決闘の丘で
主人に見捨てられた家屋ほど、寂しく、そして無残なものはない。
主人と家屋という単語を、男と女、その他のどのような名詞と入れ替えても違和感がないのは、見捨てるという動詞の中に含まれる非情さのせいであろうか。
まばらに光が差し込むだけの、閑散とした暗い林の中を、一人黙々とカートは歩んでいく。
右手には、昨晩、完成したばかりの手作りの短弓が握られている。
腰に吊るした木製の矢筒の中に収めてある、先も尖っていないお粗末な鏃は石英からの削りだしであり、ぴんと張られた弦は野草を乾して伸ばしつつ編んだものだった。
慣れない細工に手間取ったせいで、充分な量を拵えることは出来なかったが、それについては仕方がないと諦めていた。
どちらも、両親が寝いった隙をみて大急ぎでこしらえたという時間的な事情もあったからだ。
もっとも、武器が本来もつはずの機能美などについては、彼はまったくこだわってはいなかった。
見た目の良さというものは二の次、三の次だ。
もともと、妖精の持つ品など、埃にまみれるのがよく似合うもの粗雑極まりないものが多いのだから。
それに、人を殺すための道具に美しさなどいるものだろうか。
まして、自分が殺さなくてはならない相手は、自分自身なのである。
カートはすべてを了解しつつも、良心を揺さぶってやまない罪悪感に耐えながら弓を握るカを増した。
家を出てから約束の地点まで、激しく乱れる思考の渦と葛藤し続けた。
彼は自分が『取り替えっ子』であることを知っている。
両親は一言もそのことでカートを責めたことはなかったが、周囲の人々の反応や親戚による排斥が、その事実を遠回し(たまに単刀直入に)に教えていた。すべての共同体から除け者にされていたといっても過言ではなかった。
彼の一家は常に村八分にされていた。
しかし、どういうわけか、それでも彼ら家族が飢え死にすることだけはなかった。
むしろ、他の農家と比べても、生活そのものに困ることはなかった。
父の作る作物を街に持っていけばきちんと完売し、母の紡いだ糸も遠くから商人が仕入れに来るほど需要があった。
一家は飢えることも乾くこともなく、共に歳月を過ごした。
今にして考えると、それは妖精の子を育てるための恩恵であったのだろう。
『取り替えっ子』とは、アイルランドからウェールズに伝わる風習である。
産まれたばかりの醜い子や不具の子を、親たちが「妖精が自分たちの子と取り替えたんだ!」と嘆いたことが発端とされているが、現実に『取り替えっ子』は数多く事実として存在していた。
その分野での妖精研究は、二十世紀の民俗学ではよく研究されている。
『取り替えっ子』の為される理由は基本的には不明のままだが、妖精たちが何らかの意図を持って行っているのは伝承からして明らかであり、定説とされているのは人間の血を種族として弱い妖精たちの血脈に加えるため、というものである。
もっとも、大概の場合、子を取り替えられた親たちが人外の者達の行為の動機を知ることはかなわないのだが。
しかし、カートの場合は違う。
妖精の親たちによって取り替えられた原因ははっきりしている。
なぜなら、カートには記憶があったからだ。
まだ、赤子の時代に誰かが彼に向かって話しかけ、そのことを忘れずに覚えていたのである。
要するに、彼が人間のもとへ預けられたのは、つまり引っ越しのためだ。
それも妖精の城ともいえる丘ごとの、あまり類を見ない大掛かりなものがあったらしい。
そのとき、妖精側になんらかのトラブルが生じ、赤ん坊であった人間のカートと、妖精の息子であった彼が、結果として取り替えられることになったらしい。
トラブルの内容についてはカートの記憶にもない。
おそらくは妖精王オーベロンにまつわるものだろうという事だけは、なんとなくだが理解はしていたのだが。
そして、妖精の子も人間の子にちなんでカートと名づけられ、そして代償を超えた惜しみない愛情とともに両親に育てられた。
だから、カートは自分の生まれが妖精であることに、吐き気を催すほどの拒絶感を持っていた。
まるで人間そのままの思考形態と肉体、そして一片の超能力も持たないことがそれに拍車をかけていた。
妖精であることの証拠は、剣のようにとがった耳だけなのだから、当然と言えば当然である。
『取り替えっ子』がまぎれもなく真実であることは、三過間前に尋ねてきたもう一人のカートによって証明されている。あの時、彼の姿を見たときに、今まで忘れていたものは過去から揺り返され、カートは自分が妖精であることを認めざるをえなくなった。
彼のもとへ訪ねてきたもう一人のカートは人間だった。
そして、彼は妖精の子。
どんなに否定したとしても自分の出自が妖精であることは紛れもない事実だった。
だからこそ―――
だからこそ、掟通りに『決闘』をせねばなるまい。
これが薄れゆく記憶からはじきだされた結論であった。
どうして自分たちが互いに相克の争いをせねばならぬのか、彼は完全に熟知していた。
彼らは異分子なのだ。
『妖精』にとっても『人間』にとっても。
どちらかがいなくなれば、異分子による歪みは少なくなるのだろう。ひょっとしたら、相討ちが期待されているのかもしれない。
どう転んでも、二人のうちどちらか片方は死ななければならないはずだ。
暗澹とした想いを抱えたまま、足取りも重く暗い林の中を進み続ける。
そして、分厚いカーテンが開かれるように急に視界が開けた。
現れた小さな丘の真上には、一度しか会ったことがなく、しかし誰よりもよく知っている若者があぐらをかいていた。彼の膝の上には、カートのものに良く似たこれも粗末な造りの弓が乗せられている。
名を問うまでもない。
彼は『人間』のカートだ。
「来たね、もう一人の僕」
「ああ、約束したからな」
親しそうに話し込むと、とても決闘前とは思えなくなる。
しかし、気が合うのは確かだった。
本当は最初の邂逅のときに気がついていた。
朝から晩まで語り合っていても多分飽きることなく一緒にいられるだろうことや、趣味嗜好もほぼ似通っているだろうことも、手に取るようにわかっていた。
奇妙な躊躇いが指先にたまっていく。
それは親愛の情といえた。
「矢は何本、用意したの?」
「三本だ。おまえはどうだ?十本ぐらいはあるんだろう」
「大当たり。ちょうど十本用意しておいたんだ。矢の数だけだったら、僕の勝ちだぞ」
「確か、フリュウ・フロウ・グウィフェスのタフラムは、たった一本で多くのフォモール巨人を打ち殺したはずだが……」
「ああ、偉大なるルー・ラプアーダのことだね。それを言われると立つ瀬がないなぁ。本当の妖精なら一本か三本ですべて決まるからね」
「だから、勝つのは俺だ」
二人は一瞬先の運命を忘れて、しばし笑いあった。
ともにわかっている。
自分たちが魂のレベルで双子の兄弟のようなものだということも。
しばらくして、妖精のカートが短弓を掲げた。
壮なまでの決意が四肢にみなぎる。
「さて、やるか」
人間のカートも同様に、短弓を掲げた。
こちらには乾杯の音頭をとるような気楽さがあった。
「いいよ」
彼らは短弓を手に、小さな丘を挟んで向かいあった。
すでに双方共に矢をつがえおわっている。