天の御使い
「……どうも、お元気ですか」
突然、見たこともない白い衣服を着た青年に挨拶をされ、ロバートは眼をしばたいた。
陽光のきらめきを受けた泉を思わせる瞳は、どんな抵抗をも許さず、脈を止められてしまうのではないかと危惧を抱かせるほどに眩しかった。
神の使徒とはこのような双眸を蓄えて、罪を犯した人間を諌めるのではなかろうか。
すくなくとも、ロバートはそう感じたのだ。
青年が身につけている白くてふわりとした美しいコートは、天使のための羽衣としか思えない。だからこそ、背中のあたりの布地は、わずかな風を吸いこむと、タンポポの真綿のようにふくらむのだろう。
あの布の下には、きっと神々しく滑らかな天使の翼が秘められているに違いない。
青年の笑顔は慈愛と労わりに満ちた、聖なるキスに等しいまぶしさがあった。
「なんでしょう、天使様」
天使などという大それた呼ばれ方をして、青年―――シーリーコートという妖精は衝撃を受けたが、それは内心だけに封じた。
ひどくずるいことをしているようで気が咎めたが、純粋な農夫の誤解に乗ずることにした。
あまりキリスト教的なものに関わりあいたくない彼は、今までヨーロッパなどではこの一神教の顔をたてて波風がたたない風にしてきた。
もっと以前、中世においては、何度かキリスト教圏内の問題に首をつっこんだこともあるが、可能な限り協調の精神をもって接していたのである。
もともと、妖精信仰が衰退したのは、キリスト教への盲信のせいなのだが、そういった事項はアストラル世界で調和がなされる規則なので、一介の妖精が口をはさめる問題ではない。
どのみち、あらゆる超常現象も魔術も宗教も、根本にアストラル世界を背景としているのだから、出所は一緒であるのだ。そうであるならば、手と手を取りあうことは難しくはないはすだ。
それなのに各種の宗教間で戦争が起きるのは、神にかしずいている人間たちが何かを致命的な誤解をするからである。その誤解の質の悪さはそら恐ろしいものがあり、地獄の悪魔でさえもうちょっと冷静だぞ、と嘆きたくなることも多々あった。
既存の方程式の使い方を知っていても、あてはめ方と解釈の方法を間違えれば答えが出ないのと同様、人間はまともに思考や情緒というものを機能させる器量と意思が足りないのであろう。
だが、偶然その不出来な歯車が見事に噛みあうとき、著名な宗教家や魔術士や学者がひょっこり産み落されることもある。
だから、彼は異教も異端も差別しない。
人間なんて年齢も性差も人種も民族も宗教も、どれが違ったってたいした差はないのだから。
そうはいっても、妖精である彼はキリスト教にあまり良い印象をもつことはできない。
特にロバートのようなピューリタンは妖精を悪魔の手先と妄信しているものが多く、その意味において色々とやりづらいことは、数多くの経験から学んでいる。
だから、いきなり手を握られても、感情を表に顕さず、そのまま毅然とした態度で演技を続けることにした。
間抜けな語りかけをしたことなどおくびにもださない。
「……聞きなさい、アークの息子、ロバート。 あなたとあなたの妻は、明日の朝に息子が出掛けたら、すぐにあることをしなくてはなりません。 それは決して忘れてはならないことですが、決して意味を思い出せないことなのです……」
「それは―――いったい―――?」
シーリーコートは憐れみと無表情をたたえた視線で、ロバートを射抜いた。
そして、躊躇いも感慨も捨てて、ある言葉を投げかけた。
ロバートは何度も領くと、膝をついたそのままの姿勢で神の使徒である天使が帰られるのを十字と共に見送った。
しばらくして、天使がお帰りになったのを確認すると、彼は自分の家へと戻った。
彼の脳裏にはすでに一つのことしか詰まっていない。
カートを。
自分の愛する息子を救うこと。
そして、その方法。
だが、この事実を明日の朝まで記憶していられるかどうかは、まったく自信がなかった。