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シーリーコート伝承  作者: 陸 理明
第四話 チェンジリング
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夢の逢瀬

 いつも短気なケイトではあったが、その日に限っては通常の数割増で怒りっぽくなっていた。

 もちろん理由ははっきりしている。

 昨日の昼時、彼女の前に現われたにやけ面(あくまでケイトの主観に基づく)で変人の若者のせいであった。

 奴のせいで、本来すでに仕上がっているはずの畑の耕作が本来の予定の半分までしか達しなかったのである。

 はっきりいってひどい遅滞である。

 この遅れを取り戻すためにどれだけの苦労をしなければならないのか、考えるだけで気分が萎えてしまう。

 むしゃくしゃした気分のまま、夜明けと共に家を出たケイトは、路上に転がる石などに暴力をふるい、八つ当りをしながら畑へと向かった。

 さすがに両親に当たり散らすことだけは避けたが、もし視界の中に誰か知り合いでも入ろうものなら、確実に平手か蹴りを食らわせていただろう。

 もっとも、誰にとって運が良かったのかは不明だが、彼女が両親に任されている畑に辿りつくまでの間、誰一人としてケイトの前を横切るものはいなかった。

 その煮え立った精神状態は農作業を開始しても晴れることはなく、昼近くまでずっと尾を引き続け、ケイトは不満と鬱憤の化身となりながら鍬を振るっていた。

 彼女にとっては不運だが、そのまま穏やかな日常が続くであろうと思われた。

 しかめっ面で険しくなっていたその双眸が、ある一点に引き付けられるまで。


「……よくぬけぬけと出てこれたもんね、あんた」

「こんにちは。 昨日はどうも」


 あの長身の若者が、にこにこと微笑みながらケイトを眺めていた。

昨日、ケイトが腰を降ろして食事をしていた木の根元に座りこみ、丁度、初対面のときとは互いに位置を入れ替えての再会であった。

 畑の真ん中でケルトの伝説の巨人のように仁王立ちをして、いきりたって自分を睨みつける娘を、若者は合点がいかないといった呆けた顔で観察していた。


「一体、何を怒ってるんだい?僕、何かしたっけ。僕にはなんの覚えもないし……。ああ、わかった。体調が悪いんだね、きっとそうに違いないね。 ね?」


 心底、不思議そうだった。

 あまりに害がなさそうなその表情に、ケイトは自分の怒気が急速に萎んで消えていくような虚脱感を覚えたが、それではいかんと強い意思を維持しようと試みた。

 が、みごとに無駄な努力に終わる。

 あまりに一方的な激しい感情はストレスが増えるだけでしかないのだ。

 大きな溜息をついて、いつも怒りっぽい娘は若者の方へ向かった。

 若者も今度は逃げずに座って待っている。その憐に一気に座りこんで、バスケットのなかからぶどう酒の入った革袋を取り出す。


「あんたが昨日邪魔をしたせいで、ここを耕し切れなかったから、あたしは怒っていたのよ」

「そうだったんだ、それは悪いことをしたね。ごめん」

「わかればいいわ」

「でも、さっきから見物していたけど、君が一人でここを耕すとしたら……。ああ、鍬ってのは畑を耕すのに使うんだね、知らなかったよ。……何の話をしてたっけ……。そう、君が一人でここを耕すとしたら、少なくとも三日はかかるって話だ。僕が思うに、三日はかかると思うけどね。だから、僕が邪魔しなくても、きっと終わんないよ。うん、間違いない」


 考えなしに口にしてから、若者なりに失言したかもしれないとなんとなく嫌な予感がして、隣の様子を伺うと、娘は疲れた顔で革袋にロをつけているだけだった。

 革袋の中にはたいして強くもないワインが入っている。

 別に酔いたくはないが、そんな気分になることもあるのだ。


「そうよね、あたしの意見も同じ」

「じゃあ、どうしていつも一人で仕事をしているんだい。お父さんや兄弟に手伝ってもらえば、もっと早く済むんじゃないのかな?」

「……兄弟はいないの。だいぶ前に流行病でね。それに父さんも母さんも、もう年だから無理をさせる訳にはいかないのよ」


 さすがに天真爛漫が服を着て歩いているような若者も、語られる内容の奥探くに流れる重みを理解したのか、意味もなく笑うようなことはしなかった。

 ただ、軽快に跳び上がり立ち上がると、日々の生活の重みに浸っていたケイトヘと手をさしのべると、


「鍬を貸して。僕が手伝ってあげるよ」

「やめておくわ」


 当然の如く、ケイトは申し出を断った。

 若者の言動もさておき、鍬の名前も知らない相手に手を貸されたら、むしろ邪魔にしかならないからだ。


「どうして?大変なんだろう」

「あなたの登場の仕方や、そんな風な喋べり方って、あたしがお婆ちゃんに聞いた御伽話の妖精そっくりなんですもの。お婆ちゃんは妖精とは取り引きしちゃいけないって、口が酸っぱくなるほど言ってたわ」

「……僕は違うよ」

「でも、駄目」


 それにも関わらず若者は、ケイトの手から鍬を無理矢理に奪い取ると、さっさと畑へと踏み込んでいった。

 そして、働き出した。

 しばらくの間、ケイトは自分の体験が誰にも話せないものの部類に入ることと、自分の生涯の中で最も不思議な現象を目撃していることを、否応なしに思いしらされる結果となる。

 若者の動きは人のものではなかった。

 動作そのものは人のそれと何ら違う点は見出せない。

 鍬を知らなかったものとは思えぬ堂にいった使い方は、たぶん、ケイトの動きを見て真似したものであったろう。

 だが、彼の周囲の時間だけが速めに進んでいるとしか思えないような光景が繰り広げられていくのだ。

 若者が振る鍬の一振りの間隔は、蜂のはばたきのように素早く、その歩みは春の燕のように素早くて認識がまったく追いつかない。

 畑の端から端まで動ききるまで、ほんの数秒。

 それが何往復も繰り返され、目に付く部分すべての土を耕し尽くし、種を撒くのに適した状態に仕上げるまでほんの数十分。

 まるで一陣の突風が横切ったかのように時間が過ぎ去り、茫然と座りこむケイトだけが残されたようだった。 若者は彼女の傍らで、いいことをして親に褒められたばかりの子供のごとく、にんまりとしている。


「終わったよ」


 妙なイントネーションで、事の終鳶を告げられ、やっとケイトは自分を取り戻した。

 激しく両眼をこすってみるが、瞳に映るものには何ら変化はみられない。

 つまりは、あれは事実であった訳だ。


「……そうね。見事なものだわ」

「ふむふむ、そういってもらえると嬉しいなあ。僕はずっと『妖精郷(エルフヘイム)』で暮らしていたものだから、こういった仕事を初めてなんだよ。だから、自信がなかったんだけど、うまくいったんならなによりだね」


 からからと笑う若者を、ケイトは今までのものとはまったく異なった目付きで見やった。


「あなた、誰なの?」

「僕……? 僕の名前はカート。ロバートの息子、アークの孫さ」


          ※


 カートと名乗る若者とケイトは、それから毎日のように畑で会うことになった。

 ほとんどの場合、ケイトが畑を耕しているのをカートが見物しているだけなのだが、ときおり彼女のかわりに不思議な力を使って手助けをしてくれたりした。     

 どうやら、彼の瞳には極普通のありふれた自然物以外のあらゆるものが珍しく映るらしく、農村の風俗や噂、はたまた遠いロンドンの話など、色々な情報を知りたがった。

 ケイトの祖父は、その昔にヴァーミンガムで暮らしていたせいか、通常の農民と比べて割と進歩的な経験をしており、様々なことを知っていたから、ケイトはそういう知識を比較的多く所有していたのである。

 カートからは、植物や動物のこと、唄や詩のこと、神話のことなど、心のどこかにぽっかりと穴を感じる人が、胸の奥でほろ苦い郷愁を覚えるような昔々の話が、優しい語り口で戻ってくるのだ。

 踊りに関しても達者だった。

 恒例の夏祭りで、村の青年たちが踊るときのような、単調さやがさつさとは無縁の、陽気で咽喉もとから声を張りあげたくなるような楽しい踊りを得意としていたのである。

 二人で共に手拍子を合わせて、木や花を挟んで踊っていると、必ずといっていいほどカートが素敵な詩を即興で贈ってくれた。

 自分のためのだけの詩と交換にケイトが贈るものは、照れのせいでちょっとだけ頬に赤みがさしてしまう軽い口づけ。 ほんの少し唇が触れるだけでやめてしまうのが、欠点と言えば欠点だったが、恥ずかしくてそこまでが限度だった。

 だが、カートは満足そうに優しい眼をするのだ。

 そして、それだけで二人は幸せだった。

 二人っきりの集りは、いつまでも、永劫に涯てがないように……思えた。

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