の木に叩きつけられたもう一人の自分を哀しそうに見つめた。

 その頬は、ざっくりと裂け、石英の鏃が顎から頬にかけて大きな孔を開けていた。

 無惨なまでの傷跡だったが、命が無くなるほどではない。

 運がよかった。

 妖精のカートが勝利を掴んだ理由は、たったそれだけだった。


「……俺が、俺を、殺した」


 だが、勝利の満足感も、殺人の後味の不味ささえもなく妖精のカートは死体に背を向けた。

 彼は、彼らに地獄の運命をプレゼントしてくれた妖精というものを呪っていた。

 それに例外はない。


(シーリーコートよ、出てくるな)


 今、妖精というものが眼の前に現われたら、俺は絶対に逆上せずにはいられないだろう。

 自分自身の分身を殺したという罪の意識は、妖精への憎悪へと変貌しきっていた。

 背後で小さく音がした。

 いきなり、鈍い衝撃がカートの左胸を貫く。

 カートが視線を下に下げると、ちょうど心臓のある位置から、石英の鍼が恥ずかしそうに顔を覗かせていた。


「なっ」

 

 カートは膝をつき、横倒しになった。

 意識はすぐに薄れる。

 そして、そのまま妖精のカートも死んだ。


「……やれやれ、やっと両方死んでくれたか」


 こちらも心臓を射抜かれたはずの人間のカートの死体が、ふらふらしながらも立ち上がり、樫の木に寄りかかった。

 すでに死人に相応しく、生気のなさは見られない。

 だが、血だるまであることと刺さりっぱなしの胸の矢のことを除けば、動いている以上、生きているとしか断定できない。

 しかし、その声は野太く陰鬱で、あの陽気な人間のカートのものではありえないものだった。

 表情までも投げやりで不満たらたらといった疲れきった老人のものであった。

 まるで、別人が乗り移っているかのような…


「小賢しい真似をするね。君が僕の前に出てこなかったことの答えはそれかい?カートの身体に本人も知らないうちに潜んでいることが、君の切り札だったという訳だ」


 その死を悼むように、元妖精のカートの死体の横に膝をついていた白いコートが身じろぎもせずに言い放った。

 心なしか、その温和な顔に、堅さが感じられるようだった。

 あの森でシーリーコートと会話を交わした相手は、ここにいたのである。

 さっきまで人間のカートのものであった肉体は、新たなる心の宿り主を得た。その宿り主は遥かに男臭い表情で、


「これが俺のお役目だったというわけさ。どちらも生かしておかずに、始末すること。人の方も、妖精の方も、取り替えっ子としては相応しくない連中だったからな、それも当然だろう。さっき、おまえが飛び出してきた時は驚いたが、なんとか予定通りに片付いたな。礼を言うぜ、シーリーコート」


 と、そこまで言ったとき、彼は何故か自分の口から滑々と流れ出る一つの名前を聞き取っていた。


「シーリーコート」

「僕は誰一人として救えなかった。……もちろん、本来は死ぬはずもない君を、僕という不意の事故から助けだすということも、だ」


 カートの中のものは震えた。

 それは迫り来る恐怖に対するものだった。

 目の前の大妖精は間違いなく自分に対して激怒している。

 シーリーコートのご機嫌を妖精が損ねることが意味するものは……。


「……おまえ、何をするつもりだ?オーベロンさまの命令に従った俺に、いったい、何をするつもりだ!消滅するぞ、シーリーコート!」

「うるさいね、君は」

「……シーリ」


 それが断末魔の前につぶやく今生最期の台詞だと、人間のカートの肉体に忍んでいたものは理解できなかった。

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